大森望のレビュー一覧
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50代からのアイドル入門
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試し読み
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もう記憶が定かではなくなっていたが、解説を見ると、本書はバリントン・ベイリーの初翻訳長編だったようで、『禅銃』なども翻訳はこのあと。ワイドスクリーンバロックなどといって、なんだあ大したことないじゃないかと思ったのは、短銃で恒星を破壊してしまうような『禅銃』の突拍子なさと比べると、『カエアンの聖衣』のアイディアはちょっとスケールが小さい気がしたのだ。
服を着ることによってその人の潜在能力が開化して別人のように力を発揮できるようになるというアイディア。そしてそのような服飾文明を発展させたカエアン人。物語はカエアン星系と対立するザイオード人の視点から描かれる。原題は「カエアンのガーメント」。ガーメント・バッグのあのガーメントであって、「聖衣」などという宗教がかった特別な意味はない。これは初訳のなごりであり、新訳の本書でもそれを踏襲している。問題となるカエアンのガーメントは伝説の服飾家フラッショナルの仕立てた5着のうちのひとつだが、見た目は単なる地味なスーツであり、それを手に入れたザイオードの服飾家ペデル・フォーバースはザイオード社会でのし上がっていく。
他方、カエアンとの戦端が開かれるまえの情報収集にカエアン星系に密かに調査にはいった文化人類学者の調査団一行が話のもうひとつの軸。人類が銀河に広がって千年、日本人の末裔ヤクザ坊主とソヴィエト・ロシア人の末裔が戦っている宙域を発見し、カエアン文明がこのソヴィエト・ロシア人の末裔からさらに発展したのではないかと推測する。
知性を持った線維というアイディアをアニメ『キルラキル』で使った脚本家のエッセイも巻末に。『ど根性ガエル』みたいな『キルラキル』の服はやはりアニメ的にわかりやすいが、ベイリーが知性を持った線維を考えたときにそれは喋る服ではない独特なアイディアが投入されている。 -
Posted by ブクログ
没後6年を経て伊藤計劃の名声はいや増しに高まっている。生きていれば駄作を書くかも知れないのに、もう絶対に駄作を書くことのない彼は不滅だ。
でも読者はもっと彼の作品を読みたい。『屍者の帝国』。プロローグだけが書かれた第4長編。1878年、ヴィクター・フランケンシュタインの先駆的研究から100年、屍者に疑似霊素を注入することでロボットのように使役できるように蘇生させる技術が一般化していた。わたし、医学生のジョン・H・ワトソン、すなわち後のシャーロック・ホームズの記録作家は女王陛下の諜報機関にスカウトされ、グレート・ゲーム(中央アジアでの大英帝国とロシア帝国の覇権争い)のプレイヤーとして乗り出すことになる。
舞台はアフガニスタンから日本へという程度の構想しかはっきりしていなかったこの作品を円城塔が書き継いで長編として完成させた。このゲーム「プロジェクト伊藤」に大森望が他のプレイヤーを招集したのが、オリジナル・アンソロジー『NOVA+』の第二弾「屍者たちの帝国」である。『屍者の帝国』の設定を共有して短編を書く使命が8人の作家に与えられたのだ。もう作品を書かない伊藤計劃に代わって物語を紡ぐために。
藤井大洋「従卒トム」。屍者による軍隊、屍兵を統率するという忌み嫌われる仕事は黒人の解放奴隷に任される。テネシーの農場で綿花栽培に従事していた奴隷のトムは7年後、薩長の要請で屍兵を率いて江戸城攻めに向かおうとしている。ある種の人情話である。
『屍者の帝国』と同じ月に『カラマーゾフの妹』を上梓した高野史緒は今度は『白痴』の続編を書くが、これがとんでもない大暴走。白痴に戻ってしまったムイシュキン公爵。ムイシュキンとは小ねずみの意味。そして白痴の治療とねずみといったら、ドラマ化までされてSFファンでなくとも知ってるあの話。パルフョン(童貞の意味)・ロゴージンに殺されたナスターシャ(復活の意味)は首だけ他の死体にすげ替えられて死者として復活する。そうそう、首だけ生きてるってのはあの教授。といった具合のネタが繰り出されて最後は地球を飛び出していく「小ねずみと童貞と復活した女」。
