渋沢栄一のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
「論語と算盤」を読んで、もう何十年が経つのでしょうか。当時、私は人間の生き方や倫理、道徳を説く「論語」と商業を意味する「算盤(そろばん)」がなぜ結びつくのか理解できませんでした。
しかし、新一万円札の顔となった渋沢栄一氏が、道徳を重んじながら商売を行ったこと。また、WBCで侍ジャパンの監督を務めた栗山英樹氏が「論語と算盤」から得た知見が大いに役立ったと言われることを知りました。私も近年では「論語」も嗜むようになりました。
なぜ、一流と言われる経営者や監督が中国古典の教えを大切にするのか。そして、なぜ道徳とも言うべき「論語」があらゆる分野の、しかも一流の人たちの指針となりうるのか。
この度、守屋淳氏の訳・注解による渋沢栄一氏の「詳解全訳 論語と算盤(筑摩書房、2024年)」が刊行されました。私は、守屋氏による註解も期待しながら拝読させていただくことにしました。
まず、道徳とも言うべき「論語」の教えがなぜあらゆる分野で必要かということです。渋沢栄一も「孔子でさえ富は必要だと言った。必要であるなら、当然追い求めても良いものだ。ただし、その追い求め方には、正しい/正しくないがある(本書178頁)」と述べています。
「論語」に対する渋沢栄一の解釈もありますが、企業活動をすることについては、社会に貢献することになります。この社会貢献は、世の中を治め人々を救うという「経済」の語源である「経世済民(けいせいさいみん)」に繋がります(江戸時代、経世済民は「政治」「統治」「行政」という広い意味で使われていました)。
そのため、正しい富の追い求め方は、世の中の進展に役立つ商品やサービスを提供することになり、雇用が生まれ、人々の豊かさと幸せに繋がります。結果的に富むことになり、さらにお金を生かした使い方をして、より良い社会を築き上げていくことが必要であると感じました。
次に、道徳とも言うべき「論語」があらゆる分野の、しかも一流の人たちの指針となりうるのかということについてです。
渋沢栄一も本書において、「もしそれが自分のためにはならないが、道理にもかなう、国家や社会の利益にもなるということなら、わたくしはきっぱり自分を捨て、道理のあるところに従うつもりである(69頁)」と述べています。つまり、偉大な経営者や監督たちは、天を意識し、天命を意識していました。
さらに、まずは道理によって物事を進めれば、天が自分に徳を授けてくれると信じていたのではないでしょうか。松下幸之助氏は、それを「運の強い人」と表現しました。京セラを創業した稲盛和夫氏も自己の利益よりも他人の利益を優先させる「利他(りた)」の精神を大切にされました。つまり、自分を磨き、人格を磨くことで、他人に対して貢献することが可能となります。さらに、天の道理にかなったとき、私たちが世の中の進展に寄与し、運に恵まれると考えられます。
では、具体的にどのように自分を磨けば良いのでしょうか。中国の古典には、「自分の行いを正しくし、よき家庭をつくり、次に国家を治め、天下を平和にする」とあります。そして、渋沢栄一によれば、我が国の中国古典の教育を受けた者たちは、まず親や目上の人を大事にし、論語にある「仁(愛を広げる)」「義(みんなのためを考える)」「礼(礼儀を身につける)」「智(物事の内実を見通す)」「信(信頼される)」という5つの道徳を押し広げることで自分を磨き、常に天下国家を心配するようになったというのです。そのような人たちが増えれば、国家も進展し、栄えるということがわかっていたのでしょう。
「論語と算盤」には、最後に天命について触れられています。天からは、人間が意識しなくとも四季が自然に巡り、すべての物事に降り注ぎます。そして、この運命に対して「恭(礼儀正しくする)」「敬(うやまう)」「信(信頼する)」という3つの態度で臨むべきだと。これができて初めて、「人事を尽くして天命を待つ」という本来の意義が理解できると渋沢は言います。
渋沢によれば、成功は一時的なものに過ぎません。しかし、人の価値はどれだけ財産を積み上げたかではなく、どう生きたかで測られます。本書の冒頭には、渋沢栄一による「5つの格言」が掲載されています。これと合わせて、本書に紹介されている徳川家康公の遺訓も、論語の要素で成り立っています。
