大槻ケンヂのレビュー一覧
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ネタバレ元々、制作する楽曲の多くが、過去の文学作品を礎にしている人間椅子、彼らの作品が今度は小説のモチーフになったということで、いわば音楽界から文芸界への逆輸入、という発想がまず面白い。
そして、そのような出自であるからして、彼らの楽曲がノヴェライズのベースとして馴染まない訳がない。
まず選ばれた5曲を見てみると、1つは筋肉少女帯との共作だが、残り4作はすべて和嶋慎治氏の手による詞、ということに少し驚いた。
また、著名な代表曲ばかりということはまったくなく、むしろコアなファン以外にはすぐにピンとこないであろう作品も。
口火を切る大槻ケンヂ氏の「地獄のアロハ」、イカ天をリアルタイムで観ていた世代にとっては、その時代の空気感が生々しく甦ってくるかのような描写の数々が妙に懐かしく、史実ないまぜのふわふわとした感覚がまた心地良い。
どこまでが実体験ベースで、どこからが完全なフィクションなのであろうか。
「なまはげ」という題材にふさわしく? 教訓めいた民話のような雰囲気をまとう伊東潤氏の噺は、まるでテレビドラマ「世にも奇妙な物語」の小話のような結末を迎える。
歴史小説家という印象が強い著者なので、こうした展開もあるのか、とやや意外だった。
空木春宵氏のチョイスはまさかの「超自然現象」、中身を読んで思ったのは、「大予言」でもハマったかも? なんて。
ちょうど旧統一教会を巡る問題が論じられている昨今、偶然か必然か、タイムリー性も抜群だった。
巻末の一言解説で、和嶋慎治氏が「『新青年』収録の作品」と書いているが、正しくは「異次元からの咆哮」なので、この勘違いを誰も正さなかったのは一体どういう了見なのだろうか。
芥川賞作家である長嶋有氏の「遺言状放送」は和嶋氏が述べている通り、まさに青春こじらせ小説と呼ぶべき、シリアスと見せかけて実は軽やかなタッチの一作。
受賞作の「猛スピードで母は」も、純文学というカテゴリーにしては読み易かった印象があるが、さらにエンタメ性がトッピングされた感じか。
主人公の少年は恐らく私と同い年であるはずなので、作中へのシンクロ感は個人的に大きく増した。
また、これも和嶋氏が触れているが、長嶋氏は実は筋金入りの人間椅子フリーク? と思うぐらいに小ネタがこれでもかと散りばめられていて、古いファンとしては嬉しくなる。
プラクティカル・ジョークという言葉をここで目にするとは!
思わずベスト盤「ペテン師と空気男」のライナーノーツを読み返した。
掉尾を飾るのは和嶋慎治氏による「暗い日曜日」。
雑誌「怪と幽」で一足先に読んでいたが、自分で書いた詞を下敷きにして小説にまで膨らませる、という行為はさぞかし難しかっただろうと想像する。
結果、産み出されたのは、曲中の各世界とはまったく異なるものであった。
恒川光太郎氏が書く世界に通じる匂いが感じられたり、あるいは藤子・F・不二夫のSF作品を彷彿とさせたり。
まさしく最後は、暗い、憂鬱な幕引きであった。
もちろんミュージシャンの両氏が綴る文章も商業作品として充分に足るクオリティではあるが、その他の3名が職業作家たる地力をしかと見せつけてくれたな、というのが全体を通して得た印象。
あと、鈴木研一氏の一言があっさり過ぎて、思わず苦笑、で本を閉じたのであった。 -
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はい、大槻さんの作品の中で一番好きな作品です。どのくらい好きかと言うと、ワイルドの童話くらい好きです(笑)。中毒性がすごくて、抜け出せなくなるんですよねぇ大槻ケンヂワールドに。
登場するのはゴシック・ロリータな女の子。ちょっぴりグロテスクなお話もありますが、基本は幻想的、童話みたいな読後感のある温かい世界です(個人の感想)。クスッと笑っていて気を抜いていると「やられた〜」と泣きそうになります。とてもいい意味で情緒不安定。それが大槻さんの描く幻想だと、私は思っています。
また、私の読書傾向はどうやら大槻さんと近いようで、作中の細かいネタにも過敏反応! 思わずニヤニヤしてしまいます。ファッション描写にも敏感! です。
なかんずくお気に入りの作品は『妖精対弓道部』『おっかけ屋さん』『ぼくらのロマン旅行』になります。
「お前は画家になった」
「うん」
「俺だけがダメだった」
「夢だけが人生じゃないんだろ」
「表現意欲を持って生まれた者には夢だけが人生のすべてだ」
「だったら諦めるな」
「うん、俺はやっぱり小説家だ」
