【感想・ネタバレ】ゼロエフのレビュー

あらすじ

そうか、「復興五輪」も消えるのか。
歩こう、と思った。話を聞きたい、と思った。

福島のシイタケ生産業者の家に生まれ育った著者が初めて出自を語り、18歳であとにした故郷に全身で向き合った。
生者たちに、そして死者たちに取材をするために。
中通りと浜通りを縦断した。いつしか360キロを歩き抜いた。報道からこぼれ落ちる現実を目にした。ひたすらに考えた。

NHK「目撃!にっぽん」で放送!
あの日から10年。小説家が肉体と思考で挑む、初のノンフィクション


目次
福島のちいさな森
4号線と6号線と
国家・ゼロエフ・浄土
長い後書き

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Posted by ブクログ

ネタバレ

古川日出男ってノンフィクションも書くんだ。
そう思ったのだが、これが初めてということ。
そして、東日本大震災によって変化を余儀なくされた、福島の出身者だというのだ。

日本中を震撼させた大災害ではあったが、いや、大災害だったからこそ、テレビやニュースは刺激的でドラマティックなものを優先的に放送した。
だから私は、関東にも影響があったというのを知ったのは、それから6年後の関東に転勤になったからだ。
当時夫が関東にいて、「俺は無事だよ」と連絡をくれたのを、ずっと「ふざけるな!」と怒っていたのだ。
だって、テレビはずっと東北ばかりを映していたから。
私は仙台にいる長男のことしか心配しなかった。

私のことはさておく。

古川日出男の書く小説は、結構咀嚼力を必要とする、骨太なものだ。
そしてこの、福島縦断記と言える『ゼロエフ』は、あえてなのだろうけれど、行きつ戻りつする彼の思考を丁寧にトレースし、それはかなりの遠回りをしながら収縮していく者だ。
誠実な人なのだろう。
だが、読みにくい。

行間を過剰に読み取って誤解を与えないよう、慎重に、しつこいくらいに念を押しながら書かれる文章を、読むのはとても時間がかかる。
何度も何度も本を読む手を止めて、つまりは何を言いたいのか?と考えてしまう。

福島の中通り(国道4号線)を北上し、浜通り(国道6号線)を南下する。
真夏に、徒歩で。
その後にも、隙間を埋めるようにルートをたどる。
川沿いに、鉄道沿いに。

何を見たのか。聞いたのか。感じたか。
何を見なかったのか。聞くことができなかったか。感じることなく素通りしたのか。
しつこいくらいくどく、書き連ねていく。
思考は行きつ戻りつ。

人が、建物やインフラが、動物や自然が、大勢失われた。
生と死を分けたもの。そのはざまに何があるのか。あったのか。

生と死、東北、から著者は『銀河鉄道の夜』を想起し、死者の無念、死者が生者に伝えたいことに思いを馳せる。
生き残った人たちの悔いの核として残るのは、死者の本意ではないだろうと。

個人としての生と死から、国家が抱えるべき生と死についても。
初めて国の象徴としての朝廷と分離した都(国家)を作ったのは、平清盛ではないかと考える。
国は、我々が責任を問うべき存在だが、国家の中には我々も含まれる。
しかし、平家一族は海の中に沈んで終わるのだ。
東日本大震災で多くの人々が海に流されたように。

さて、東日本大震災というレッテルを貼られてしまうと、それは津波に襲われる映像が反射的に浮かんでしまうが、実は災害はこれだけではなかった。
ダムの決壊や、川の氾濫で沈んだ、海沿いではない地方もあったのだ。

また、絶対に安全だったはずの原発が存在したのが福島だったため、放射能漏れの対象とされ、風評被害を現在も被っている福島と、境界線一本の差で補償対象外とされた宮城県南部。
放射能は、人間が引いた境界線の中に留まるものではない。
が、目に見えないので、今どこに、どのくらいあるのかを実感することができない。
国は、企業は、いつしかそれが風化していくのを願っているのだろう。

著者は、国は死者の味方ではない、と言う。
なぜならば、死者は納税者ではないからだ
だったら、そうではない立場から、誰かが、私たちが、ずっと覚えていて、次の世代に伝え、きちんと死と向かい合わなければだめだ、と。
うしろ(死)を見ないで、まえ(未来)だけを考えてはだめだ、と。

