【感想・ネタバレ】サイレント・ブレス 看取りのカルテのレビュー

あらすじ

誰もが避けては通れない、
愛する人の、
そして自分の「最期」について静かな答えをくれる、
各紙誌で絶賛された現役医師のデビュー作。
2018年6月21日のNHK「ラジオ深夜便」にて紹介され、話題沸騰中!


「生とは何か。死とは何か。答えの出ない問いへの灯りのような一冊」(書評家・吉田伸子さん)

「本書を読んで何よりも私は、救われた、と感じた」(書評家・藤田香織さん)


大学病院の総合診療科から、「むさし訪問クリニック」への“左遷”を命じられた37歳の水戸倫子。そこは、在宅で「最期」を迎える患者専門の訪問診療クリニックだった。命を助けるために医師になった倫子は、そこで様々な患者と出会い、治らない、死を待つだけの患者と向き合うことの無力感に苛まれる。けれども、いくつもの死と、その死に秘められた切なすぎる“謎”を通して、人生の最期の日々を穏やかに送れるよう手助けすることも、大切な医療ではないかと気づいていく。そして、脳梗塞の後遺症で、もう意志の疎通がはかれない父の最期について考え、苦しみ、逡巡しながらも、大きな決断を下す。その「時」を、倫子と母親は、どう迎えるのか?

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大学病院から訪問診療クリニックに異動になった女医のお話


・ブレス1 スピリチュアル・ペイン
乳がん末期の中年女性
治療を放棄し、死ぬために家に戻ってきたという

キューブラー・ロスが提唱した「死の受容の5段階」は何となくは知っていた
・否認と孤立 (Denial & Isolation)
死の告知を信じられず、検査結果の間違いを疑うなど「まさか、自分が」という状態
・第2段階:怒り (Anger)
「なぜ私が」という不公平感から、周囲の人々、医師、神などに怒りをぶつける
・第3段階:取引 (Bargaining)
死の恐怖から逃れるため、宗教的な祈りや「病気が治るなら何でもする」と神や医師と取引を試みる
・第4段階:抑うつ (Depression)
病気が治らない事実、悲しみ、絶望感により無口になり、何もする気力がなくなる
・第5段階:受容 (Acceptance)
最終的に自分の死を静かに受け入れ、希望や穏やかな気持ちを持つ段階

私の場合、否認や怒りはそんなにないような気がする
取引も、差し出せるようなお金も精神性も持ち合わせてないので、すぐに終わりそう
でも、読みたい本や続きが気になるマンガなんかは多数あるので、それが読めないという絶望による抑うつは大きいかもしれない


・ブレス2 イノバン
ボランティアを募って介護体制を整えるあたりは「こんな夜更けにバナナかよ」を思い浮かべた
あっちは、筋ジストロフィーだったかな?

例え病気でも自分の行動を制限する事なく自由に生きて良いというメッセージを感じるけれども
その傍らで、命がいつ途切れるかもわからない状態で看護する立場のプレッシャーも理解してしまう

人工呼吸器がなければ生きていけない人の家の電気が止まるかもしれない状況を放置するのって、未必の故意に当たるのでは?とも思う
だからと言って一概にその人を非難もできないなぁ


・ブレス3 エンバーミング
疎遠だった兄がいきなり帰ってきて、治療方針に色々と口出しする状況
「カリフォルニアから来た娘症候群」そのものですね

それにしても、兄の行為は殺人じゃねぇの?と思うけど、それも含めての脂肪診断書の描写になってるのだろうな
医師が看取ってるので、行政解剖も司法解剖も行われない
場合によっては尊属殺人なんだけど、殺意はない過失致死ではありえる

母親に永く生きていて欲しいと望む割に、生前から仏具を用意する行為に違和感を覚えたけど、なるほどそんな理由でしたか
まぁ、結果的にそれが裏目に出た結末は若干溜飲が下がる
祭祀財産というのは知っていたけど、生前に購入するのはいいのだろうか?