「わかってるさ」
(p64『夢だけが人生のすべて』) -
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『自分の悩みがちっぽけで、ただの通過点なんだと教えてくれた』
大槻ケンヂは小説から知った。確か新興宗教オモイデ教だったと思う。当時10代前半だった私はオーケンの書く文章に猛烈に惹かれ、そこから大本を次々と買い集め読み漁った。当時は本というものに出会ったばかりで、小説家がエッセイを書くとはまったく思ってなくて、エッセイ風の小説なのか?と思いながら読んだ作品も多かった。その中で「あ、これってエッセイか」と気づかされたのがこの本だった。
自分がちっぽけで恥ずかしくて思い違いをしたただの子供だということを、オーケンはいつも教えてくれる。大人になった今だって間違い続けている私を、きっとオーケンはユーモアを交えて笑ってくれるはずだ。 -
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無くしてたと思ってたら見つかりました。やった!ステーシーの完全版です。外伝が二篇、収録されています。
本編に関する感想は角川ホラー文庫の『ステーシー』に書いたので省きますが、とにかく外伝の『ゾンビ・リバー』が好きで、一時期狂ったように読んでいた記憶があったので、また読みたいなぁと思っていたのです。
『ゾンビ・リバー』もやはり残酷さやインモラルな感じは否めませんが、個人的には「ステーシーの津波」というイメージに、どこか崇高なものを感じ、心を鷲掴みにされたのでした。そう言えば、会田誠さんの作品に『灰色の山』や『ジューサーミキサー』がありましたっけ。あんな感じですかねぇ。『ゾンビ・リバー』の実写化、私は待ってますよ(笑) -
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ロックバンドのボーカル、大槻ケンヂの処女作
妻子持ちの教師を好きになった同級生のなつみさんが、
精神的におかしくなり、入院したものの、
高校を退学し行方をくらました。
1か月後、新興宗教オモイデ教の信者として、
僕の前に現れたなつみさんは、特別な能力を披露して、
入信を勧めてきたところから始まる不思議なおオカルト的青春物語。
特別ここが良いとかいう感想は、
ネタバレしてしまうので語れませんが、
出てくるそれぞれの人物に対して、
あとがきを読むことで、モデルがいたことを知り、
こんな奴が当時いたのかっていうところに、驚きを感じた。
今(2022年)読んでるからそこまでではないものの、
当時読んでいた人たちは、後の新興宗教による事件や出来事は、
どのように見えていたのかって思ったり思わなかったり。
地下鉄〇〇〇事件んとか、〇〇〇〇パット事件とかね。 -
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日々オナニーのことで頭がいっぱいの高校生大橋賢三、ロックと小説と映画を愛する。同じく内向的な友人カワボンとタクオと酒を飲みダラダラしていた。クラスのマドンナ美甘子が実は映画だと知り、、、そして仲間でロックバンドを作ろうと考え、、
薬師丸ひろ子、中森明菜、痙攣しながら歌うジョー・ コッカー、GORO、エロトピアなど大槻ケンヂの頃の青春キーワードの出まくり。(よくそんなに覚えてる)
賢三のちまちました内面(=大槻ケンヂの内面?)の、あーそれわかる、自分も同じだった感と、いや、そこまでいつもエロいこと考えてなかったぞ感の組み合わせ。
賢三と比べればまだ自分の方が健全(?)な青春を過ごしたのだろうか。ということはあまり重要でなく、どんどん頁をめくらせるリーダビリティと、「グミ編」 のラストを読むと、次の「チョコレート」が気になるということの方がよほど大事なはず。 -
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大槻ケンヂのエッセイである。以上。
まず考慮すべきは、初出は1990年代の初頭で、単行本が1993年、文庫本が1996年という、いわばバブル崩壊前後に出たものであり著者20代後半という年齢であるということだ。
時代のものとはまた別の、とにかく読みやすい文章であるし、『栗ご飯』なる、『サラダ記念日』以降のアノ頃のエッセイにありがちなサブタイトルがこっ恥ずかしいのはともかく、当時のエッセイスタイルに加えて、著者の若さというものが、文章を直接的にさせているのではないかと思う。
