あらすじ
吉永小百合さん主演映画『いのちの停車場』シリーズ最終話。主人公は映画で広瀬すずさんが演じた看護師・麻世。
これで安心して死ねるよ。
ありがとう、ありがとう。
余命わずかな人たちの役に立ちたい――“熱血看護師”麻世が「緩和ケア科」で学び、最後に受け取ったものは。
震災前の能登半島の美しい風景と共に、様々な旅立ちを綴る感動長編。
患者さんの苦痛を取り、嫌だと思うだろうことをしない。
それが最後にできる最高の仕事。
まほろば診療所の看護師・麻世は、能登半島の穴水にある病院の看護実習で「ターミナルケア」について学ぶ。激しい痛みがあるのに、どうしてもモルヒネを使いたくないという老婦人。認知症と癌を患い余命少ない父に無理やり胃ろうつけさせようする息子。そして麻世が研修の最後に涙と感謝と共に送るのは、恩師・仙川先生だった――。
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緩和ケア病棟内で患者さん一人一人とのやりとりや、ケアの中で何が正しいのかの葛藤がありつつも、話が重くなりすぎないような工夫が沢山ありました。
医療系の方や、そうではない方にも「いのちの最期は何か」という事を問いかけてくれている気がします
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終末期の緩和医療について。今話題のマリファナの100倍の効果というフェンタニルが出てくる。アメリカのニュースなどを見ていると筋肉にまで作用してゾンビ化するくらいの麻酔薬。2人に1人がかかる癌が最後にはフェンタニルに頼るほどのつらさで息尽きるまで見守られるのならば尊厳死を採用しても良いのでは無いかと思う。
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吉永小百合さんが主演で映画化されたらしいシリーズ最終作品。たまたま書店で目に留まり、前2作があるとも知らず最終作から読んでしまいましたが、経験を積むためにと勧められて、まほろば診療所の熱血看護師・麻世は能登半島の病院で「ターミナルケア」の看護実習を受けることに。
様々な患者と出会い成長していきながら過ごす日々。すると、そこにはまほろば診療所に務めていた恩師・仙川先生がやってきて……
このシリーズ、とてもオススメです.*・゚ .゚・*.
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看護師の星野麻世が恩師である仙川先生の勧めで6カ月の緩和ケア病院で研修を受けることになり穴水町で生活する。研修2か月目で仙川先生が緩和ケアに入院することになり麻世に研修を勧めた理由が判る。死なない人間はいない。すべてのページに共感しながら読んだ。最高の一冊。
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2025.5.9
看護師、麻世ちゃんが緩和ケア科で実習。
終末医療って難しい…少しでも長く生きてて欲しいという家族の願いと専門家からの意見がぶつかることも、この人の最期はこれでいいのか、苦しみを取り除くことができているのか悩む医療従事者も。
寄り添いかたがとっても勉強になった。
“どこで生まれるかは誰にも選べない。でも、どこで暮らしてどこで死ぬかは、自分で選んでいいはず。誰にとっても守られるべき自由だ。”
仙川先生がまほろば診療所を急に退いて地元の穴水町に戻ったのは膵臓癌だった。
こんな寛容な生き方の人いるんだなぁ。
“人間、年をとったり病気になったりすれば、できないことが次々に増えてくる。そんなできない自分を受け入れるには、心の成長が必要だからね。最後にねこれも人生の味わいだと現状を楽しむこと。”
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緩和ケア病棟での日々の様子が書かれていて、どれも身につまされる内容でした。
人それぞれの生き方や、望みなど、いろいろな選択肢があるなかで、人生の最期をどのように迎えるか?
