塩野七生のレビュー一覧
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ジョン・ウィリアムズ『アウグストゥス』から、史実はどうなのか興味が湧いてこちらを読む。天才の後を継いだ、天才じゃないアウグストゥスが、いかにしてローマの平和を築き、持続させたのか。いやー、面白かった。苦悩も含めて。ますます興味が沸く。
(こうしてみるとウィリアムズはほぼ史実に忠実で、そこから人物と物語を深めたこと、特にユリアを膨らませたことで物語の厚みと影が出来たことがよくわかる。これを読んだ後で、ウィリアムズを再読するとまた更に面白そう。)
しかしこれを書いた時点では、塩野さんはウィリアムズ未チェックだった模様。
いやー、ローマ面白いわー。 -
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ローマ人の物語、第2巻はハンニバルの物語から。
“プロセスとしての歴史は、何よりもまず愉しむものである”
塩野さんの、歴史に対する一つのスタンスが見て取れます。
そして、大学で歴史を学んだ一人としても、肚落ちするものです。
私の学生当時、物語として歴史を紡いでいくことは、
司馬史学なんて揶揄も込められの扱いが主流でした。
最近の動向はわかりませんが、広く社会に還元していくのであれば、
人が生きていくための道標となるのであれば、一つの在り様としては、とも思います。
“現代の研究者でも、古代=奴隷制社会=搾取、ゆえに悪、と断定して疑わない幸福な人”
ここ最近ではあれば、行き過ぎたポリティカル・コレクトレス、との言葉が合致するでしょうか、
個人的には、機会の均等ではなく、結果の均等を強奪しようとしているようにしか、見えませんが。
その上で、共和制から帝国制への萌芽、端緒を見て取ることができると、
このハンニバルとの戦いの過程から見出しているようにも、感じます。
“人間も、そしてその人間の所産であるシステムも、時代の求めに応じて
変化する必要があることを訴えつづけたマキアヴェッリに賛成なのだ”
さて、そんな歴史を愉しむための素材となるのは、
紀元前264年から133年に渡る約130年間との、なかなかに長い年月、
ポエニ戦役から、マケドニア、そしてカルタゴ滅亡までの事象、
このうち主軸となるのはやはり、三度に渡った「ポエニ戦役」でしょうか。
ローマ人にとってはポエニ戦役を中心とした対外戦争の時代、であったのでしょう。
主役を担うのは、副題にもなっているカルタゴの将・ハンニバル、
それに対するはスキピオ(アフリカヌス)、そんな二人の宿命的な生き様です。
“アレクサンダー大王の最も優秀な弟子がハンニバルであるとすれば、
そのハンニバルの最も優れた弟子は、このスキピオではないか”
といっても、ハンニバルとスキピオには1世代ほどの開きがあり、
スキピオの父がハンニバルに敗れた際、スキピオ自身はひよっ子でした。
その後、ハンニバルは10年以上もローマ勢力圏内を、数万の兵を率いて戦い続け、
その戦役の規模も20年単位とのスパンでもあるので、なかなかに壮大ですが、、
“優れたリーダーとは、優秀な才能によって人々を率いていくだけの人間ではない。
率いられていく人々に、自分たちがいなくては、と思わせることに成功した人々でもある。”
史実としては、カンネの会戦でのハンニバルの圧倒的な勝利、
ザマの会戦でのスキピオのリベンジ、が有名とは思いますが、
ポエニ戦役は3度にわたり、幾度かの休戦期を挟みながらも、
当然それ以外の小競り合いも含めての戦闘はあったわけで、