・ブレス4 ケシャンビョウ
言葉を話せない身元不明の少女
発見当時「オーロラ」と言った以降は何も話さない
しかし、植物の知識に関しては詳しい
そんな少女を一時的に保護した夫婦

身元不明人の戸籍は作れるのだろうか?
それができるなら、見た目が日本人っぽい人であればいくらでも戸籍を作れてしまうのではなかろうか?
まぁ、色々なハードルはあるけど、実際問題として戸籍を作ることができれしまうんですよね

ただ、外国の子を養子にするとなると、それはそれでもっと高いハードルがある気がする


・ブレス5 ロングターム・サバイバー
がん治療の権威である教授が末期癌という状況
そして治療と延命措置を一切拒否している
しかし、とある見舞客が来た後に、疼痛治療だけは受け入れ、動けるうちに外出して会っていた人達とは?

初期で見つからなかった癌のイメージとして、寛解はしても完治は中々難しいとと思っている
ただ、長期間生存する人もいるのも知っている
その違いって何なんですかね?

印象に残ったセリフとしては
「死は負けじゃない。安らかに看取れないことこそ、僕たちの敗北だからね」
という言葉

死が負けだとしたら、人間はいつか必ず死ぬんだし、負け確定だと思うのだけど
そう思わない医師も多いのだろうか?

医師の役割って、昔は治療が第一と思われていたけど
治療も大事だけど、患者のQOLも大事という考えが20年以上前から根付き出したように感じている

それぞれの人生を、どう過ごすのかは、それぞれの患者さん毎に違うわけで
そんな個々人の希望に沿った医療を受けられるようになって欲しいなぁ


・ブレス6 サイレント・ブレス
倫子先生の父の看取り
脳梗塞で寝たきりになり、意思疎通もできない状態で長年経っている父と、恢復の望みを捨てない母
医師であるが故に、父の状態と今後がわかってしまう倫子



全編通して、一番心に残ったのは
「死は『負け』ではなく『ゴール』」という言葉

前述の通り、死が負けなら全人類皆負けは確定してしまうわけで
負けではなく「ゴール」ならば、そのゴールに向けてどう生きるか、生きたかを考える事ができるようになる

私自身の死生観としては
他の本を読んだときにも書いたけど
両親が終末期を迎えたら本人の意思を尊重したいし
でも他の家族が違う主張をしたなら、反対意見は言うけど、結局は判断を他の人に委ねると思う

もし自分が終末期や困難な病気になったら
両親が生きているなら逆縁はよくなかろうと思って治療する気がする
でも、もし両親が既に亡くなっているなら、そのまま死を受け入れるかもしれない
できれば、周囲の人に感謝し、笑って死んでいければいいなぁとは思うけど、病気になってからそうなるためには普段からそうあらねばならないのでしょうね

もし自分が意思表示できる状態であれば、人工呼吸器、胃瘻その他諸々の延命措置は拒否したいけど
こればっかりは実際になってみないとわからないからなぁ

とりあえず、私のQOLの基準としては、本を読めなくなったり、アニメや映画などの映像作品を楽しめなくなるような状態だったら治療を拒否というスタンスだろうか


ところで、何よりの疑問なんだけど
ケイちゃんは何故変な料理を作るのか?

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「死んでいく患者も、愛してあげてよ」
命の終りを真摯に見つめる現役医師による、感涙のデビューミステリ。
現代の終末期医療の在り方を問う、渾身の書き下ろし。

大学病院の総合診療科から、「むさし訪問クリニック」への“左遷"を命じられた37歳の水戸倫子。そこは、在宅で「最期」を迎える患者専門の訪問診療クリニックだった。命を助けるために医師になった倫子は、そこで様々な患者と出会い、治らない、死を待つだけの患者と向き合うことの無力感に苛まれる。けれども、いくつもの死と、その死に秘められた切なすぎる“謎"を通して、人生の最期の日々を穏やかに送れるよう手助けすることも、大切な医療ではないかと気づいていく。そして、脳梗塞の後遺症で、もう意志の疎通がはかれない父の最期について考え、苦しみ、逡巡しながらも、静かな決断を下す――。その「時」を、倫子と母親は、どう迎えるのか……?

