望月衣塑子のレビュー一覧
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信念を持って、おかしい、ずるいところを追求して、真実を引き出していこうとする望月記者。権力者は手に入れた権力に溺れてしまいます。忖度されることに慣れてしまいます。そこを突き破る質問を投げかける望月記者。
正論を持って、追求する姿に反感を持つ人は少なからず居ます。望月記者はSNSでも叩かれています。それでも信念は曲げない。その姿は今の世の中では貴重だと思います。
私は記者にはなれないと思いました。精神的にも耐えられないと思います。しかし望月記者のような人が居なくなると怖いと思いました。望月記者の活躍を注視したいと思います。
映画も見てみたいと思います。
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Posted by ブクログ
本書の著者は、(元朝日新聞の)南彰さんと(東京新聞の)望月衣塑子さん。
両者とも安倍政権から数多くの圧力を受けているので、「ウソや言いわけ」をかき集めた批判本かも?と思っていた。
読んでみたらそんな自己満足に浸る要素は無く、淡々と事実の列挙に徹した内容だった。
南彰さんは「ファクトチェック」に早くから取り組んでいた人でした。
本書は「ファクトチェック」の手法の実施例だと気づいたので、
途中で中断して「ファクトチェック最前線」という本を先に読み、本書に戻ってきた。
最近はAIが生成した偽情報も蔓延しているから、ファクトチェックの重要度が増していると思う。
信頼する人が偽情報のリツイートやいいね!をすることもあり、誰もが騙されやすい環境にある。
「ファクトチェック」では判定のために参照した情報は何かを確認することも大切だ。
例えば「福島の海洋放出処理水」の放射能データが東電の測定結果だけだとすると信用できない。
「ファクトチェック」に当事者が関わると嘘や隠し事が混じるからだ。
チェックする人の考えや想像が入っていてもいけない。
「~なのでしょう」「~かもしれません」「~はおかしい」といった個人の感想は厳禁です。
本書のように、あくまでも事実の積み重ねだけで真偽を判定しなければならない。
信頼できるファクトチェッカーを知っておく必要がありそうだ。
チェック対象に選んだ発言は、予算委員会や記者会見でのものが多かった。
チェックという目的があるので、発言の一字一句を正確に再現している。
本書の性格上、精読が求められるので読むのに時間がかかった。
特に安倍総理の答弁は読んでいてイライラするし疲れた。
口癖の「いわば」「つまり」「まさに」「~の中において」「~なんですよ」が気になってしまう。
後に続く言葉が「いわば」でも「つまり」でも「まさに」でもない内容だし、
質問の答えでないことを長々と話すので何を言いたいのか伝わってこない。
対して菅官房長官は、ぶっきらぼうで短く「~じゃないですか」「それが全てです」「~はありません」と言葉が足らなすぎる。
本書はチェック対象の発言を、〇△×の3種類で判定しているが、本来は6種類ほどに分類しているようだ。
虚偽があれば × としており、虚偽の証拠となる文書も明記されている。
正しい場合は 〇 だが、嘘ではないが都合の良いデータを用いていたりする。
そのデータを根拠とすると真実が見えなくなるという、結論に合うデータを見つけてきたというもの。
△は個人の見解によって解釈が分かれるようなものが多いと感じた。
例えば、「状況はコントロールされている」という発言。
"状況は"が何の状況なのか不明確だし、どんな状態ならコントロールされたと言えるのかも曖昧である。
チェック対象はほとんどが政権側の発言だが、野党側の間違いも取り上げられていた。
そのうち一件が蓮舫さんだが、確かに蓮舫さんは勢いで未確認のことを口にする傾向があり反撃に遭いやすい。
それにしても安倍政権は、嘘や嘘を正当化する言い訳が多すぎた。
アメリカではワシントン・ポストがトランプ氏の発言のファクトチェックをデータベース化して公開していた。
