井沢元彦のレビュー一覧
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日本人の不条理な決断の裏には、日本人が気付いていない価値観がある。それが日本人独特に根付いている宗教であり、とりわけ言霊の呪縛がその元凶だというのが、これまでの著書でも一貫している著者の主張。
この人のはもう何度も読んでるんで今さら新しい気づきはないが、リスク管理がイヤんなるくらい叫ばれるご時世、いいタイミングで新たな読者を獲得できるんじゃないですかねえ。学生や若年層とか。
しつこいくらい朝日新聞を糾弾しまくってるのが、新しい読者はやや引いてしまうかもしれない。それだけに勿体ない気もするが。気持ちは分かるけど。
著者のホーム・グラウンドでもある日本史評論もない交ぜにした、一時間で読めるライトな新書。 -
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ネタバレこの巻は今までの中で一番読みやすかったかもしれません。 井沢節も未だ健在・・・・ではあるものの顕在というほどではないうえに、KiKi 自身があんまりよく理解できていない時代の話であるために「うっそぉ!!」と思うことがほとんどなかった・・・・・というのがその大きな理由なのかもしれません。
正直なところ、KiKi は「応仁の乱」っていうヤツのことがよくわかっていなかった(名前だけは知っていたし、嫌になるほど長い争いだったことや都を疲弊させたことは知っていたけれど、根本的に誰と誰が何のために争っていたのかを理解していなかった)から、その輪郭がうすぼんやりと・・・・ではあるものの、ようやく理解できてきたような気がするし、同時に「惣国」というもののことを全くと言っていいほど知らなかったので、「惣国一揆」と「一向一揆」のどこが根本的に異なるのか?を丹念に解説してくれていたのも有難かったです。 まあ、この著者の言うことですからどこまで信じていいのか?は甚だ疑問ではあるんですけどね・・・・・・(苦笑)
又、「能」というヤツをこれまでの人生の中でただの一度も観たことがなく、同時にほとんど知らないという意味では同じように知らないと言っても過言ではない「歌舞伎」以上に有名どころのストーリーさえ知らなかった KiKi にとって「能」に関する解説も楽しく読むことができました。 さすがに信長さんのイメージ・ソングとでも言うべき「人生50年・・・・」というヤツが「敦盛」という演目の中の歌舞であったことは知っていたけれど、肝心要のストーリーは知らなかったし・・・・・(苦笑) と、同時に「観阿弥・世阿弥」親子の名前に入っている「阿弥」の謂れに関してもなるほどと思わされるものがありました。
室町文化に関して考察している最終章は KiKi にとってはさほど目新しいことがあるわけではなかった部分ですけど、1点だけ「なるほど!!」と思わされたのは華道に関する記述の中で「南京大虐殺」に関して井沢氏の反論が書かれている部分があったのですが、そこで書かれている視点は KiKi にとってはなかなか斬新なものに映りました。
曰く、華道の大元を辿ると「香華を手向ける」という仏教発祥の地インドの習慣があり、これは元はと言えば死臭を防ぐという目的があったということ。 その伝から考えれば世に言う「南京大虐殺(≒ 30万人に及ぶ大虐殺)」があったとしたら、仮に99%の遺体を何らかの方法で処理できていたとしても、残り1%(≒ 約3,000体の遺体)の腐敗臭に多くの人が苦しんだはずであるという説です。
KiKi 自身、この時代の文献を実際に調べてみたことがあるわけではないので、そういう事件が全くなかったと断言できるわけではないのだけど(と同時にインドと南京ではどの程度の気候差があるのか知らないけれど)、これは心にとめておきたい視点だなぁと感じました。 -
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ネタバレこの巻に関しては面白い部分が多々ありつつも、KiKi にとってはかなり不満な内容でした。 それは目次を見た段階でもある程度予想はついていたことだったんですけどね。 因みにこの巻の目次はざっと以下のような感じです。
第1章:聖徳太子編 - 「徳」の諡号と怨霊信仰のメカニズム
第2章:天智天皇編 - 暗殺説を裏付ける朝鮮半島への軍事介入
第3章:天武天皇と持統女帝編 - 天皇家の血統と「日本書紀」の作為
第4章:平城京と奈良の大仏編 - 聖武天皇の後継者問題と大仏建立
あれ? あれれ??? どうして「大化の改新」の章がないんだ??? あの権勢をふるった「蘇我氏」があれよあれよという間に歴史から姿を消していったあの一大事(乙巳の変)が抜けているというだけで、KiKi にとっては何となく中途半端感が漂っちゃったんですよね~。 特にそれまでの時代は天皇という存在が脈々と続いていたとは言えども、天皇を中心とした中央集権国家というよりは、飛鳥豪族を中心とした政治が行われていた(と学んできていた)だけに・・・・・。
そしてね、なおさら感じるのは怨霊になることができるのは「天孫」たる「皇室の人間だけ」だったという前提条件があるのかもしれないけれど、(そんなことないよね?? だって彼の「怨霊説」の中には菅原道真がしょっちゅう出てきているぐらいだから)井沢氏の説の骨格を成しているといっても過言ではない「怨霊」、しかもかなり「パワフルな怨霊」になりそうな存在として、蘇我氏を忘れちゃいけないように思うんだけど・・・・・。 まあ、飛鳥寺が存続しているうえにあそこに鎮座している飛鳥大仏は日本最古という有り難~い誉れで伝わる仏像ということなので、あれが蘇我氏の「怨霊封じ」の象徴なのかもしれませんが・・・・・・。
