古川日出男のレビュー一覧
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アニメ「平家物語」を観た後に購入した。
歴史としてのこの時代のことは知っていたけれど、ちゃんとは、読んだことはなかったので、ここらで読んでおこうと思い購入。
厚さもサイズもなかなかだったので、外では容易には読めなかった。
琵琶法師の語りを現代語で訳すというのが面白くも、読み物を意識すると入りにくい部分もあった。
とにかく長く感じた。
各話が演目として語られたわけなので、通しで一つの物語と思って読むとそう感じたのかもしれない。
一度では解らないので、そのうちまた読もうと思いつつ、積ん読の山に手が延びていない。けれど、その時は、きっと来ると思う。今度は話毎に分けて読んでもいいかもしれない。
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Posted by ブクログ
ネタバレ・『はじまりのはる』の第二巻「チェーンソーラプソディー」というのがそうだ。その、6ページから7ページにかけての見開きの台詞(および戯曲でいうところのト書き)を、以下まるまる引く。一人の男子高校生が自転車に乗っていて、携帯電話で友人と会話している。友人というのは、酪農家の跡継ぎである。つまり牛屋だ。そして主人公は、同種の物言いをするならば、茸屋である。
・私は6県(=東北地方)だけを見ようとしていた。どうしてか。東北とは、ただの方位である。どこかから見ての東北である。そのどこかからを消したら、東北は新たなる名前というもの、もしかしたら真の名前を獲得するのではないか,顕わすのではないかと期したのだ。
真・…・、実?
私は、事実はどうでもよかった。史実だの現実だのは。
私たちはそれぞれに幻想を抱えている。そのどこが悪い?
事実として東北地方の名前は「東北」である。それは地名だとは到底言えない。
方位、方角しか与えられない土地であるという現実に、唾しろ。こう私は思っていた。
・しかし私が決めねばならなかった。そうしなければ、船が出ない。
だから、口を開いたらこう言っていた。「ここまでが福島だ、と石井さんが感じられるところまで、行ってほしいんですよ」
「どこまで行っても、福島ですよ。おれには」と石井さん。
「あ・…」私の口が閉じる。
「延々走らせちゃいますよ」
絶句というのはこういう時に起きる。この人の福島県は、ひたすら海上に延びるのだ、と認識すること。私は地図を捨てる。頭のなかにあった地図を。そしてノー・ジオグラフィティー、と唱える。
・「おうかがいしますが、心とはなんなのでしょう?」
えっ、それは難しい質問だ、と率直に渡辺医師。
けれども考えてくださる。その思索の途上であっても言葉を紡いでくださる。
「たぶん、精神と心、というのがあります。おかしな言い方ですが。2つ、あります。精神は神経の働き、それから脳ですね。具象性がある。しかし心は・…・心は形而上的です。『ここに心がある』とわかるのに分析できない。要素に分け、さらに要素に分け、さらに……とやっても、心には当たらない。もう一回インテグレートしないと。そうしないと心は見えない。だから・…・」
恐ろしいほどの誠実さで渡辺さんは語塞がる。
それから、
「心とはなんぞや?わからない」
と言い、
「精神とイコールではない」こう語ってから「イコールではないのではないか」と続ける。
・馬がいなければ野馬追はない、と佐藤信幸さんは言い、野馬追は世界に誇る馬事文化だ、と言い、絶やさない、と言う。それから私が慄えるのは、つまり戦慄するのは佐藤さんが「先祖が・…」と語り出したからだった。「野馬追の時に、先祖が、現代に降りる。おれに入るんですよ。そして主君に仕える」—なぜならば、父祖伝来の鎧兜を身に着ける、とはそれを着けてきた先人たちの思いを背負うことだから。
思いとは心である。
ここにはいない人たちが、いる、に変わること。
思いを宿して、遺します、と佐藤さんは言った。また、自分が生きた爪痕も残す、と言った。
・学の話。
「古川さんが苦しんでいるのはわかりました。それまでの対話と、この日はぜんぜん違いましたからね。いろんな事情があるんだろうけど。だから僕も耕太郎も、サポートしようって頑張ったんですが、カメラの、その画のなかに入れない雰囲気で。鎌田さんや池田さんに質問をできない。僕たちが何分かでも話をして、いいえお話を聞いて、その間、古川さんに考えてもらおう、古川さんに時間を取ってもらおうって思ったんですが。僕は力不足でした。でも、だから、富岡中央医院の井坂先生のところではしっかり質問しないとなあって。耕太郎といっしょに、そこそこやれました」
・もう一つ、こういうことも記述したい。船にはフナダマ様が入っている、と石井さんは私たちに説明した。私と学とにである。私は長栄丸の、神棚のある間を見せてもらった。神棚には「女の人の髪」が納められる。長栄丸の場合は石井さんの奥さんの髪の毛である。私はそれを目にした瞬間に、これは家だと思った。つまり家の家。
