大槻ケンヂのレビュー一覧
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坪内祐三「文庫本を狙え!」で紹介されていた文庫本レビューの第一弾。1997年発行。
坪内さんは大槻ケンヂの文章を「とてもオーソドックスな意味での名文」と評価していた。音楽家は名文を書く人が多いのだそうだ。音文一致とも評している。それに、音楽家って、読書家が多いのだろうか?
名文の例として坪内さんは、
「彼女との悲しい別れを綴った一文「踊る情感欠落人間」は、誰が読んでも胸にグッとくるだろう」と紹介している。
筋肉少女隊を率いるケンヂさんらしいユーモアを交えて、高校生からの初々しいABC体験を綴りながら、やがて初めて恋を知った2人の不器用で悲しい別れをを淡々と書いていた。
可笑しくてやがて悲 -
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ネタバレ元々、制作する楽曲の多くが、過去の文学作品を礎にしている人間椅子、彼らの作品が今度は小説のモチーフになったということで、いわば音楽界から文芸界への逆輸入、という発想がまず面白い。
そして、そのような出自であるからして、彼らの楽曲がノヴェライズのベースとして馴染まない訳がない。
まず選ばれた5曲を見てみると、1つは筋肉少女帯との共作だが、残り4作はすべて和嶋慎治氏の手による詞、ということに少し驚いた。
また、著名な代表曲ばかりということはまったくなく、むしろコアなファン以外にはすぐにピンとこないであろう作品も。
口火を切る大槻ケンヂ氏の「地獄のアロハ」、イカ天をリアルタイムで観ていた世代にとっ -
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はい、大槻さんの作品の中で一番好きな作品です。どのくらい好きかと言うと、ワイルドの童話くらい好きです(笑)。中毒性がすごくて、抜け出せなくなるんですよねぇ大槻ケンヂワールドに。
登場するのはゴシック・ロリータな女の子。ちょっぴりグロテスクなお話もありますが、基本は幻想的、童話みたいな読後感のある温かい世界です(個人の感想)。クスッと笑っていて気を抜いていると「やられた〜」と泣きそうになります。とてもいい意味で情緒不安定。それが大槻さんの描く幻想だと、私は思っています。
また、私の読書傾向はどうやら大槻さんと近いようで、作中の細かいネタにも過敏反応! 思わずニヤニヤしてしまいます。ファッション描 -
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『自分の悩みがちっぽけで、ただの通過点なんだと教えてくれた』
大槻ケンヂは小説から知った。確か新興宗教オモイデ教だったと思う。当時10代前半だった私はオーケンの書く文章に猛烈に惹かれ、そこから大本を次々と買い集め読み漁った。当時は本というものに出会ったばかりで、小説家がエッセイを書くとはまったく思ってなくて、エッセイ風の小説なのか?と思いながら読んだ作品も多かった。その中で「あ、これってエッセイか」と気づかされたのがこの本だった。
自分がちっぽけで恥ずかしくて思い違いをしたただの子供だということを、オーケンはいつも教えてくれる。大人になった今だって間違い続けている私を、きっとオーケンはユー -
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無くしてたと思ってたら見つかりました。やった!ステーシーの完全版です。外伝が二篇、収録されています。
本編に関する感想は角川ホラー文庫の『ステーシー』に書いたので省きますが、とにかく外伝の『ゾンビ・リバー』が好きで、一時期狂ったように読んでいた記憶があったので、また読みたいなぁと思っていたのです。
『ゾンビ・リバー』もやはり残酷さやインモラルな感じは否めませんが、個人的には「ステーシーの津波」というイメージに、どこか崇高なものを感じ、心を鷲掴みにされたのでした。そう言えば、会田誠さんの作品に『灰色の山』や『ジューサーミキサー』がありましたっけ。あんな感じですかねぇ。『ゾンビ・リバー』の実写化 -
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ロックバンドのボーカル、大槻ケンヂの処女作
妻子持ちの教師を好きになった同級生のなつみさんが、
精神的におかしくなり、入院したものの、
高校を退学し行方をくらました。
1か月後、新興宗教オモイデ教の信者として、
僕の前に現れたなつみさんは、特別な能力を披露して、
入信を勧めてきたところから始まる不思議なおオカルト的青春物語。
特別ここが良いとかいう感想は、
ネタバレしてしまうので語れませんが、
出てくるそれぞれの人物に対して、
あとがきを読むことで、モデルがいたことを知り、
こんな奴が当時いたのかっていうところに、驚きを感じた。
今(2022年)読んでるからそこまでではないものの、
当時 -
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日々オナニーのことで頭がいっぱいの高校生大橋賢三、ロックと小説と映画を愛する。同じく内向的な友人カワボンとタクオと酒を飲みダラダラしていた。クラスのマドンナ美甘子が実は映画だと知り、、、そして仲間でロックバンドを作ろうと考え、、
薬師丸ひろ子、中森明菜、痙攣しながら歌うジョー・ コッカー、GORO、エロトピアなど大槻ケンヂの頃の青春キーワードの出まくり。(よくそんなに覚えてる)
賢三のちまちました内面(=大槻ケンヂの内面?)の、あーそれわかる、自分も同じだった感と、いや、そこまでいつもエロいこと考えてなかったぞ感の組み合わせ。
賢三と比べればまだ自分の方が健全(?)な青春を過ごしたのだろ -
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大槻ケンヂのエッセイである。以上。
まず考慮すべきは、初出は1990年代の初頭で、単行本が1993年、文庫本が1996年という、いわばバブル崩壊前後に出たものであり著者20代後半という年齢であるということだ。
時代のものとはまた別の、とにかく読みやすい文章であるし、『栗ご飯』なる、『サラダ記念日』以降のアノ頃のエッセイにありがちなサブタイトルがこっ恥ずかしいのはともかく、当時のエッセイスタイルに加えて、著者の若さというものが、文章を直接的にさせているのではないかと思う。
今のようにネットで何でもという時代でなかったからこその、有るものを消費して、古典から新しいものまで映画でも本でも取り入