考えさせられる内容でした。
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私の理想は、末期がんと診断されて、治療は受けずに緩和病棟で亡くなることなんだ〜。
痛さ・苦しさだけは勘弁してほしいから。
我慢なんて絶対にしたくない。
主治医を北島先生に、担当を麻世ちゃんにお願いしたい。
生まれたら死ぬの当たり前だけど、生ききって死ななきゃダメよね。
すごく、あらゆる意味で勉強になりました。
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シリーズ最終話。
余命わずかな人達が心穏やかに過ごせるように…と心を配るスタッフ達が、まさにプロフェッショナルで素晴らしい。
言葉にすることもままならない人の気持ちまで汲み取るなんて、なかなかできることではない。
死が近づいてくると、精神が研ぎ澄まされてくるというし、耳も最後まで聞こえているのだそう。
自分が大切にされていることは本人もちゃんとわかっているだろうし、こんな最期は遺された家族にとっても救いになるだろう。
ラストはとっても悲しいけど、プロ意識の塊のような立ち振る舞いがかっこいいなと思った。
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エピローグが、なんて優しさが詰まっているんだろう。
舞台が石川だから、だろう。
温かな、でも間違いなく強い気持ちを感じながら本を閉じました。
本編はもう泣きました。
字が見えない程泣きました。
すんすんするくらい泣きました。
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心暖まる物語りだった。緩和ケア病棟それは終末医療に携わるドクターや看護士さん達の並々ならぬ日常のご苦労は大変なものだろうと思います!そして患者さんの親族へのご理解を得る努力には頭が下がります。患者の苦痛を如何にして取り除くかの決断は大変なものがある!良い本に出会えて良かったです。
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『いのちの停車場』から続く3作目。
余命わずかな人たちの役に立ちたいと看護師の麻世が、能登半島の穴水にある能登さとうみ病院の看護実習で「ターミナルケア」を学ぶことになる。
第一章 キリシマツツジの赤
大腸癌が肺にも転移している患者さんが、かなりの痛みがあるにも関わらずモルヒネを拒否する理由とは…。
第二章 海女のお日様
子宮体癌の患者がICDをどうするか…家族の判断は…。
第三章 親父のつゆ
末期の前立腺癌と重度の認知症を患っていても家族は、胃瘻をしても生きてほしいと願う理由は。
第四章 キリコの別れ
末期の肺癌患者が、親族は両親も含めて拒否な理由とは。
第五章 内浦の凪
仙川先生が、膵臓癌のため穴水町で終末期を過ごしていたことを知る。
最後まで楽しそうなのは?と麻世が聞くと仙川先生は〜
「機嫌よく生きる、と決心」
「あとは、死ぬまで成長、かな」
「人間、年を取ったり病気になったりすれば、できないことが次々に増えてくる。
できない自分を受け入れるには、心の成長が必要だからね。」
「最後にね、『これも人生の味わいだ』と現状を楽しむこと」
とても心に沁みる言葉だ。
きついとき、苦しいとき、こわいときに人は楽しくなんてできないけれど、考え方を変えるだけで残りの時間が楽しくもなる。
終末期の患者や家族と接することで、病を治すことはできないけれど最後まで患者に寄り添い、心の苦痛を取り除くことを覚えた半年間。
最後は、お世話になった先生にもたくさんのことを教わったと思う。
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あなたは、次の質問にどう答えるでしょうか?