その過程で「国家としての結果」を担保していくには、、
旧来の方式にとらわれず、敵からすらも学んで刷新していく、
これもまた、寛容の在り様の一つでしょうか。
それにしても、将官クラスの人材の、カルタゴというかハンニバル側と、
ローマ側での人材の差が、いかんとも、、ローマ側は枯渇しませんね、本当に。
ローマ元老院のハンニバルをイタリア内に孤立させるとの戦略もあったのでしょうが、
この、人材輩出システムは、やはりローマに国家としての軸、国体がしっかりしていたからでしょうか。
“共和制ローマの魂(スピリット)は、この重装歩兵に体現されていた”
そういえば日本について、
“われらが日本の特色が和の精神であるとすれば、それを国際化時代では通用しないとして
全面的にしりぞけたりすれば、日本は日本でなくなる”
と述べられているのも、なかなかに興味深いです、塩野さん。
“真に優秀な弟子ならば、師のやり方の全面的な模倣では終らない。”
長年に渡り、ハンニバルに苦杯をなめ続けたローマですが、
その敵からすら学ぶとのことの積み重ねから、ザマにつながります
とはいえ、ポエニ戦役が終わった時点では、カルタゴやマケドニアに滅亡の気配はなく
どちらかというと、ハンニバル、スキピオが表舞台から退いてから、その色が強まります。
“歴史を後世から眺めるやり方をとる人の犯しがちな誤りは、
歴史現象というものは、その発端から終結に向かって実に整然と、
つまりは必然的な勢いで進行したと考えがちな点”
結果から今の価値観で訴求すると、いかにも、カルタゴやマケドニアの滅亡ありきで、
「覇権的な帝国主義」への道筋をつけるための動きであった、、ともなりますが、
その時代の動きの中に入ると、意外とそうでもなさそうで、特に、、
“カルタゴの滅亡は、二重にも三重にも重なり合って起ってしまった、
不幸な偶然がもたらした結果であった”
なんてカルタゴの滅亡を位置付けている一方で、
マケドニアやギリシャのそれについては、、
“何ごとにおいてもおだやかなやり方は、
相手もそれに同意でないと成立しえないという欠点をもつ”
“ローマ人に、寛容主義の限界を悟らせた。”
なんて風に評価しているように、複層的な要素が交わりあっての、
それぞれの理由に基づいて、国家滅亡との結果につながっていたのか、とも。
とはいえ、結果としては、
“(カルタゴ、スペイン、ギリシャの属州化で)地中海は、ローマ人にとって、
「われらが海(マーレ・ノストゥルム)」となったのだ”
との派遣を成立したからこそ、
“ローマ人の地中海制覇は、カルタゴの滅亡までふくめて、
「ハンニバル戦争」の余波なのであった”
なんて風にも言いまわせるのでしょうけど、、学界では余波なんて許されないでしょうねぇ。
歴史とは事実を積み重ねただけでは意味がない、とあらためて思います。
数多ある事実に対して、自分の言葉で理解して、どう真実として昇華していくのか、
そして、それをどう伝えていくのか、また、伝えていくのには、
ただ無味乾燥な事実を並べるよりは、血沸き肉躍る方が記憶にも残るでしょう。
かといって、何もそれを頭から無批判に信じる必要はない、伝えられる内容に、
自分の言葉で批判を加えていくことが、学問としての第一歩でしょうから。
なんてのは、歴史学であればこそ、一番最初に叩き込まれる基本姿勢とは思うのですが、、
どうやら、ここ最近の、息子たちの世代の歴史教科書などを見ると、怪しさがぶり返してますかね。
最後にやや耳に痛く残ったのは、以下のフレーズ。
“血も流さずにいて、何を言いたい!”