「復興オリンピック」と位置付けられた東京オリンピック。
東京オリンピックというのなら、東京でやればいい。
復興オリンピックというのなら、被災地でやればいい。
と、最初著者は思っていたそうだ。
私もそう思っていた。災害まで飯のタネにするのか!と。
でも、利用されるだけではなく、被災地が国を利用してやってもいいではないか、と考える人にも出会う。
思考も感情も柔軟でありたいと思った。

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2025年12月11日

Posted by ブクログ

ネタバレ

・『はじまりのはる』の第二巻「チェーンソーラプソディー」というのがそうだ。その、6ページから7ページにかけての見開きの台詞(および戯曲でいうところのト書き)を、以下まるまる引く。一人の男子高校生が自転車に乗っていて、携帯電話で友人と会話している。友人というのは、酪農家の跡継ぎである。つまり牛屋だ。そして主人公は、同種の物言いをするならば、茸屋である。

・私は6県(=東北地方)だけを見ようとしていた。どうしてか。東北とは、ただの方位である。どこかから見ての東北である。そのどこかからを消したら、東北は新たなる名前というもの、もしかしたら真の名前を獲得するのではないか,顕わすのではないかと期したのだ。
真・…・、実?
私は、事実はどうでもよかった。史実だの現実だのは。
私たちはそれぞれに幻想を抱えている。そのどこが悪い?
事実として東北地方の名前は「東北」である。それは地名だとは到底言えない。
方位、方角しか与えられない土地であるという現実に、唾しろ。こう私は思っていた。

・しかし私が決めねばならなかった。そうしなければ、船が出ない。
だから、口を開いたらこう言っていた。「ここまでが福島だ、と石井さんが感じられるところまで、行ってほしいんですよ」
「どこまで行っても、福島ですよ。おれには」と石井さん。
「あ・…」私の口が閉じる。
「延々走らせちゃいますよ」
絶句というのはこういう時に起きる。この人の福島県は、ひたすら海上に延びるのだ、と認識すること。私は地図を捨てる。頭のなかにあった地図を。そしてノー・ジオグラフィティー、と唱える。

・「おうかがいしますが、心とはなんなのでしょう?」
えっ、それは難しい質問だ、と率直に渡辺医師。
けれども考えてくださる。その思索の途上であっても言葉を紡いでくださる。
「たぶん、精神と心、というのがあります。おかしな言い方ですが。2つ、あります。精神は神経の働き、それから脳ですね。具象性がある。しかし心は・…・心は形而上的です。『ここに心がある』とわかるのに分析できない。要素に分け、さらに要素に分け、さらに……とやっても、心には当たらない。もう一回インテグレートしないと。そうしないと心は見えない。だから・…・」
恐ろしいほどの誠実さで渡辺さんは語塞がる。
それから、
「心とはなんぞや?わからない」
と言い、
「精神とイコールではない」こう語ってから「イコールではないのではないか」と続ける。

・馬がいなければ野馬追はない、と佐藤信幸さんは言い、野馬追は世界に誇る馬事文化だ、と言い、絶やさない、と言う。それから私が慄えるのは、つまり戦慄するのは佐藤さんが「先祖が・…」と語り出したからだった。「野馬追の時に、先祖が、現代に降りる。おれに入るんですよ。そして主君に仕える」—なぜならば、父祖伝来の鎧兜を身に着ける、とはそれを着けてきた先人たちの思いを背負うことだから。
思いとは心である。
ここにはいない人たちが、いる、に変わること。
思いを宿して、遺します、と佐藤さんは言った。また、自分が生きた爪痕も残す、と言った。

・学の話。
「古川さんが苦しんでいるのはわかりました。それまでの対話と、この日はぜんぜん違いましたからね。いろんな事情があるんだろうけど。だから僕も耕太郎も、サポートしようって頑張ったんですが、カメラの、その画のなかに入れない雰囲気で。鎌田さんや池田さんに質問をできない。僕たちが何分かでも話をして、いいえお話を聞いて、その間、古川さんに考えてもらおう、古川さんに時間を取ってもらおうって思ったんですが。僕は力不足でした。でも、だから、富岡中央医院の井坂先生のところではしっかり質問しないとなあって。耕太郎といっしょに、そこそこやれました」

