柴田元幸のレビュー一覧
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◼️ポール・オースター「幽霊たち」
再読。短めでさらっと読めて、小説的。オースター入門編には最適かもと今回思った。まあその、読後、「で?」というのは残るかも。
1947年、探偵事務所に勤める青年ブルーは、ホワイトという依頼者から、ブラックという男を見張る仕事を受ける。ホワイトはブラックの部屋に面したアパートを手配した。仕事にかかったブルーだが、あまりに事態が動かないことに疑念を抱き行動に出るー。
登場人物には色の名前が多いが、物語の大半はブルーとブラックの関係性。依頼人のホワイトへ報告書を出しながらも、いわば孤独を極める存在となったブルーの心情の描写が深まっていく。謎を解明しようと起こした行動により逆に謎は深まる。そして哲学的とも言える境地?に辿り着く。
解説にもあるが、色の名前をさまざま出しながらも、主要ドラマは闇の黒で展開のイメージはモノトーン。色彩が無い。120ページほどと長くはなく心理描写、ちょっとしたサスペンス小説のような成り行きが楽しめる。さらっと読めるものの、ちょいじっくりと考えるタイプの小説でもあった。
ネタははっきりと描くのがいいのかどうか考えさせる。そこも含めて小説ってものか。
設定には軽い面白さを感じるが、透明感のあるモノトーンを印象付ける黒さ、深さを生む感覚と技巧はとても興味深い。この作品を含む「ニューヨーク三部作」で1980年代末にポール・オースターは世界的な評価を得たとか。
時代とアメリカを感じたりする作品。 -
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「ジエィムズ」を読むために、まずは「ハックベリーフィンの冒険」を読まねば!
で、どうせ読むなら柴田元幸さんの新訳を読むことに。
やっぱりこういう冒険譚は子どもの頃に読むものなのかな。なかなかに苦痛な旅だった…。進まない。
嘘つきハックが、さまざまな偽名を使いながら、ジムと共に逃亡するのだが、もう子どもの感性がないからなのか、それとも時代的な感覚のズレなのか、私には共感し難いハックの行動原理笑
特に最後、トム・ソーヤが出てきてからの展開。
すぐに解放できるのに、それでは簡単すぎて面白くないとと、困難をわざわざ演出する「子どもの遊び」に命懸けで付き合わされるジム。
これ、なかなか笑って読むことはできない。
えっと、ここは、マーク・トウェインの示唆に富む現代批判と読めばよいのか?
「ジェイムズ」が生まれる理由はここにあるのだろうなと思う。白人の子どもの冒険もどきに付き合わねばならなかったジムの心境を是非とも知りたいから。
あー、ようやく読める! -
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かつてサンセット・パーク近くのゲストハウスに2週間ほど滞在したことがあり、当時の光景を懐かしみたくて手に取りました。
しかし、そこに描かれていたのは美しい追憶ではなく、ブルックリンの若者たちが抱える複雑な心情や、逃れられない過去のトラウマ。彼らを包む閉塞感や、行き場のないやるせない感情は、不法占拠されたアパートの空気感、そして決して裕福とは言えないサンセット・パーク周辺の乾いた街並みと見事に共鳴しています。
マイルズの浮世離れした美男子ぶり(女優の息子という設定も効いています)など、細かな描写も印象的です。ニューヨークの情景を五感で思い出しながら読む体験としては非常に贅沢でしたが、物語そのものの展開としては、個人的にはあと一歩物足りなさを感じました。 -
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ネタバレちょいと“界隈”で、村上春樹が話題なのと、翻訳家として知る柴田元幸との対談はおもしろそうと、長野湯田中の古本屋で、というか、古民家を再利用したフレンチレストランの奥の和室に古本コーナーのある、ちょっと面白いお店で見つけたもの。
柴田氏の翻訳は、近年ではエドワード・ゴーリーの絵本の訳者として目にするなどしていて、実は、もう大御所の、なんなら鬼籍に入られているような方かと思っていた。本書を読んで、存命なのはもとより、村上春樹より年下なんだと驚いたりもした。