日本にしてみれば、湾岸戦争時のトラウマも記憶に新しいところ。
さて、われらが日本にとっての「日本らしさ」、いわゆる国体とは、と、
あらためて考えていきたいですね、そして自分の子供たちに伝えていきたいところです。 -
Posted by ブクログ
『ローマ人の物語』、シリーズ自体は1992年から始まってますので、
存在自体は大学生のころから知っていましたが、
初めてきちんと読んだのは文庫版が出始めた、2002年のころでした。
確か、ちょうど仕事で金沢に入ることが多く、そちらのお供に、
羽田空港の書店で買い求めていたのを覚えています(新幹線が通る前です)。
その後、続きが気になってもハードカバー版には手を出さず、
2011年に完結した文庫版(全43巻)を追いかけていたのですが、、
ここ最近の、急速な世界の在り様が変わりつつあることに触発されたのか、
はたまた、折よくささやかながらの長年の夢でもあった、
ハードカバー版を置くスペースを確保できたことにも後押しされたのか、
久々に最初から通して再読してみようかと思い立ち、手に取ってみました。
時代的には、ローマ創世神話から、建国、王政を経ての共和制が安定し始めた時期、
対ハンニバル戦の前で、「いわゆるローマ」になる前の物語、が1巻の舞台となります。
ローマは決して最初から強いわけではなく、周辺諸国と比べても、、
知力ではギリシア人に劣り
体力ではケルト(ガリア)やゲルマン人に劣り
技術力ではエトルリア人に劣り、
経済力ではカルタゴ人に劣っていた
なんて言われてしまうくらいですが、そんなローマ人が、
どうして覇を唱えるに至ったのでしょうか。
敗者でさえも自分たちに同化させるこのやり方くらい、
ローマの強大化に寄与したことはない
これはローマ人の生来の気質でもある「開放性」「寛容性」にあるとのことですが、
興味深かったのは、当時先進国であったギリシャの政体を、
そのまま踏襲するのではなく、自分たち用に編集(カスタマイズ)したとの点。
王政、貴族政、民主政の、それぞれのいいとこどりをして、
それに対するリスクヘッジは「法」との普遍的な価値観で行うように。
そうした普遍的な軸があったがゆえに、他民族の宗教にも寛容で、また、
ローマ市民の責務を果たすのであれば、他民族を受け入れるのに抵抗もなかったのでしょう。
なんて思うと、以前から感じているのですが、日本人ともどこか通じるものがあるな、と。
この辺りは松岡正剛さん言うところの「編集力」がわかりやすい概念です。
何はともあれ、1000年続くことになる「ローマ」の始まりの物語ですが、
その滅亡の時まで繰り返し語られることになる「ローマの寛容」の物語でもあるのかな、と。
歴史とは学ぶだけの対象ではない。知識を得るだけならば、
歴史をあつかった書物を読めば済みます。
そうではなくて歴史には、現代社会で直面する
諸問題に判断を下す指針があるのです。
とは、別の寄稿文での塩野さんの言ですが、私もこれこそが、
「歴史の社会的有用性」の最たるものだろうと、そう思います。
一つだけ注意したいのは、今現在の価値観で歴史の事象を審判するのではなく、
当時の価値観をもとに理解した上で、現在の価値観への“活かし方”を考えるとの点でしょうか。
あとは余談ですが、結構なページを「ギリシャ人」に割いてるので、
『ギリシャ人の物語』も読まないとかな、と思い始めていたりして、、悩ましいです。
歴史ってやっぱり面白いな、なんて感じさせてくれる一冊です。 -
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在宅勤務で電車に乗らなくなると、本を読むタイミングも結構難しくなる。
本書のような歴史大作は面白いのだけど、なにぶん読み進めるのに時間がかかるタイプ。
間隔あけちゃったけど、2週間でようやく終わった。
フリードリッヒ二世は本当にお手本のような統治者。それと対比されるローマ法王はまったく尊敬もできないし、勝手に怒りすら感じてしまう。この対立を見るだけで、現代に続く宗教観の争いが良くわかる。中世は(その前もその後もかもしれないけれど)もはやローマ法王には人の言葉は全く通じないうえに嫌な粘着質タイプばかり。自分の意に沿わないフリードリッヒをどうにか排除すべく、暗殺まで試みるという卑劣さ。彼が亡くなったと知って、大手を広げて欧州中に喜びを露わにする人としての小ささ(もはやキリストのトップといえるような雰囲気ではない)。
