南杏子のレビュー一覧
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南杏子さんの『いのちの停車場』シリーズ2作目。
医師国家試験に合格した野呂は、金沢のまほろば診療所に戻ってきた。
娘の手を借りず一人で人生を全うしたい老母。母の介護と仕事 の両立に苦しむ一人息子。妻の認知症を受け入れられない夫。体が不自由な母の世話をする中二女子。……それぞれの家庭の事情に寄 り添おうと奮闘する野呂は、実はヤングケアラーという辛い過去を封印していた。
家族が介護しなければならない、という責任感のもとで産まれてしまうヤングケアラー。
その人は自身の人生を犠牲にして介護をしなければならない。公共サービスも、要介護度の低い患者は受けづらい。
介護の現実を知って、自分にも起こるか -
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「いのちの停車場」「いのちの十字路」に続くシリーズ最終作。
今回は看護師の麻世を主人公に、能登での緩和ケアが描かれてます。
病気を治して命を1日でも長く延ばすことが医療の目的でだか、痛みのない、その人らしい時間を過ごすことも同じくらい大切で、ただ生きるだけでなく、「どう生きるか」という命の質に目を向けてあります。
悲しい結末だが、仙川先生が命への優しい眼差しを、次の世代へとしっかり手渡した。麻世の中に仙川先生の教えが生き続け、多くの人の命の旅立ちを優しく照らし続けることだろう。
能登が舞台で、そこに生きる人たちの温かさも風景も良かった。
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著者は社会人経験を経て医学部に学士編入後内科医となった経歴を持つ。2016年刊行の本書がデビュー作。深く考えずに手に取ったが、これは当たり本。
在宅で最期を迎える患者専門の訪問クリニックへの勤務を、意に反して課せられた女性医師を主人公とするフィクション。大学病院の臨床とは全く異なる現場。誰もが迎える"死"に対して、患者、家族、そして医療従事者がそれぞれ抱える答えの出ない葛藤を言葉に紡ぐ。命の灯が消えそうな時に延命か自然に任せるか。どちらが正しいというわけではないが、患者が望む死に方に寄り添おうとする主人公の姿は、終末期医療専門病院で働いた経歴を持つ著者の表現によって、いっそ -
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ネタバレ自分はこの小説を選んだ時に、てっきり「アルツ村でなにか事件が起きてその犯人を追うミステリー小説だろう」と思っていました。実際はこの「アルツ村」そのものが何の村なのか・何のために作られたのか、というミステリーでした。
同時に、現代の日本が抱えている高齢化社会のことがなんとなく見えてくるストーリーでした。年々認知症患者も増え続けて、最近は若年層でも認知症患者が増えていることも考えさせられました。
また、北海道の土地が外国の個人・法人に買われて植民地と化している問題も書かれていました。その中で、しかも認知症患者が住む村で、認知症の研究が村の「センター」で秘密裏に行われていたことに衝撃を受けまし -
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ずっと読みたいと思いながらも、ずっと読めずにいた本。
読んでみた。
南さんの作品は、医療現場そのものに立ち会っているかのようにリアルだ。
今回も在宅医療という場に、自分もいるかのような錯覚を覚える。
「読みたい」と思っていた間に、自分が介護福祉士実務者研修を受講し、介護の知識を得たためか、ますますリアルに感じる場面が多かった。
人はいつか亡くなる。
それは当たり前のことなのだが、その最終地点がどこか。
病院か、施設か、自宅か。
在宅医療が患者はもちろん、患者家族にとってどれだけ大変なものかはわかっているし、今の日本は、病院死が多いのもわかっている。
でも、やはり、家で死ぬこと。
それが幸せ -
Posted by ブクログ
大学病院から訪問診療クリニックに異動になった女医のお話
・ブレス1 スピリチュアル・ペイン
乳がん末期の中年女性
治療を放棄し、死ぬために家に戻ってきたという
キューブラー・ロスが提唱した「死の受容の5段階」は何となくは知っていた
・否認と孤立 (Denial & Isolation)
死の告知を信じられず、検査結果の間違いを疑うなど「まさか、自分が」という状態
・第2段階:怒り (Anger)
「なぜ私が」という不公平感から、周囲の人々、医師、神などに怒りをぶつける
・第3段階:取引 (Bargaining)
死の恐怖から逃れるため、宗教的な祈りや「病気が治るなら何でもする」と