『人生の最後をどうしたいかは、誰が決めること?』
あなたにも私にも人には必ず最期の瞬間が訪れます。それはある日突然に訪れることもあるかもしれません。日々ニュースになる交通事故をはじめとして私たちにはいつ何時本人も周囲も誰も予想しない中に人生の終わりの時を迎える可能性があります。
その一方で、余命○○ヶ月といった形で未来に人生の線引きがなされる場合もあるかもしれません。かつては周囲が全力で嘘をついて真実を隠そうとする時代もありました。しかし、本人にも包み隠さず真実が伝えられる、それが今の世の中です。結果としてそこには本人が『人生の最後』を認識しながら日々を過ごす、そんな時間が誰にだって訪れる可能性があるのです。
さてここに、『人生の最後』の時間に光を当てる物語があります。それぞれの人生を一生懸命に生きてきた人たちの『人生の最後』の時間を見るこの作品。そんな時間にそれぞれの最後の選択を見るこの作品。そしてそれは、『人生の最後』の時間を『患者さんの希望を第一にしよう』と『いのち』に向き合う医療従事者の思いを見る物語です。
『七十歳になるから、リタイアするね』という『院長の仙川徹先生が発した突然の引退宣言に驚』いたのは『金沢のまほろば診療所で看護師として働いてい』る主人公の星野麻世(ほしの まよ)。『まほろばに勤務して十一年になる』という麻世は、『これからは自由にやってよ。君たちなら大丈夫だから』と言い残し、早々に『住居をきれいに片づけ、生まれ故郷の穴水町に行ってしまった』仙川の行動が納得できず、『無責任だと思』います。しかし、そんな麻世の思いとは別に『一緒に働いていた白石咲和子先生が院長を引き継ぎ、診療所は新たな形で動き始め』ました。そんな中、白石から『仙川先生の暮らす穴水町の病院で』『緩和ケア病棟エキスパート看護実習(六か月)』の受講をすすめられた麻世は、そこが『終末期医療に携わる医師や看護師なら一度は見てみたい評判の病棟』であることもあり『二つ返事で引き受け』ます。
場面は変わり、『能登地方の医療を支える中核病院』という『能登さとうみ病院』の『緩和ケア科』で『特別実習生として』働きはじめた麻世は、『看護主任の妹尾理央子(せのお りおこ)』に『直接指導』を受けます。『星野さんにしっかり理解してもらいたいのは、必ずしも「緩和ケア=終末期医療」ではないということ』とオリエンで語りはじめた妹尾は、『症状が安定すれば退院…再び疼痛が悪化したら再度入院する…必ずしもお亡くなりになる患者さんばかりじゃない。元気に退院させることも大切な役割よ』という『緩和ケア病棟』の役割について説明します。そして、早速現場に入った麻世は『無我夢中』で最初の『五日間』を乗り切っていきます。そんな中、麻世に主担当となる患者として『503号室の久保田ルミ子さん』が割り当てられ、『初めての夜勤日を迎え』ます。『今夜の夜勤看護師は、妹尾先輩と私の二人』という中に、妹尾から『夜はスタッフが少ないから、受け持ち患者さん以外にも十分気を配ってね』と『501号室から510号室まで八床ある』『緩和ケア病棟』の各個室に入院している患者個々の注意点の説明を受ける麻世。『妹尾先輩と手分けしてすべての患者さんのバイタルチェックを終え、ひと息ついたとき、廊下から低いうなり声が響いてき』ます。それは、麻世が担当になった『七十四歳の大腸癌の患者』である『503号室の久保田ルミ子』でした。『癌は肺にも転移しており、呼吸機能の低下もあるため、鼻から酸素を吸っている』というルミ子のことを思い、『ルミ子さん、苦しそうですね』と『耐え切れずに口に』する麻世。『一般的な痛み止めでは苦痛を取れなくなってきて』おり、『癌の痛みを除去するには、より鎮痛効果が強いモルヒネ系の痛み止めを飲む必要があ』るルミ子。麻世は、『夜勤の仕事が始まったときから、モルヒネ系の鎮痛薬を飲んではどうかと、ルミ子さん自身に何度も尋ねてき』たものの『毎回、「いりません」と答え』られるばかりでした。『モルヒネが出ているんだから、使えばいいのに…』と『思いが口をついて』出てしまう麻世に、『そうね』と『思案顔にな』る妹尾は『すごく軽いモルヒネさえ、怖いから飲まないと言うのよ』と話します。『私、ルミ子さんの様子を見に行ってきます。