ある意味恐ろしい時代。フリードリッヒが目指した法治国家と、法王が作った異端裁判。片や正当な裁判にもかかわらず、異端裁判は訴えられる=有罪。魔女裁判の基になった裁判であるから、権力をかざしてもうやりたい放題。これはもう本当に、フランス王が70年にも渡り法王を牢獄に入れない限り続いていたであろう地獄の時代。
こんな歴史を垣間見て、無神論者の自分には敬虔な信者の気持ちがわからない。
同じように法王とフリードリッヒ
彼の死後の衰退感が、非常に切なくなる。優秀な息子たちも偉大な父あってこそ、になってしまう。
本書の帯に「圧倒的先駆者」ってあったけど、圧倒的過ぎて死後には目指した法治国家から封建社会に戻ってしまうという。新しいことを成し遂げたとしても、定着するには安定した社会が必要だと認識。
現代は、将来どういう目で見られるんだろうな。 -
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ネタバレ塩野七生先生が描きたかったという、皇帝フリードリッヒ二世。
中世では、異端ともされてしまうくらいの圧倒的な先駆者。神聖ローマ帝国の皇位とともにシチリア王国の王位までももちながら、イェルサレムを無血開城してしまい、ローマ法王に破門されてしまったりもする。彼の信念は貫かれており、「皇帝のものは皇帝に。神のものは神に。」であった。だからこその、イスラムのスルタンと学問での友達にもなれたのだろう。
時代が時代ならば、もっと名君として君臨できたのではないだろうか。
彼の一生を描くには、ローマ人の物語やヴェネツィアの物語、十字軍の物語などなどの前段階がないと書けないような濃厚な作品に感じられた。 -
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最後のローマ人スティリコ
一部ご紹介します。
・「国家」が瓦解していく過程で人々の心をより強く支配するのは、「理」よりも「情」だ。
・三世紀に実施されたローマ市民権の既得権化と、四世紀に実施されたシビリアンとミリタリーの完全分離が、ローマの軍事力を衰えさせた二大要因だ。
・皇帝ホノリウス「コンスタンティノープルへ行って、幼い甥の統治を助けたい(皇帝は幼少だ。これを機に東ローマ帝国の帝位も自分のものにしたい)。」
スティリコ「この難しいローマ帝国の現状で要になる皇帝の不在は許されません(私の立場を公認できるのは、私に対する反対派が多い以上、皇帝であるあなたしかいません)。」
・互いに本音を出さずに建前だけで相対する人間関係は、問題は収拾できても、しこりを残さずには済まない。「最後のローマ人」スティリコの破滅は、皇帝ホノリウスを、本音を出さずに建前だけで諌めたことにある。人間とは、しばしば見たくないと思っている現実を突き付けてくる人を突き付けたというだけで憎むものだ。
・人間には、絶対に譲れない 一線というものがある。最後の瞬間でさえも見苦しさを避けるのは、自らの品格を保とうとする者には忘れてはならないことなのである。
・ある歴史家「28年という長きにわたったホノリウスの治世で、この皇帝が自分で決めた唯一のことが、スティリコの処刑であった。」
・スティリコの死と共に、彼が編成し、彼と共に闘った非正規軍は消滅した。彼らは、ある朝突然、渡り鳥が群れを成して発つかのように一人残らず去っていった。どこへ?自分たちを迎え入れてくれる人のところへ。それが西ゴート族のアラリックのところであった。彼らにとっての譲れない一線が、心酔していたスティリコを殺した側では自分たちは闘えない、であったのかもしれない。
・死刑に処されたスティリコの退場は、410年の西ゴート族によるローマ劫掠(ごうりゃく)を招いた。
・紀元454年の皇帝ヴァレンティニアヌスの手になったアエティウス(フン族のアッティラに勝った将軍)の死は、ヴァンダル族によるローマ劫掠を招いた。
・ローマという都市無しでのローマ帝国はあり得ない。その意味で、ローマ帝国は、紀元476年に滅亡した。
・歴史の理は、盛者必衰、諸行無常だ。 -