仁木稔「神の御名は目して唱えよ」は「我」をなくして神と一体化するというイスラム神秘思想がネタ。ヴォルガ・ウラル地方のイスラム神秘主義教団を舞台に、この思想と屍者をからませた作品。作品で思索するという点で伊藤計劃の道を正しく進む。
シャーロキアン北原尚彦は円城塔版『屍者の帝国』の一挿話をでっち上げる、シャーロック・ホームズの登場人物を連れてきて。タイトル「屍者狩り大佐」はのちにモリアーティの右腕となるモラン大佐のこと。そして「まだらの紐」の粗暴なロイロット博士、さらにウェルズの登場人物や中島敦のまで登場。話はワトソン一行がインドで屍者化された虎に人が襲われる事件に遭遇するというもの。インドの虎刈りだから、宮澤賢治、いやそこまでは言ってないか。
愛する者を生き返らせるのはオルフェウスの冥府下り、イザナギの黄泉の国行きの昔から人間の欲するところだが、『屍者の帝国』のアイディアのキモは屍者が個性をなくして道具になるところにある。森鴎外が主人公の津原泰水「エリス、聞こえるか?」は伊藤計劃に背いて愛する者の蘇生をテーマにするが、屍者たる作曲家の作品などという変なアイディアで単なる感傷的な作品に終わらない。
山田正紀「石に漱ぎて、滅びなば」はロンドンの夏目漱石を引っ張り出す。漱石、すなわち「石に漱ぐ」という言葉と、海軍カレーの誕生を結びつけるが、その論理の強引さと説得力のなさは「トンデモ」というほかない。彼も『神狩り』『弥勒戦争』で夭折していたら、伊藤計劃のような伝説になっていただろう。ま、その後、駄作も書いたが,傑作も書いたから、生き延びることは無条件で正しい。でも、たいがいにしてもらいたいこともある。
屍者技術が時代遅れとなった時点から語られる坂永雄一「ジャングルの物語、その他の物語」はこのアンソロジーの他の作品からは異彩を放っている。伊藤計劃の世界から軽々と遠ざかりつつも,その独創性から伊藤計劃の境位にまで迫っている、というべきか。
トリは宮部みゆき。舞台は第二次大戦後の日本。後者の管理を離れた「拡散屍者」についての調査報告書の体をなす老婆の証言、「海神の裔」。「3回生まれ変わっても」『虐殺器官』のようなものは書けない宮部が、宮部にしか書けないお話を書いている。この作品でトムさんが登場するは藤井と申し合わせたわけでないのに、面白い。
最後にオマケで円城塔のインタヴュー。次のセリフがキマってる。
「伊藤計劃の名前で商売している」と言われてもいいんですよ。死体を働かせる話なので、「そうだ」と言える。
そうか、伊藤計劃は今も働いているんだ。 -
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気が向いたときだけ買っている『NOVA』である。
1970年代、「SF」といったら「SM」に間違えられて、という自虐ネタがよくあった。
では、SFとは何か、というのも昔から問われてきた難問である。村上春樹からしてSF的設定で小説を書き、それがベストセラーとなっている昨今、かつての筒井康隆会長の日本SF大会のテーマ「SFの浸透と拡散」はすでに現実のものとなった。ところが逆にコアなSF短編の発表舞台が乏しくなったと考えた大森望が、アメリカでは昔からあるが、日本にはさっぱりないオリジナルSFアンソロジーを編んだのが本書『NOVA1』。10まで続くらしい。
北野勇作「社員たち」、田中哲弥「隣人」は不条理ものと括れそうだが、これがコアなSFといっていいのか? 藤田雅矢「エンゼルフレンチ」は宇宙を舞台にしたラヴ・ストーリー、田中啓文「ガラスの地球を救え!」は馬鹿馬鹿しいパロディ、斎藤直子「ゴルコンダ」はほのぼのとしたアイディア・ストーリー、面白いけれどSFとしては傍流だなあ。
月は遠くて近いSFの古典的舞台。しかし、月面で起きた初の殺人事件を扱う本格推理小説というのはありそうでなかったかも。山本弘「七歩跳んだ男」。しっかり、「と学会」ネタが使われている。
SFはセンス・オヴ・ワンダーだといったのは誰だっけ? その意味では小林泰三には唸らされた。「忘却の侵略」は遭遇しても記憶に決して残らない宇宙生物(か何か)と戦う、量子論的SF。