喧騒で時間に追われる現代。つい、私たちの直面する仕事の本質を見失ってしまうことがあります。しかし、論語に書かれた道理に従い、人格を高め、天命を知ることにより、すべてが私たちの仕事の拠り所になることを知りました。大谷翔平も「論語と算盤」を愛読書にしているということです。中国の古典や偉大な経営者から学ぶことは、今の私たちにとって非常に重要です。
「論語と算盤」は、ただのビジネス書ではありません。それは、私たちがどのように生き、どのように他者と関わり、どのように社会に貢献するかを教えてくれる人生の指南書です。渋沢栄一の言葉は、時代を超えて私たちの心に響き、私たちの行動を導いてくれます。この本を通じて、私たちは自分自身を見つめ直し、より良い未来を築くための力を得ることができるのです。 -
Posted by ブクログ
渋沢百訓
論語・人生・経営
著:渋沢 栄一
角川ソフィア文庫 G104 2
渋沢栄一の人生訓 道徳の理と商売の利は両立する
渋沢栄一の大著「青淵百話」を改題して復刻したもの
明治の世も、強欲な人が、人の気持ちを知らずに商売をしていたようで、渋沢の憤りは現代にも通じるところがあり
気になったのは、以下です。
・家庭のため、朋友故旧のために尽くす
すなわち客観的見地に立って人生を過ごすことが人間としての本分である
・道理とは人の行くべき道、従うべき掟であることたるは、けだし疑うべき予知が無い
・公人として世に立つ場合は、常に国家的観念をもって事に任じ、すべての仕事の上に私を忘れて一身を犠牲にするという覚悟を持たなくてもはならぬ
・論語と算盤とは如何にも不調和の画題で、この二者に調和あるものだとは、多くの人の思い到らぬところであろう 論語は道徳上の教典であるのに、算盤はこれとまったく反対の貨殖の道の道具である
余はひとり世のいわゆる儒者の見るところと、その見解を異にし、久しい以前から論語と算盤とは、相一致しなければならぬ者であるという持論であった
・ことに孔子に対して信頼の程度を高めさせるところは、奇蹟が一つもないという点である。
キリストにせよ、釈迦にせよ、奇蹟がたくさんにある
・商業は決して個々別々に立つものではない、その職分は、まったく公共的のものである
公益と私利とは一つである
・道徳には、商人に必要なものと、政治家に必要なものというような区別はなく誰にも必要で、不必要はこの世の中に一人も無い訳である
・あらゆる階級の人、あらゆる種類の人に、同じ道徳が、同じ程度において必要であるのに、特に商業にのみ道徳をいうは、わからぬことでないか
・うそをつかぬが商人の基本、としてあり、また、信用は資本なり、ともいうて、商売上、道徳の重んずべきことを教えてある
・道理に欠けず、正義に外れず、国家社会を利益するとともに、自己も富貴に至る
・一時の成敗の如何に拘わず、その内容に重きを置いてこれを論ずるものでなくてはならぬ
・過って改むるに憚ること勿れ
・国は利をもって利となさず、義をもって利となすなり
・学問の目的は千人中、一人の頴才をつくるがためでなく、千人は千人みな一様に効果を顕すように教育することが理想である
・現代青年にとって、もっとも切実に必要を感じつつあるものは、人格の修養である
・学問技芸上の資格
①簿記に熟練すること
②算術に熟達すること
③文筆の才あること
④字体の明確なること
・泰平の世に生まれた良民、すなわち常識的人物でなくてはならない
・交際の要旨は、事に当たっては切実に考えること、人に対してはいささかも誠意を欠いてはならぬ
・名を成すは毎に窮苦の日にあり、事を敗るは多く因す得意の時
・総じて世の中のことは、心のままにならぬが多い。とかく平生の心掛けが大切である
・順逆は人自ら造る境遇なり
・その罪を責めて人を悪まず
・読書法、精読がよいのか、それとも、多読がよいか
目次
凡例
叙(渋沢栄一)
主義
天命論
人生観
国家
社会
道理
余が処世主義
公生涯と私生涯
天の使命
清濁併せ呑まざるの弁
論語と算盤
論語主義と権利思想
覚悟
米櫃演説
商業の真意義
日本の商業道徳
武士道と実業