モルヒネ系鎮痛薬について説明してみます』と言うと『503号室へ向か』った麻世が『ドアをノックする』と、『うなり声が止み、「どうぞ」という声がし』ます。『久保田さん、いかがですか?』と訊く麻世に『大丈夫です』と答えるルミ子。『痛むのは下腹のあたり、ですよね?』と訊く麻世に『…はい』と答えるルミ子を見て『激痛に耐えている。眉間のしわが強い』と思う麻世は、『相当、痛そうですね。軽い医療用麻薬を使ってみませんか?』と訊きます。それに『それって、モルヒネですか?』と訊くルミ子に、『そうです。飲み薬で、少量からです。まず試してみてはいかがでしょう?』と提案します。『すぐに答えは返ってこなかった。迷っているのだろうか。こういうタイミングこそ患者さんを説得するチャンスだ』と思う麻世は、『モルヒネというと、ちょっと怖い気がしますが、実は医療用麻薬はきちんと量が調整できるようになっていますし、痛みが取れて、副作用もほとんど出ないという状態を目指して使います…先生が最小限の飲み薬を処方してくれていますから』と『やや前のめりの説明』を続けます。しかし、『目をぎゅっとつぶったまま首を左右に振』り『私は、いい…』と言うルミ子。『かけがえのない時間を、こんなふうに苦痛にまみれたまま過ごさせてしまっていいのか。患者さんを説得しきれない自分が歯がゆ』いと思う麻世…という冒頭の短編〈キリシマツツジの赤〉。そんな麻世が『緩和ケア病棟』で患者一人ひとりの『いのち』と向き合っていく姿が五つの短編に渡って描かれていきます。
2024年11月20日に刊行された南杏子さんの最新作でもあるこの作品。”発売日に新作を一気読みして長文レビューを書こう!キャンペーン”を勝手に展開している私は、2024年9月に藤岡陽子さん「森にあかりが灯るとき」、10月に小川洋子さん「耳に棲むもの」、そして今月初には寺地はるなさん「雫」と、私に深い感動を与えてくださる作家さんの新作を発売日に一気読みするということを毎月一冊を目標に行ってきました。そんな中に、自らも医師であると共に感動的な小説を数多く発表されていらっしゃる南杏子さんの新作が出ることを知り、これは読まねば!と発売日早々この作品を手にしました。
そんなこの作品は、内容紹介にこんな風にうたわれています。
“まほろば診療所の看護師・麻世は、能登半島の穴水にある病院の看護実習で「ターミナルケア」について学ぶ。激しい痛みがあるのに、どうしてもモルヒネを使いたくないという老婦人。認知症と癌を患い余命少ない父に無理やり胃ろうつけさせようする息子。そして麻世が研修の最後に涙と感謝と共に送るのは、○○だった”
う〜ん、なんだかちょっとネタバレしてませんか!とツッコミを入れたくなる内容紹介に思わず○○と伏せ字を入れさせていただきました。これからこの作品を読まれる方には私のこのレビューまでとして、内容紹介は事前に読まないことをおすすめします。(この世にはネタバレしている内容紹介が時々ありますがこの作品はまさに直球ど真ん中です(笑))。
さて、そんなこの作品は内容紹介に『まほろば診療所』と出てくる通り、南杏子さんの代表作でありシリーズ化されてもいる「いのちの停車場」シリーズの三作目となる作品です。まずはそんなシリーズについてそれぞれの作品の主人公となる人物と共に振り返っておきましょう。
● 南杏子さん「いのちの停車場」シリーズ
・「いのちの停車場」(2020年5月27日刊): 城北医科大学病院の救急救命センターで、生え抜きの女性医師として働いていた白石咲和子が主人公。諸事情により大学病院を辞職し、故郷の金沢へと戻り『まほろば診療所』で訪問医療医として『いのち』と向き合っていく姿が描かれます。
・「いのちの十字路」(2023年4月5日刊): 医師国家試験に二回続けて落ち『まほろば診療所』でアルバイトをする中に白石との出会いを経て医師となり『まほろば診療所』で働きはじめた野呂聖二が主人公。突如世界を襲ったコロナ禍どっぷりな中の医療現場で『いのち』と向き合う姿が描かれます。
・「いのちの波止場」(2024年11月20日刊): 『まほろば診療所』で看護師として働く星野麻世が主人公。『まほろば診療所』を辞めた仙川元院長の故郷である穴水町にある『能登さとうみ病院』の『緩和ケア科』に研修に行くよう白石から打診された麻世が『いのち』と向き合う姿が描かれます。