「サイレント・ブレス」とは
静けさに満ちた日常の中で、穏やかな終末期を迎えることをイメージする言葉です。多くの方の死を見届けてきた私は、患者や家族に寄り添う医療とは何か、自分が受けたい医療とはどんなものかを考え続けてきました。人生の最終末を大切にするための医療は、ひとりひとりのサイレント・ブレスを守る医療だと思うのです。 著者


6人の患者に秘められた、切なすぎる謎とは―??

ブレス1 スピリチュアル・ペイン 知守綾子(45歳) 乳癌末期
延命治療を頑に拒否する綾子の元を頻繁に訪れる謎のスキンヘッドの男。家族が誰も知らないその男に綾子が託した思いが、彼女が死を迎えるとき明らかになる。

ブレス2 イノバン 天野保(22歳) 筋ジストロフィー
介護が必要な息子を置いて、母親は家を出てしまった。自分で介護のボランティアを募り、楽しく生活していた保だが、なぜ、最期の夜だけ誰も呼ばなかったのか?

ブレス3 エンバーミング 古賀芙美江(84歳) 老衰
一度は胃瘻を拒否し、穏やかな最期を選んだ芙美江だが、息子の懇願で翻意する。しかしその胃瘻がもとで苦しんで逝ってしまう。そして、彼女の遺体が消えたが、それは息子の企みだった。

ブレス4 ケシャンビョウ 高尾花子(推定10歳) 言語障害
高尾山に捨てられていた美少女・花子。土産物店の初老夫妻が面倒を見るが、一切、言葉を話さない。ある日、花子は突然卓上の料理を投げ捨て逃げ出し、妻はその後、急激に体調を崩し緊急搬送されてしまう。

ブレス5 ロングターム・サバイバー 権藤勲(72歳) 膵臓癌
消化器癌の権威・権藤教授が末期の膵臓癌に侵されたが、積極的な延命治療を拒絶した。そして、競馬場、巣鴨、動物園……と謎の外出を繰り返す。癌治療の名医が人生の最期に知りたかったこととは?

ブレス6 サイレント・ブレス 水戸慎一(78歳) 脳梗塞
倫子の父・慎一は、8年前に脳梗塞で寝たきりになり、今は一切意思の疎通が図れない。父はこの状況を望んでいたのか? 几帳面な父が、なぜ「遺志」を残していなかったのか疑問に思う倫子は、母の行動に疑いを持つ。
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2026年03月19日

Posted by ブクログ

自分の最期くらい自分に決めさせて欲しいと思うけれど、自分の最期って自分のことではあるけれど自分だけのものではない。
自分が自分の事をコントロールできなくなってしまった後も、この世を去った後も日常を続けていく人がもちろんいて、その人と自分の願う最期が違うなんて事は往々にしてあるのだと現実を突きつけられました。

自分の最期を自分の望んだ形にするためにはきっとたくさんのやり取りが必要だろうし、大切な人の最期が本人の思う形であるためにはそれを受け止める自分のエゴと戦わなければいけないことも珍しいことではないのだろうと思います。

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2026年01月12日

Posted by ブクログ

南杏子さんの作品を読むのは2冊めです。一部異なりますが、終末期医療が主なテーマです。
長く生きることが難しいと告知された状態、もしくは一人では何もすることができない状態で、延命のための治療を望むか望まないかを家族に判断させるのは酷だなと感じます。理想は生きているうちに自分自身で望む方針を残すことかと思いますが、それも中々難しいことです。
自分の生き方で最後を迎えたいという終末期の患者に寄り添う、これから先益々必要になる大切な医療であると思いました。