新時代の実業家に望む
事業経営に対する理想
企業家の心得
成功論
成敗を意とする勿れ
事業家と国家的観念
富貴栄達と道徳
危険思想の発生と実業家の覚悟
当来の労働問題
社会に対する富豪の義務
立志
就職難善後策
地方繁栄策
立志の工夫
功名心
現代学生気質
頽廃せし師弟の情誼
初めて世に立つ青年の心得
役に立つ青年
余が好む青年の性格
会社銀行員の必要的資格
衣食住
修養
貯蓄と貯蓄機関
交際の心得
人格の修養
精神修養と陽明学
常識の修養法
習慣性について
大事と小事
意志の鍛錬
克己心養成法
元気振興の急務
勇気の養い方
健康維持策
処世
服従と反抗
独立自営
悲観と楽観
逆境処世法
傭者被傭者の心得
過失の責め方
激務処理法
貧乏暇無しの説
読書法
解説
ISBN:9784044090029
。出版社:KADOKAWA
。判型:文庫
。ページ数:416ページ
。定価:780円(本体)
。発売日:2010年10月25日初版発行 -
Posted by ブクログ
渋沢栄一「青淵論叢」 道徳経済合一説
著:渋沢 栄一
編:鹿島 茂
講談社学術文庫 2639
青淵とは、渋沢栄一の雅号である
回顧録から談話を聞き取り口述筆記したものとある。
論語と算盤は渋沢の書であり、青淵論叢とは談話集なのである
・金それ自身には善悪を判別する力はない。善人がこれを持てはよくなり、悪人がこれを持てば悪しくなる。つまり、所有者の人格いかんによって善ともなれば悪ともなる
・功なり名を遂げた人が、自分がいまのような金持ちになれたのも、すべては社会の恩だと自覚して、社会の救済だとか、公共事業とかいうものに対し、常に率先して尽くすようにすれば、社会はますます健全になるなずなのです。そして、社会が健全になれば、それと同時に自分の資産運用もますます健全になるというわけなのです。
・国が真正に富強となるには、政治とか、軍事とか、法律とか、教育とかいうものが進歩していかけばならないのはもちろんです。
・自分自身が大きな富をなすことは必要としないとしても、それなりの恥かしからぬだけの富は造らなければなりません。
・無理はけっして立身出世の近道ではありません。むしろ蹉跌を来たし将来を誤る恐れがありますから、功を焦り、無理をすることは大いに慎まなければなりません。
・成功出世をするには、まずもって実力を養うことが肝要であると思います。
・人間の立身出世というものは、与えられるものではなく、自分自身で築くべきものなのです。
・共栄共存の精神が根本であり、協和の心が最も大切であります
・嚢中の錐というたとえがあるように、実力が備わっている人は、事があれば必ずその才能が現れます
・青年諸君は努めて先輩に接し、その意見を敲き、経験を聞き、これを参考資料としてよく消化し、仕事をなすに際しても周到に用意をして、先人の失敗を繰り返さないように心がけるべきなのです。
・不断の修養は処世の必須条件であることを、深く心に銘するべきです。常に修養に心掛け、いわゆる内容の充実、実力の涵養(かんよう)に努力していれば、いかなる場合においても出処進退を誤ることなく、また失望落胆して自暴自棄に陥ることもありません。
・資本は万能ではありません。もっと大切なのは人です
・加うるに信用の厚い人であれば万一失敗するようなことがあっても再起することができるけれども、信用のない人は一度失敗して投下した資産を失うようなことがあると、とうてい再起することはおぼつかないのです。
・社会の信用はどうして得られるものであるかというと、一言にして尽せば、責任をお音字、誠心誠意をもってことに当たることにあります。
・人間が社会の一員として世に立っていくにあたって、第一に必要なことは誠実ということであります。
・わかりやすく言えば、人に接し事物に対するには、精神を籠めて諸事親切心をもってするようにせねばなりません。
・堪忍の必要であることを、熟々と感じ、常に忍耐心を養うことを心がけたのです
・論語「己に克ちて礼に復るを仁と為す」 克己ということは、人間にとって最も大切なことです。
・人事を尽くして天命を待て 人は誠実に努力して運命を待つ以上のことはできないのです。
・弊を見て功を没する勿れ 人の弊害をみて過去の功績を否定するようなことをしてはならない