・もう一つ、こういうことも記述したい。船にはフナダマ様が入っている、と石井さんは私たちに説明した。私と学とにである。私は長栄丸の、神棚のある間を見せてもらった。神棚には「女の人の髪」が納められる。長栄丸の場合は石井さんの奥さんの髪の毛である。私はそれを目にした瞬間に、これは家だと思った。つまり家の家。
「長栄丸は17歳です」と石井さんは言った。「おれはこいつと、ずうっとともにやっていく」
私たちはあまりに長いあいだ話しつづけるので、NHKはしばしば撮っていない。

・「おれは思うんですけど、石碑って」と江尻さんは語るのだった。「その当時の人間は、『これこそ後世まで残せる手段だ』と思って、石碑にしたわけじゃないですか?懸命に考えて考えて、やっぱり石だ、と選んだ。未来永劫に遺そうとしたから、彫って、建てた。それがね、こういう・…・。石は削れたりもするし、地震で倒れて、誰も起こしてくれなかったり。そういうことで、また忘れられる。その・…・不合理さ?」
最新のー”当代の技術”はどこまで信じられるのか。江尻さんはあっさり疑う。

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2025年06月03日

Posted by ブクログ

故郷福島の震災後の福島を徒歩で走破するルポルタージュ。古川さんの文体は独特なので、読むのに苦労するところもある。震災後の原発事故は未だその爪痕を多く残している。原発後の一次産業の相当な打撃は報道されている以上に過酷な状況だったのだと思う。

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2021年12月15日

Posted by ブクログ

古川さんの本は、「犬王」に続いて2冊目。あの小説のテイストが、そのままノンフィクション本に反映されている。人によって好みは別れそうだが(なお、私は少しだけ苦労した)、文体そのものがアインデンティティとなっている方がいるからこそ、本を探す楽しみ、ざらっとした触覚を堪能する楽しみがあるとも思っっている。

ゼロエフは、古川さんの内側にとってもとっても入り込む、というより引き摺り込まれる本で、それでいてその内側から福島という大きな存在を語る本だ。
とても私的な言葉と感情が、(ここであえて恐れずに使う言葉だが)手前から押し寄せる波のように読み手の行手を阻んだりも、また、引き波のように進行方向にむけて読者を押し流すこともある。

「福島に郷土がある」ということは、10年前のあの日以降、「郷土が福島である」、という意味以上にいろんな意味を持つようになってしまった。古川さんが福島を歩いて縦断したり、沖合からFを見る中で、でその意味に付随する風景や、ことばが色々と読み手に与えられてくるのだが、すでに読み終わった数日後から、福島の外にいる私の記憶からはどんどんとその断片が抜け落ちていってしまう。つまり、こういうことなのだと思う。こういうことをわかっているからこそ、古川さんの文体は、そう簡単に滑らかではなく、ざらついて、手のひらにうっすらと記憶を残そうとしているのだ。

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2021年09月25日

Posted by ブクログ

2020年に開催されるはずだったオリンピック。
「復興五輪」を謳ったオリンピック。
その期間中に東日本大震災の被災地である福島県内を歩いて、オリンピックが歓迎されているのか、復興に貢献しているのかといったことを見て確かめようとした著者。
実際に2020年のオリンピックはコロナウイルスのパンデミックにより、延期になった。
だが著者は歩いた。
震災による原発事故で、大打撃を受けた福島。
椎茸栽培をする家に生まれた著者。
被災地に住まず、被災していない著者。
けれど、それは被災に限りなく近いと思う。
著者の心情を考えると切なくなる。
読み始めて一番最初に感じたのは、なんと勿体ぶった文章を書く人なのだろうということ。
しかし、著者が劇作家であることを知り納得した。
そんな文章故に、私にとっては読みにくく、遅々として進まなかった。
しかし最後まで読んだ。(著者風に)
後半は平家物語が出てきて、私には難解だった。
しかし、時に別次元にワープするような不思議な感覚を覚えた。
腰を据えてじっくり読んだら、素晴らしい本なのだろうとは思う。

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2021年06月28日

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