大森望のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレタイムトラベルが歴史研究目的で行われるようになった21世紀中盤。
オックスフォード大学史学部の学生、キヴリンは14世紀の農村に実習で赴いた。しかし、到着直後、彼女は病に倒れてしまう。一方21世紀でも謎のウイルスが蔓延し始めた。二つの時代を席捲する病。キヴリンもまた、「ドゥームズデイ」(世界の終わり)というべき悲劇に直面する……
「犬は勘定に入れません」のほうを先に知っていて、この本に興味を持ち読みました。すばらしい物語でした。
この物語のタイムトラベルシステム、「ネット」はタイムパラドックスを許容しません。歴史家たちは個々の人間に関わることはできても、歴史の大きな流れを変えることはできません。この物語を読んでいるうちに、自分もまた、14世紀の人々と紙という「ネット」を介しているのだと思いました。懸命に生きた。けれども物語の結末は変えられない。それがこの物語を読んで感じる悲しみなのではないか、と思いました。
"Requiem aeternam dona eis,et lux perpetura luceat eis."
(下巻、483ページより引用) -
Posted by ブクログ
上巻に引き続きタイムトラベルしまくりの下巻である。主人公達の思惑通りにはことが進まずにあわや歴史は変わってしまうのか?と思いきやそんなことは無くきっちり丸く収まり“主教の鳥株”は見つかる。結局時間の流れは変化を嫌い、自ら修正しようともするわけである。作中で述べられている通りの職業の人物が犯人か?と思いきや実は意外な人物が犯人でしたというパターンでミステリとしても秀逸。タイムトラベルSFであり、歴史小説であり、ミステリであり、恋愛小説であり、コメディであり、あらゆる要素を含んだエンタメ大作である。登場人物(犬1匹と猫1匹含む)も皆愛着の持てるコミカルな造形で魅力的である。上巻前半の読みにくい部分(主人公がタイムトラベルのしすぎで意識が朦朧としているのが原因)を突破すればその先はただただ楽しんで読むだけである。ぜひともあらゆる人々に薦めたい作品だ。
本作にみられるようなタイムトラベルものは世の中に数多く存在し、どれも工夫に富んだものである。同じ時間軸でタイムトラベルするものもあれば多世界を移動するものもある。純粋にSFとしての作品もあれば、ミステリやその他のジャンルと融合したものもある。人間は今のところ時間の流れに逆らうことはできず現実を見つめ現在を生き未来に進むしかない。自分の過去にたいして全く後悔していない人間などおそらく皆無だろうし、誰しも「あの時こうすればよかった」と思うことがあるはずだ。ゆえにタイムトラベルものは書かれ続けるだろう。少なくとも皆、時空間移動に対して興味をもっているはずだ。国民的アニメであるドラえもんでもタイムマシンは人気の秘密道具であり続けている。
ところで実際にはタイムトラベルは実現可能かというと科学者達(キップソンら)は少なくとも我々が生きている時代には実現不可能だと述べている。結局夢物語でしかないのかと思いきやつい先日ニュートリノが光速を超えたとの報告があった。もしこれが事実ならばアインシュタインの予測をくつがえし、極端な話、タイムトラベルが可能になるかもしれない。もちろんそんなことはやっぱり難しいのだろうがしかしそんなエキサイティングな時代に我々は生きていることに感謝したい。SF作家はタイムトラベルものを書き続けてほしいし、物理学者には時空学を研究し続けてほしい。そして願わくば時間旅行が可能になる日を拝みたいものである。 -
Posted by ブクログ
時は2057年。いくつか制約があるもののタイムトラベルが可能となった時代。オックスフォード大学はコヴェントリー大聖堂の復建に協力している。同大学史学部の院生である主人公のネッドは復建に必要な”主教の鳥株”をみつけるように命じられ過去と現在を行ったり来たりするのだが疲労困憊で倒れてしまった。ちょっとした休暇をとるために19世紀ヴィクトリア朝に軽い任務とともに派遣されたものの任務を忘れたままで行動していたら時空連続体の存亡をかけて奮闘することに……。
主軸はタイムトラベルSFであるがミステリであり恋愛小説であり歴史小説でありユーモア小説でもある。下巻のレビューで改めて感想を述べます。 -
Posted by ブクログ
今回この短編集を購入したのは表題作である「アジャストメント」を読むためではなく(同作ももちろん面白いのですが)、巻末に収録されたディックの講演原稿「人間とアンドロイドと機械」を読むためです。
「人間とアンドロイドと機械」は、遺作となったヴァリス三部作の執筆中にディックがイギリスで行う予定だった講演の原稿に加筆したもの。体調不良のためディックが渡英を中止したためこの原稿が残された唯一のものとなりました。
ディックが終生作品のテーマとして持ち続けた「アンドロイド」という概念が一体何を意味しているのか。またディックの作品に共通してみられる記憶の改変、真実の隠蔽といったモチーフについてもディック自身の言葉で語られており、少しでも彼の作品を面白いと思ったことのある方なら必読です。
後半、ディックの語り口はかなりオカルトめいてきます。デュオニュソス、エッセネ派、死海文書、転生、夢といった言葉が、まるでカルト宗教の教祖が語るような口調で綴られており、これを読まれた方は「果たしてディックは正気だったのだろうか?」と感じるかもしれません。当時のディックは友人の死やドラッグ中毒などでかなり精神的においつめられており、その表れと受け取る方がいても不思議はありません。
しかし、私はこの部分に晩年のニーチェが書いたものとの強い関連を感じます。「私はインドにいた頃は仏陀でしたし、ギリシアではデュオニュソスでした」というあれです。ディックはユングに深く傾倒していたことで知られていますが、おそらくユングを通してニーチェを知り、それを引用した可能性が高いのではないでしょうか。ニーチェ、またその影響を受けたルドルフ・シュタイナーらの著作をフィルターとして読むとオカルト的要素の出所がはっきりしてきます。
ニーチェの晩年とディックが死の直前に置かれた状況はある意味よく似ています。ディックがニーチェに同一化しつつ、意識的にこの原稿を書いたということは十分に考えられると思います。 -
Posted by ブクログ
一切のハズレなし。
田中哲弥から飛浩隆までの、特に牧野修から飛浩隆までのニューウェーブSFの並びは単なるアンソロジーとも言い難い、奇妙な連帯感があって面白い。購入目的だった円城塔も、独立した本であれば「外道的ジャンル」として楽しめてしまう彼独特のエンタメ性が仇となった感が強く、霞んでいたが、一連のまとまりの中に放ると一気に底上げされて見える。言い換えれば単体だけだとつまらないってことですけど…はりきり過ぎてすっ転んだ後ろ姿を見ているような、ファンとしては悲しい気持ち。
短いながらも微妙な後味が尾を引く北野勇作「社員たち」、キッチュな雰囲気むんむんのタイトルに反して密なグロ描写がこれでもかと続く牧野修「黎明コンビニ血祭り実話SP」、読みにくい作りながらも目の離せない、静かな昂揚感が何時の間にか確かな昂奮に変わっている飛浩隆「自生の夢」が個人的にはツボだった。