本書は、柴田が自分の大学の学生たち、若手翻訳者などとのセッションに村上春樹をゲストに招いて、翻訳とは、文章とは、といった日本語の表現についてあれこれ語りあい、参加者からの素朴な質疑応答に応えるもの。
そのセッションがPart.3まで、3回に分けて行われた様子が収録されている。
もう少し、柴田氏の翻訳、あるいは文章を生み出すときの姿勢や、心がけが知れるかと期待していたが、付箋紙を付けた箇所は、圧倒的に村上春樹の発言のほうが多かった。つまりは、春樹氏の姿勢、考え方が、やはり特異で、さすがと思わされる。一家言をお持ち、というところか。
心がけもさすがだが、やはり喩えが絶妙で面白い。多くは挙げないが、以下など、いかにも“らしい”
「小説を書くというのは、文章的に言えば、たとえばお客を呼んで特別料理を作るのとおなじなんです。スーパーマーケットに行っていろんな食材を買いこんできて、冷蔵庫に入れて、いろんな下拵えをして、客用の食器も出してきてというのがあるわけですよ。ところが翻訳というのは、おばんざいみたいなものなんです。冷蔵庫を開けて「あっ、きょうはこれとこれがあるから、これをささっと作っちゃおう」という自然体でやるのが、翻訳なんです。少なくとも僕にとってはそういうことですね。」
最後に、「少なくとも僕にとっては」と付言するあたりも、いかにも、ハルキ節(笑)
自分のスタイルを作るのも、愚直にやるしかない、と説く。
「寝食を忘れて一生懸命いろんなものを翻訳して、何度も何度も読み直して、何度も何度も書き直して、人に読んでもらってまた書き直すということを続けていれば、スタイルというものは自然に出てきます。それはもう、歩き方とか、食べ方とかと同じことです。生きている過程で自然に身につかなければ、意味ないですよね。」
このあたりも、日々のルーティンとしてジョギングを欠かさず、毎年、決まってマラソン大会にも参加する氏らしい(今はどうか知らないが)。
かつての、そんな生活ぶりを見聞きしているからこそ、響く言葉でもあった。 -
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何とも言えない余韻を残してくれる青春小説。
人類が初めて月を歩いた夏。
父を知らず、母とも死別したマーコは、
唯一の血縁だった伯父のビクターを失う。
彼はマーコと世界を結ぶ絆だった。
マーコは絶望のあまり、人生を放棄し始める。
やがて生活費も尽き、餓死寸前のところを友人に救われた。
体力が回復すると、彼は奇妙な仕事を見つける。
車椅子で生活する盲目の老人、トマス・エフィングの世話である。
エフィングの依頼を遂行するうちに、
偶然にも彼は自らの家系の謎にたどり着く。
人生に偶然は付き物である。
だが大抵は結びつきの欠如と、タイミングの悪さと、
無知ゆえの盲動の結果に終わる。
そんな人生においての出会いを考えさられた。
一気読みするのはお薦めできない作品。
時間を掛けて、ゆっくりと味わわないと
きっと理解できずに途中で投げ出してしまうだろう。
一応、退屈な描写が続き飽きが来ると次の展開が動きを見せてくれる。
その辺、計算してのことではないだろうが、
時間経過も今なのか過去なのか、行ったり来たりするので
集中して読んでいないと、すぐに混乱してしまう。
なかなかの強敵ではあるが、読み終えた後の余韻は保証できる。
こういった物語も、人生には必要なのだと強く思った。 -
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ネタバレ映画で洋画のホラーと、日本のホラーって怖さのベクトルが違うとわたしは思っています。
今回初めて海外のホラー小説を読んだのですが、映画と同じように本もやっぱり違うか…!と少し驚きました。
例えば流行りのモキュメンタリーホラーのようにギャーーーーーと叫びたくなるような、心臓がバクバクするような怖さではない。
淡々と日常に潜む怖さ。薄気味悪く、正体が掴めない。精神的に追い詰められるようなそんな不気味さがありました。
個人的に好きなのは「人魚」でした。
怖さだけではない。なぜか切なさや儚さも感じさせられる物語だと思いました。人魚といえば泡となって消える…。この話が好きだと思う人は多い気がします。