以上の通り、今までに「いのちの停車場」シリーズは三作目まで刊行されています。いずれの作品にも金沢にある『まほろば診療所』が登場し作品の舞台となりますが、この三作目は幾つかの点で少し趣きが異なっています。それは、「いのちの停車場」と「いのちの十字路」では、それぞれ白石咲和子と野呂聖二という医師が主人公を務め、舞台が『まほろば診療所』だったのに対して、この「いのちの波止場」では、看護師の星野麻世が主人公で、舞台が『能登さとうみ病院』の『緩和ケア科』であるという点です。自らも医師である南杏子さんの作品はリアルな医療現場を舞台に選ばれており、医師自身が描く医師の姿という強い説得力で読者を虜にして来られた、そういう印象があります。しかし、南杏子さんには看護師を主人公とした「ヴァイタル・サイン」もあり、同じ医療職をある意味で第三者的に見ながら描く物語は却ってその凄みを感じもします。いずれにしても主人公の職種も舞台も異なっているにも関わらず、読み終わって感じるのは紛れもなく前二作の延長線上にある物語です。そんな共通の雰囲気を感じる理由こそが、前二作同様に『終末期医療』の現場を描いているところです。違いは前二作が訪問医療の現場を描いていたのに対してこの作品では『緩和ケア』に光が当てられているところです。では、まずは『緩和ケア』とは何かを見てみましょう。
『緩和ケア病棟で患者さんが直面するのは、体の痛みだけじゃない。腹水、嘔吐、便秘、譫妄、抑鬱、不眠、不安、倦怠感、食欲不振……私たちはこれらすべての「つらさ」と向き合い、一つ一つの問題を解決する方法を絶えず考えていかなければならない』
『緩和ケア』というと『癌の痛みを取るところ』という『世間のイメージ』がありますが、決してそれだけではなく、さまざまな症状に悩まされる患者さんに向き合い、『少しでも快適に生ききるための医療やサポートをする』、そういった役割があることが語られます。そこでは、私たちが一般に認識していることが必ずしも正しいとは限りません。
『同じ医療であっても、患者さんの状態によって「救命治療」が「延命治療」に変わりうる』
『心臓マッサージや人工呼吸器』というと私たちは『救急車で運ばれて来た患者さんに行われる』行為のことを思います。これらはまさしく『いのち』を救うための『救命治療』です。しかし、同じ『心臓マッサージや人工呼吸器』を『老衰や癌の末期で命を終えようとしている患者さんに』対して行うと、それは『延命治療』になってしまう、物語ではこの違いについて丁寧に語られていきます。ここに『いのち』とどう向き合うかの選択が繰り返し語られていきます。
『ある一線を越えると、治療がかえって患者さんを苦しめてしまう』。
これにはハッとさせられます。この作品では『延命治療』の中に昨今問題視されるようにもなっている『胃瘻』のことについても語られますが、『緩和ケア』の現場で何が行われているのか、そのリアルが南杏子さんの説得力ある記述によって語られていきます。
『亡くなっていく人を支える医療は、それまでの医療と違っていいと僕は考えている。それぞれの患者さんごとに、その人が苦痛なく死を迎えるための医療を具体的に見極めなければならない』
研修に赴いた『緩和ケア病棟』で、『患者さんの希望を第一にしよう』と患者一人ひとりと向き合っていくことの大切さを学んでいく麻世。そこには、『いのち』の重さをリアルに感じざるを得ない場だからこその説得力ある物語世界が描かれていきます。『いのち』に真摯に向き合っていく人たちを描く物語の読み応えは半端ではありません。
この作品では〈プロローグ〉と〈エピローグ〉に挟まれた五つの短編が連作短編を構成しています。そこには、それぞれの人生を生きてきた先に『緩和ケア』を選択した患者が順番に取り上げられていきます。では、そんな中から、三つの短編をご紹介したいと思います。
・〈海女のお日様〉: 『致死性の不整脈に対処する目的で、「植え込み型除細動器」(IDC)を胸に入れる手術を受けていた』という元海女の中村照枝。『超小型のAED』とも言われる『IDC』が体内に埋め込まれたことで『うちの体は不死身になったさかい』と言う照枝ですが、『子宮体癌のステージⅣ、癌細胞が全身の臓器に転移した末期の状態』で『緩和ケア病棟』に入院しています。『入院時は癌が背骨や腹膜に転移したことによる痛み』に苦しめられていたものの『北島先生による医療用麻薬の調整』が『量もタイミングも的確』だったことで、『とても穏やかな表情になり、よくおしゃべりするようになった』照枝は、麻世に『海女の仕事』を説明します。しかし、そんな照枝の『意識レベルが急速に下がり始め』ます…。
