藤沢周のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
標題作は問答無用の第119回芥川賞受賞作。
"かっては東京の広告代理店で働いていたものの、現在は新潟と福島の県境にある雪深い寂れた田舎町の温泉ホテルで働き、毎朝温泉卵を茹でる日々を送る青年。同僚にこのまま実家の豆腐屋を継ぐのか、と問われれば今は充電期間中なのだと答えるものの、その実このままこの田舎町に埋もれることになるのではないか、と危惧感を抱き、焦燥感を募らせている。そんな青年の前に現れたのは、かっては本牧埠頭で船乗り相手の娼婦で、その際にかかった性病から盲目になったと周囲に噂され、また若かりし頃の記憶と妄想と現在の記憶について、とりとめのない混沌とした言動を行うが故に周囲に疎ましく思われている耄碌した老女。青年は彼女の言動に触れ彼女の周囲と同様の疎ましさを感じ、あくまで仕事と一線を引いた距離で関わっていこうとするものの、その一方では耄碌しながらも常に毅然とした態度を見せ続ける彼女を通して遥か異国の地に立つ自分の姿を見ることとなる・・・・"
描かれている表現にはネガティブな思考や感情を感じさせるモノが多い。特に中高年層へと向けられた視線は幼稚染みた下品で醜悪さを感じさせるモノばかりだ。老いに伴う汚れと言えようか。ただし、そこに悪意の介在は感じられない。それは作者自身が中途半端に面白がって最大限に悪意を向けてソレを描いているワケではなく、あくまで一面的なリアイティを持った老いを捉えようとしている姿勢が故だろう。単に読み手に向けられた皮肉でもある。世界に悪意が満ちていることへの示唆でもある。そして、それはそのまま主人公である青年が持つ、狭窄したつまらないモノの見方を象徴してもいるワケだ。故にその見方では捉えることの出来ない、説明のつかない存在である耄碌した盲目の老女に接していく内に、己の内から込み上げてくる感情に冷静さを保つことが出来ず、行動に打算的な思考が伴わない、正にパッションの発露とも言うべきラストのタンゴへと転がっていく様は圧巻の一言。にしても、一体誰が雪深い新潟の片田舎の温泉ホテルに併設されたダンスーホールで、下品なまでにきらびやかな衣装を纏った醜悪な老人らが自らのダンスに酔いしれる輪の中において、鬱屈した感情を抱え自らですら蔑む青年が、世の汚れの一切を背負った後に無垢な魂と化したかの如く無垢な心へと至った様にも見れる耄碌した盲目の老女とタンゴを踊り、身体を密着させる内に自らの中に込み上げてくる優しさに抗することが出来ず、耄碌した老女の語る過去の記憶とも妄想とも区別のつかないとりとめのないアルゼンチンの風景の中に自らの姿を滑り込ませ、タンゴからブルースへと曲が替わっても構わずタンゴのステップを踏み続け、周囲の視線を気にする老女に対し「大丈夫です・・・・・・誰も見ていないですよ」などと口にする様な情緒豊かな物語をタイトルから想像出来ただろうか・・・"ブエノスアイレスは雪がさらに激しくなる。"有り得ないからこその、詩情に溢れたイイ言葉だ。何度読んでもグッとくる。また描写の細やかさもその環境の閉塞感から青年の自意識が過剰に委ねられた視線とその過剰さによる精神的な徒労感が滲み出ててイイ感じだ。これは『屋上』にも通じている。
"東京近郊にある人のまばらなスーパーの屋上に一人で常駐し遊具やゲームのメンテナンス・管理を行う青年はいつ本社に戻れるのか分からないまま日々を過ごす。一見すれば開放的で、その実閉鎖された空間において唯一外部と繋がっていることを自覚出来るのは本社にいる同僚からの電話のみだが、その電話ですらあまりにも遠くに感じられてしまい、電話の向こうにサハラ砂漠やゴビ砂漠、タリム盆地や雨季にある中東の寂れた町の風景とそこから電話している同僚の姿を想像する。屋上には何の為かポニーが一頭飼われている。地上8階の高さの場所であるにも関わらず。その違和感。屋上に閉じ込められているのではないか、という錯覚。とりとめのない思考に囚われ続け疲弊していく意識はポニーをよりグロテスクな物として映し出し、意識は自然と開放の方向へと向かうものの、その行為は単に徒労に終わり電話は鳴り続ける・・・・"
う〜ん・・・どうなんだろうか。このテのオチを好む層は確実にいるのだろう。けど、その層に向けた小説とも自分は思えない。割と面白く読めたような気もするが一方では物足りないとも感じている。『ブエノスアイレス午前零時』の原型とも取れる位にその話の核には共通点が多くある。解説にも書かれていた通り実験的な試みだったというのだろうか。まぁ何にせよ、自分的には収録された通りの『ブエノスアイレス午前零時』→『屋上』の流れよりも『屋上』→『ブエノスアイレス午前零時』の流れを好む。それだけだ。『ブエノスアイレス午前零時』は本当に素晴らしい。 -
