みうらじゅんのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
全国不登校新聞の記者たち(元不登校経験者)達が、著名人にインタビューする。
インタビューする側もされる側も真剣に受け答えしているのがわかる。
また説教的ではなく、いろいろな考え方を尊重している記事なのが良いところ。
気になったフレーズ
・ヨシタケシンスケ
一番きつかった時期に考えていたのは、「現実の世界と空想の世界を完全に分けてしまえば、自分は楽になるはずだ」ということ。その思いを達成するために自分の頭の中だけの世界を創造しようとしたんです。だから僕はヒマさえあれば、手の平をじーっと見つめていたんです。何をしていたかというと、手の上に「自分しか見えない小人」が見えるようになるための訓練なんです。(笑)
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「こいつだけは僕のことをなんでもわかってくれる。だからつらくてもがんばろう」と思っていました。手の平を見ながら「もっと小人がはっきり見えるようになったら、自分は社会人としてやっていける」って思ってましたからね。
・R-指定
自分にコンプレックスがあったり、劣等感があったりする人こそ、なにかを表現するのに適している、と。多くのアーティストと出会いますが、みんなコンプレックスを持っています。俺も満たされていないからこそ、それを埋めるために表現をするという方法で今も自分を保っているんです。
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俺がその1年間、自分と向き合って、最終的に見つけた答えは「カッコつけてもあかんな」ということです。それまでの自分はカッコつけて、クールにラップを見せようとしていました。本当はラップに情熱があるのに、ないふりしていたんです。
・谷川俊太郎
詩は、小説なんかとちがって、時間軸をばっさり切っちゃって、いまこの瞬間というものを提出するわけです。悩んでいるとき、人間は、その時間をばっさり切られてちがう断面から見ると、意外になぐさめられたり、視点をコロっと変えたりすることができる。普段人間は地面にくっついて生きているんだけど、詩というのは高いところから俯瞰できるようなところがるように思います。
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僕は、繰り返しっていうのは、人間の実存の基本だと思ってます。人間は、どんな偉い人でも、どんなスターでも、基本的には、毎日の日常生活の繰り返しを生きている。それが人間の生きていく基本的なありかたですよね。
それを壊そうとして、みんな冒険だとか恋愛だとかで、一生懸命ドラマチックにもりあげようとしてがんばるんだけど、それも限界があって、基本的には毎日、平凡な日常を繰り返すことをちゃんと受け入れないと
人間はダメなんじゃないかと思う。
・庵野秀明
作家の村上龍さんは「表現とは自分の中の穴を埋める作業だ」と言っていますが、あれは確かにぴったりの言葉だと思います。自分の中に穴が空いていて、ものを作っていないと、その穴が埋まらないんですよ。
・荻上チキ
大人の社会より子供の社会のほうが、自由度が著しく低いんです。本来は子どもの方が大人よりも脆弱なので、より安全な空間として学校を設計する必要があるはずです。
たとえばその空間から離脱しやすくするとか、いろんなセーフティーネットを学校のなかに作っていく必要があります。しかし実際は、むしろより厳しいルールを子供たちに押し付けるようなことが前例になっている。 -
Posted by ブクログ