すでに発表された傑作を集めたアンソロジーではなく、編集者の求めで書いてもらったアンソロジーだから、まあ、レベルはこんなものかと思っていたら、後半ぐっと密度が高まり、一般誌には載せがたいだろうという、しかも今日的なSFが並ぶ。小説をメタ・レベルにもっていくというアイディアは昔からあるけれど、次の3作はいずれも記述すること、語ることが世界を作るという、いわば言語中心主義的SFであり、しかも三様に違っている。
既知外生命体にテキスト改編という攻撃方法で挑む戦隊ものというとんでもないのが、牧野修「黎明コンビニ血祭り実話SP」。しかもテクストで相手を攻撃するというのはすなわちスプラッター描写。円城塔「Beaver Weaver」は数学的フレーヴァーを振りかけた、スペース・オペラの語り/騙り。飛浩隆「自生の夢」はGoogle時代のサイバーパンクの如きもの。語ることと読むことが問題となる。
最後に伊藤計劃の未完の長編『屍者の帝国』の残された冒頭部分で、このアンソロジーはいまだ語られていない世界に開かれる。もっともその後、円城塔によって語られてしまったが。
とりわけ語り口の個性と洗練、そしてある種の強さを感じさせたのは円城塔と伊藤計劃であった。 -
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このオックスフォード大学史学部シリーズ、タイム・パラドックスを起こす可能性がある時点には時間旅行できないという設定で、面倒くさいパラドックスは回避されている。それゆえ、過去から帰れなくなってしまったというほかは延々と戦時の生活が描かれるのだが、物語も最終局面に向かって、時間旅行の問題が前景化してくる。
1940年に閉じ込められた(本巻では41年に年が開ける)、マイク、アイリーンことメロピー、ポリーの3人は、2060年のオックスフォードにメッセージを送ろうと偽装した広告記事を新聞にのせたり、様々な努力をするのだが、そうした帰還のための努力が効を奏しているなら、すでに回収チームが来ているはずだというパラドックスに気づいて、不安に苛まれる。
もうひとつの問題は、同じ時代に2回いることはできない(同一人物が2人になってしまうから)というルールで、すでに1943年から終戦までロンドンに来ているポリーは、そのデッドラインまでに帰らないと命が危ない。
そんななか、マイクが戦火にまかれて死んでしまう。ここまで引っ張ってきてそれはないでしょう、と思う。これもウィリスの仕掛けたプロットの罠なのだが、様々な仕込みがここにきて炸裂する。
マイクの死にうちひしがれる2人の前に現れたのは、彼らを助けに来たのにやはり戻れなくなってしまったダンワージー先生。うちひしがれたダンワージー先生は絶望的な結論に達している。
体験的な時間は過去・現在・未来と連なっているものである。過去は既になく、未来はまだない。ところが、ここにタイムマシンを導入した途端、現在は時間軸の外(つまりタイムマシン内)に移動し、過去も未来も既にそこにあるという、事後性のモードにはいってしまう。過去も未来ももう決まっていて、歴史は変えられない。徹底的な運命論になってしまうのだ。それでは時間旅行そのものも不可能になってしまうので、時間旅行者の行動の結果は時空連続体に吸収されて後に影響を残さないといった妥協策をとられることが多く、本書もその路線。
他方、歴史変え放題で、歴史を変えるたびに新たな平行世界が生ずるという、多元宇宙的設定を取るSFもある。あるいは過去・現在・未来という時間軸のさらに上にメタ時間があって、メタ時間の経過とともに、過去・現在・未来も変化していくとか。
ダンワージー先生の現状分析は、時間旅行者の影響は最初のうちは時空連続体に吸収されていたが、ある閾値を超えるともはや修復不能となり、その時間線には「降下点」も開かなくなって、隔離されてしまうという、部分的平行世界解釈である。彼らに帰るすべはない。
先生も助けにならないとすると、あとは『ブラックアウト』の冒頭に登場するコリン・テンプラーに望みを託すしかない。コリンは前作で12歳にして時間旅行に密航して大活躍したらしい(何しろ評者はまだ読んでない)。それがいまや高校生となって、オックスフォード大学史学部をめざしつつ、ラボのあたりをうろうろしてダンワージー先生に閉め出されていたのだ。彼はポリーに恋していて、何かあったら絶対助けにいくと言っていたのだ。
