浅田次郎のレビュー一覧
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浅田次郎というと、私らからすると競馬好きのご同輩という感じで、今日でもJRAのブログに「思い出の天皇賞」みたいなことを書いているのだけれど、文章書かすと洒落た文章書きますよねぇ。
この本、中に収められた「銀色の雨」が映画になるようで、確かに映画にしたら良いような街の佇まいと季節の色合いが散りばめられ、コンビナートの光、滲んだネオン、鴇色の空、群青の空を被いつくす爛漫の桜、緑の葉と真赤な夏の花…、これらを背景に、夫々の男女のこれまでの人生に対する懺悔と浄化が描かれる7つの短編集。
ただ、どれも哀切さ溢れる佳い話なのだけど、描かれるお話の微妙な古めかしさの違和感からか上手な話が出来過ぎなためか、夫 -
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昭和40年代の京都が舞台の、斜陽の「カツドウ屋」たちの古き良き時代の物語を絡めた、不思議な雰囲気の青春ストーリー。とくに映画好きではないですが、作中の日本映画の黎明期から全盛期にかけての活気ある雰囲気は、それなりに興味深く面白かったです。んで、私のような映画シロウトが読むと、どこまでが虚構でどこからがホンモノ映画史なのか、とんとわかりません。舞台の京都の描写も、ちょっと盛り込みすぎな感じはありましたが、雰囲気出してて良かったです。浅田センセ、江戸言葉だけではなく京都言葉も巧みに活字にしてますね。う〜ん、すげぇ。しかし、氏の作品ラインナップの中で見ると、この作品イマイチ存在感が薄いかも・・・。悪
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もう子供を産める齢ではないと悟ったときの、広野に佇むような淋しさは、誰にもわかるまい。口にこそ出しては言わないが人の命を救ったときの歓喜が、その身も凍えるような淋しさと釣り合うものだとは、マリアはいまだに、どうしても思うことができなかった。たしかに自分は、死すべき人の命を幾千も救った。だが、自分の支払った代償はあまりに大きすぎる、と思う。(p.51)
猿も象もライオンも、ぼくの贈り物には何の興味も示さなかったのだから、花の正体はきっと美しいものでも何でもなく、人間が勝手に、花は美しいものと規定しているのだと考えた。やがて、美という概念そのものが幻想であると考えるようになった。
だからぼくはい -
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「こんにちは」と言って襖を開いていたのは、二人の若い娘であった。ハテ、誰であろうか。いずれ劣らぬミーハーという感じである。一人は黒ブチの丸メガネをかけた天衣無縫のブスであり、もう片方は湯上りのソバージュが爆発した、これまた驚天動地のブスであった。(p.168)
いいや、おめえは人を幸せにする。わからねえのか?あたりめえのホテルマンのできることは、せいぜい一泊二日の幸せだ。だが、花沢。おめえは人の一生を幸せにする。(p.244)
人生劇場って、よく言ったものよねえ。長い人生、振り返ってみりゃ役者が揃う見せ場っての、たしかにあるもの。あの晩がそうだった。あの場面を境にして、あたしの人生のシナリ -
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「天切り」というのは、屋根の瓦をはずして侵入する泥棒のことをいうらしい。
この、天切りで名高い盗っ人の松蔵が、留置場で周りのチンピラや看守に向かって、若かりし頃の昔語りをするという設定になっている。
もう70歳を越えた松蔵が思いを馳せて語るのは、古き良き大正浪漫が残る東京下町の出来事で、それを、シェラザードのように一夜に一話ずつ語って聞かせる。
その話しのテーマになっているのは、義賊ともいうべき、松蔵の師匠や兄貴分たちの物語で、いずれも盗みにかけては天下一品の腕利きの、「粋」を絵に描いたような連中で、やたらとカッコいい。
山県有朋や永井荷風のような、歴史上の人物が登場して物語に絡んでくるとこ