おおたとしまさのレビュー一覧
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気づき
今の子どもたちは24時間大人の監視下。
暴言や無視で子どもをいたぶるな!
表面的な厳しさは要らない。
しつけは現場でなくて良い、しつけはおまけ。
子どもが逃げていく前に、大人が自分から避難して。
自立したたくましい一人の男を育てるという、壮大なプロジェクトに参画している。
世界一の子どもに恵まれたという幸せを子どもにも伝播させよう。
ケンカ下手は相手を論破してしまう。
ルールのせいで思考停止人間に。
気持ちを聞いてあげることで9割満たされる。
今出来ていること
大好き、産まれてきてくれてありがとうと伝える。
自分のほうから謝る。 -
Posted by ブクログ
なぜ中学受験するのかというタイトルが若干煽り気味だが、根本は「なぜ中高一貫校がよいと思うのか」というところだろうか。中学受験の何をメリットとして考えるかデメリットと思うのか。根本が示されるので迷った時に立ち止まる指針が示されていて面白い。また偏差値でこの学校に入れねば(そうすればこの大学への道筋が)という考えではなく、どんな学校に入っても子どもが受験で何か身につけていれば、そして最終的に入った学校を正解にできればいい、という考えはとても共感できた。
子供の目が輝いているかというのは言うは易しだし、親としては色々な選択肢を見せてあげていいところに…と思ってしまいがちだが、まあきっとどこに行って -
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習い事って昔からやってる人はやっていたが、本当に最近の習い事は多種多様。機能別の家電みたいだなあと思っていたところに読んだ。
結論としては
-小学校低学年のうちは数を絞る=自由時間を作る
(この点、東大生が社畜希望笑だったのは寂しい話。暇が潰せない大人)
-10歳以降は形式的操作期。抽象的な思考を高められるので勉強習い事打ち込んで良い
-何をするかよりどうさせるか。(賞や第一志望合格のような)結果が得られなくても身につくものがあって納得できるかが親の力量。結果ばかり求める教育虐待
また地方出身の東大生が言っていた「東大に近づくほど周囲にピアノをやっている人が増えた」のは、まさに私の実感とピ -
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素晴らしい本でした。スッと心に刺さる、澄んだ文章が印象的でした。
冒頭の「はじめに」の最後に書かれていた、
「もしあなたが教育虐待の被害者なら、過去の経験を客観視しその檻から抜け出すきっかけとなることを願う。もしあなたが教育虐待の加害者になることを恐れているなら、その不安を少しでも払拭できればと願う。」
という言葉に、著者の優しさが溢れていて、それだけで期待感がグッと高まりました。
本書で取り上げられているテーマは教育虐待ですが、そもそも「幸福な人生とは?」というテーマにも繋がっているような気がします。教育に、そして人生に、絶対的な正解がないことーーそれを理解することが、不幸な人を減ら -
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かつては、子どもの貧困について、教育格差という社会問題があった。現在では教育格差にプラスして体験格差なる言葉まで出てきた。
子どもの能力を伸ばすため、社会的成功のためには学力(認知能力)だけではなく、非認知能力の獲得が欠かせない。
そのために、子どもにあれもこれも習い事をさせ、小さいうちから海外も含めた色んな旅行に連れて行くべきという価値観だ。
しかし、その価値観が暴走し、〇〇力を獲得するための〇〇体験なるものが流行り、子どものあらゆる体験が親の課金ゲームに成り下がっていると著者は警告する。
誰もが子どもの頃に感じた「ちょっとほっといて!」という感覚を忘れてはいけない。
特に今は少子化という -
Posted by ブクログ
とても面白かった。
ーどんな人生送りたいかではなく、結果的に自分が生きてきた人生を自分でちゃんと引き受けて、そこに意味づけをできる。そんな子どもになっていればいいんじゃないか。
ー子供は結果を見られるより自分が踏んでいるプロセスを見られると安心する。褒める必要はない。頑張りを評価するわけでもない。頑張り評価はポーズ評価。見せかけだけ。どう学んでるかではなく、時間をかけてやるとか量をやったとか、そこを評価してきるだけ。子どもは評価されたいので、頑張ることが評価のためのポーズになっちゃう。
ー子を信用してないから不安になる。親から心配さらると、子どもは自分が信用されていないことに気づくから嫌にな -
Posted by ブクログ
同じく新書で話題となった『体験格差』と同類かと誤解される向きもあるかもしれないが、本書は逆に「体験格差」なる概念が子どもの世界に持ち込んでしまう諸々に対して大きな懸念を示す。
世代を超えて経済的な格差が受け継がれ固定化されてしまうのは問題であるとの前提は共有した上で、各家庭の抱える細かな違いを揃えることでかえって競争の結果の正当性が強調されてしまうことにならないか?様々な体験を外注することで得られる結果が保証されているかのような倒錯が起きていないか?そもそも体験で得られるとされる「非認知能力」とは何なのか?など、著者の様々な疑問を子ども支援の現場で奮闘する人々とともに議論する。
最後には著者が