昭和を代表する作家でありながら、令和になっても映像化は引きも切らず、また文庫本で大半の著作を読めてしまうグレートすぎる作家 松本清張。
本書は松本清張生誕110年を記念して一昨年刊行されたムック本の文庫化。<作品><人となり><映像>の紹介はもちろんのこと、なんと言っても白眉はみうらじゅんが敬愛してやまない松本清張を、随筆と対談を通して深くて鋭い考察を開陳。これが秀逸。500頁の大部なのに充実の内容でグイグイと一気読み。
本の帯の惹句に<押したら最後、底なしの『生き地獄』へ転落してしまう『清張ボタン』><人間の業や深い闇を暴き出す清張はホラー作家だ!>とある。確かに言える。
清張の小説には、コツコツ真面目にやってきた中年男がよく登場する。あることから地位と金を掴み、つい調子に乗り愛人まで掴んでしまう。元は小市民ゆえ歯止めは利かず、不倫地獄に真っ逆さま。後は破滅か、殺人か…というストーリーを手を変え品を変え描く。
清張作品の大半を読破したみうらじゅんは、浄土宗の<往生要集>と同根であると喝破。清張先生は『調子に乗っているとこんなえらい目に遭うぞ!』という戒めを説いているんだと。ゆえに清張作品を『反面教師』として読み給えと重ねて言う。清張作品を読むなら、家庭を持ってから読み、読後感がぐさりと来た人は今後の人生で『清張地獄』に堕ちるかも…と警告を発する。因果応報、煩悩の果て、人間の業…それは地獄のサスペンス。その因果応報が色濃く作品として『ゼロの焦点』を挙げる。
まぁ、よくぞこれだけ男女の色恋生き地獄を描くよなぁって唸ってしまう。想像するに清張自身が<不倫><女性からの誘惑>に並々ならぬ興味と願望を抱いていた顕れではないのかな。
この自身の『清張地獄に堕ちたい』願望が牽引力となり古代史だの書道教室だの美容業界だの…さもありなんなシチュエーションプレイを展開したという見立ては暴言妄言かな。
実はこの本にもその片鱗が明らかに出ている箇所がある。それは作家 佐藤愛子の寄稿。直木賞選考委員が誰ひとりとして推さないにもかかわらず、清張だけが強力に推薦し受賞。また作家の講演旅行に彼女を捻じ込んだり…。押しも押されぬ大作家先生ならではの<ご乱行>ぶり。確かに若かりし頃の佐藤愛子の写真(359頁掲載)からはまばゆい美しさが放たれている。
みうらじゅんの説く『清張地獄』が面白く、ついつい長口舌になってしまった。
その他にも、みうらじゅんは3氏<船越英一郎・岩井志麻子・泉麻人>と対談、鼎談<京極夏彦・大沢在昌・宮部みゆき>、対談<北村薫・有栖川有栖><佐野洋・山村正夫>インタビューでは『砂の器』をはじめ清張作品の脚本を手掛けた橋本忍、6作に出演した岩下志麻、清張婦人の松本直子、朝日新聞社広告部時代の同僚…読み応えありありの500頁。松本清張のことが丸わかりの『一家に一冊』常備本。
ええ大人には<やる気スイッチ>なんてものは今さら必要ではなく、<清張ボタンのスイッチ>を押さないようにすることが肝要かと。ええ大人、とりわけ中年のおっさんのセーフティネットとしても清張作品が存在していることを思い知った一冊。 -
Posted by ブクログ
これ、実家に単行本があるんですが、文庫本持ってなかったんで入手。まあ、百円(からの2割引)。久しぶりに見ましたが、やっぱりめちゃおもろいわ。このチョイス、ドツボです。ヘンヌキとかヘンジクとか集めたくなりますねぇ(あははは)。去年はなかなか出かけられませなんだが、ここ数年あちこちの観光地でこの手の”いやげ物”をつい探すともなく探してしまっていたんですが、現在でも結構絶滅してないんですよねぇ。さすがにヘンザラは激減していますが。未読の方、もしそこらへんで見かけたら、是非めくってみてください。なんというか、コレクター魂に火がつきます(つくんかっ!?)
