あらすじ
子どもにとって本当に必要な体験とは何か?
「体験格差」という言葉の響きがもつ薄気味悪さを手がかりに、
大人たちを「体験の詰め込み教育」に駆り立てる「呪い」の正体に迫る!
大学入試の変化や非認知能力ブームで、子どもの体験までもが課金ゲーム化している。親たちは体験の詰め込み教育に駆り立てられ、子どもたちは格差意識を刷り込まれる。まるで「体験消費社会」だ。
体験をたくさんしたほうがいいと煽られた結果、お金のある家庭の子どもたちはたくさんの習い事をさせられ、かたやお金のない家庭の子どもたちは遊ぶ相手すらいない状態で地域に残される……。そんな、小学生たちの放課後の分断が、あるNPOの調査結果から浮かび上がってきた。
著者は、100年以上の伝統があるキャンプから、プレーパーク、無料塾、駄菓子屋さんまで、体験を通した子どもたちの学びの現場を訪ねる。現場からは、「体験格差」という概念そのものに対する疑念や困惑や批判の声が相次いだ。
本書は最後に、体験消費社会に対して3つの警告を発する。著者が発する3つの警告について、体験格差解消を掲げて活動する複数の団体からの回答もそのまま収録されている。
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Posted by ブクログ
ちょうど子どもに「何を体験させよう」「忙しすぎて、お金もなくて、体験させてあげられないかも」と不安を抱えているところで読んだ。じゃあ「何もしなくていいか!」という話ではない。
親自身が心から楽しいと思うことをやる。子どもと一緒にやりたいことでもよいか。子どもが心からやりたいと思うことを見守る。「〜のために」じゃない。「私がしたい」。
格差なんてない。我が子が、我が子の中で一番。なぜなら、やりたいことをやって、共に「楽しい」から「つまらない」「つらい」まで体験したのだから。
…と、理想は思うは自由だ。要は、自由だ。
Posted by ブクログ
子どもの体験格差に関して、ありきたりではない本質を捉えた考え方に驚かされました。言われてみればあたりまえのことなのですが、流行語のように突然湧いて出てきた「社会課題」にすっかりわかった気になっていた自分が情けないと感じました。木を加工した「木材」、動物を加工した「食材」、人間を何らかの目的に作り変える「人材育成」と「教育」の違いの話しは圧巻でした。
Posted by ブクログ
内容に同意しかなかった
というか、今の都市部の子育てってこんな感じなのか笑
田舎育ちゆえ、ここにかかれてる理想的な環境そのもので育ったからこそ、自分が親になった時もその環境になりたいと改めて思った
あとやっぱり、大人に余裕がない社会の皺寄せが子どもにいってる気がしてならない…
Posted by ブクログ
かつては、子どもの貧困について、教育格差という社会問題があった。現在では教育格差にプラスして体験格差なる言葉まで出てきた。
子どもの能力を伸ばすため、社会的成功のためには学力(認知能力)だけではなく、非認知能力の獲得が欠かせない。
そのために、子どもにあれもこれも習い事をさせ、小さいうちから海外も含めた色んな旅行に連れて行くべきという価値観だ。
しかし、その価値観が暴走し、〇〇力を獲得するための〇〇体験なるものが流行り、子どものあらゆる体験が親の課金ゲームに成り下がっていると著者は警告する。
誰もが子どもの頃に感じた「ちょっとほっといて!」という感覚を忘れてはいけない。
特に今は少子化ということもあって、大人が子どもに構いすぎる。何でも先に答えを教えすぎる。
子どもが聞いてきたことには真剣に答える必要があるが、それ以外について、大人の方からあれこれと、これどうだった?と聞いみたり、これもやってみれば?と提案したり、これはこうなんだと先に答えを教えるのはいかがなものか。子どもは興醒めして逆に興味や関心を失ってしまう。
習い事にいくつ通っているとか、旅行に何回行ったとか、それが子どもの将来にどう影響を与えるかはわかっていない。それなのに、大人たちはそれが多いほど良くて少ない子はかわいそうという目で見る。そんな社会で育った子どもは同じように感じてしまう。それは社会全体にとってとても不幸なこと。
現在は、体験格差ではなく、体験消費社会といえる。体験に非認知能力獲得という機能が紐づけられ、非認知能力は経済的成功に欠かせないと錯覚させられ、体験の格差が経済格差の世代間連鎖と紐づけられて語られるようになった。