戦争は歓迎されるものではないが、敵はヒトラーなので、勝つまで耐え忍ぶしかない。ここには反戦も厭戦もなく、むしろ降りかかってくるものを耐えながら、自分の分を果たしていくという、むしろ災害下に近い状況が描かれている。マイクは戦時の英雄的な行為を調べるために渡航したのだが、市井の人々の自分の分を果たすという英雄的な行為、ポリーやアイリーンの英雄的な行為を見る。自分も英雄であることには気づかないまま。
ポリーは時空連続体のふるまいについて、ダンワージー先生とは違った解釈に到達するが、それはやはり運命論的時間解釈である。人は運命から逃れることはできないのに、自分の愛する者のために何かすることは、運命に強いられた犠牲や代償ではなくなるのだ。そしてそれこそが英雄的な行為と呼ぶにふさわしい。そんなとき、人は幸せな顔をしている。マイクも、アイリーンも、コリンも、そしてポリーも。歴史という時間の捕囚である人間に自由はないのに、人間は運命を自分のものとすることができる。
コニー・ウィリスの言いたいのはそういうことだ。それをこの紙幅を費やして、細部を積み重ねて呈示することで、読者はまるで実体験からその考えに到達したかのように感ずることになる。
『ブラックアウト』を読んでいても、何でこれが3大SF賞総なめの作品なんだと疑問に思うのだが、まさにその感動に賞が与えられていることに納得することになる。 -
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2060年のオックスフォード大学史学部、タイムマシンを使って、学生が過去の時代に旅行してフィールドワークをしているという設定のシリーズ、『ブラックアウト』の続編であるが、長くなってしまったのでひとつの長編を『ブラックアウト』『オールクリア』、すなわち第二次大戦中のロンドンの灯火管制とその解除をタイトルに2分冊にしたもの。日本語訳ではさらに『オールクリア』も2分冊になってしまった。
評者も最近、フランケンシュタイン産業のロンドン、裏ロンドン、クラーケン神のロンドンなど結構ロンドンに行っているのだが、オックスフォードの航時史学生もたくさんロンドンに行っている。第二次大戦下のロンドンに。
そのうちの3人。
マイクは史上最大の救出作戦ダンケルク撤収を遠目に観察する予定が、もろそれに巻き込まれてしまい、負傷し入院、降下点に行けなくなる。アイリーンを名乗るメロピーはロンドン郊外で疎開児童を観察するが、帰還予定日直前、はしかの流行で隔離されてしまう。ポリーはデパート店員となってロンドン空襲下の市民生活を観察するが、帰還予定となっても降下点が開かないことに気づく。
過去に旅立つ前、オックスフォード大学史学部では、ダンワージー教授が渡航スケジュールを大幅に変えさせていて、てんやわんやしていたが、「向こう」で何かあったのか、それとも、自分が歴史を変えてしまったせいではないのか。3人は不安になりながらロンドンで落ち合う。はい、これが『ブラックアウト』のあらすじであります。
『オールクリア1』の表紙は欧州戦勝記念日のロンドンの光景なのだが、それがなぜここにあるかといえば、本館冒頭でメロピーはすでにこの日にロンドンに来ていることが明かされているからである。このことはあとで重要な問題となってくる。
1人だけ1940年に取り残されたのではなく3人がまとまったのはよかったが、今度は、2060年に戻る活動のために別行動をせざるを得なくなると、このケータイのない時代、連絡がつかないと仲間の安否がたとえようもなく心配になる。読者もいっそ1人のほうが楽だという気分になるくらいだ。
『ブラックアウト』では3人それぞれが降下先で様々な困難に遭い、さらに降下点が開かないことに気付き、という展開で、話の進みはいささか散漫だったが、本館では3人で協力して2060年に戻ろうとするプロットに集約してきて、俄然面白くなってくる。
史学生が戻ってこないと来るはずの回収チームが来ないのはタイムトラベルに何か不具合が起きた可能性がある。ただ、同時代に他にもロンドン周辺に来ている史学生がいるはずで、うろ覚えの記憶を頼りにその史学生ジェラルドを探し出し、一緒に帰ろうというのが当面の目論見である。何しろうろ覚えなので、ジェラルドがどこに行くと言っていたのか思い出せない。地名を思い出すために地図を手に入れねばならないが、戦時下ロンドンではドイツのスパイに情報を与えないために、地図も手に入りにくい。地図を持っているのは、悪戯のかぎりでアイリーンを苦しめた疎開児童ホドビン姉弟だ!