・〈親父のつゆ〉: 『末期の前立腺癌と重度の認知症を患ってい』る七十七歳の大山寛介。『誤嚥性肺炎で呼吸機能が完全には回復できて』いないという状態で入院した寛介は、『長寿庵』という蕎麦屋を営んでいました。そんな店を継ぐ長男を含む家族を呼んで『緩和ケア病棟』の考え方を説明する場を持った医師の北島。『亡くなるまであと一か月』と丁寧に現状を説明するも『何日くらいしたら親父は退院できっけ?』というような質問に終始し、現実を理解しない家族は『親父の病気が治るわけでないんやね。緩和ケア病棟って、何もしてくれん所やな』と不満を述べるばかりです。そんなある日、『消化器内科の病室で、患者さんのご家族さんが暴れています』、それは『緩和ケア病棟に入院されている患者さんの家族…』と緊急通報が入り…。
・〈キリコの別れ〉: 『お世話になっています。古谷茂の両親ですが、病室を教えていただけませんか?』と『ナースステーション』を訪れた二人組に『あ、古谷さんのご両親様ですか。私、担当看護師の星野麻世と申します』と答えた麻世。『末期の肺癌患者』という古谷茂のことを思う麻世は『面会記入票に名前と電話番号』の記入を依頼します。体温測定をして部屋に案内しようとした時、『星野さん、ちょっと待って!』と妹尾に声をかけられた麻世。『面会管理ノート』を開いた妹尾は『ここ、必ず確認してね』と指を指します。そこには、『それぞれの患者さんから出された「面会拒否」の希望』が書かれていました。古谷の欄に『友人のみ可、親族は両親も含めてすべて拒否』という記述を見た麻世は…。
三つの短編をご紹介しましたが南杏子さんは前二作同様、それぞれの短編に医療の現場で問題になっている事がらを一つずつテーマに取り上げて物語を作り上げられています。冒頭にご紹介した〈キリシマツツジの赤〉では、『モルヒネ』がそれにあたります。『激痛に耐え』るルミ子は、それでも『モルヒネ』の使用を躊躇します。『モルヒネ』とは『医療用麻薬』のことであり、それがどういったものであり、そのメリットとデメリットが丁寧に説明される中に、それでもルミ子が『モルヒネ』を拒み続ける理由に光が当てられていきます。そして、他の短編でもそれは同様であり、『救急治療』と『延命治療』の違いを見せる〈海女のお日様〉、『認知症も最終的には死に至る病』という事実を突きつける〈親父のつゆ〉、そして患者が望む『面会拒否』という考え方の重みに光を当てる〈キリコの別れ〉というように、どの短編も私たちが普段よく理解しないままにいる事ごとに深く切り込んでいきます。そして、これが凄いと思うのはどの短編も数十ページの分量の短編にも関わらず、まるで長編を読んだかのような読後感が得られる見事な起承転結の物語が形作られているところです。そんな短編の最後に、最後の短編〈内浦の凪〉が用意されています。このレビューでは一切触れませんが、そこには「いのちの停車場」シリーズの最後をこれ以上ないくらいの説得力で締め括る、『いのち』というものに誠実に真正面から向き合う”旅立ち”の物語が描かれていました。
『もうすぐ死ぬのか ー そう思うと、ちょっと怖いだけ。死ぬのは初めてだからね』
そんな思いも抱きながら、『いのち』の最期の瞬間を迎える人たちと真摯に対峙していく『緩和ケア病棟』で働く看護師の”お仕事”と、その心が揺れる様を描くこの作品。そこには、「いのちの停車場」シリーズを総括するが如く描かれていく『いのち』の物語がありました。医師でもある南杏子さんの説得力ある医療現場のリアルに息を呑むこの作品。人の最期の瞬間を見届けてくれる『緩和ケア』への理解が間違いなく進むであろうこの作品。
自分にもいつか必ず訪れるであろう最期の時間に思いを馳せる読書の時間。素晴らしい作品でした。
Posted by ブクログ
終末期医療の緩和ケア科で奮闘する看護師の麻世ちゃんの物語。
麻世ちゃんは、前作よりも落ちついた印象に様変わりして、読み手としても読みやすくなりました。
それだけ麻世ちゃんが成長したってことなのかな?