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2026年01月12日

Posted by ブクログ

サイレント ブレス
静けさに満ちた日常の中で、穏やかな終末期を迎えることをイメージする言葉。

ブレス1 自分の介護で義妹の貴重な時間を使わせたくない、弱みを見せず人生の最後を「生きるため」自宅を選んだ綾子。
ブレス 2 筋ジストロフィー患者の22歳 保。明るく行動力がある。母親が戻ってくると願っていたクリスマスイブの夜、、、
ブレス 3 延命処置を拒む本人 1日でも長く生きてほしいと望む息子。財産分与、遺産相続問題
ブレス 4 身元不明の女の子、寒い中保護され優しい夫婦と幸せな時間。P222千夏さんが目を覚ましたという情報が入り喜ぶ二人。本当 良かった。
ブレス 6 母親のお父さんと別れたくない気持ちが辛い。意思疎通できない状態の父、お母さんにとってはかけがえのないパートナー。感想を書きながらも泣けてきます

考えたくないけど、いつかは訪れる最期、

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2025年11月14日

Posted by ブクログ

終末期訪問医療の看取りを描いた連作。南杏子さんのデビュー作。        最後の章では実父を看取る医師倫子。
南杏子さんが祖父を看取った時の出来事が着想になっているとのこと。リアルなだけに、私の母の最期と重なった。

人はひとりひとり違っていて
家族や環境も違っていて
死に対する考えも
死に至る病
100人いたら100通り。
最期の在り方は本人の希望に従うのが一番だが、意思表示できるとも限らない。

両親を看取ってから、次は自分だなと、強く自覚するようになった。
どう生きるのか、どう死を迎えるのか、
そのための貯蓄はあるか、子供達は自立できているか、常に頭の片隅にある。

離れて住んでいる義母の最期は、どうしようか。認知症が進んでいる今、本人の意思は確認するのが難しい。倫子のように、
仕事を休んで家で看取るのが理想かもしれないが、実際は簡単なことではない。
いろいろ考えさせられた。

南杏子さんは大学家政科を出た後、結婚し、海外出産をし、お子様が小学生のとき医学部に入り直して医師となった。

文体から知性と優しさを感じる。
地に足のついた考え方が伝わる。
尊敬に値する素晴らしい作家さんだと
改めて思った。

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2025年05月31日

Posted by ブクログ

死期を伸ばすだけの延命は望まない。
患者である母や見送る父と私が一貫してブレず穏やかな最期を見送ることができた我が家はとても恵まれていたのかもしれないと思った。

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2025年03月29日

Posted by ブクログ

私自身も訪問看護に転職して1年。病院とは違う働き方にたくさん戸惑うことも多い。この小説を読んで、いろんな患者さんのリアルな感じにも共感したし、水戸先生の戸惑い、考え方にも共感できた。
最後に自分の父を看取るところは、いろいろな思いを読み取れ、初めて小説で涙が出た。

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2025年02月16日

Posted by ブクログ

だいぶ前から持ってたけど、なんとなくいま必要な本な気がして、祖母のお通夜中の深夜に読んだ。
人は必ず死ぬ、順番なんだよ
ってところから最後お父さんを看取るところで涙が止まらなかった

死んだ人間に対してできること、今生きている人間に対してできることについて考えさせられた。

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2025年02月08日

Posted by ブクログ

いかに、納得できる死を迎えられるかを考えさせられる作品だった。自分の親も、年老いてきてそろそろ最期のことを話しておかないとなぁと思った。病気に立ち向かい長く生きていることが幸せなのは、回復した先があるからであって、死へ向かっている病気は命を長らえることだけが幸せではないんだなとわかる作品。わかっていても、親には長く生きていて欲しいなとも思い、本人が望んでいなかったらただのエゴだなぁとか、複雑な心境になった。
南杏子さんの作品も好き。お医者さんの書いてる小説がやっぱり好き。