今のようにネットで何でもという時代でなかったからこその、有るものを消費して、古典から新しいものまで映画でも本でも取り入れる。フランスの古典映画や寺山修司、ラブクラフト、かと思えば当時の最新作『ツイン・ピークス』からなにからまで取り込んでいるスタイルは、現代の同世代には難しかろう。
一方で、UFOや超常現象などについてのツッコミ本やプロレス雑誌など、今とはまた別方向のサブカルに入っていくのは、当時の文化を知らない人にはわからないだろう。雑誌「噂の真相」ラジオ「北野誠のサイキック青年団」などのアノ頃の雰囲気がそのままで非常に面白い。
また、有る種のスノッブ的な趣味なのか、深堀りの末なのかはわからないが、辞世の句などの本にまで言及しているのは、少々驚いた。『めぞん一刻』でも何度もネタにされているアレが、東京オリンピックのマラソン選手円谷幸吉の辞世の手紙が元ネタだったのだな。有名らしいが知りませんでした。
今の人には、ブンカジンぽくてムズカシソウと思ったりするかもしれないが、今でも通じる話ばかりである。 -
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ネタバレ「日本印度化計画」を歌う筋肉少女帯の大槻ケンヂが、サブカルでどの様に食い扶持を繋いでいくかを語る本。
サブカルで食うための方法を、梯子を外して笑いを取るのではなく、現実的にに描いていて良かった。
「表現したい「何か」があるのか」「ただ自分を表現したいのか」を確かめろという主張は面白かった。
「自分の好きなジャンルやシーンを底上げしてやる!」という熱意がどうしても必要になってくるらしい。心に響く。
若いうちに自分の時間を使って「自習」、僕の言葉で噛み砕いて言えば自分が何が好きかの試行錯誤、自分の楽しませ方を学んでおかないと将来大人になった時つまらない人間になるというのは面白かった。
僕は大学入ってから、友達もあまりできず一人で映画やサブカルチャー批評の本を読んでいて、自分が一人置いていかれているような気がずっとしてならなかった。
依然としてこのままではいけないのと思っているが、この本はとりあえずその時間の使い方もアリなんじゃないかと肯定してくれているようで嬉しかった。
この本で何度も紹介されているが、サブカルで食っていくためには「才能・運・継続」が必要だという。才能と運はやってみないとわからないけれど、継続はやっていれば中の下ぐらいにはとりあえずなれるという文章に勇気を貰った。
少年ジャンプの掲げる「友情・努力•勝利」と比べたらかなりドライな三原則だが、まじめにサブカルで食うための方法を伝えてくれている熱意を感じた。
80年代サブカルチャーのことが全くわからないから正直出てくる固有名詞が何を言っているんだかわからない部分もあったけど、紹介されている本や映画は是非とも見たいと思った。 -
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大槻ケンヂの初期短編集。大槻ケンヂの著作を読むのはものすごく久しぶり。持ってはいるんだけどね…。大学の頃以来か。
病院に入院していた老人が、「実は昔、くるぐる使いをやっていて、人を殺したことがある」と告白する。くるぐる使いとは、気の触れた、しかし未来や真実を見通す能力を持つ女性を連れて各地を巡り、予言などで儲ける職業である…。
1作め『キラキラと輝くもの』は読みかけて、ああ、大槻ケンヂだ。こういうのがずっと続くのは苦手だナアと思ったのだが、2作目以降は楽しかった。筋肉少女帯の歌詞やPVにも表れる、江戸川乱歩的なアナクロニズムと退廃をまといつつ色彩に富んだ作品群である。
昭和初期の乱歩時代にはよく見られた、「狂う」という感覚が段階的に、または突然現れる作品は、1990年代前半を最後にタブー化されている。一方で、「芥川龍之介の母親は狂死した」なんていうのが文献として普通に残されているわけで、単純に医学の進歩で別の表現になっただけではなく、やはり目をそらせようとする社会的抑圧があるのではないか。この本では、そういった物を正面から捉えようとしているように見える。
低年齢の主人公の作品では、狂気と復讐というところが重複しており、『キラキラ』はその間くらいに挟んでほしかったなあ。読後感からいえば。まあでも、この本で面白いのは、その狂気と復讐の2作である。『グジグジ』は、ナンセンスなギャグも交えた名作だ。
筒井康隆の読者あたりなら、もう当然のように読んでいるのだろうが、最初に読んだ『グミ・チョコレート・パイン』の印象があまり良くなかったので避けていた。もう一度読み直そうかと思っている。