日本ではどうなのか調べていないが、記者クラブに属している大手マスコミではできないだろう。
だから(集英社から)こんな本が出版されることになる。
議論の内容の「ファクトチェック」では、両者の発言がいずれも事実関係に誤りがなく○×判定ができないこともある。
単に言葉尻を捉えるのではなく、本質の問題は何かを明らかにすることに注意を払いたい。
あと、「文書はない」「文書は廃棄した」「記憶にない」「確認できなかった」という答弁が目立つ。
国の行政機関の文書管理が杜撰で、将来に証拠を残さないという隠蔽体質が心配になる。
日本は、きちんと記録を残し、保管、開示する仕組みを作り直さなくてはいけないね。 -
Posted by ブクログ
望月衣塑子さんは知っているが、前川喜平さんとマーティン・ファクラーさんは何か本を読みたいと思っていた。
メディアの問題を考えたかったこともあり、本書は自身の要求を満たすのにちょうど良かった。
この本は「安倍政権が、いかにメディアや教育に介入してきているか」などをテーマにした議論をまとめたもので、
議論から浮かび上がってきた言葉が「同調圧力」だった。
福島での汚染水放出に対する中国人の反応は、まさに「同調圧力」によるもので、中国の政権やメディアのコントロールが強く感じられる。
「日本の海産物は食べたくないですか?」に対し「その質問には答えたくない」と口を閉ざすのも同調圧力に屈しているからだ。
日本でもコロナ禍でのマスク着用強制やライブハウス・飲食店の営業非難など「自粛警察」が多発した。
これは歪んだ正義感によるもので「同調圧力」とは若干違う感じはあるが、個人攻撃がエスカレートする点では同じだと思う。
・第一章 記者の同調圧力(望月衣塑子)
望月衣塑子さんは、菅官房長官から露骨に嫌がらせを受けていたが、
それよりも同じ側にいると思っていた他社の政治記者から迷惑だと言われたことに憤慨している。
「お前がでしゃばるから、菅氏が機嫌をそこね、ぶら下がり取材の情報が取れなくなった」のがその理由だったらしい。
内閣情報調査室からの脅しも受けているし、官邸から望月記者を名指しした東京新聞への申し入れが9回も来ている。
こうした圧力がかかるから、記者クラブに属する政治記者は、政治権力側からの監視対象にならないよう"気をつけて"仕事をしている。
朝日新聞の南彰さんが、
「政府があらゆる記録を克明に残すのは当然で、議事録は最も基本的な資料で、その作成を怠ったことは国民への背信行為だ。」
と、そういうことをおっしゃった政治家(菅義偉のこと)もいるのですが、どなたか官房長官はご存知ですか?
と質問し、直接菅官房長官を攻撃したことがある。
政府側が「あいつ(南彰)は何とかならんのか」と言った相手が、他社の記者クラブの面々だったということが「同調圧力」の環境ができている証拠である。
このような状況は記者クラブ制度がもたらした弊害の最たるもので、権力の乱用の見張り番というメディアの使命を著しく損ねている。
「政府の方針にケチをつける者は許さない」という、どこかの国みたいな社会にならないように、各社の記者達の奮起を望みたい。
・第二章 組織と教育現場の同調圧力(前川喜平)
前川喜平さんが挙げるのは、文科省の体質と、安倍政権の教育への乱暴な介入。
文科省に限らず、各省庁で不毛な仕事とされているのが「国会答弁づくり」。
この仕事を振られると、まず「ウチじゃない」と断る理由を考え押し返すので「振り揉め」という言葉ができていた。
余計な仕事は作らない慣習が根付いているので、安易に仕事を受けるなという「同調圧力」があるという。
もう一つが、道徳教育の教科化で、検定に合格した教科書を使わせ評価まですること。
特に、安倍内閣が"教育勅語"の精神を復活させることに傾倒していることに憤りを感じていた。
戦前回帰の愛国主義、国や家庭のためなら個人を犠牲にするのが美徳であるという精神の押し付けに危機感を覚えた。
私も日本の文化を大切にすることに反対はしないが、
2017年の道徳教科書検定について、「パン屋」を「和菓子屋」に書き換えさせたことを覚えている(くだらないと思った)。
「伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度」つまり愛国心に関する扱いが不適切として修正させられた内容がこれだ。
今思えば、この道徳問題も某宗教の影響を受けており、国家による国民のマインドコントロールの手段として使おうとしていると感じる。
学校の先生たちは教育委員会や文科省の決め事には逆らえないので、同調圧力を受けながらの道徳の授業をしていると思うと気の毒だ。
・第三章 メディアの同調圧力(マーティン・ファクラー)
アメリカとの比較になりがちだが、日本のメディアを客観的に論じている。
ファクラーさんは、中国では頻繁に取材が妨害され何度も拘束されたという経験がある。
アメリカでもトランプによってニューヨークタイムズやワシントンポストがアクセスを断ち切られ、最高権力者にフェイクニュースとののしられてきた。
ロシアでは権力によってジャーナリストが摘発され、命の危険にもさらされる。
日本のジャーナリストの環境は恵まれているのに、日本の記者たちは何に怯えているのか疑問を呈している。
その理由としてたどり着いた結論は「記者クラブの制度が生み出す同調圧力」に怯えているということだった。
逆らうと仕事を奪われるという恐怖心を植え付けられている。
日本では役所の取材になると読売新聞でも毎日新聞でも同じような記事になる。
アメリカではそのような誰が記事を書いているのか分からないような新聞は売れない。
アメリカでは記者の署名を入れ、主語が「I」の記事を書くようになってきた。
主観的な記事で信頼性を競い合っているので、他社との差別化となる取材に力を入れ独自性を出している。
対して日本は取材対象者との円滑なコミュニケーションを維持するのが良しとされ、
受け取った大本営発表をそのまま記事にし、その裏で並行して実際に起きていた"事実"に踏み込めないでいる。
この体制は、民主党政権の時には出来上がっていた。
福島第一原発事故の時も、メルトダウンしていた事実や、放射線物質の拡散データも隠され続けた。
事故から3年も経って朝日新聞の特別報道部が報じた「吉田調書」のスクープ記事は大きな波紋を広げたが、
これはその時、原子力発電所の輸出を推進していた安倍首相にとって大迷惑だった。
当時ことあるごとに朝日新聞を名指しで批判していた安倍首相は、読売新聞と産経新聞に「吉田調書」のコピーをリークし、
朝日新聞の記事のミスを徹底的に攻撃させた。
残念だったのは、なぜか朝日新聞はここで特別報道部を縮小し権力監視を弱めてしまったことだ。
内部で何があったのか知らないが、権力に近寄り過ぎた多くのメディアの同調圧力に屈したようにしか見えない。
・座談会 同調圧力から抜け出すには
この問いに答はない。
人は死の間際に「じぶんがやりたいことをやっておけばよかった」と悔いるのだという。
親が言うから、組織の方針だから、と他人のせいにする言い訳に従って行動している限り同調圧力から抜け出せない。
自分の行動は、自分で考え納得し判断したものかを振り返ってみるといい。
私も「本当はこうしたい」と思っていても「同調圧力」軍団と戦うパワーがないから我慢してしまいがちだ。
一緒に戦う仲間を見つけることが必要だな。 -
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権力や社会の構造を見据えた幅広い視点からの批判的意見が満載された異色の書籍だが、お二人の視点が多方面に向けられていること、その対象をリスペストしながら辛辣なジャブを繰り出すことに感心した.安倍前首相を例にとると、知性の一かけらもないぼんくらにも拘わらず、長年首相と勤めた背景に、官僚の酷使と選別が忖度という醜い風潮を生み出したと考察していた.楽しい批評だ.報道機関の劣化も争点に上がっていたが、ジョージ・オーウエルの「ジャーナリズムとは報じられたくない事を報じることだ.それ以外のものは広報にすぎない. Journalism is printing what someone does not want printed: everything else is public relations.」は金言だと感じた.