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2024年07月14日

Posted by ブクログ

南杏子氏の小説を読むのは2冊目だが、本書が著者のデビュー作らしい。
著者は現役の医師であり、本書のジャンルは医療小説だ。患者や家族の描写がとてもリアルである。
ストーリーは、大きな大学病院から在宅医療のクリニックに不本意ながら出向になった女性医師とその患者たちの話。患者ごとに短編になっている。主人公の倫子(医師)の父親は脳梗塞で意識不明になって8年入院している。
自宅療養している患者たちの事情は様々である。患者とのやり取りは、倫子が大学病院で志してきた患者が1日も長く生存できるようにする医療が、患者にとって幸せなのかという疑問を突きつける。父に生き続けてほしい母と、終末医療の希望を書き残した父。倫子が下した決断は。
家族が病気で衰弱して亡くなる経験をした人には、共感できる小説だろう。年を取るほど人の死というものが身近になっていくものだ。自分が死ぬときは胃ろうとか延命措置は要らないと考える人でも、自分の家族には苦しい治療を強いてしまうこともある。いろいろ考えさせられた。

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2024年06月05日

Posted by ブクログ

迷いも痛みも苦しみも
悲しみも、

すべてここに描かれて
います。

死はゴール。敗北では
決してないと、

くりかえしくりかえし
優しく諭してくれます。

そして、母に伝えたい。

貴方は間違いなく私を
支えてくれている、

何もできなくなっても
生きているというだけ
で。

大切な人が病床にある
方にお薦めしたいです。 

文句なしの星五つです。

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2024年05月18日

Posted by ブクログ

自分も周りも、あがらうことなく死を受け入れることができるのか、本当に難しく、大切な問題だと思います。ぼくも理想はいわゆるピンコロリですが、いざその時が来たら死を怖がらずに受け入れらる自信はありません。そんな時に倫子さんのような人に看取って欲しいなと思いました。

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2024年04月06日

Posted by ブクログ

死にゆく人に何もしない選択があるとは、また、それがその人にとっての幸せかも‥とは、思ってもみなかった。
自分の家族の事を考えさせられる

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2024年03月29日

Posted by ブクログ

フィクションながら現役医師の作家のデビュー作でもあり、作家自身の体験が強く感じられる。「サイレンブレス」というタイトルと「看取りのカルテ」というサブタイトルも率直で好感もてる。作家の真面目さが感じられるとても良い本だ。

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2024年02月21日

購入済み

作者は現役のお医者様なので、介護の描写がリアルです。
私は今まで肉親や自分自身の死について真正面から向き合ったことはなかったのですが、この本を読みながら、主人公の医師、倫子の苦悩や迷いがそのまま自分のものであるかのような思いで読みました。

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2021年09月13日

購入済み

自分に置き換えて考えてみました

現場を経験された方だからこそ書けた作品だと思います。身内の死、患者さんの死、それらを通じて医師としてたくましく成長していく先生と共に読者である私も死についてもう一度深く考える機会をもうけることができました。死とは負けではないのだと自然の摂理なのだとあらためて学んだ気がします。

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2020年09月23日

購入済み

サイレント・ブレス

突然の死ではなく、死を迎えていく人がいて、そこにはそれぞれ物語があり、在宅医療専門のクリニックや先生など多くのサポートする人・家族など送る人がいる。それらを優し文章で暗くならない展開をしていくため、もっともっと読みたくなる素敵な本でした。これから死を送る人にもなり、死を迎える人なっていくであろう私にとって、それらを受け入れる励み、そのための生き様を考える参考になるような本でした。ありがとうございました。

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2019年08月28日

Posted by ブクログ

現在、父親が末期癌で既に胃ろうをしており、今後は緩和ケアに移ると言われて、改めて本小説を読み返した。数年前の祖父母が死ぬ間際にも読んでいたらしい。

改めて読み返してみると、その描写や心情が実感を持って読み直すことができる。私個人は、サイレントブレスという、終末期患者を穏やかに最後を看取っていく考えに同意している。

父が亡くなっていくことに悲しい気持ちはあるものの、それ以上に望まない延命治療によって、本人を苦しめる方が悲しい。余命の短い父とあとどれだけ後悔なく過ごせるかをきちんと考えないとなと。