・道とは人の心に行うところ、守るところの一切の正しいこと、理とは、筋のことで、全て筋立てることを意味しています。つまり、道理とは、人の踏み行うべき筋目ということです
・道理を知り、道理を行うには、安心立命を得ることが肝要です
目次
本書について
富者の要務
堅固正当な目的を持て
立身出世の秘訣
現代青年の短所と通弊
信用を得る人得ない人
資本よりも信用
叱言の云い方
勘忍強くなる様に修養した体験
克己心を修養した体験
真の成功とは何か
予の人物鑑識法
常識の発達と其の修養
口舌は福禍の門
順逆両境の覚悟
弊を見て功を没する勿れ
道理論
大国民は斯う有り度い
日本経済連盟に対する所感
対支政策の根本義
思想問題と教育の改善
我国労働問題の前途
外来思想と咀嚼消化の力
国家観念と世界主義
世界主義に立脚して産業の発達を期せ
国産の振興と其の根本策
政治経済と道徳観念
道徳と経済の合一説
商業道徳の振興
事業経営に必須の条件
我国の財政経済問題
「付録」家訓
編訳者解説
ISBN:9784065219034
出版社:講談社
判型:文庫
ページ数:360ページ
定価:1260円(本体)
発売日:2020年12月09日第1刷 -
Posted by ブクログ
おもしろかった
人手不足だとか、道徳がなっていないとか、もうけ第一で情けに欠けるとか、今の教育は知識に偏っているとか、明治の世もいまもかわりがない
人の機微も読んでいて違和感は全くありませんでした。
・人間がこの世に生まれてきたのは、何事かを成すべき使命を受けたからである。この使命をまっとうするのが人間としての義務である。
・自分が愉快だから働き、不愉快だから休むというのは、使命に対してあいすまないことである。どのような場合でも、自分にあるだけの才能精力を尽くすのが人の人たる道である。
気になったのは、以下です。
・私たち凡人は、志を立てるにあたっても、とにかく、迷いやすいのが常である
・工夫としてはまず自己の頭脳を冷静にし、そして、自分の長所、短所をことこまかに比較して考え、自分の最も得意な方面で志を立てるのがよい
・すでに根幹となる志が立っているならば、今度は、その枝葉となる小さな立志についても、日々工夫することが必要である
・立志のかなめは、よく自分が知り、身のほどを考え、それに応じて適切な方針を決定するという以外にない
・日常身辺にひんぱんに起きる出来事は、すべて鍛錬の材料である。かなめは、それを有意義なものとみるか、わざとそらとぼけて見過ごしてしまうか、この2つに分かれることになる
・問題の起こる前からそうしたことに準備をしておくという心がけが必要である
・ひとつのささいなことのさらに細かいこともおろそかにしてはならない
・真の成功とは、道理に欠けず、正義にはずれず、国家社会のためにあるとともに、自分も富貴となるものでなければならない
・言い換えれば一時の成敗がどうであったかにかかわらず、その内容に重きを置いて、これを論ずる者でなければならない
・誤って改むるにはばかることなかれ
・人は何よりもまず道理を明らかにしなければならない
・不平は人の心をなまけておろそかに流れさせる
・心を厳しく引き締め、どのような逆境に直面しても動じないようにする
・順境にあっても驕らず、いわゆる、貧しくてもこびず、富んで礼を大切にする、という先哲の言を実地にいくように心がけることが大切である
・私は、青年に向かって、ただひたすら人格を修養することをすすめる
・桃李ものいわざるも下おのずから蹊(みち)を成す 役に立つ青年は、人に頼んで仕事を与えてもらわなくても、自分に仕事を惹きつけるだけの力をもっている
・仮につまらないと見える仕事でも、これを一生懸命に喜んでする人でなければ、責任を持って仕事をする人ということはできない
・今日の教育は主として知識のみに傾いている。精神は、それと反対にかえって退歩しているように思われる
・源濁れば、末清まず
・人格修養もやはりそれと同じこと。一方に日常のなすべきつとめを持ちながら、一方で人格の修養はどのようにでもできるものである
・要するに悪者は教えても学ぼうとしない、善者は教えなくても自分で学ぶ仕方を知っていて、自然とその運命をつくり出すものである