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Posted by ブクログ
ネタバレ「続」も、前編に劣らず非常によかった。前編と同じ編集方針となっており、全国不登校新聞社に在籍する、不登校・ひきこもりの当事者・経験者である子ども若者編集部員が、「私が話を聞きたい人に話を聞きにいく」という方針で取材を行うことにより作られている。「世のため」「人のため」ではなく、「私」が話を聞きたいというのが大原則となっている。
そのインタビュアーに答えた17名の著名人がこちら。
目次には、対談者のキーとなる一言が次のように紹介されている。確かにこれらのセンテンスがキーとなるものであるが、それ以外にも一人の読者として感動した言葉や生き方があった。
■中川翔子:ちょっとの「好き」を集めて、積み重ねていく
■ヨシタケシンスケ:遠回りしたからこそ、見えることがたくさんある
■りゅうちぇる:自分の「色」を塗り替えてもいい
■立川志の輔:他人とちがうのは、いいこと
■春名風花:いまあなたがいるそこがすべてじゃない
■あずまきよひこ:無理にでも頭を突っ込んでみると、たいがいはおもしろい
■R-指定:コンプレックスをさらけ出した方が、楽しかった
■谷川俊太郎:ミスフィットを活かす道はある
■庵野秀明:「ここ」じゃなければ、他のところに行こう
■宇多丸:自信は他人からもらおう
■田房永子:自分の「心」を大切にする
■大槻ケンヂ:「のほほん」と生きていきたい
■みうらじゅん:好きなことをいっぱいやろう
■糸井重里:できることをひとつずつ続けていく
■坂上忍:3割の共感があればいい
■椎名誠:方向が決まっている人生なんて、つまらない
■荻上チキ:人の役に立つことを生きる力にする
■対談:北斗晶×石井志昂(本書編集長) 人になんと言われようと、やりたいことをやってみる
この17人の対談者もまた、自分自身の生きづらさを乗り越えた今がある人たちであったり、生きづらさということを心で理解できる人たちであったりする。ある意味、自分なりの人生哲学をもっている凄い人たちである。
年齢は若くとも、何も考えずに自分の不安を子供に押し付けて生きている大人や、意味なくマイノリティであることを特別視するような人たちよりも、ずっとずっと物事を考える力があり、人生を闘っているのであり、生き方の哲学を確立しているように思える。
以下、自分なりに目に留まった対談者の一言など。
■中川翔子:「いちばんひどい日」を乗り越えると「そうでもない日」が来る。「そうでもない日」が続いた先に、思いがけない「死ななくてよかった」と思える日が来るはず。
■ヨシタケシンスケ:自分の意見を持たずに大学までいった。それに対し、「学校に行かない(不登校)」を自分で決めるということは凄いこと。
■りゅうちぇる:意見の違う人にあったら、その人の背景を考えるようにしている。
■立川志の輔:人生いろいろなことが起こる。学校に行かないということが、なぜそんなに大きなことなのか。大騒ぎしているのは大人。
■春名風花:いじめの加害者にフォーカスする。送信機をどうにかするしかない。ただし、「加害者が悪い」と単純化してしまうのは嫌。
■あずまきよひこ:何もできないと思われているうちに、失敗しておいたほうがいい。
■R-指定:学校の外の世界の人たちと出会えて、「俺はすごく狭い世界にいたんやな」と思った。
■谷川俊太郎:自分が詩を書いて生活するなんて考えなかったし、詩人になりたいとも思っていなかった。「なぜ詩を選んだのか?」-私が詩を選んだのではない、詩が私を選んだのだ。
■庵野秀明:(学校の)勉強は、受験のためのもの。テクニック学んでいるだけ。そのテクニックを身に着けることが社会に出たときに役立つというのは方便だ。
■宇多丸:最初の一歩は、わかならいけどやっちゃってた。最初の一歩に「理不尽なジャンプ」がある。
■田房永子:親は子どもにとって権力者で支配者で独裁者でハラスメントの加害者。子どもに過干渉にならないようにするためには自分の人生を楽しむこと。
■大槻ケンヂ:世の中で善と呼ばれているものが悪であったり、悪と呼ばれているものが善であったり、価値観というものは時代、民族、国家によって変わるものであって、ゼッタイの基準はない、
■みうらじゅん:不安は今でもあるが、なんとかなっている。常識が分かった上でやる非常識が、エンターテインメント。
■糸井重里:自分たちが何ができるかって言ったら、残念ながら、今のところ、努力することだったり勉強することだったりする。
■坂上忍:何かを成し遂げようとするとき必ず孤独になる。
■椎名誠:不登校しているのは、自分に忠実な素直な人
■荻上チキ:「逃げてもいい」というが、不整備な状況では、不登校は自己責任化されてしまう。学校には、セーフティネットが必要なのに、厳しいルールを押し付けている、 -
Posted by ブクログ
ずっと馬鹿にしながら、しかし何となくリスペクトしていた、仏像を見る二人。単行本が出たのが93年だから、27年前の記述を読む。興福寺、法隆寺、立石寺などなど。
小学生の時に仏像をスクラップブックにしていたみうらじゅんの天才。
「私はみうらさんの正直さに嫉妬していた。彼はいつでも現在に生きていて、瞬間瞬間に集中することが出来る。観念に逃げ込むことなく、事実を感じとることが出来る」
というようないとうせいこうの言葉による描写とみうらじゅんのイラストで二人の仏像を見る旅を知る。面白かった。ただ寺に行って何となく仏像を見たような気になっていたけれど、それだと単に行っただけであって、何も感じた事にはならないんだと分かり、ハッとした。 -
購入済み
大爆笑
「人生の3分の2はいやらしいことを考えてきた」って、起きているときずっとっていうことですか???