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背教者ユリアヌス
一部ご紹介します。
・キリスト教の多神教及び皇帝に対する勝利は、「皇帝がその地位に就くのも、権力を公使できるのも、神が認めたからであり、その神の意向を人間に伝えるのは、司教とされている以上、皇帝といえども司教の意に逆らうことはできない」時代の到来であった。
・絶対専制の弊害の一つは、主君の意向を臣下が勝手に推し測ることだ。
・宦官のやることは常に陰湿だ。
・全ての面で苛酷な現実の中で、精神のバランスを失わないで生きていくには、苛酷な現実とは離れた自分一人の世界を作り出せるかどうかにかかっている。ユリアヌスが救われたのは、昔のギリシャの哲学と文学の世界に遊ぶことができたからだ。暗記の結果の蔵書で、頭の中の図書館はいっぱいになっていたのである。彼は想像の世界で遊ぶことを知っていたおかげで、精神を傷つけることから免れることができた。
・他者に必要とされているという自覚は、非常な喜びを感じさせる。
・哲学の真髄は、知識ではなく思索にある。思索とは、体操が筋肉の鍛練であるのと同じで、頭脳の鍛練である。思いを巡らせる作業に頭脳を慣れさせることだ。思索することに慣れ親しんでいれば、対象にするのが哲学であろうと投機であろうと成功できる。
・ユリアヌス「人間世界の事柄の多くは、結果が良ければ、それは神々の援助のおかげであり、悪ければ、人間の誤りに帰されるのが常である。私はそれでも帝国の存在意義とは、そこに住む人々の安全と繁栄を保証することに尽きるとの確信で行動してきた。権力を手中にして以後の私の政策も、全てはこの目的を達成するために成されたことだけは、躊躇うことなく断言できる。」
・だが、次の皇帝は、ユリアヌスが定め実施した政策を無効とする法律を精力的に次々と交付していった。かくして若き皇帝ユリアヌスの努力は、無に帰したのである。
・ユリアヌスが「宗教が現世を支配する」一神教の弊害に気付いたのは、彼が、キリスト教の振興に誰よりも力を尽くしたコンスタンティヌス大帝の親族であり、長年にわたってその息子コンスタンティウスの政治を身近で見て、感ずることのできる環境に育ったからだと思う。この意味では、ユリアヌスに投げつけられ、今なおこの通称で続いている「背教者」という蔑称は、もしかしたら31歳で死んだこの反逆者に与えられた、最も輝かしい贈り名であるのかもしれない。
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ローマ帝国の完成
一部ご紹介します。
・皇帝に課された責務は、安全保障と、属州の統治、帝国全域のインフラ整備である。ハドリアヌス帝が、ローマ帝国全域の旅行をした理由は、現地を知らなければ施政者の責務は果たせないと考えたからである。自らの寿命を縮めてまで視察、整理整頓を目的とした大旅行を行ったことで、帝国の防衛システムの再構築と、法体系の整備が実現できた。
・小プリニウス「後世の人々は、われわれを記憶してくれるだろうか。記憶される価値は、われわれにだって少しはあると思うのだが。われわれの天分によるとは言わない。そう言ってしまっては傲慢にすぎる。だから、われわれの勤勉、われわれの熱意、われわれが抱いている名誉を重んずる心によると言おう。それらを胸に抱いて精勤を続けていくのが人生だが、少数の人は、その中でも光輝く名声を獲得できるだろう。だが、それ以外の多くの人々でも、少なくとも無名や忘却から救いだされるぐらいの価値はあると思うがどうだろうか。」
・もしもあなたが、自由の中には選択の自由もあると考えるとしたら、それはあなたが、ギリシャ、ローマ的な自由の概念を持っているということである。一神教の教徒にとっての自由には、選択の自由は入っていない。まず何よりも、「神」の教えに沿った国家を建設することが、この人々にとっての自由なのである。一神教の帰結は、「神」を愛するあまりに、人間を憎むことになる性癖である。
・ハドリアヌス「途方にくれる、愛おしきわが魂よ。長く私の肉体の客であり、伴侶であった、わが魂よ。今や薄暗く、寒く、何もなく、かつてのお前が何よりも好んだ冗談を言い合う愉しみもない世界に降りていかねばならない時が来たようだ。」