・自分で反省してみて悪い点をあらためるよりほかはない
・世の中のことは多くは自分のせいであるから、自分からこうしたいああしたいと気力をふるいおこしさえすれば、たいがいは思う通りになるものである
・富は一つの力である。国家も富がなくてはならない。しかし、その行為が正義に反し道理をはずれていれば、富もその力を維持することはできない
・富を多く積んでも、富者としての修養が足りないとつりあいが取れていない
・知行合一 成功しなければならないと知ったら、ただちに実行すべきである
・柔順で活発であれ
・世の中の仕事に向かっては、どこまでも行動がよくなければならない、行動がよいうえに、心がけがよくなければいけない。行動と心がけはべつのものだ
・空論を捨てて、あくまで実行の人となれ
・嘘をつかないのが商人の資本
・信用は資本なりとも言って、商売上道徳を重んずべきことを教えている
・地方の衰微はうち捨てておくことができない問題である
・人を観るということは難しいことの中でも、最も難しいことで、決してやさしいものではない。とりわけ、その人の満足するところを見定めるのが、最も困難である
・学んで思わざれば即ちくらし、思うて学ばざれば即ちあやうし:学んでも考えなければ、ものごとははっきりしない。考えても学ばなければ、独断におちって、危険だ
・之を知るを之を知るとなし、知らざるを知らざるとなせ、これ知るなり:知ったことは知ったとし、知らないことは知らないとこととする。それが知るということだ。
・精神はひとつのことに集中すべきである
・人間の力には限りがある。無限にそれを使うことはできない。であるから休養ということが必要となる。
目次
はじめに
私の立志観
意思の鍛錬方法
克己心の養成
私の見た功名心
私の成功観
私の成敗観
はじめて世に出る青年へ
役に立つ青年
現代学生気質
人格の修養
私の処世主義
楽天生活
逆境に処する方
公私の生涯
政治の根本義
富強国である我が国の態度
新富豪に対する希望
成功の真呼吸
私の商業道徳観
労働問題
地方繁栄策
私の見た福沢翁
私の見た塙検校
人物観察法
精力の集中法
渋沢栄一年表
ISBN:9784198652449
出版社:徳間書店
判型:新書
ページ数:256ページ
定価:1200円(本体)
発行年月日:2021年03月
発売日:2021年03月31日第1刷 -
Posted by ブクログ
(2021-08-26 1h)
こういうマンガって絵が古めだったりするイメージだったけど、本書に関しては絵がかなり綺麗で漫画として楽しんで読めます。加えて、きちんと『論語と算盤』に関して浚ってくれて、渋沢栄一自身にも触れてくれます。論語と算盤について気になってるけど原著読むまでじゃないなってかたは勿論ですが、既に読んでいるかたもおさらいにオススメできます。
第1章と第2章で分かれており、作画の担当者が違います。前者の作家さんは週刊少年マガジンとかで連載持ってそうな感じ。スタイリッシュで細い線なので、スッキリ読めます。渋沢栄一がちょっと英国紳士風。
第1章がそんな感じなので、2章で絵が変わると違和感あるんですが、馴染むと2章の絵も味があって良いです。2章は歴史系・偉人系の漫画にありがちな、ちょっと古めの絵柄かもしれない。
第1章で論語と算盤の話。
第2章で渋沢栄一自身の話。
構成としては、ビール会社に勤めて3年目の会社員を主人公にした漫画→漫画の粗筋とプラスαの文→漫画の内容に因んだ渋沢栄一の名言抜粋→『論語と算盤』で取り上げられた偉人コラム。後編は漫画と年表とキーワードのまとめ。 -
Posted by ブクログ
2024年から新一万円札の顔に決まり、2021年大河ドラマの主人公(主演は吉沢亮)である渋沢栄一。その大河ドラマは、渋沢栄一の自伝が元になっているというので読んでみた。
こちらの本は自伝「雨夜譚(あまよがたり)」「青淵回顧録(※せいえん は渋沢栄一の号)」を元に、他の自伝や関連資料や他の人の証言集を組み合わせて幼少期から晩年までの人生を再構築させたという構成となっている。
幕末に生まれてまさに激動の時代を生き、攘夷を唱える⇒一橋家・将軍家の家臣⇒明治政府の役人⇒民間起業家・福祉家という柔軟性と、しかしダメなものはダメという強い信条も感じられる。