余談ではあるものの、生老病死は誰しも避けられず、この世は一切皆苦であることを受け入れる仏教の世界がスッと入ってくるのは、死を間近で見てくるからなんだろうなと思ったりした。

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2025年12月24日

Posted by ブクログ

終末期の医療のあり方は、ようやく患者自身に選択肢が提示されるようになってきた段階です。ホスピスや在宅医療での緩和ケア、もしくは最期まで治療を頑張るなど多様化し、その決断を患者自身に委ねることを前提とするようになりました。

最期まで病気と戦い抜いてもいいし、残りの時間を大切なひとと共にできる限り穏やかに過ごしてもよい。当たり前のことですが、その選択の機会を奪われない社会の仕組みや、家族等の周りのひとたちの受容が必要とされていると思います。

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2025年05月27日

Posted by ブクログ

数日前に命の停車場を呼んだこともあり、既視感もあったが内容としては同じようにいい作品だった。
延命治療を望むかどうか、死に何度も触れてきた作者だからこそ、本作のような内容が作られるんだろうと思う。
解説も秀逸だった。

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2025年01月17日

Posted by ブクログ

ネタバレ

・あらすじ
Audibleで視聴。
大学病院の総合診療科に勤める倫子は、教授から訪問診療への異動を命じられる。
当初は急性期医療とかけ離れた「診療」に戸惑っていた倫子だったが、死にゆく患者に対して「医者」として己に何が出来るのかを自問自答していく。

・感想
医者は病気を診るプロ。
でも現代では医者はトータル的な視点を持って「人間」を診る、全人的医療が必要とされている。
本来であればチーム医療でそれぞれ役割分担ができてればいいけど中々そうもいかない現状もあるのがもどかしい。

でもなーー思想哲学している現場の医者なんかほとんどいないよ。
業務の多忙、過大な責任、訴訟対策。
諸々の問題もあるけど、ただ「勉強が得意だから」で選んだ人間が大半だろうし。
そして「老い」と「病気」を区別できない、老いを認められない国民ばっかり。
自然治癒も回復も不可能な「老化」に際限なくリソースを注ぎ込む現代日本社会。
個人的には老化による脳の機能低下に対しても「認知症」という「病名」をつけて「治療」する現状に辟易してる。

「死」は悪、忌避すべきものとして見ないふりしたって人間なんていつでもどこでも誰でも「必ず死ぬ」ということは絶対的事実なんだからそこを認めて「どうやって生きて死ぬか」という哲学を行うことが大事だと思っている。
現代日本では医療関係者にこそ「哲学的思想」が求められているんじゃないだろうかとここ数年思うようになった。
医療に携わる立場の人間として自戒を込めて。

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2024年12月03日

Posted by ブクログ

読みながら死ぬ時の事を考えた。自分の親の最期について。自分の、妻の最期について。
ひとつ選択肢が増えた事が読んで良かったと思う。

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2024年11月23日

Posted by ブクログ

終末期医療を題材にした作品。
とにかく殺人が起こる作品ばっかり読んでいたので、温度差がすごい。


死は「負け」ではなく「ゴール」、という表現があった。

昔から、寝たきりになって食事も自力で取れなくなったらその時はもういっそ延命せず安らかに死にたいと、そう思っている。
でも仮に自分ではなく、自分の周りの人がそういった状況になったとして、まして仮に自分がそれに抵抗できるかもしれない技術・知識を持った医者だったら、考え方は変わるかもしれない。
自分が頑張ったら、もしかしたら何とかできるかもしれないと、患者に「諦めるな!」と、そう思う気がする。

でもたぶん大事なのは、患者自身がどう思っているか、なんだろう。

滅多なことを言うもんじゃないが、
まだ元気なうちに自分の両親にも、万が一の時はどうして欲しいのか聞いておこうかな。

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2024年09月11日

Posted by ブクログ

在宅で最後を迎える患者の訪問クリニックに勤める医師の物語。
日常の中でおだやかな終末期を迎えることをイメージした言葉がサイレント・ブレス。
自分の最後をどのようにして迎えたいか、それは自分だけの思いだけでなく家族の思いもあり、そう出来るか否かの環境もある。
その時を考えて置かないといけないと思う気持ちと、どうなるのか予測出来ないとの思いでやっぱり決めるのは難しい。

