古川日出男のレビュー一覧
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読んですぐにこれはオウム真理教と一連の事件を念頭に置いた作品であることは分かる。しかし、それをどう感じるかは、人によってだいぶ違うだろう。当時、親しい人たちが入信したり、被害にあったり直接的な影響があった人たち、わたしのように、同時代に生きながら、半分笑ってたり、何もできなかった人間もいる。テレビで中継される事態に目を離せなかった人も多数いるはずだ。また、存在自体を過去のものとして、終わったものとして遠くに認識している人も多いだろう。
当時、わたしたちは少なからず傷付いたはずなのに、すでにそのこと自体も忘れて生活している。日々のことにかまけて普段思い出さないくらいならいいが、わたしたちはあまりにも簡単に忘却し、また同じ過ちを犯しがちなのだ。ああいう事態が起きた根本原因は解消しておらず、なあなあのまま時だけが経過している。風化しつつある。
古川日出男は、それではいけない、何度でも思い出し、考えるのだ、と呼びかけているのではないか。彼が初めて著したノンフィクション『エフゼロ』もまた同じ思いで書かれたのだろう。
物語は、拉致監禁され、否応なくではあるがカルト教団の芯を作り上げることになった60代の作家Xと当時彼が拉致し自分の子供として育てることにした教祖二世の啓(けい)、対する教団側は、啓の生みの親であり教母として教団を実質上取り仕切るYを此岸と彼岸として語らせている。そして、彼らを結果的に繋ぐDJX。小説から生まれたラジオ番組が彼らを繋ぎ、接近させる。物語の大半は離れたところから語られるが、後半になると速度は大幅に増し、転がり出す。それは、「細工は粒粒仕上げをご覧じる」といった趣で、しかし、思わぬ展開に最後は放心状態になった。
古川の文体はしばしば読みにくいと評されるが、それは彼の物語に入っていくためのイニシエーション的な側面があるのだろう。あくまでも現実の地続きの世界を描きながらも、フィクションとして屹立している。だから、設定もいちいち細かく精確で、決して輪郭を曖昧にはしない。それがフィクションを描く際の彼なりのけじめなのだと思う。
彼の作品は、その真摯な姿勢が印象的だが、そこに描かれることは大真面目であるからこその滑稽さがにじみ出ている、そのバランスがいいんだよな。ちなみに、著者による朗読で聞いた田沼意次(もちろん本物ではない)は福島弁のおっさん口調であった。 -
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生者が、死者が、怨霊が、物怪が、語る平家の没落の物語。明確な作者が存在せず、無数の琵琶法師たちにより形成された本作は、このようなポリフォニックな無数の声により形成された稀代のエンターテイメント作品である。
本書は古川日出男による平家物語という古典の現代語訳である。その訳文は死者の世界にいる無数の琵琶法師たちとの一種の霊的な結びつきにより示されたのではないか、と思うくらいの完成度を誇る。それは何よりも、この物語が、恋愛、戦争、政治紛争、災害、物の怪への恐怖、家族との情愛など、人間が生きる上での様々な要素を余すことなく盛り込んだ一大エンターテイメントであるということを完膚に伝えることに成功している。
正直に言って最初のページを繰る手が重かった本作であるが、やはり歴史を経た弩級のエンターテイメント作品の面白さというのは途轍もない重力がある。池澤夏樹監修の日本文学全集の中の一冊であるが、この平家物語の役者に古川日出男を選んだ同氏の慧眼に感謝したい。 -
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900頁近くに亘る語りが、凄すぎる。
以下、ネタバレ有り。
ストーリーは知っている方も多いだろうが、古川日出男の紡いだ声が凄い。
敢えて伏せないので、引用等、ネタバレ嫌な方は気をつけてください。
最後の最後まで、読ませきる。
それが仕事だからか。
そこに生きていた人々の、無数の声と、撥と、琵琶の音が響き渡る。
幾つか『平家物語』を訳した本や小説を読んできたけれど、筋ではなくまさに物語として秀逸だった。
泣けます。
序盤、政治パートとした、清盛の栄華からの驕り、そして後白河院や山門とのバランスを上手く保てなくなってゆく。
そこに文覚上人、頼朝、そして木曾義仲登場。
まもなく清盛の壮絶な死に様が描かれる。
このターニングポイントを盛り上げる語りが、ものすごく上手い。
「閏二月四日、いよいよ病苦に責められて、最後の手段として板に水を注いで、その上に寝ころばされたけれども楽になった心地もなさらず、悶えられ、苦しまれ、気絶され、地に倒れ伏され、とうとう踠き死にをなされました。悶絶死を。
悶絶死をなされました。清盛公は。
死んだ。清盛は。」
語りの口調が変わり、そのハッとさせられた気持ちはそのまま、戦パートへ。
「一つ鳴れ。鳴らせ。よ!