自伝が元なので、語り口からは本人の資質が感じられる。おそらくこの激動の時代をつねに時代最先端で登用されたのは、渋沢栄一が常に先を考えて準備をして問題があれば解決を探るという論理的思考が直接良い結果をもたらせたので評価されたこと、そしてユーモラスさ、冒険好き、柔軟性と人当たりの良さとそして案外血の気の多さなどが人としても可愛がられたり慕われたりしたのだろう。
【青年期】
生まれは武蔵国榛沢郡血洗島村(現・埼玉県深谷市血洗島。私は埼玉県出身なんだが、以前から深谷駅には「渋沢栄一生誕の地」の看板が出ていた。お札に決まったり大河ドラマ化されて観光客増えたかなあ)。豪農の長男だった。このころ岡部藩は年貢だの御用金だのを取り立てるだけ取り立て、能力のない代官が威張り、百姓というだけでバカにされて…という制度にうんざりしたという。
若い頃は攘夷倒幕の志を持ち、過激なテロを画策したことも(このあたりは大河ドラマで描かれているとおり)ある。
志のために家を出ようとした栄一へのお父上の言葉が立派だった。「どんな志をもちどこに行こうとも、道理を踏み間違えず仁人義士(じんじんぎし 広い愛を持ち、人の道を守った人間)であれば、生死や幸不幸に関わらず満足だ」
こういって跡継ぎ息子を金をもたせて送り出したのだから立派な人だ。
しかし栄一たちのテロは直前で取りやめとなった。しかし故郷にいては捕縛されるかもしれないので、親戚の渋沢喜作と一緒に京都に逃げることにした。この喜作とは「ともに死のう」と誓いあった仲ということで、このあと色々あっても生涯交流しつづけたようだ。
このあたりも大河ドラマ通りなんだが、自伝によると「幕政を覆すという自分たちの将来につなげるために、塾や道場で名高い人材と交流し、父からもらったお金もあったから、まあ至極面白く遊んでいたんですよ」みたいな生活だったらしい。捕縛されそうじゃなかったのか、剛毅な人たちだ 笑
【試みに一橋家へ士官したら、そのまま将軍直参になっちゃった】
故郷で企てたテロ行為が幕府にバレたっぽくちょっとまずいかなってところで、かねてより交流のあった一橋慶喜(大河ドラマでは草彅剛)の側近である広岡円四郎(大河ドラマでは堤真一)より、一橋家に仕えないか、と言ってもらった。
ここで栄一と喜作は「その前に自分たちの考えを聞いていただきたい」とお願いし、広岡円四郎は「前例がないけど…遠乗りの機会に顔を見てもらえ」と言ってもらった。
大河ドラマ冒頭は、この慶喜と栄一初めての出会いで始まっている見せ場でもある。
ただしこの渋沢栄一の自伝では「これには自分も大いに困り果てた。なぜかというと、自分の身体はその頃から肥満しており、とくに背も低いから、走り続けることはきわめて大変であった/それでもなんとか十町(約1キロ)を一生懸命ひた走りに走ってお供した」ということ。
そりゃー大河ドラマがイケメンすぎるんだよね。豪農の生まれで京都に逃げても大金持ってたから面白おかしくすごしてたんだから肥満にもなるよね 笑
その後一橋家の自由闊達な雰囲気の職場環境のなかで、御三卿のため固定の藩も石高も持たない一橋家の経済安定や直轄の兵士集めに尽力していった。
慶喜が将軍になったら自分たちも将軍直参に。普通は喜ぶだろうが自分と喜作は、どうせ徳川幕府はもう持たない。それなら若い人(田安亀之助とか?)に将軍になってもらって慶喜は実務に専念したほうが良いだろう、慶喜が将軍になってしまったら今までのように直接会って自分たちの意見をお話して取り入れてもらうこともできないと嘆く。
なお後年渋沢栄一が慶喜に伺ったところによると「慶喜公が将軍職を継がれるにあたっては、すでに一新一族を犠牲にして大政奉還を行う決意をされていた、というご真意を伺って、私自身の浅慮を恥じ入った」ということ。
徳川慶喜の評価はまさに毀誉褒貶であり本人は隠遁後は沈黙を保っている。そんななかで「わたし直接慶喜公から聞きました!」という証言があるのは貴重ですね。
【フランス留学時代】
さて、そんな栄一に突然下った命令が「パリで行われる万国博覧会に、慶喜の弟の徳川昭武が将軍名代として参加するので、その共としてフランスに行け」というもの。
