澁澤龍彦のレビュー一覧

  • 異端の肖像

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    お耽美。好きな画家の作品がたくさん載ってたし、
    好きな画風の画家を知ることができて十分に堪能し尽くしました。
    ただ、カラーじゃないことが残念至極。
    同じような内容(絵画をとり上げ、それについての思い入れを語る)の
    江國香織の集英社文庫「日の当たる部屋」?のほうは全カラーだったので
    がんばれ河出文庫。

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    2009年10月07日
  • 毒薬の手帖

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    わりとあっさり目に書いてあってもっと知りたいんだ、と思ってしまう。挿絵が多いし良い味を出していてなかなか好きです。

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    2009年10月07日
  • O嬢の物語

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    実は講談社刊の鈴木豊氏訳を先に読んだ。叙情溢れる名訳だったせいで
    個人的には澁澤訳は少しロマンティシズムというかやや情感に欠ける気がする。
    Oのように「奴隷の身分に甘んじるしあわせ」を容認する女性は純粋だろう。
    打算も柵も無い究極の愛のかたち。

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    2009年10月07日
  • 黒魔術の手帖

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    テーマは恐ろしいけど、それ以上に好奇心を刺激する一冊。彼の博識と語り方がまた独特で、ともすれば単なるオカルト趣味の披露に成り下がりかねないものを、ここまで面白い読み物として成立させてくれます。、

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    2009年10月04日
  • O嬢の物語

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    言わずと知れたSM純文学?
    実はこの本、日本語訳の初版で所有してます。古本で二千円くらいしたかな。

    ある方向の愛の究極。

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    2009年10月04日
  • 偏愛的作家論

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    そうだ、三島由紀夫を読まなくてはいけない!「金閣寺」を!三島の死の数時間後に書かれたこのエッセーを読んで、そう決意した。生々しい。「とうとうやったか・・・」という澁澤の悲しみが、嘆きが。「日本国民すべてがあんまり気違いではなさすぎる」ので、気違いのすすめを三島は自ら実践した、という澁澤の見解は、中学・高校のPTAたちからド叱られそうだが、ド叱るPTAが、あんまり真面目だから、三島は自殺したんだ!と言ってやりたい。自殺は贅沢品だと考える私は、死のカリスマ・三島由紀夫として称えている。

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    2009年10月04日
  • 妖人奇人館

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    「変わり者だ」っていじめられている君!もしくはいじめっ子の君!これを読めば、君たちの変人基準はがらりと変わること、間違いなし。世界の妖人奇人たちから見れば、君達はすこぶる正常。もし彼らくらい異常であれば、しめたもの。君は伝説となって語り継がれるだろう。

    人間の死体をソーセージやステーキにして客に売れる?それを自分で食べられる?では、自分自身の肉を切って食べる覚悟は?世界の広さ・人間の可能性を無限大に感じさせてくれる本。

    p.148 「同性愛は、愛し合う二人のあいだに、サド・マゾヒスティックな対立関係を成立せしめやすい」 私は同性愛の傾向があるから、sadomasochisticなのかしら?

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    2009年10月04日
  • 毒薬の手帖

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    初めて読んだのは高校生の時、部室の本棚にあったのを手に取ったのが澁澤龍彦との出会いでした。しかし当時は著者には全然興味が湧かず、数年後『快楽主義の哲学』を購入するまで著者のことをすっかり忘れとりました。『快楽主義の〜』を読んで以来、澁澤龍彦がとても好きになりました。

     『毒薬の手帖』は、主に西欧を舞台にした華々しい毒殺事件を記した本。毒殺に至るまでの利害怨恨欲望絡む人間模様が描かれているので、何となくワイドショー的な匂いがしないでもないです。ちょっと、いけない覗き見をしているような気になるのは気のせいでしょうか。人目を忍んでこっそり読むのスタイルがいいかもしれません。

     日本で平穏に暮ら

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    2009年10月04日
  • 閨房哲学

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    ドゥルーズはサディズムの論証的機能について論じているが、この書も『ジュスティーヌ』と同じく、その背徳の論証を登場人物に担わす。

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    2009年10月04日
  • 恋の罪

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    マルキ・ド・サドの長編は、現代の感覚から言うときちんとした小説じゃないよな、とか思ってしまうのですが、短編作品はすごく好きです。「恋の罪」所収の「エミリー・ド・トゥールヴィル あるいは兄の残酷」は中でも一番で、エロスと残酷さがあいまってたまらない。
    恋人との逢瀬を重ねていた令嬢エミリーは、さる男にはめられてあわや貞操の危機に。そこを救い出したのは彼女の二人の兄なのだけれど、兄たちは彼女を古城に閉じこめて殺そうとする……という話で、最後はハッピーエンドですが、この兄たちが鬼畜でいいんだな。

