柴田元幸のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
下巻に入り、読み方をつかんできたこともあってだいぶ物語を楽しめるスキーマが頭の中にできる。
展開的にも、結末へ向けてぐっと動いていくところなのでどの章にも躍動感が出てくる。
ただ、それでもやっぱりものすごい読み応え。この物語は、この写真を偶然デトロイトで見かけた「私」、写真の中に写る農夫たち、理系の雑誌編集者であるメイズの視点でそれぞれ語られつつ、彼らの物語が一つの場所で交差し、そしてそのときに解説で論じられるところの「20世紀全体」の輪郭がくっきりと浮かび上がるという形式になっている。
とりわけ「私」が語る認識論にも似た写真論は、少なくとも私には再読必至。一度読んだだけではその半分も理解できていないと思う。
とにかく圧倒的な思索。思索の中に光る、エスプリのきいたアイロニー。
読み終わって、ああやれやれ、と思うと同時に、いい文章を読んだなあという満足感。
これ、原文で読んだら半年くらいかかるんだろうなあと思うと、こんな素敵な翻訳に仕立てた柴田先生に感謝。 -
Posted by ブクログ
ボストンへ移動する途中、乗り換えのために下車したデトロイトで出会った一枚の写真。そこに写った3人の若者を見たところから始まる壮大な思索。
なんと言えばいいのだろうか。物語(そもそも物語なのか、これは)に登場する人物を、圧倒的な量の歴史的事実の中に編み込んでいくことで、何が虚で何が実なのかがわからなくなる。
読むのにかなり苦労はする。箴言のオマージュなども多用されているが、もとを知らないのでなんのことかピンとこなかったり、理解できない部分も多々ある。
それでも随所に見られる皮肉的な記述が面白く、彼の膨大な知識に溺れながらも読み進めることができる。
上巻が終わって、ようやく読み方がつかめてきたかなという感じ。下巻にも期待。 -
Posted by ブクログ
現代アメリカ文学の作家、リチャード・パワーズのデビュー作。
最も信頼できる翻訳家、柴田先生が翻訳を担当され、そして私が近年に最も愛好するSF・ミステリー作家の小川哲が解説を書いているという点で手に取ったのだが、極めて奇妙で構築された現代小説であった。
この本は表紙にある3人の農夫を写した1枚の写真から始まる。時代は1914年、場所はプロイセン。そう、第一次世界大戦の前夜とも言える時代である。
”20世紀の始まりは1914年である”というのは、近現代の歴史研究における一つのテーゼとされている。このたった1枚の写真から、著者の途方もない文学的想像力によって幕を開け放たられた20世紀の物語が描かれていくのが本作である。あまりにもスリリングなストーリーテリングと同時に、歴史という流れの中において極めて微小に思えるたった3人の農夫というミクロな存在から、マクロな歴史の流れを逆照射するとも言える文学的冒険が楽しめる。 -
Posted by ブクログ
現代アメリカ文学の作家、リチャード・パワーズのデビュー作。
最も信頼できる翻訳家、柴田先生が翻訳を担当され、そして私が近年に最も愛好するSF・ミステリー作家の小川哲が解説を書いているという点で手に取ったのだが、極めて奇妙で構築された現代小説であった。
この本は表紙にある3人の農夫を写した1枚の写真から始まる。時代は1914年、場所はプロイセン。そう、第一次世界大戦の前夜とも言える時代である。
”20世紀の始まりは1914年である”というのは、近現代の歴史研究における一つのテーゼとされている。このたった1枚の写真から、著者の途方もない文学的想像力によって幕を開け放たられた20世紀の物語が描かれていくのが本作である。あまりにもスリリングなストーリーテリングと同時に、歴史という流れの中において極めて微小に思えるたった3人の農夫というミクロな存在から、マクロな歴史の流れを逆照射するとも言える文学的冒険が楽しめる。 -
Posted by ブクログ
ブルックリンで晩年を過ごそうと引っ越してきた、失意の男性。だけど…?