このフランス行きは密命として、幕府の軍事力増強のためにフランス政府との間に600万ドルの借款契約をしてくるようにという司令があった。
なお徳川昭武は水戸藩なので水戸からも随行員もいるんだが攘夷だ!とか言って新しいものを取り入れる気がないということで、慶喜自らの命令らしい。
水戸藩って、桜田門外の変、坂下門外の変、天狗党に関する略奪だの一族皆殺しだのその報復だの、過激すぎる行動しかないというか慶喜も実家でありながら極力避けていたような気がするんだが、フランス随行に対しても頼りにできなかったんですね。この四面楚歌の時代に実家が頼りにできない慶喜も大変だ。
渋沢栄一が実に柔軟な思考だなあと思うのが、青年期は攘夷だといっていたのが、いざフランスに行くと食事やミルクコーヒー(豆を炒って砂糖と牛乳を入れた飲み物)を胸がすっとすると楽しみ、空き時間はフランス語の家庭教師を雇い、バレエ鑑賞や病院制度や国債制度に関心し、身分に関わらず実力があれば平等という、良いものを素直に良いと見てそれを自分たちにどのように活かせるかと考えて実現させる力がある。
それにしても「1ヶ月位家庭教師に習ったらフランスでも買い物くらいは片言でできるようになった」っていかなりすごいのでは?!英語を習っても全く習得できていない私にはその語学習得力が素晴らしいわ。
さらに仕事は期待以上にやってのけた様子。なにしろ限られた財政をできるかぎり節約して余剰金は現地の世話役に相談した上で公債を買って利益を出しました、というのだから素晴らしい。
しかし栄一がフランスに行っている間に、大政奉還があり、明治政府が樹立し、徳川慶喜は駿河で隠遁し…。凄い激烈の時代。
この激動にも対応は冷静だった。いま昭武公が日本に帰ってもなにもできない、それならこのままフランスで研鑽を積んでから帰ったほうが日本の役に立てるだろう、として、情報収集のための帰国者、このまま残るための金銭の算段とそれぞれの役割分担を行っていったという。
結局は水戸藩主徳川慶篤(慶喜の兄)の死去により昭武が水戸藩を継ぐことになりやっぱり帰国することになってしまった。
この帰国に関しても、公債を買って出た利益で、自分たちフランス留学組の運賃と、イギリスに留学して帰りの旅代がなくて困ってた人たちの運賃も出したという。
渋沢栄一と喜作が故郷を出てから10年足らず。ええー、まさに激動、よく生き延びた…。
帰国してみたら日本は変わり、親戚や知人で亡くなった人はいるし、まだ戦っている人はいるしという状況。自分は恩義ある慶喜に会いに行ってそのまま静岡で農業または商売をやって静かに暮らそうとする。
しかしこのときに「フランス留学のうち、水戸の分はこちらです。余り金はこちらです」とちゃんと決済を出したものだから、水戸昭武からは「兄上(慶喜)の様子を聞いたらすぐに水戸に来てほしい」、静岡藩からは「このまま静岡藩に勤めろ」とスカウト。
このスカウトに栄一は「おれは奉職金が欲しくて静岡に来たわけじゃねーーーー」と怒るんだが、慶喜の意向があったらしい。「渋沢栄一は水戸に行ったら昭武が側に置きたがるだろうが、あの水戸の藩士たちはきっと渋沢の邪魔をするだろう。だからこのまま静岡にいなさい」
うーん、慶喜はわざわざ会いに来た昔の部下を追い返して「貴人に情なし」とか言われていたが、情は深い人ですね。
【明治政府 大蔵省時代】
そんな渋沢栄一に明治政府からもスカウトが来た。
最初は断ろうとした栄一に、大蔵省の大隈重信が「幕府を倒して王政復古したが、これからは新しい日本を作らなければいけない、だから新政府参与は八百万の神々の国造りのようなものだ。君は賢才の一人として登用された、八百万の一柱である。ぜひともこの大きな仕事のために骨を折ってもらいたい」と説得したのだという。これは凄いことを言いますね。そしてこれじゃ断れませんね。
このあと日本における造幣、戸籍、出納など制度の元を作り、大蔵省と各省との駆け引きはなかなか興味深い。
そして渋沢栄一が語る明治維新の元勲たちの姿も興味深いです。
西郷隆盛とは一橋家家臣時代からの豚鍋を突きあう仲だったんだが、その彼が廃藩置県前に「まだ戦争が足りないようにごわすね」と言ったらその場が凍りついた。