また一つ鳴れ。二つめの撥、鳴らせ。た!
いま一つ鳴れ。三つめの撥、鳴らせ。は!
それから控えよ。この三面、この撥三つ。琵琶と琵琶と琵琶、三分の天下の寿永の三年。いよいよ戦さに次ぐ戦さに次ぐ戦さの年は来る。合戦の年は、来る。いや、もう来た。しかしまずは静けさがある寂しさがある。そこからだ。」
平家の都落ち、福原落ちの後、九の巻にある有名な木曾最期でわーっとなる(笑)
義仲の鼓判官イジリが仇となったか、自軍がどんどん減っていく中での巴ちゃんと今井四郎が格好良すぎる。
からの義経に追い詰められ、忠度、敦盛、知章の最期と重衡生捕り。
男と女、それぞれの悲哀。
父と子、それぞれの悲哀。
敵も味方も宿命の前には何も出来ない。
けれど、死を選ぶその時に、最期の名誉を考え、死後の安らぎと解放を願う。
潔さに清さを伴わせ、語りは遺されてゆく。
十一の巻。
壇浦が近付く。
男も女も船から飛び込み、平家の赤旗と相まって海が赤く染まる。
「二位殿は、見られていた、女房たちのありさまを。また戦さの形勢を。男たちの合戦がどうなったか、どうなり果てるのかを。戦場には出られない女として、一切をご覧になっていた。女としてー。
そう、女としてです。女。
二位殿は、女なのです。
かつ主上の、おん祖母。そうなのですよ。女。」
誰も残らない。
灌頂の巻に辿り着き、
そして鎮魂の語りは止む。 -
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きのう第三次世界大戦が始まった。
あさって終結する。セカイよ凍りつけ結ばれよ永らえ。
ー本文より
解釈がなかなか難しい。
上澄みをなぞったようなあらすじなら書けそうだが、深いところまで咀嚼して書けるかと言うと難しい。
しかし文体のリズムは小気味良く、意味をはっきりと理解できなくても読むのが楽しかった。
戦争と平和と飢えとを、不老長寿の人魚と、かつてのピース…平安京そして坂上田村麻呂を結びつける発想がすごいと思う。規模が大きくて、どこか幻想的で、筋が面白くてどう話を結ぶんだろうとすごく気になった。で、最後の十一、十二の章でそう来るかと痺れた。
誰か詳しい人解説してもっと痺れさせてください。 -
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ネタバレ「うつほ物語」を読み解いて再構築するのはまさかの光源氏かいな…! と感嘆しつつ、従前と変わらぬ著者の節回しに安堵して読んでいたら、よもや”超空洞”と名付けられたインサートの中で自らそのあたりの詳細を説明されるとは…! あの古川日出男が親切になったもの…と幾重にも驚く。
さらには「千夜一夜物語」まで飛び出してなぞらえられるとは…「アラビアの夜の種族」に強い感銘を受けた一人としては嬉しい限り。
著者ご自身が村上春樹氏に傾倒していることを明かされているが、例えその予備知識がなくとも、はっきりと影響が読み取れる文章になっており、そして近年の作になればなるほどその傾向が強くなっていることは、個人的にやや懸念の材料。
「いまならばわたしはあのうつほの二十巻めの結末を、描けるぞ。絵に。月光をたっぷりと含ませた筆で、墨描きできる。」
「しかし、虚構の人物であった光源氏がこちらに、現代日本に滲みでてきていると捉え直すと、どこかひやりとする。」
「『もしかしたら国史の類いによりも、作り物語のほうにこそ詳細な歴史が書いてある』と。それは光源氏の物語論である。」