・アントニウス・ピウス「ローマは、誰にでも通ずる法律を与えることで、人種や民族を別にし、文化を共有しなくても、法を中心にしての共存共栄は可能であることを示した。そして、この生き方が、いかに人々にとって利益になるかを示すために、数多くの権利の享受までも保証してきたのである。このローマ世界は、一つの大きな家である。そこに住む人々に、ローマ帝国という大家族の一員であることを日々思わせてくれる大きな一つの家なのである。」 -
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封建社会から法に基づいた君主制国家の確立を目指し、ローマ法王の破門に屈せず政教分離を貫き、十字軍に行きながらもイスラムとの共存を考え和解の道を進む、中世ヨーロッパの先駆者・フリードリッヒ二世の生涯を塩野ワールドで描く後編。
上記の通り、フリードリッヒ二世はあまりにもいろんなことを同時代にやっていたので、頭の整理ができないところ、下巻では「間奏曲」として、女・子供・協力者など、いわゆる各論をまとめた章があったので読みやすかったです。
驚くのはフリードリッヒ二世の協力者を集める人たらしぶりと、女たらしぶり。
嫡子も庶子も一緒に教育させて自身、そして家臣の後継者を育成するなんてあらゆる意味で合理的すぎる。コーエーでシミュレーションゲーム化してほしいですが、PTAからクレームが入りそうだ(笑)
印象に残った文章を三つ。
「苦難に出会うのは、何かをやろうとする人の宿命である。」
「人間には誰にもある自己防衛本能は、科学的に証明されなくても肌では感じるカンを呼び覚ます働きはする。そして科学的な証明とは、カンが正しかったことを示してくれる場合が意外にも多い。」
そして
「不安からは何も生れないが、危機からは生れるのだ。
ただしそれは、危機を自覚した人にとって、ではあるけれど。」
新型コロナウイルスで不安に押しつぶされそうですが、自分、そして自分の愛するものへの危機に対して何を生み出せるのか、今一度考えてみたいと思いました。 -
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ローマによる平和
一部ご紹介します。
・防衛を目的とした戦略を最も効果的に現実化する手段として、常備軍の設立がある。
・効率性を追求するために、ローマは集権と分権を共存させた。
・統治と街道には共通点がある。①不断のメンテナンスが不可欠と考える認識力②認識するや直ちに修正するのを厭わない柔軟な行動力③それを可能にする経済力。①~③のどれか一つでも欠けたら機能しなくなる。
・健全な「国家」は健全な「家族」の保護と育成無しには成り立たない。
・妄執は悲劇しか生まない。あくまでも運命を自分の思い通りにしようとする態度は謙虚を忘れさせ、それゆえに神々から復讐されるからである。
・公正を期して作られるのが法律だが、そのあまりにも厳格な施行は不公正に繋がる。
・ある墓碑の碑文「健康で人を愛して生きよ。あなたが墓に入るまでの全ての日々を」
・兵役の義務と納税の義務は常に重なりあって展開する。
・いかなる事業も、それに参加する全員が、内容はそれぞれ違ったとしても、いずれも自分にとって利益になると納得しない限り成功できないし、その成功を永続させることもできない。
・平和はただでは得られない。金がかかる。だがかかるからといって、かかるままにまかせておくと、財政赤字に繋がる。現代なら、国債を売って補足することができる。それがない時代は、経費を安く押えられる「補助兵」のシステム化でしのいだ。
・年少(17歳以下)の子供には、絶対に兵役に就かせてはならない。いかに国家存亡の危機にさらされようと、将来の国家を背負う世代には、必要な教育を受けるに充分な期間は保証されねばならない。
・盛者必衰は歴史の理(ことわり )。われわれにできるのは、戦争や滅亡の危機を「先延ばし」することだけだ。
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内乱記
一部ご紹介します。
・防衛線を確立した内部での、国力の充実。秩序ある平和。それによる生活大国化の実現。生活大国とは、唱えさえすれば実現するというものではない。実現にはそれに適した諸制度の改革が先行されねばならない。