最後の仙川先生のくだりでは涙が流れた。別れが分かっていても、別れは怖いし悲しいよね。。。
また、北島先生は厳しいながらも患者さん思いで、信頼出来るなあ、と思った。
実際には、野呂っちみたいな先生は絶滅危惧種だろうから、私は北島先生みたいな先生に(今後)出会いたいなあ。
また、次回作がありますように。
野呂っちと麻世ちゃんの活躍がみたいです。
Posted by ブクログ
終末期の緩和ケアについて、よくわかった。
能登さとうみ病院の北島先生の言葉が印象的だった。
「心地よく死ぬための医療」
病気を治すための医療とは違い、死ぬための医療。
一歩間違えれば、医療ではなくなってしまう。
医療従事者が学んでいかなくてはならない分野なのだろうと思う。
Posted by ブクログ
緩和ケアについて考えることができる物語。
続きものみたいだが、単発読みでも可。
主体は患者であること…、当たり前のようだが、当たり前じゃない世界なんだろうな。
主人公が純心なところが良いところでもあり、イライラさせられる感じでもある。
Posted by ブクログ
ますます高齢化社会に突入していくなかで、死に方を選択する自由も大きな議論になっていくと思う。希望通りに行き希望通りに死にたい。苦痛に耐えながら死ぬのは辛すぎる。全体的に能登のゆったりとした自然を満喫したエンディングだったのに、その後に襲って来た能登半島地震をエピローグで描かれている。町が修復され、日常が戻っていく過程を命を救うプロセスに似ていると述べられいる。『人間は自然の力には逆らえないけれど、自然とともに生きることはできるんだよなあ』という言葉が胸にしみる。
Posted by ブクログ
シリーズ最終話。
能登さとうみ病院の緩和ケア科に実習として赴いた
看護師の星野麻世。
様々な患者とその家族に関わることで学んでいく。
痛みをどのように対処するか。
医師と看護師は葛藤しながら最善を探す。
北川医師の言葉
P251
〈死ぬための医療〉
〈より苦痛なく死を全うできるよう、
患者さんを支えるために緩和ケアがあるのです〉
少し怖い感じの北川先生だが
患者第一の考えに、この先生なら間違いない。
と、思ってしまう。
P262
〈いのちの旅路に寄り添うこと〉
麻世は、最後まで寄り添うことができたのだろう。
最終話ということだけれど
形は変わっても、その後を読みたい。
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物語の舞台は能登にある緩和ケア病棟。
人生の最後をここで迎える患者たちに、最大限苦痛を取り省き最期まで安らかでいられるように懸命に働く医師や看護師たち。
命が終わる瞬間までの様子が、とてもリアルで読み応えがありました。
病気を治すことを目的としない医療には
患者さんの人生と同じ数だけの正解があって、医療者も家族も最期まで迷っている。
自分はどう生きるのかと同じように、どう死んでいきたいのかも考えておかなくてはと思った。
Posted by ブクログ
連作短篇5篇
緩和ケア病棟のいろんなケースとその対応、家族の気持ちではなく患者自身の気持ちに寄り添う事など当たり前のことが難しいと気付かされた。最後、仙川先生自身の患者としての在り方、とてもお見事でした。
Posted by ブクログ
今作の舞台は能登の穴水町。
穴水といえば牡蠣祭りが有名。何度か行ったが本当に美味しくて安い。
緩和病棟だから全ての話は死で結ばれる。ちょっとしんどい。でも末期癌のイメージが痛くて辛くてというものから少しでも痛みをコントロールして最後まで人間らしく患者の希望に寄り添った看護計画がたてられることに希望が持てた。