という具合にツッコミどころ満載!
声に出して読んでみると、面白さ倍増です。 -
Posted by ブクログ
「仏像は ピースな人の 味方でしょ」
「釈迦も仏像見たかったろうね。見たら驚いたと思うよ。これ、俺かよ?って」
いとうせいこう と みうらじゅん の仏友(ブツユウ)による仏浴(仏を浴びる)の旅の記録。
小学校の時から仏像ノートを作っていたくらいに仏像好きの みうらじゅん が絵を描き、いとううせいこう が文章を書いて仏像から色々考えを巡らせている。
二人の仏像を見ての思考は自由自在。
物を見て何かを考える、違う方から見てみる、当時の人の気持ちになって考えてみる。
そのため仏像そのものの作りから、寺と観光の歴史、仏像の大きさによる感じ方の違い、仏像を伝来か由来かで分けてみたり、仏像に本気で恋したり、大きな仏像を見るために足元に寝っ転がったり、仏像を感じるために周りを走ってみたり、日本の地域の仏像の違いの根本を考えたり…。
仏像の地域の違いは、仏教の玄関である福岡、時代最新である京都や奈良、そしてそんな中央都市から見様見真似で伝わった奥州により、伝わり方が違うんじゃないか、と考えるなど、当時の人たちの事情まで想像が膨らんでいる。
お寺の構造や配置、そして仏像の表情や体格やポーズをみて「格好良さ、色っぽさの基準は変わらないね」などと思っている。
これは、仏像の並べ方が現在の音楽グループと同じ並びだったり、説法ってスターのコンサートや民間から生まれたラップだよねと思ったり、現在の特撮の根本こそ仏像じゃないか?と思ったり、当時の金ピカこそ仏像で侘び寂びは不要だよねと思う反面でも現在でも汚しを入れると格好いいから時間が立ってるからこそ良いのか?などと考えているのだが、たしかに何千年経っても人間がバランスが良いとか、粋だなと思うものは変わらないのだろうか。
そして二人が神仏像巡りで感じたことは「六道を司る仏様なら死んだら俺達会えるじゃん。仏って自分のリーダーじゃん、てことは自分自身じゃん」という結論にたどり着いていて、なるほどあの世で会える存在だと思えば仏像は気負ったりせず身近なものだと感じられるかもしれない。
神仏と言われると背筋を伸ばして見たり学んだりしなければいけない気持ちになってしまうのだが、宗教が救いであるなら気持ちをゆったりと自分が気持ち良い見方、感じ方を各自で自由に感じて良いのだろう。
この本では対象が仏像ですが、何かを見てそこから思いを巡らせてゆく、思考遊びが広がってゆく様という意味でも面白い本でした。
さて、この「見仏記」最後の方で「三十三年後にまた三十三間堂で会おう」と約束してこの本は終了している。しかしこの企画が始まったのは1992年。その後見仏記の続きは出るし、テレビ放送もされるし、そうやって仏を浴びつづけてもう30年経つではないか。それなら数年後に「最初の企画の約束通り、三十三年後にに三十三間堂にやってきました!」企画が出るのだろうか。
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