本来、体験というのは習い事や旅行とは関係なく子どものあるゆる経験(親の離婚、貧困などマイナス体験も含めて)お金のかからないものであった。
本書では、そもそも教育格差も体験格差も幻想であると主張する。
職業による収入の差が大きいからこそ社会に格差が生まれ、やがて世代を通じて子どもに連鎖する。それならば、職業による収入の差をなくすべきだというのが本書の結論。
そうすれば学力や非認知能力の違いはあっても、皆んなが等しく尊厳をもって生きることができ、そこには格差が存在しない。
教育格差や体験格差の格差をなくすことは理想社会実現のための一つの手段にすぎず、目的では決してないと締めくくっている。
Posted by ブクログ
同じく新書で話題となった『体験格差』と同類かと誤解される向きもあるかもしれないが、本書は逆に「体験格差」なる概念が子どもの世界に持ち込んでしまう諸々に対して大きな懸念を示す。
世代を超えて経済的な格差が受け継がれ固定化されてしまうのは問題であるとの前提は共有した上で、各家庭の抱える細かな違いを揃えることでかえって競争の結果の正当性が強調されてしまうことにならないか?様々な体験を外注することで得られる結果が保証されているかのような倒錯が起きていないか?そもそも体験で得られるとされる「非認知能力」とは何なのか?など、著者の様々な疑問を子ども支援の現場で奮闘する人々とともに議論する。
最後には著者が違和感を感じる『体験格差』の著者にも直接疑問をぶつけ回答を得ている。言いっ放しではないところに好感を持てる。
Posted by ブクログ
子どもの習い事について色々悩んでいたので読んでみました。
内容は、体験格差の定義、社会的な構造などについて書かれています。
著者が教育ジャーナリストということもあり、教育に関するカタカナも多く、慣れない人はこれどういう意味だっけ?となるかと思います。
体験格差について考える機会がないまま、TV、雑誌などで取り上げられるので体験(習い事、旅行など)について新しい視点を持つことができました。
体験についての私の解釈は、以下の通りです。
体験は、多くしてほしい(チャレンジをしてほしい)。
しかし、その体験をやる前に子どもの判断でどの体験をするのかを選ぶ機会を設ける。
やりたいと思わないこと(気持ちが入らないこと)をしても能動的な作業となり、新たな学びにはつながりません。
親にできることは、この体験の種類を多く提供しすることで、何が自分の好みなのかを判断する材料の提供です。
あとは、家族で体験するのか、友達と体験するのかなど誰と体験するかを変えることでまた新たな学びになると思います。
Posted by ブクログ
子供は子供らしく
子供のやりたいという欲求を大切にしたいと改めて考えさせられた本です。
主体的に考え、行動できること。
与えられすぎると考える事が困難になるそう思わずにいられなかった内容でした
Posted by ブクログ
なぜ子どもの体験サービスはこんなに高いのか?
私も疑問に思っていました。
子どもが消費者にされている。
子どもがビジネスに取り込まれている。
なぜ私たちの社会はそれを許しているのでしょうか。
今は子どもがやりたいこと、好きなことを見つけてあげることが親の使命のようになり、あらゆる体験をさせて子どもの反応を見ている。そんなふうに、私には見える。
教育は「親ガチャ」のように言われて、子どもが優秀ではないこと、子どもに頭抜けた取り柄がないことは親の責任のように感じてきた。この本は、そんな視点で子どもを見ていることがおかしいんだよと教えてくれる。
体験格差を切り口に、なぜ体験が消費される社会になったのか、私たちが煽られて体験させなきゃと思わされているかを説明してくれる。
負の連鎖を断ち切るためには、子どもたちを体験の数で比較して、数が少ない人を支援するのではなくて、社会に包摂してあげることの大切さを説く。
社会を良くするためのアプローチを、知恵を絞って考えるきっかけを与えてくれた。
Posted by ブクログ
【要は各家庭で抱え込みすぎ】
五味太郎氏と著者の対談記事を目にしたのがきっかけで本書を購入。
非認知能力の高さが収入に影響するという言説、
「体験格差」という薄気味の悪い概念の正体に迫る。
体験を「消費」する社会とはーー
社会は本来、助け合い支え合うための場なのに
いつしか競い合う場になってしまった。
将来の成功のために
子供に体験をさせて「あげる」ことで、
社会を勝ち抜ける人間に武装させようとする。