そうこうするうち、2060年では異常に気づいたダンワージー先生が自ら1940年ロンドンに降下する。しかし──
『オールクリア1』の終盤にかけて、3人の決死の脱出劇は、ロンドン空襲の激化とともに大いに盛り上がる。ホドビン姉弟大活躍。もちろんまだ「2」があるから、オックスフォードに戻れないことはわかっているんだけど。
あ、それからミステリ・ファンのみなさん、アガサ・クリスティーが出てきますよ。 -
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第二次世界大戦中の日本の様子については、書物やドラマなどでそこそこに知っていると思うのだが、はて、イギリスがどうだったかなど、とんと知らぬ、本書を読むまでは。
すなわち、ロンドンはナチスによる空襲にあって、灯火管制が敷かれていた。灯火管制、英語ではブラックアウト。
2060年のオックスフォード大学史学部では、タイムマシンを使って、学生が過去の時代に旅行してフィールドワークをしているという設定のシリーズだが、私は初めて読む。時間旅行は過去へのみ可能で、ネットといわれる装置で「降下点」を開いて学生を過去に送り出す。「降下点」が開くのを現地人、いや現時人に見られる可能性があったり、そこに「降下」するとタイム・パラドックスを起こす可能性があるときにはネットは開かないという設定で、時間旅行の面倒くさいパラドックスは回避されている設定である。
主人公は三人の学生。それぞれ、ロンドン大空襲、児童疎開、ダンケルク撤収の観察に赴く。一人はロンドン空襲下のデパートに勤め、一人は空襲に遭っているロンドンから疎開した子どもたち受け入れる近郊の篤志家宅に勤める。ダンケルク撤収というのは、フランスへのドイツ軍侵攻時に、イギリス派遣軍を民間船舶も協力して撤退させたという出来事だが、三人目は新聞記者に扮してこれを遠巻きに観察しようとする。
三人とも、命の危険がない安全なところに「降下」したはずが、現地の状況に巻き込まれているうちに「降下点」が開かなくなっている。帰れないのである。「これは時間旅行なのだ」から、救出チームが任意の時間に降りたって、戻ってこない学生たちを拾いに来るはずなのに、なぜか助けは来ない。観察者として来たはずが、帰れないとなると現時人と同じ立場にあることに気づく。そして、次第に見えてくる困難な時代に生きる人々の姿の詳細、困難な状況に陥った平凡な人々の英雄的な行為、それがこの大部の小説を厚くしている要因であり、作者が描きたいことなのである。
終盤に向かって別々の時期、場所に「降下」した3人が集合してくる。それで『ブラックアウト』は終わり。『オールクリア』すなわち「空襲警報解除」に続く。 -
Posted by ブクログ
ヒューゴー賞とローカス賞のダブル受賞を果たした本書は、コニー・ウィリスの人気シリーズ<史学部シリーズ>の第2弾。
いったいこのシリーズだけでどれだけの賞を受賞したのか気になるところです。
全2巻。シリアス路線だった前作「ドゥームズデイ・ブック」と異なり、今作はどたばたコメディ。抱腹絶倒もの。
そして単なるどたばたコメディではなく、SF、ミステリー、そしてラブロマンスも兼ねそろえた充実ぶり。こういうと、ごちゃまぜな感がありますが、うまくバランスが保たれているのは、著者の技量によるものか。
ウィリスのシリアスな作品も好きですが、どちらかというと「まれびとこぞりて」のような作品が好きな自分にとっては、もの凄く楽しく読み進めることができました。今回は結構笑ったなぁ。
相変わらず「人の話を聞かない登場人物」の存在が強烈。もはや様式美ですね。
本書では、前作に比べてさらにドギツイ登場人物が登場します。それはもちろんレイディ・シュラプネルとミアリング夫人(他にもたくさんいますが…)。なかでも烈女シュラプネルの理不尽を通り越した要求の数々には、怒りを通り越して、思わず笑ってしまうほど。この女、殆ど登場しないのにかなりの存在感。苦難苦悩、紆余曲折を経てようやく見つけた主教の鳥株に対して彼女が投げ掛ける一言には、「こんのクソババア!」と返したくなりますが、これもまあ彼女らしいといえば彼女らしい。
一方、肝心のSFの部分では、カオス理論を基軸とするタイムトラベルの仕組みが少しばかり明らかになるところも。
ここでのタイムトラベルは、過去に戻って出来事を変えることにより、未来を変えることが「できない」とされます。したがって、未来を大きく変えるような過去での行為は、そもそも「過去では行えない」か「その後の調整により無効化」されます。「その後の調整により無効化」とは、最終的な結論が同じになるよう、未来に大きな影響がない範囲で途中のプロセスが改変されること。こういった幾つかの制約、そして神の見えざる手により、未来は保全されるのです。
ところが、本書ではタイムトラベル上では「できない」とされていた行為が行われてしまいます。
それは過去の「モノ」を現在に持ち込むこと。
なぜ実現不可能な行為が行われてしまったのか、そしてその影響とは…?