「長栄丸は17歳です」と石井さんは言った。「おれはこいつと、ずうっとともにやっていく」
私たちはあまりに長いあいだ話しつづけるので、NHKはしばしば撮っていない。
・「おれは思うんですけど、石碑って」と江尻さんは語るのだった。「その当時の人間は、『これこそ後世まで残せる手段だ』と思って、石碑にしたわけじゃないですか?懸命に考えて考えて、やっぱり石だ、と選んだ。未来永劫に遺そうとしたから、彫って、建てた。それがね、こういう・…・。石は削れたりもするし、地震で倒れて、誰も起こしてくれなかったり。そういうことで、また忘れられる。その・…・不合理さ?」
最新のー”当代の技術”はどこまで信じられるのか。江尻さんはあっさり疑う。 -
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倫子が若返る菊の花を紫式部に持ってきてくれたっていうエピソード(解釈の仕方はいろいろあるとはいえw)が早々に出てきて、このあたりからのめりこんでいった
グルーミィさを優先して現代語訳
記録としての日記
グルーミィをさらけだす日記
だって。いいですね。
有名な“お前が男であったなら…”のくだりは、紫式部日記の後半だったか
大河でも当然ながらこのシーンありまして感無量です
漫画でも読む紫式部日記、的なものより
本書の方が日記を読んでいるという実感が湧きました
“ミセス自粛なし”にはクスッとした。自分で言う?笑
筆で書かれている現代語訳部分はもちろん
ペン(私にはiTouchに見える)で書かれている、紫式部が私たちと同じ現代に立って書いている部分には、書かれている内容についての案内やおそらく考察というか定説になりつつあることを盛り込んでいる。
ここから口調が変わっているとか日付という楔(くさび)が入っていないとか手紙文のようにして張り合っているとか!
有名エピソードも改めて読めて面白かったです! -
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TBSラジオアフター6ジャンクションで
柴田元幸先生がおすすめの本を紹介するというので、どんな翻訳ものかと思ったら、
古語から現代語への翻訳だった!
柴田先生が言うには、古川日出男さんが、紫式部に憑依して現代語訳した。
ということでした。
まさに。
最初に私たちにむけて古語の基本的なことを簡単に説明してくれてるんです、紫式部姉さんが。
女房といったら、どの男のワイフ?と考えたりしませんか?それはゆゆしい事態です。局と口にしていたら、あなたはツボネとはなんだろうと眉をひそめますよね?
とこんな感じで。
局とは、しきられた部屋。
房というのも同じ。
つまり、女房と局は同じ女性のための仕切られた部屋。でも、女人たちのこともまた女房という…
分かってるようで分かってなかったですありがとう姉さん。
そして自己紹介。
私は宣孝のワイフでした。998年にむすばれ、1001年に彼は死んだ。わたしは以来、ずっとシングル・マザーです。
彼女はいつもブルー(感傷的)で、グルーミィなんです。なんか、素敵じゃん
紫式部日記は紫式部さんが中宮の女房になってから書いているんですね、
前半は中宮さまのご出産の様子がドラマチックに描かれ、周りの方々の事を敬ったり憧れたりというかんじ。
しかーし、後半怪しくなります。
有名な和泉式部や清少納言批判もありますが、
ライバルの斎院さまの女房たちのはなしがいちばんおもしろいところ。
いわゆる「日本書紀の御局」とはこのあたり。悪口をいいふらされるのです。
まひろの弟、あのダメ弟 惟規の恋人、中将の君という女。この子が問題なのだ。
憂し。
ぜひ、中将の君があからさまに書いた手紙を、どこかから入手した紫式部姉さんのお怒りを読んでみてくださいね。
ほんとジェンダー平等について書かれているわ。
ラストに、殿である、道長とのやりとりもなんかほのめかしています。
式部姉さんったらそれ、匂わせって言われちゃいますよ。
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Posted by ブクログ
時は室町。犬王は疾り、謡い、舞う。友魚の琵琶が響く。
父親が、芸の頂点を窮めるために魔性の者と交渉し,異形のものとして生まれた犬王。壇ノ浦から引き揚げた草薙の剣によって視力を失った友魚。二人は出会い、能楽師として、琵琶法師として、名声を得ていく。
リズムのある短文を重ねた語り口で『腕塚』『重盛』『鯨』と、能の舞台が目に浮かんだ。
「世に知られていないからこそ、それゆえに語ってほしいと願う者たちがもたらす真の異聞」とある。友魚の死を知る犬王、友魚の呪縛の様、そして解きあい。また、「犬王は余の偏愛する者」と足利義満に言わしめたにもかかわらず、観阿弥・世阿弥以上に歴史に名を残すことのなかった理由。そのあたりも気になる。
映画化されていることを知らず、偶然YouTubeでいくつかの画像を観た。室町で能舞台だけれど、とにかくRockで、いつまでも耳に残った。舞台化するのもおもしろそう。