子育ての家庭依存が進みすぎていることも
親の不安を駆り立てる。
あの子は体験も習い事もたくさんしているのに
うちの子には「してあげられてない」。
このままだと子供の将来の選択肢が狭まってしまう。
村全体で子供を育てれば、偏りが補正される。
直接子供にかかわる大人を増やすべきだ。
子供の未来を案じすぎず、
今、子供が目を輝かすものに時間を割いては。
五味太郎氏のように下心やメッセージ性抜きで
子供と同じ目線で楽しむことが大人の役割なのだろう。
Posted by ブクログ
本来の学びとは何かを考えさせられた一冊でした。
子供にどのような体験をさせたいのか(させるのか)を改めて考えさせられる一冊になりました。
昨今の非認知能力主義に対して一石を投じる内容にもなっています
Posted by ブクログ
こどもにより良い人生を送ってほしいという親心から、習い事を選んでいたつもりだが、自分の不安を解消したいだけだったかもしれないと反省。
共働きで時間をつくるのが難しく、そんなに多くの習い事はさせてあげられないことに後ろめたさを感じていたが、そんな心配よりもこどもが自分で好きなことを見つけていく可能性を信じてあげることが大事なのかも。
Posted by ブクログ
小学生の我が子に体験学習型の習い事や夏休みの体験イベントを熱心に勧めている自分がまさに本書で戒められたような気分だ。
自分でも知らないうちに、人生や人格の豊かさが子どもの体験で決まるような思い込みがあった。
ただ、現在の社会では、子どもだけで外で過ごさせる・遊ばせることもできない。公園は禁止行為の注意書きの看板があり実質何もすることができない。外は不審者がいるからと子どもから目を離すことは許されない。親は大抵共働きで、学校が終わったあとは学童に預けられ、外で自由に過ごす時間なんてない。
そんな環境だから、子どもに習い事をさせなくてはならない。そうでもしないと、子どもは何も体験することができない。我が子も週に3日の習い事があり、友達も忙しいと遊ぶことも難しい。
社会環境は最悪だ。
本屋に行けば非認知能力を謳う本が並んでいる。
「〇〇力」という、ほんとにそんな能力があるのか分からないけど、メディアでは当然のように使われてる。
非認知能力を子どもに獲得させて、勝ち組にさせたいという誤ったマインドセットはなくしたいと思った。これからは親の価値観を押し付けず、子どもの意思を見守って育てたい。
Posted by ブクログ
学力などの認知能力だけでなく、非認知能力までも経済的豊かさを基軸とした評価をし、その能力を獲得するための体験を提供する。教育が社会に必要な人材を供給する、という上からの視点が根底にあると、子どものいいこと思いついた!が無視され、能力開発のための投資対効果に目がいってしまう。そうではない。子どもがやりたい、と思うことを体験できる環境を整えること。そのために人間の評価軸を経済的なものだけでなく多面的に捉えること。
木材や食材は皮を剥いで加工しやすくなったもの、人材は?という例えが秀逸。
Posted by ブクログ
結論には賛成だが、子どもに親として色々なことを体験させたいということが、そこまで言われることかは疑問。昔は良かった的な記載も多いが、そこまで美化されるほどのものでもないと思う。
Posted by ブクログ
「体験格差」なんてないんだというお話。
説得力があり、体験の量や質を格差だと感じてしまう日本社会全体への提言でもあった。
自分自身の少年期を振り返ってみても、著者の言っていることに凄く共感できた。
子どもにとってはあらゆることが体験であり、それを見守れる余裕のある人間が必要なんだと思った。
Posted by ブクログ
どんなことも子供にとって経験になるということを、如何に大人が理解していくか。
貧困が原因で体験できない子供がいる。一方で、体験で非認知能力を得させようという大人から、表面的な体験を強制される子供がいる。 本書は体験消費社会になってしまっている現状に警鐘を鳴らしつつ、何が必要かを説いていく。
読んでいて、2章で採り上げられる団体の活動と、著者との対談がかなり印象に残った。 非認知能力を育もうという意識で関われば、それは勉強になってしまう。そうではなく、ある物から子供が興味を持ったり、ときにはボーッとすることも大きな経験だと。ともすれば、何かを学ばせる(本書はこの強制させる感じも良くないと言う)ことが経験と捉えられがちだが、そうではないよなと、本書を読んでいてあらためて感じることができた。