このあたりの謎を解明することが、本書のミステリー要素の核となる部分。そして、本書の終わりに明らかにされる壮大な仕掛けは、「おおきな風呂敷を広げたなぁ」との印象が拭えません(笑)。なぜかヴォークト「イシャーの武器店」のラストを連想したこの大風呂敷。果たしてきちんと閉じられるのでしょうか。
さて、文庫版の装丁にもなった犬のシリルと猫のプリンセス・アージュマンド。
この2匹にとにかく癒される本書は、頁数の多さが気にならないほどストレスフリーに読み進められる傑作でした。 -
Posted by ブクログ
空襲警報は解除され(オールクリア)、全ての謎が明らかになる。
第二次世界大戦下のロンドンで、それぞれの学問的課題を研究するために2060年のオックスフォードからやってきた3人の史学生。ポリー、アイリーン(メロピー)、マイク。
過去へのタイムトラベル。それは絶対に安全なはずであり、もしも危険なことが起こりそうになったら、または歴史を改ざんしてしまいそうになったら、すぐに2060年の世界へ戻されるはずだった。
だがしかし、何度も命を失いかねない危険な目に遭い、本当なら死んでいたのかもしれない人々の命を多数救ってしまう彼ら。
だからなのか?
2060年へ繋がるはずの降下点はどこもここも使用不可能であり、不具合があったときに現れる回収チームもやってこない。
誰かが歴史を変えてしまったのか?
20世紀の時代人としての生活を送りながら、なんとしても2060年の世界に戻るべく必死で手掛かりを求める3人。
ところが…!!!
というところで前作の「オールクリア1」は終わる。
そして、えええ~!!!
というところから「オールクリア2」は始まる。
1941年と1944年と1995年。
時間を変え、場所を変え、人を変えて入り乱れる数々の出来事の意味が、徐々にわかってくる。
そうするともう、読むことを止められない。
長い長い物語の中に張り巡らされていた伏線が次々に回収され、あるべき形に向かって収斂していく。
9.11をきっかけに、この物語を書くことにした作者。
どんなに絶望的な状況でも希望を失わないこと。
自分にできることの精一杯を尽くすこと。
本当に大切なもののためには自己犠牲を惜しまないこと。
別な長編作品「航路」の中で、何度も繰り返されるタイタニックの沈没を描くことにより、この覚悟のほどを書いた作者。
今回は、どうやっても脱出できない戦時下のロンドンという舞台を与えることで、登場人物たちの、極限状態の中でも失われることのない善き人間性というものを書いた。
イギリスの最終兵器といわれる、極悪なホドビン姉弟ですら、善き人間性を発揮するのだから。
何かひとつの出来事で、戦争に勝ったわけではない。
誰か一人の英雄の力で、戦争に勝ったわけではない。
歴史に名前の出てこない、一人一人の人たちの、毎日の精一杯の積み重ねが、歴史を作っていくのである。
ただ、そういった意味では、歴史の意味(?)、歴史の意志(?)、そこら辺の書き方に、ちょっと納得はいかなかったのだけど。
歴史が作られるのは時代と同時進行でも、歴史に意味を持たせるのはあとから人間がやっていることだと思うのね。
歴史自体はあくまで中立なんじゃないかと。私はそう思っているんです、ダンワージー先生。
イシカワ教授がタイムトラベルについて、どんな問題点を見つけ、どう解釈していたのか。それをもう少し書いてほしいと思った。
あまりに話が長くなりすぎて削った部分なのかもしれないけれど、今ひとつ、ずれの解釈がよくわからなかったので。
要所要所に出てくる、シェイクスピア劇の中の台詞。お芝居の台詞でありながら、生きた言葉として登場人物たちを支え、励まし、慰める。
そして何度も繰り返し出てくるアガサ・クリスティのミステリ。
彼女の作品の謎を解くのは容易なことではない。答えは最初から提示してあるのに、逆に解釈するように仕向けられる。答えはわかっているはずなのに、決して最後まで気づくことができない。
ポリーにとって、コリンは希望だった。コリンが希望だった。最初から。
う~わ~!!!