能登が一日でも早く復興することを祈ります。
Posted by ブクログ
金沢のまほろば診療所から穴水の緩和ケア病棟に研修に来たのは看護師星野麻世。鎮痛剤を使いたくないと言う患者、機械を埋め込んだ患者、認知症の蕎麦屋店主、親の面会NGの患者。
自分が死にかけたらこういう所に入院したい。読む側が患者側からも医療側からも死を真摯にリアルに考える機会をくれた。
Posted by ブクログ
慕っていた仙川先生の近くにいることになった看護師の麻世ちゃんの能登の緩和病棟での葛藤
[人間、年を取ったり病気になったりすれば、できないことが次々に増えてくる。そんなできない自分を受け入れるには、心の中成長が必要かだからね」
不完全な自分を受け入れて、さらにそれも人生の味わいとして楽しむ…
一筋縄ではいかない緩和病棟の大変さ。患者とその家族、担当医師との間を取り持つ看護師の負担も伝わってくる
仙川先生は最後にカンファレンスに参加して自分の死に方、死場所、見守ってくれる信頼のおける看護師まで近くにつけて見事な最期だ
Posted by ブクログ
自分にとって「幸せな死に方」ってどんなだろう?
緩和ケアについて書かれた小説を読んで、そんなことを考えてみるのも良いのではないでしょうか
まぁ、多くの人の意見にぽっくり行きたいってのがあるよね
俗に言うペンペンオシリじゃなかったピンピンコロリってやつよね
「病気に苦しまずに元気に長生きしてコロリと死ぬこと」だそうです
まぁ、子どもたちに迷惑かからんから良いだろうなぁとは思うけど、家族に見守られながら静かに目を閉じるみたいな、ドラマのワンシーンみたいなんも捨てがたいよね
高原の病院でね
最悪なのはやっぱり痛いやつよね
最後の瞬間まで痛みに悶えながら死ぬやつよね
それは絶対嫌よね
そこで緩和ケアですよ、奥さん!
ありがたい
もし自分がそんなことなったら絶対ありがたいって思うよ
だってむっちゃ痛みに弱いもの
ヨワヨワ大臣だもん(何担当やねん)
そしてできれば心配の種が残らない状態で死んで行きたいな〜
そうなるとやっぱ相当頑張んないとな
死ぬのもなかなか大変やでこりゃ
Posted by ブクログ
人生最期の日々、穏やかな能登の内海眺めて逝ければ…と牡蠣小屋での一杯思い返しながらも、そんな単純な話でもないと。地震からの復興を治療に例えたのはストンと腑に落ちた。キリコの祭りの季節にまた訪れたくなった。緩和ケアの本質「治すことー時々、和らげることーしばしば、慰めることーいつも」看護師も医師も大変。せめてワガママな患者にならないように「何があっても機嫌よく生きる」「死ぬまで成長」「これも人生の味わいだと現状を楽しむ」こと肝に銘じて。
Posted by ブクログ
金沢のまほろば診療所の看護師麻世ちゃんの、能登半島穴水町の病院での緩和ケア病棟実習の様子が物語となっている。そこはまほろば診療所を急に引退した仙川先生のふるさとであり、釣りをしながらのんびりと過ごす姿を心強い存在はとして実習に臨んでいく。
元気に退院することのない患者さんへの親身なケアが、時に自身の思い込みが強くなってしまう麻世ちゃんに、仙川先生や病棟の北島先生、先輩看護師の妹尾主任たちは、その人の人生の背景を知って望みに寄り添うことを教えてくれる。
より良いお別れをするためには、家族も本人の気持ちをどれだけ汲み取れるかによるのだと感じた。仙川先生も人生の終盤をふるさとの海と旧友に囲まれて暮らすことを望んだように。