「徳」という諡に秘められた考察にしろ、天智 vs. 天武の争い及び壬申の乱に関する考察にしろ、大仏開眼に秘められていたかもしれない聖武・光明夫妻の本当の狙い等々の話にしろ、一つ一つはそれなりに(と言うか、かなり)面白いと感じられたのですが、その話を語る上でそこかしこに挟まる学会批判が長い、長い、長い・・・・・・。 しかもいつも同じ文言なのでくどい、くどい、くどい・・・・・・。 これを「ここまでしなければ学会につぶされてしまうと感じている井沢氏の恐怖心」の為せる業と見るべきなのか、「彼固有のけんか腰(論調が議論調というより喧嘩調 ^^;)」と見るべきなのか?? 古代黎明編であれだけ言い切っていた「和の精神」とやらはどこへいっちゃったんでしょうか??という感じです。
それにね、そういう話が出てくると「またか・・・・」と思って流し読みモードに入ってしまうので「閑話休題」となった時に肝心なテーマに乗りきれずに読み飛ばしちゃっているところがあるんでしょうか? 時にその学会批判とそれにまつわる余計な話に振り回されているうちに、何が論じられていた文章だったのか、焦点がぼけてしまって、挙句、結論が変わってしまっているような印象を受けた箇所もなきにしもあらず・・・・・だったんですよね~。
で、普通の本だったら「元い・・・」と読み返してみようと思うところが、ことこの本に関してはあのくどくて長い、それでなくても何度も同じような文章で繰り返されている学会批判を読み返すことにもつながると思うと、その意欲までなくなってしまうという負のスパイラルへ・・・・・。 結果、KiKi の印象としては「何となくご都合主義??」「論旨が一貫しているようで、意外と矛盾アリ??」となってしまい、「まあ、お説、承っておきましょう・・・・」でお茶を濁してしまう(苦笑)、そんな感じになってしまうんですよね~。
目の付け所は面白いと思うし、彼の設定した仮説に沿ってかなりの線までは考え抜かれ、調査もしているような印象を受けつつも、文章にする際にはそれを感情的に書き散らしているが故に、却って論旨がぼやけてしまう・・・・そんな印象なんですよね~。 もうちょっと整理して、あっちへいったりこっちへいったりせず、仮に別のところで述べたことがあるような話でも要点だけをちゃんと述べ直したうえで、きっちりと結論まで持って行ってくれたらいいのに・・・・・と感じること多々アリなのです。
最後に・・・・・
個人的には「まつりごと」という言葉を「祭政一致」という感覚で理解・納得していたんだけど、それが井沢氏が唱えるような説にもつながる(怨霊を祀る)というあたりがかなり面白かったです。 そして「さわらぬ神に祟りなし」のくだりも・・・・。 さて、次は第3巻。 平安建都と万葉集だそうです。
(全文はブログにて) -
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ネタバレ前に読んだ、同じ作者の『言霊』の続編です。
内容的にはさほど目新しくはなく、前作の補足というか各論というか。大半はそのようなものでした。
ただ後半に、作者が前半部で散々に批判している「言霊」の長所を述べる文章もくっついていますが、これは恐らくページ数が足りないので取って付けたのでしょう(その部分の内容も、逆説の日本史の何巻だったかと完全に内容が重なってましたし)。
それにしても井沢先生の言霊論は、読めば読むほど分かりやすくて説得力もあるのですが、それだけに違和感もあります。ここに書かれていることが果たして全てなのだろうか? と考えずにはいられません。
例えば本文中でも、現在の西欧に言霊信仰はないということが前提になっていますが、それが本当とはどうしても思えません。西欧人がみんな論理実証主義的な観点のみから言葉を用いているなんて、そんな馬鹿な!? と思うんです。
もちろん井沢先生が書こうとしているのはあくまでも日本人論であり、日本人は言霊信仰に未だに取り付かれているというのは帰納的に導かれた結論であることでしょう。ならばこれをさらに演繹させて、より普遍的な文化論に持っていかないと「もったいない」気がします。
でも学ぶことはたくさんあります。これは僕が考えたことですが、例えば日本人が法律を毛嫌いする傾向にあり、学校でも大学に行かないと法律論を教えないことも、日本人の危機管理意識の甘さの表れでしょう。日本人にとっては法律も自衛隊も穢れた存在であり、普段は口にするのも憚られる、そういうものなのではないかと思います。
もっとも最近は、この本が書かれた当初よりも大分情勢は変わってきていますね。この『言霊Ⅱ』の文庫版が出たのは、阪神大震災やオウム事件、それに9・11テロが起きるよりも前のことです。地震やテロに関しては、ここで書かれているよりもずっと危機意識が発達してきています。
それと足並みを揃えて、先に「穢れた存在」なんて書いてしまった法律なども、近年は重要視されるようになってきましたね。ラジオでは多重債務の法律相談のCMが流れ、週刊誌では法テク漫画が人気だったりしています。今や法律は穢れどころか、どんどん日常に接近してきています。
今まで穢れたものとして排除してきたものが受け入れられてきているというのは、それだけ僕達も穢れた存在になってきているということなのでしょう。いや、すべて社会が悪いんだ! -
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ネタバレこの第4巻では主に平安時代における内容となっており、「藤原摂関政治の興亡」と副題されている章からも分かるように、これまでの藤原氏によって支配されていた政治体制から武士による支配への変革期にあたる時代である。
源氏物語が書かれたのもこの時代であるが、本書の中ではその存在自体が奇跡であると述べられている。11世紀にこれほどまでの長編小説が編まれたこと自体が他国に類を見ないそうだ。
巻の中盤からは日本人のケガレ思想と差別の謎について興味深い考察がなされている。日本人が軍隊保持を嫌うのは大戦による反省だけからではなく、太古からあるケガレ思想によるものであるという説明に共感してしまう。