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ネタバレ今から3年前2019年、当時の首相による日本学術会議の会員任命拒否問題は、政府による自由・学術・教育に対する介入であると大変な危機感をつのらせることになった出来事でしたが、自分の周りでこの件について同じようなことを考えていたり意見を交換したりということがあったのは、小学校教員である友人ただ一人との間でした。
そこにあるものの不穏さを感じ取った人が自分の周りにはあまりにも少なかった、と思います。
それから現在までを振り返ってみるとたった3年の間に自由というものがとても堅苦しく緊張の伴うものになってしまっており今なお進行形であると感じます。
気づいたら周りから固められてて自分は奇特な意見を述べる少数派になってる…という状況がたまに起きるようになり、うかうかと思ってることを言いづらくなりました。(例えばマイナンバーカードを持つことについてとか…)
組織の中でできる活動として、教育に関するおかしな介入や締め付けに抵抗している友人の姿を目の当たりにすると、自分も黙っていてはいけないと思うものの一個人でどんな風に「おかしいぞ!」とか「ふざけたことしてんじゃないよ」と世の中に問えばいいのか、問えるのかと無力感が正直あります。
大きな声を発することができなくても、周りがみんな朱くなっても自分が白だと思ったら白という意見を曲げない強さをせめて維持し続けたいと思います。
本書は、これからまた数年過ぎたところから本書が著された当時を振り返る、そしてその時の現実・現状を見直すという、考え続けるための一つの標となる一冊だと思います。
編集部によるあとがきにも勇気をもらいました。今後もこのような良書を出版し続けてほしいです。 -
Posted by ブクログ
国会で118の虚偽答弁を行い議会を空費させた安倍元総理。本書でチェックの対象として扱ってるのが、モリカケ、アベノミクス、安保関連、憲法、官房長官会見で、安倍元総理の発言だけでなく、菅元官房長官、稲田元防衛大臣、佐川元理財局長、その他閣僚、野党議員の発言も対象になっている。モリカケとセット(?)のサクラがないし、収賄で逮捕者続出の五輪関連もほぼないのだが、この2つが入ると新書の厚さには収まらないのだろう。なにせサクラだけで118だから。嘘の上塗りで収集がつかなくなっている森友学園問題や、自分に都合のいいように言い募るアベノミクス、安保関連、終始居丈高な菅官房長官の記者会見など、作為的な嘘もあれば不作為でただの思い違いというものもあるのだが、安倍元総理の発言に限っていえば、前者よりも案外後者が多かったような印象を受けた。不作為だから仕方がないということではない。曖昧な記憶にも関わらずその場しのぎなのに断定的だったりするのは、あとからちゃんと調べて違っていても謝罪すればいいとでも思っていたのだろうが、それだけ多くの人に無駄な時間を使わせることに対する気遣いのかけらもない。「晋三は情というものがないから政治家には向かない」という父安倍晋太郎氏の言う通りの人物像だと思う。議会でついヒートアップしてそうなってしまうというのは、安倍元総理だけに限ったことではないかも知れないが、安倍元総理はそれが強すぎる。言い合いで「相手に負けたくない」、この人にはその一心しかないのだろうかと思ってしまう。詭弁と強弁で難局を切り抜けてきた自らの成功体験がそうさせる、腹黒い謀略家というよりは生まれつきの嘘つきなのだろう。とにかく「不誠実」ということにつきる。
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Posted by ブクログ
一部ネットで嫌われてそうな論客たちからのメッセージ集。みなさん、日本から少しずつ自由が奪われていると危惧している。
ある一面の行動・発言が切り取られて批判されることが多い方々だが、その考えに直に触れると、国の在り方や自由について真剣に考えているのが分かる。
例えば表現の不自由展に携わった津田大介氏。近年、アートの世界では政権の意向に沿った展示しかできなくなってきたと言う。意向に反せば、補助金が下りないなど不自由を強いられるそうだ。
詳しく知らないが、おそらく、この展示は慰安婦像などを展示するのが目的ではなく、賛否両論のものを公の場で示すこと自体が目的だったのではないか。こうした国の動きに対する挑戦というか。
個人的には反日思想の展示など不愉快だし、する必要はないと思うが、一方で表現に規制がかかる危うさには怖さを感じる。こうした規制を許せば今後、反日的なものでなくとも、政府や権力者が、言論や表現に制約をかけられる世界になっていくわけだから。
アートの世界だけでなく、科学技術なども国の意向に沿わなければ補助金がなくなり、活動できなくなってしまう模様だ。それは果たして国民にとって健全な、豊かなことなのだろうか。賛否両論のものに対して全員が自由に発言できる世界、何事にも反対意見を出して議論できる社会、多面的に物事を考えられる世の中、そうしたものを守らなければ。などと思いました。