・平和とは、優劣なき国々相互の話し合いによるよりも、絶対的に優勢な国による調停とか裁定とか、止むを得ないとなれば、力で押さえつけるとかで成り立つ確率の方が高いのが、人間世界の現実だ。
・効率性とは、不測の事態も考慮に入れるからこそ、そのあくなき追求も意味を持つ。
・民主政とは、それが実施される領域の拡大につれて機能しがたくなる。寡頭政も、地理的な事情に無縁ではいられない。広大な領土の統治が機能的に成されるには、何よりもまず効率性が求められる。
・カエサル「どれほど悪い結果に終わったことでも、それが始められたそもそもの動機は善意によるものだ。」
・女とは、理によったのではなく、自分の女としての魅力によったと信じる方を好む人種なのである。
・優れた男は女の意のままにならず、意のままになるのは、その次に位置する男でしかない。
・ローマは、たとえ軍事上ではローマの覇権下に入っても、国内が安定していれば独立国として認め、同盟国の関係を続けつつも、相手国の内政には干渉しないことを、対外政治の基本方針にしていた。屬州化すれば、屬州税は入ってきても、総督を派遣しての内政と防衛の双方ともの責任が、ローマにかかってくるからである。同盟国ならば、相互安全保障を心するだけでよく、内政も自国防衛のための出費も、その国の負担になるからであった。 -
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ガリア戦記
一部ご紹介します。
・カエサル「人間ならば誰にでも、現実の全てが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない。」
・幼時に母親の愛情に恵まれて育てば、人は自然に、自信に裏打ちされたバランス感覚を会得する。そして過去に捕らわれずに未来に眼を向ける積極性も知らず知らずのうちに身に付けてくる。
・女は無視されるのが何よりも傷つくものだ。
・女とは、モテたいがために贈り物をする男と、喜んでもらいたいために贈り物をする男の違いを、敏感に察するものだ。
・敵地で戦う総司令官にとって最も大事なことは、戦闘指揮と、兵糧確保だ。戦争は、死ぬためにやるのではなく、生きるためにやるものだからだ。戦争が死ぬためにやるものに変りはじめると、醒めた理性も居場所を失ってくるから、全てが狂ってくる。生きるためにやるものだと思っている間は、組織の健全性も維持される。
・人間誰でも金で買えるとは、自分自身も金で買われる可能性を内包する人のみが考えることである。非難とは、非難される側よりも非難する側を映し出す事が多い。
・正確に書くことこそ、自分の考えをより充分に理解してもらえる最良の手段だ。意識的な嘘が一つでもあれば、読者は他の全てを信用しなくなる。
・戦闘とオーケストラの演奏会は共通点がある。舞台に上がる前に7割方は既に決まっていて、残りの3割は、舞台に上がった後の出来具合で定まるという点において。戦闘も、長い準備の後の数時間で決まるものだ。
・内戦の真の悲惨とは、その犠牲にされたことで生まれる恨み、怨念、憎悪が、後々まで尾を引いて容易には消え失せないことにある。それがどれほど共同体にとって不利益となるか。
・カエサル「ここ(ルビコン川)を越えれば、人間世界(ローマ)の悲惨。越えなければ、わが破滅。進もう、神々の待つところへ、われわれを侮辱した敵の待つところへ、賽(さい)は投げられた!」 -
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日本の世界史の講義では抜け落ちがちな第一次十字軍からルネサンスまでのヨーロッパの状況がよく理解できました。
ローマ教皇の力が絶大な時代に、「皇帝のものは皇帝のものに、教皇のものは教皇のものに」なる世界の実現に向かって突き進む力に勇気をもらいました。既存権力者(本書では教皇)に立ち向かう中で、度重なる困難に直面し失敗しても挽回する姿勢が特に印象的でした。
下巻ではフリードリッヒ二世を取り巻いた環境、特に人間関係についての記述が多く、彼のことをより理解できました。
