柴田元幸のレビュー一覧
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1967年の春に文学部の学生の私は、コロンビア大学2年生の時にフランス人客員教授のルドフル・ボルンと、その同棲相手のマルゴに出会った。
親族から遺産を継いだというボルンは、一度しか会っていない私に雑誌を作る支援を申し出てきた。
ボルンはその時35歳、皮肉さと頭の良さは持っていたが、どこかしら人と違うおぞましさのようなものを感じさせた。しかし私は魅力的なマルゴと、雑誌援助の話を手放せずそのままボルンとの付き合いを続ける。
破滅はすぐにやってきた。ある晩道で銃を持った男に脅されたボルンは、迷わずナイフで男を刺殺した。
私が警察に言うか言わないかで悩んでいるうちにボルンはパリに姿を消す。
そして4 -
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メキシコの古本屋で見かけた古書「黒曜石雲」。それはスコットランドのダンケアン町に起きた不思議な気象状況に関する記述だった。
ダンケアン。その名前に私の心は乱れる。それはまだ若かった頃の私が数ヶ月の間滞在し、情熱的な恋をして、そして酷く破れて去った炭鉱の町だった。
ここから物語は、ハリー・ステーンという名前の”私”の人生の回想となる。
ハリーは世界を回る生活だった。
生まれたのはスコットランドの工場町のトールゲートというスラムだった。大学を出て教師になるために訪れたのがダンケアン、恋に敗れてどこかへ行こうと船乗りとして海に出る。しばらくアフリカに滞在して、カナダに家を持つが仕事でまた世界を回る -
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言わずと知れたマーク・トウェインの代表的作品でありアメリカ文学の古典的超名作である。今更ながら読む。
ポリー伯母さんやドビンズ先生はいまなら幼児虐待全開なのだが、米国版カツオであるトムのあの手この手の破天荒な冒険活劇が面白い。かと思えば第4章冒頭のような詩的で美しい描写もあれば第33章の鍾乳石から滴る滴の荘厳な描写やほか妙に真理めいた文章も散りばめられ物語としてだけではなく文学作品としても秀でている。インジャン・ジョーが登場してから以降の展開はハラハラドキドキのまさにディズニーやハリウッド級の面白さだ。
アニメ版も作られたため児童向けのイメージが強い作品だが、おませなトムとベッキーの恋物語 -
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トム・ソーヤーの日常は冒険だ。遊び方がワイルドでたくましい。やんちゃなイメージはあったけど、予想以上に目立ちたがり屋で、女の子に対して積極的な肉食男子で笑ってしまった。何歳の設定か分からないけど、ませてるな~。でもちゃんと良心は備えているし、ひねくれたところがないので好感がもてる。
友達のジョーもやんちゃだが、ハックは全然違うタイプ。特に終盤のハックの台詞で、彼がトムとは違う価値観を持っているのが分かる。単純に恵まれない浮浪児という感じではなく、作中の「浪漫的浮浪者」というのがしっくりくる。このトムとハックが仲良しというのが微笑ましい。「ハックルベリー・フィンの冒険」も読みたい。 -
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村上春樹がサリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の新訳を刊行したことを受けて、彼と柴田元幸が二度にわたっておこなった対話を収録しています。さらに巻末には、『キャッチャー』に収録できなかった村上の「訳者解説」、さらに柴田がホールデンに成り代わってハックルベリー・フィンなどとの比較についての考察をおこなっている「Call Me Holden」が収録されています。
本書を読む前は、おそらく柴田がサリンジャーのアメリカ文学上の位置づけについて大きな枠組みを示し、そのつど村上が作家としての感性にもとづく解釈を差し挟んでいくというスタイルで議論が進められているのではないかと思っていたのですが、じっ -
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村上春樹と柴田元幸が、翻訳について語った三回の講演やフォーラムなどをまとめた本です。さらに「海彦山彦」と題された章では、オースターとカーヴァーの短編小説を二人がそれぞれ訳したものが収められています。
第一回は東京大学でおこなわれた柴田の授業に村上が参加したときの記録、第二回は翻訳学校の生徒たちを相手に両者が質問にこたえるというもの、第三回は若手の翻訳者からの質問を二人が受け付けるというかたちになっており、著者である二人の翻訳についての考え方を知ることができるのみならず、翻訳に関心のあるさまざまな水準の受講者たちがいだく疑問にかんしても、興味をもって読むことができました。
村上は彼の文体をか -
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P19 本来の意図が自己の保護であっても、他社との意味ある関わりから身を引くことで、結局は自己自身が窒息。自己が撤退するにつれて、まわりの世界は当然手ごたえを欠いた、非現実的空間となり、それがさらに内への逃走を加速する。
メモ、雑記、まだ途中:
・試し刷りみたい ハードカバーじゃない 低コスト本? 曲げて読めるからいいけど
読んでると、しばしば面倒な気分になる。資本主義や貨幣の制度をやめて、あったかい信頼で繋がる世の中にしよう、という類にふと感じてしまう面倒さ。魔法を取り戻した世界はアダムイブ以前のheureuxにみち調和で溢れている…世界との一体感、それはきっと素晴らしい、いやすばら -
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書物の面白さの一つは、発表された後に時代が追いつき、予言の書のような姿を示す作品が現れることである。その点で、1981年に発表され、村上春樹の翻訳の”指導役”として極めた優れた翻訳家の一人である柴田元幸により翻訳された本書が約30年ぶりに復刊されたというのは、まさに本書が現代において求められていたからに他ならない。
本書では、デカルト以降の近代社会に通底する”主客分離”により、意識を持つ主体とそこから切り離された世界の二元論には様々な限界が訪れつつあることを示す。その上で、近代以前の社会においては、主体と世界の境目は実に漠然としており、”魔術的”とも呼べる関係性がそこには存在しており、現代の -
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あることを中心に、たくさんの視点がそのことを語っていく、というスタイルの物語は何度も読んだことがあったけど、
すごく久しぶりに読んだポール・オースターは、
ことに関連して、少しずつ視点もずれていくし、
語り手も変わっていく。
読みなれなくて進むのに時間がかかったけれど、
読後感は気持ちが良かった。
(内容がスカッとする、ということではない)
人の人生の、その時々の交友の厚みが伺える
時にあれほど仲良かったのに、という人と疎遠になってしまった悲しみを感じる時があるけれど、
それは先の人生や、極端な話明日にでも、
全くそんなことを思う必要おもなくなってしまうほど、
違う人生を歩み始めてしまう時 -
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柴田元幸と高橋源一郎が小説について対談している一冊。
柴田元幸の名に惹かれてこの本を買ったワタシのような人間からすると、喋りたくて仕方がない高橋が柴田という最高の聞き手を迎えて思う存分喋っているという印象。もう少し柴田に語らせて欲しいところだ。翻訳という行為を視覚化すると「ここに壁があってそこに一人しか乗れない踏み台がある。壁の向こうの庭で何か面白いことが起きていて、一人が登って下の子どもたちに向かって壁の向こうで何が起きているかを報告する」というイメージだ、という柴田の名言も飛び出しているのだから、もっと引き出してくれたらさらに面白い対談になったと思う。とは言え、対談の中身はなかなか濃い。日