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2024年03月31日

Posted by ブクログ

死への向かい方、終末医療について考えさせられる作品。
日本では安楽死が認められていない。そのために昔から「死ぬ権利」や「尊厳死」などが多く議論されてきた。
本作はその手の「こうあるべき」と声高に主張するでもなく、法改正のために社会を動かすべく犯罪に手を染めるミステリでもなく、現場を体験してきた医師の実体験に基づく死に向かい合う医療関係者の話だ。だからこそ荘厳で静謐、心がこもった描写は力強く胸を打つ。

偶然、今自分の母親が似たような状況にあるため、果たしてどうする事が本当に良いのだろうかと思いながら読み進めた。実際の在宅医療が綺麗事では済まない状況も描写されており、現実での難しさをひしひしと感じる。
ただ一つ言えるのは、死に臨んでいる当人が何を望んでいるのか。どうする事が当人にとって幸せなのか。それを考えることでしか答えは出ないように思う。

終末医療と訪問医療の理解を深める佳作だった。

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2024年02月26日

Posted by ブクログ

ネタバレ

いろいろな死の迎え方があるのは当たり前だけど、やっぱり本人の意思が尊重された死が理想だと思ってしまう。ただ、その人を取り巻く環境や社会的背景、制度の活用の有無など、、一人ひとりの人生も違うわけだからその最期を全員が全員理想的に迎えられる事は現実的に難しいことだなとも思う

医師の指示で動く看護職において、心が痛む終末期の事例もある。多忙な業務と並行しておこなう看取りに対して心にゆとりを持てない自分に嫌になったことがある。急変もあり、患者の最期に責任を持つこともある。「医師はふた通りいる。死に向かう患者に関心を持ち続ける医師か無関心な医師か。」という文中の台詞。医師の指示のもとでしか動けない部分と、そうでない部分。その中における看護でどれだけ自分の看護観を大切にできるかが大切だなって思った。年齢を重ねるごとに経験を増やすごとに擦り減ってるものにだけ目を向けないようにしたいーー

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2025年03月02日

Posted by ブクログ

こういう言い方は実に良くない。のだが、この手の話はどうやったって泣ける。ずるい。泣く以外の選択肢ない。

看取り、という題材の中でもクリティカルなのは、親子。そして夫婦。やめてほんと。小説で泣いてから、現実で笑うためのアクションがとれるような人には良いと思う。
同じ作者の、『いのちの停車場』を先に読んでいたが、こちらの方がデビュー作とのこと。確かに駆け出しは荒削りなようにも見えるが、エンディングでは涙腺へのハードパンチが待っていた。

だから、敢えてそのあたりを全て度外視した上で、3人目のカルテに出てくる「胃瘻」について触れたい。
いや、もう読み終わる前から語りたくて語りたくて仕方がなかった。

人は、食べる、という行為を失ったら死ぬと思う。心が死んでしまう。食べることと生きることは、ほぼ同義じゃないかと思う。もし自分の命に、自分以外の強い目的があれば、もしかしたら結果は違うのかもしれないが、胃瘻で笑顔を失う人を何人も見てきた。祖母もその1人だった。この小説の登場人物も、そうだ。それが重なる。

祖母は、誤嚥を防ぐ目的で病院側に処置された。その病院は、地域の人から殺人病院と呼ばれていた。全ては、葬儀が終わった後で知った話だ。

そこに入れてしまった家族の落ち度だと言われれば、その通りかもしれない。ただ、現実的に、咽かえり苦しみ喘ぐ親の歪んだ顔を前に、とりうる選択肢は決して豊富ではない。まるで坂を転げ落ちるように、終末期医療はその先に横たわっている。
奇跡は、、、ほぼ起きない。