なんてスケールの大きな物語!
たくさんの、数え切れないほどたくさんの人たちの、抱えきれない思いの上に、今、私は生きているんだと思うと、世の中に無駄な行いというものは、何ひとつないと思うわ。
「ブラックアウト」「オールクリア1」「オールクリア2」
この、3冊合わせて1745ページの一連の作品の中で、特に気に入っているのが「ブラックアウト」に出てくる、空襲でショーウィンドウが粉々になてしまったデパートの貼り紙。
『散らかっていますが、遠慮なくどうぞ』
大人の国だよねえ。
それから作品とは関係ないんだけど、びっくりしたので覚書。
ポリーってメアリーの愛称なんですって。
ちなみにペギーはマーガレットの愛称とか。
どうしてMがPになるの?英語ってわからない。orz -
Posted by ブクログ
3冊合わせて1745ページ。ポケット判で750ページ以上もある「ブラックアウト」を読んだ時には、「これ、普通の作家なら200ページぐらいで書き終えるのでは」などと思ったが、全部読み終えてしまったら、タイムトラベルものの常でまたすぐに最初から読み直したくなる。
実際に読み返さなくても、あれはどうだったか、ここはどうなっていたかとページをめくって確認してしまうこと必定だ。それほど登場人物たちに魅せられ、この長い物語から離れたくなくなってしまう。大空襲下のロンドンに閉じ込められるポリー、アイリーン、マイクの史学生3人をはじめ、いたずらが過ぎて手に負えないビニーとアルフのホドビン姉弟、勝利を信じて懸命に生きる人々をコニー・ウィリスは生き生きと描き出す。
SFだなんだという前に、この小説には物語の魅力が詰まっている。 -
Posted by ブクログ
結構面白かった。メタフィクションが多いのは時代の流れか。以下作品毎に記す。
『社員たち』
世紀末ものと寓話を掛け合わせて現代への風刺…てな感じでなんとでも言える。感激はしない。
『忘却の侵略』
全く新しいタイプの侵略者に対して主人公の武器は…というのは非常に楽しく、それが現実的であるか否かという発想はエンタメに対して失礼というものだろう。
『エンゼルフレンチ』
一歩間違えばサブカルに振り切りそうな物語を、ただミスドという一点で支えきったかのような作品。
『七歩跳んだ男』
まあ、西澤保彦の『七回死んだ男』のもじりだろうか。トリックに関してはなんかごちゃごちゃ言ってるぞという感じで、間に挟まるいつもの山本弘の小話もなんかごちゃごちゃ言ってるぞてな感じで。
『ガラスの地球を救え!』
アベベ・セイメイ、手塚治虫の亡霊など最初から最後まで脱力系SFだった。
『隣人』
もはやこれもメタフィクションと言っていいだろう。文章的モンタージュによって現実と狂気を切り刻み、混ぜ合わせる。
『ゴルコンダ』
どこか七〇年代SF少女マンガの遺伝子と香りを感じる一作。この短編集では珍しく平和な小説であった。
『黎明コンビニ血祭り実話SP』
この短編集の中で、一番期待していた作品であり、一番期待を裏切られた作品であり、一番好きな作品。これもメタフィクションであり、文章改変により現実へ作用して攻撃してくる敵を、同じく文章改変によって駆逐する。その戦闘描写は圧巻であり、スピード感、緊迫感が地の文章の改変により読者に直接的に伝わる。まるでこの戦闘を目の前で見ているような…いやまさにこの戦いは僕らの目の前で起きてるのだ。この本の中で。
『Beaver Weaver』
途中で読むのを断念。円城搭は僕には早すぎる。
『自生の夢』
僕がアホなせいかもしらんが、オチがよくわからんかった。
『屍者の帝国』
やはり面白く、序章だけで冒険の匂いが香りたち、この天才の死を惜しむことしかできない。