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直木賞受賞作『テスカトリポカ』と『武曲』の2冊読みをしていた。藤沢周は1998年、第119回の芥川賞受賞作家である。この2作品を比べると本作品の方が圧倒的に情緒的であり、ストーリーに説得力がある。直木賞はエンターテインメント性を求められるらしいが、芥川賞作家は人心の奥深いところまでエグってくる作品が多いような気がする。
矢田部親子は剣道界隈の親子鷹であるが、不幸な事故で父は障害を負い、息子は事故の責任を引きずり深酒に溺れる日々を送るのだった。剣道部コーチ(矢田部息子)は、素人ながら剣の才能豊かな高校生羽田と出会う、彼の成長と父を重ね合わせることで、矢田部息子は自分の問題と向き合い、寺にこもり断酒に成功...一方、羽田はスラムダンクの桜木花道の様なキャラで猪突猛進、唯我独尊的な描かれ方をしていて、陰湿な剣道コーチの矢田部と対比する事でストーリーを面白くさせている。
2017年『武曲 MUKOKU』は映画化され、youtubeで無料で観れる。 -
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若林さんは不思議な人だ。
めっちゃ自意識過剰で自己防衛本能が強くて、見栄っ張りでカッコつけ。本音は言わない。
だけどスッと人の懐に入ってくる可愛げもあるんだなぁ。
この本では、若林さんのそんな部分が遺憾無く発揮されていて、終始ほっこり見守る気持ちで読むことができる。
人が死ぬ本ばっかり読んでたアタマが癒される〜。
私が好きなのは、羽田圭介さん&藤沢周さんの回。
この回は、若林さんが話すボリュームも多くて、羽田さん、藤沢さんとの相性の良さを感じる。話してることもほどよくカタくて、良い意味で、男同士っぽい感じ。小気味よくてずっと読んでたい。一冊丸ごとコレでもいいなぁ。
あとは角田光代さん回。角田さんがおっしゃることがいちいち納得感がある。難しいことは一切言ってないのに。伝わる言葉でなるべく正しく考えを伝えようとされてるのが分かる。
そしてこの回でも、若林さんが良く話す。
ホストがノッてる方が対談は面白くなるよね。
西加奈子がやたら作中で〈セックス〉という言葉を使うのはそういうことか。説明したがりだと言う朝井リョウは実際どれくらい読者を縛り付けてくるんだろう。羽田圭介、やっぱり(人間として)好き。そのイメージを崩したくなくて彼の本はあんまり読んでないのは内緒だ。中村航の〈100回泣くこと〉再読したいなぁ。でも中村文則の〈教団X〉再読はしんどいなぁ⋯
エッセイを通じて作家さんのキャラクターを垣間見ることはあっても、話す言葉を聞く機会はなかなかないので、そういう意味でもなんか新鮮。
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Posted by ブクログ
ジャケ買い。樋口一葉読みたかった。
訳本だから、どこまで原作のニュアンスが生きているか分からないけど、どの作品も良かった。
以下、ネタバレ含む。
「たけくらべ」
とりあえず文学史で覚えるとしたら、これ。
あと『ガラスの仮面』でストーリー覚えた。
美登利という女の子の、正太に対する気持ちと、信如に対する気持ちが、うまく書き分けられていて、どこか“持てる者”としての傲慢が似合う。
エンディングに花を持ってくる、映像的な清々しさというか、寂しさも良かった。
「やみ夜」
うらぶれた屋敷の主、お蘭が、いつの時点から直次郎を使おうと思っていたかで、印象が変わる。
何をテーマにして良いか難しい作品だけど、不幸であって当然と感じている直次郎が、お蘭のために命をかけ、でも仕損じる所に意味があるような気がする。
他、「うもれ木」「わかれ道」。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ真剣に剣道と向き合って己を研く矢田部研吾。それが過ぎて、研ぎすぎて薄くなった刃のようにその技は鋭く、けれど脆くもなり……いわゆる闇落ちのような状態になってしまう姿に、なぜか同情してしまいます。
真面目だけど不器用すぎて、要領よく生きられない姿がそうさせるのかもしれません。
対する羽田融。剣の技に没頭するあまり、矢田部親子と同じように殺人刀の道に落ちかけます。憶測ですが、表層的な格好よさに魅せられて自己満足に陥り、相手を殺し自分を活かすことだけを考えていたからなのかな、と(若人なら普通のことだとは思いますが)。
しかし一級審査後、その印象がガラリと変わりました。「完全な捨て身の状態であることが、最も自分自身でいられる気がした」という一文から「無防備=相手を自由にさせる」と連想し、そこから融が活人剣に目覚めたように思った次第。
それまでは悩み・混迷・惑いという要素が多く、どこか鬱屈した雰囲気が作中に漂っていたように感じられましたが、上記の一文以降は爽やかで明るい空気を感じました。年齢的に近い研吾の方により感情移入してしまいましたが、融の今後の成長も気になるところ。「武曲II」が純粋に本作の続編なら、文庫化を待たず単行本を手にとって読んでみたいくらいです。