その現実を知って、なお、立ち向かう意思をもつ。
作品中でも教えてくれる。死に立ち向かうのではなく、どう死ぬか、を逆算して考えておくのだと。
それが、泣くこと以上に、この作品に価値を与えているものじゃないかと思う。

自分の終末期医療は、今からもう始まっているのだ。

スーパーで、まずは人工甘味料を買わないようにしよ。
グッバイ!スクラロース!
(そういうことじゃない)

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2024年02月28日

Posted by ブクログ

終末期の在宅医療について知ることができました。癌の末期、筋ジストロフィー、胃ろう、エンバーミング、人身売買、死への覚悟、親のみとりなど考えさせられることばかりでした。そんななかで看護師のコースケ、ケイズ・キッチンのケイちゃんが
和ませてくれました。


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2024年11月25日

Posted by ブクログ

もし自分が終末期の患者だったら、延命するかしないかは自分で決めたいと思う。誰しもいつかは死ぬのだから。
要領が悪いというか患者さんの言葉を聞いたり寄り添ってくれる医師は終末期患者さんにはとても頼りになるお医者さんだと思う。

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2025年12月10日

Posted by ブクログ

命を永らえさせることだけが勝ちではない。死は決して負けではない。「医療」と「治療」は同義ではない。生きることをどのように全うするか、本人と家族が向き合うことの重みを感じる一冊でした。

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2025年12月04日

Posted by ブクログ

「死は負けではなくゴール」
本の最後の最後に出てきたこの言葉に
心から救われました。
これ以上手の施しようがないと、大切な人が医師に告げられた後の日々
何をどうしてあげたって後悔しか残らない。
3年経った今も昨日のことのように思い出して心が苦しい。
この物語の中には私と同じ気持を抱えている人がたくさん登場してくる。
こんな医療者、医療機関が増えて欲しいと心から願います。

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2025年04月08日

Posted by ブクログ

会社で関わることになる「医療ガス」→在宅医療、について知りたくて&おばぁちゃんに会いにいくタイミングだったことから手に取った本。
自分の死に方についての希望はなんとなくあるけど、自分の大事な人の最後に際して、
迷いなく本人の希望を叶えてあげられるのだろうか。仮にその希望が死期を早めるものだとしたら...

死ぬことは諦めじゃなく、ゴール。
積極的な治療を選ばないこともきっと、「諦め」とは違って、「生き方」な気がする。

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2024年10月02日

Posted by ブクログ

人それぞれの「死生観」に向き合い、考えさせられる作品。

母が「これ面白いで。あんたの仕事のやつやろ〜?読み終わったからあげるわ〜」と言って数年前にくれた小説。

この仕事の経験を積んだ今、読み直すと全く感じ方が違った。

そもそも、訪問診療と病院の医療とでは考え方の根本が全く異なる。
病院は最善の医療を行うところで、訪問診療はある意味、看取りの医療とも言える。

著者の南杏子先生は子育てをしながら、33歳で医学部に入られたそうで、それはもう想像を絶するレベルの努力家なんだろう。素直にかっこ良すぎるし、尊敬しかない。

しかし、ふと、癌末の患者さんに点滴をしている描写がさらっと書かれているのは少し時代を感じた。

「食べないから死ぬのではない。死ぬのだから食べないのだ。」

何処かで読んだ一説で、私が最もしっくりきた内容だった。

また、ブレス3のように普段介護をしていない遠方の親族にかぎって、患者さんにつらい治療を求めたりすることは実際にもよくある話しで。
作中では読み手が楽しめるようにドラマチックに書かれていたので、一番ミステリーっぽい場面ではあったが。

あと、私は訪問医がCPRを行う場面は見たことがない。

主人公の倫子先生のように、ここまで患者さんに寄り添って、頭を悩ませてくださる先生は、人としてめちゃくちゃ立派で優しい先生であるがゆえに、仕事に感情移入し過ぎても大変なものだな〜としみじみ〜

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2024年06月12日

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