ユーモラスに、成り行きが描かれます。
60歳のネイサンは癌にかかって会社を辞め、妻とは離婚。娘とはうまくいかず、親戚ともほぼ音信不通。
いくらか思い出があるブルックリンを終の棲家に選び、自分のこれまでの愚行を書き記して過ごそうか、などと考えていました。
街の古本屋で、甥のトムにばったり再会。これが親族では一番気が合う甥だった。
トムから繋がってご縁が転がっていき、トムの妹や娘や母、古本屋の主人など、思わぬ出会いと楽しみが増えていくのです。
やや上手く行き過ぎ?だったり、中年?男の身勝手さが垣間見えたり、というところも、ユーモアに包まれてます。
熟年同士の恋愛まで恵まれて‥
意を決した時の、彼女の余裕の反応が傑作。
ポール・オースターは何となくもっと難しい作家のような印象があったのですが。
レビューを見て面白そうと読んでみた、これは読みやすい。
それもだいぶ前だけど、おススメしておきたくて。
ポール・オースターは他に何を読んだのかは、いまだに思い出せません(笑) -
Posted by ブクログ
魅力的でカラフルな人物たちが登場する。語り手がいるが、群像劇と言ってしまってもいいかもしれない。
特に楽しみもなく暇をつぶしながら老後を過ごすつもりだった高齢男性が、甥に久しぶりに再開したことをきっかけに突如人間関係が広がり、さまざまな事件が起こり、考え方がポジティブに切り替わっていく。まあ、楽しみながら読める。
フォリーズ(Follies)とは「愚行」という意味で、たしかに登場人物は愚かなことばかりしているように見えるが、愚かな行為は悪いことというわけではないよね。
多様性に肯定的だが、唯一カルト宗教に関しては強い否定的な書き方をしている。 -
Posted by ブクログ
翻訳家・柴田元幸さんと作家・高橋源一郎さんの対談本です。
柴田元幸さんの翻訳のお仕事に触れたのは、オースターのニューヨーク三部作とミルハウザーをひとつ、といったくらいです。印象としては、「透明な触媒」としての翻訳、です。翻訳者の癖というか、翻訳者自体の声や匂い色、もっというと人となりって、どうしても翻訳された作品からかすかにではあっても感じられがちだと僕は思っていて。それが柴田さんの翻訳だと、翻訳者は薄いフィルターとしてだけあって、外国人の作者のほうを大きく、そして近く感じるんです。翻訳者の存在が、無色無臭っぽい。
柴田さんは翻訳を、原文が自分の中を通り抜けていく通過時間がゼロに近ければ近いほどいい、という考え方を本書で明らかにします。なるほど、体現なさっているなあとしっかり感じさせられるのでした。そして、村上春樹さんとお仕事仲間です。このあたりは、同志、と表現しても良いのかもしれません。
いっぽう、僕にとって高橋源一郎さんのイメージは「競馬に詳しい人で、どうやら作家だ」というところからスタートしています。高校生の頃に日本テレビの深夜番組に出てらっしゃって、その頃の僕は現代作家にうとかったですし、ネットもなかったですから、彼がどういう人なのか知る由がなかった。なので、先入観として、作家の仕事は二の次の人なのかなあと見えてしまっていました。それが、だんだん年月の経過とともに、競馬に詳しい人、というよりも、作家、としての色合いのほうが僕の目には濃くなっていきました。
本書を読むと、序章こそ言わんとしているものがよく伝わってきませんでしたが(序章は、文庫へ版を変えたときに最終章の位置から移したものなので、全体を踏まえて抽象的に述べられている言葉だからはっきり飲み込みづらかったのかもしれません)、エンジンがかかってからは明晰な眼力で「小説」を透徹して見ていることに、読んでいてびりびりくるくらいです。小説のコードに従う従わないか、コードを全否定するのは原理主義であり自爆テロみたいなもの(理想主義で、なおかつ完璧主義なのを原理主義というのですね)、近代文学において強い敵と戦うのが文学のテーマだったがある時期から戦う相手である「権威」が無くなってしまった、自他の分別をはっきりした非対称性の文学とその反対の対称性の文学(対称性の文学のほうが現代日本の文壇で勢いが増してきたのですが、そもそもアメリカ文学のほうでは対称性の性格が強い文学が主流)、リーダーフレンドリーの良さと悪さ……などなど。
しかしながら、これほど厳しい美的感覚で「小説」をとらえてしまうと、自己規制や禁止条項だらけになってきて、書けるものの範囲が狭まりそうです。高橋さんの論理は筋が通っているし、ひとつの立場として見事な高さにまで築き上げられている(そこにはかなりの労力がかけられているでしょう)。だからこそ、オーソリティを持った意見として受け取りやすい。そして、そう無条件に受け入れてしまうと、高橋さんと同じ苦しみを背負ってしまうことになります。
だから、読者は(そして書き手でもあるならば)彼のような見事な論理と美意識も、単にひとつの視座にすぎない、と踏まえたほうがいいと思うのです。本書で語られた、ほとんど隙のない文学論も、文学へ一方向か二方向から強い照明を当てたに過ぎないと言えるかもしれない。上手な光の当て方であっても、自分は自分として、また違った光を文学へ当てて眺めていいのではないでしょうか。高橋さんは、綿矢りささんの短編に非常に感銘を受けたと述べていますが、その感想は、これまでの彼の視座からは見えなかったものが世に出てきたことへの驚きを多く含んでいました。
つまりは、彼を驚かすためには、彼の視座を忠実にトレースしててはいけない。というか、書き手は自分なりに自由であっていい部分はあるので、反論の言葉が見つからないといって、飲み込まなくてよいのです。
といった前提で読む、高橋さんによる大江健三郎論がおもしろい。「言語のセンスがとても変わっている」のは、僕もはじめて読んだときに、文章を追えなくてなんだこれはと思ったから、つよく頷いたものでした。大きい狂気を抱えている人、というのもなるほどと。理知的な人というようなイメージで見られがちですが、高橋さんによれば、無意識のほうがずっと強い人だということでした。
僕はまだ、高橋源一郎さんの小説作品に触れたことがありません。でも、好奇心はつよく持っていますから、そのうち何か手に取ると思います。柴田元幸さんの翻訳作品ではブコウスキーの『パルプ』が積読なので、こちらも楽しみなところなのでした。