しかし、何が彼をそこまで突き動かしたのかまでは本書からは分かりませんでした。読み終わって考えるに、青年期にシチリア王国の王、神聖ローマ皇帝になったことから周りには彼を利用したいと考える人や先代・先々代の皇帝と比較する人が多くいたと思います。皇帝を思い通りに操って利を得ようとする人の思い通りにはさせない、ならない反骨精神から歴史に名を遺す皇帝になってやるという気概が生まれてきたのではないかと感じました。
印象的だった文章
・苦難に出会うのは、何かやろうとする人の宿命である。苦難を避けたければ、何ごともやらない生き方を選ぶしかない。ゆえに問題は、苦難に出会うことではなく、それを挽回する力の有無になる。
テーマとした人物がなぜその行動をとったのか。と考える歴史小説の面白さを教えてくれる名著でした。フリードリッヒ二世といえばプロイセンでしょと思うなじみが薄い人に読んでほしい一冊です。 -
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社会問題
一部ご紹介します。
・ハンニバル「いかなる強大国といえども、長期にわたって安泰であり続けることは出来ない。国外には敵を持たなくなっても、国内に敵を持つようになる。外からの敵は寄せ付けない頑健そのものの肉体であっても、身体の内部の疾患に、肉体の成長についていけなかったがゆえの内臓疾患に苦しめられることに似ている。」
・失業者問題は、福祉の充実では、解決しきれない。なぜなら、失業するということは、生活手段を失うことだけでなく、人間の存在理由までも失うことになるからだ。
・人間とは、食べていけなくなるや、食べていけそうに思える土地に移動するものだ。この類いの民族移動を、古代では蛮族の侵入と呼び、現代では難民の発生と呼ぶ。
・全ての物事は、プラスとマイナスの両面を持つ。プラス面しかないシステムなど存在しない。故に、改革とは、もともとマイナスであったから改革するのではなく、当初はプラスであっても、時が経つにつれて、マイナス面が目立ってきたことを改める行為なのだ。
・法律とは、厳正に施行しようとすれば、人間性との間に摩擦を生じやすい。それを防ぐのが、義理人情。
・「主権在民」とは、それを尊重すればするほど、外部に対して閉鎖的にならざるを得なくなる。なぜなら、主権者である市民の持つ権利は平等でなければならず、その平等を維持するには、閉鎖によって異分子を排除することでしか、実現できないからだ。それ故、外国人流入に反対する日本の鎖国論者を、頑迷な守旧派などと思ってはならない。彼らは、国家の構成員全員は平等な権利を持たなければならないと信じている純情な主権在民主義者であるからだ。 -
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ローマ対ハンニバル
一部ご紹介します。
・ハンニバル「あそこはもうイタリアだ。イタリアに入りさえすれば、ローマの城門の前に立ったと同じことになる。もうここからは下りだけだ。アルプスを超え終わったあとで、一つか二つの戦闘をやれば、われわれは全イタリアの主人になれる。」
・ファビウス「ローマは英雄を必要としない国家である。」
・フラミニヌス「ローマの伝統は、敗者さえも許容することにある。敗者の絶滅は、ローマ人のやり方ではない。」
・ローマ人は、肉を食べて体位向上をはかることはなかった。戦闘は体力で決まるものではないと思っていたからか。あるいは、海産物とチーズと穀物とオリーブ油に葡萄酒の、地中海世界の食事から離れられなかったからか。これで世界を征服してしまったのである。
・戦闘の結果を左右する戦術とは、コロンブスの卵であって、コロンブスの卵ではない。誰も考えなかったやり方で問題を解決する点ではコロンブスの卵だが、そのやり方を踏襲すれば誰でも成功できるとは限らないという点ではコロンブスの卵ではない。
・主戦力を活かすには、非主戦力の存在が不可欠だ。
・優れたリーダーとは、率いられていく人々に、自分達がいなくては、と思わせることに成功した人でもある。
・スキピオ・エミリアヌス「今われわれは、かつては栄華を誇った帝国の滅亡という、偉大なる瞬間に立ち合っている。だが、この今、私の胸を占めているのは、勝者の喜びではない。いつかは、わがローマも、これと同じときを迎えるであろうという哀感なのだ。」