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    2009年10月04日
  • 黒魔術の手帖

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    魔女に憧れた思春期のころ、澁澤竜彦の『黒魔術の手帳』に出会って愛読したものでした。自分が書く世界観の根底にあるどす黒いものはこのあたりで培いました。あくまでも博物学的なエッセイの書き連なりなんですが、こういうのがエスプリなんだと焦がれたものです。やっぱり荒俣さんより渋澤派! なわたしでした。

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    2009年10月04日
  • 新ジュスティーヌ

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    ジュスティーヌあるいは美徳の不幸の補遺。
    久しぶりのサド作品だったが、なんとなく新鮮であった。ズタボロにされながらも心の底から汚れることのできないジュスティーヌはとても強い意志を持っている。ジュリエットとの違いは生来のものということなのだろうか。。

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    2009年10月07日
  • ソドム百二十日

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    爵位を持つ男たち、美女、美男子、醜女たち。120日に及ぶ性の饗宴が始まる。サドって面白い!と思うきっかけになった一冊。この河出文庫版に収録されているのは実は饗宴の序章のみで、くどくどとこれから始まる宴の取り決め事を羅列してあるだけなのですが、それにしてもある意味笑えるような鬼畜なルールを大真面目に、かつ理論的に定めてしまって満足していたサド公爵ってやっぱり相当の狂人だったんだろうと思います

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    2009年10月04日
  • 美徳の不幸

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    サドの代表的著作、ジュリエットの物語『悪徳の栄え』と対をなす妹ジュスティーヌの物語には三つのバージョンが残存している。本書はその最初の版である「原ジュスティーヌ」とでも称すべき中篇である。バスティーユ牢獄中にて書かれ、革命のどさくさに粉れて紛失され、100年ののちに陽の目をみた本書はサドの思索のエッセンスが凝縮された異色作である。

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    2009年10月07日
  • ソドム百二十日

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    男色、小児愛、老人愛、近親相姦、獣姦、屍体愛、スカトロジー、嗜虐、フェティシスムと、強靱な構想力によって、人間の深層にひそむ性の異常を描きつくしたサド文学の代表作。ロマン主義の先駆、フロイト及びシュルレアリスムの祖として位置づけられるサドの形而上学の原点となった大作

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    2009年10月07日
  • 悪徳の栄え 下

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    妹ジュスティーヌとともにパンテモンの修道院で育ったジュリエットは、悪徳の快楽をおぼえ、悪の道へと染まってゆく。パリで同好のさまざまな人物と交わり、イタリアへと逃げおちた彼女は、背徳の行為をくり返し、パリへと帰る…。悪の化身ジュリエットの生涯に託してくり広げられる悪徳と性の幻想はここに極限をきわめ、暗黒の思想家サドの最も危険な書物として知られる傑作幻想綺譚

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    2009年10月07日
  • 悪徳の栄え 上

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    美徳を信じたがゆえに悲惨な運命にみまわれ不幸な人生を送るジュスティーヌの物語と対をなす、姉ジュリエットの物語。妹とは逆に、悪の哲学を信じ、残虐非道のかぎりを尽しながら、さまざまな悪の遍歴をかさね、不可思議な出来事に遭遇するジュリエットの波爛万丈の人生を物語るこの長大な作品は、サドの代表作として知られ、サドの思想が最も鮮明に表現された傑作として知られる。

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    2009年10月07日
  • 幸福は永遠に女だけのものだ

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    好きなのは「わたしの処女崇拝」。処女性と娼婦性、一見相反するものと捉えられがちな双方の隠された共通点について。(0701..)

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    2009年10月04日
  • 唐草物語

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    全編、再編集の賜物である。故事、書物、国を問わず、時代を問わず、盛り込まれた様々な物語を再編集し、ひとつの形にする。
    考えてみれば、その手法が現代においては加速しつつ、形骸化に向かっている。澁澤龍彦の場合はしっかり物語の根っこ、背景までも判った上での引用であるのに対し、昨今見かける引用は浅薄なもののように感じる。なぜだろう。
    かつて書物の海を漂うように生きることが出来る時代があったのだろう。今の時代に生きているとその他の刺戟ときっちり付き合ってしまい、書物と向き合う時間が減ってしまう。その辺に問題はあるのだろう。もちろん、書物がすべてではないのだろうけれど。
    澁澤龍彦とはまったくスタイルは違う

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    2009年10月04日
  • 私のプリニウス

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    澁澤さんがプリニウスの「博物誌」を紹介していく本。澁澤さんの文章は飽きが来なくてよい。やっぱりプリニウスは通読するよりも、ぺらぺらと頁をめくって目が留まったところを読むのが一番いいんだな。ここら辺は澁澤さんに賛成。
    最後の象の章の、象が塩分を含んだ土を喰うという習慣を澁澤さんは知らなかったらしい。
    どうでもいいことだが、私はプリニウスの英語からの重訳を所蔵している。高かった・・・。

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    2009年10月04日