大久保利通とは馬が合わなかったが、実に底知れず”道具”にはならない人だった。
木戸孝允は細やかな心遣いをする人。
大隈重信は、他人の言葉よ聞くより自分の言葉を聞かせようとする人で、なにかを申し上げに言ったつもりでも聞かされて帰ってきてしまう。渋沢栄一と大隈重信はこの後も付き合いが続くためかその後フォローもしています 笑
伊藤博文は、全然違っても「常に自分が一番偉い!」というふうに持って行きたがる人なんだそうだ。たしかに若い頃は徴収の使いっぱしり的な扱いで、自分の上の人たちが次々暗殺されたり病死して残った人で、どことなく可愛らしさというか未熟さも感じられますもんね。しかしのちに民間に下って事業で苦労した渋沢栄一が伊藤博文に陳情に行ったところ「君の言うことは、自分を褒めるために人を貶していて、それはおかしい。君はいまや実業界の重鎮なんだからそんなんじゃ困る」と忠告され、栄一は大いに反省したという。やっぱり只者ではなかったということ。
井上馨とは大蔵省でともに仕事をしたがとにかく悲観主義者。このあと渋沢栄一と井上馨はともに大蔵省を辞職することになる。
江藤新平は有能さでは傑出していたのに、強引で自分の意見を押し通すためには他人と争い人の欠点をさがすという残忍さがあったためあのような結果になってしまった(佐賀の乱で、この明治の時代に斬首晒し首…)。
三条実美はあっちへふらふらこっちへふらふら、身分は高いが知識がなく性格も弱いのでいろいろな省の間にはさまって苦労しまくった人だという。うーん、地位は高いが無能だって自分でも自覚しているって辛いだろうなあ。。。。
なお、渋沢栄一は島津久光のことは「島津三郎」と語っている。久光とは気が合わなかった西郷隆盛が「地五郎(田舎もん)の三郎」呼ばわりして久光を激怒させているし、慶喜も久光を散々バカにして(薩摩にやり返されるところがイマイチ甘いところだが)いるけど、やっぱり藩主ではなく先代藩主の弟で今の藩主の国父でしかない久光は、田舎もんがゴリ押ししてくる扱いだったんだろうか。
そして徳川慶喜のことは、将軍を受けたことや、大政奉還後の薩長との戦い方には不満もあったようだが全体的には「人格が高く敬慕に耐えない」などとべた褒め。徳川慶喜の葬儀では委員長を務め、75歳で経済界からも完全引退して手掛けたのは「徳川慶喜公伝」であり、今日に伝わる徳川慶喜の良い面というのは渋沢栄一の証言が大きいのではないだろうか。
【民間での実業家、福祉家】
そして民間人になってからは、銀行を作り、株式取引所を作り、保険制度を作り…、まあとにかく近代日本を作った人ですね。ちょっと面白かったのは、この保険にかんして「危険なことをするなと言いつつ、危険を保証する保険制度なんて変だろう」と反対されたということ。この考えって他にもあるような気がする。たしかフォード社?も「車にシートベルトを付けたら、車は危険だといっているようなもんだからそんなものをつけるな」と言われたんだとか、現在でも「未成年に性教育をするのは性行為を推奨するから教えるな」だとか、リスクに対する防備をすることを極度に嫌がる風潮てなんだかありますよね。
またイギリス人事業家と面談した時に言われた苦情「日本人は他人に対しての約束を甚だ守らない。売れそうな注文品はすぐに引き取るけど、売れなさそうになった注文品はなかなか引き取らない、これでは信用できない。いやそもそも日本人は信用というものを重んじていない。さらに税金逃れのために送り状を二枚出せとか言ってくる。このままではこれ以上日本人とは取引できない」といわれたということ。
うわあ、なんか…日本ってメンツや信頼をすごく重視するように思っていたんだが…、これは面目ない…。
そして福祉。
東京に溢れる貧民に対して政府は無策、どころか邪魔・無駄扱い。
そこで渋沢栄一が音頭を取って、生活困窮者救済事業である養育院を民間で設立した。
これは別の歴史検証番組で「渋沢栄一自らがでっかい鞄を持って実業家たちを訪ねて回った。『あれではそれなりの金額を渡さざるを得ない』とぼやいていた」とやっていた 笑
この他、教育、医療、海外との交流や取引など、まさに関わった事業が幅広すぎる。
この本は自伝が元になっているので、それを語る渋沢栄一の目線の広さやユーモラスさ、そして時々見せる血の気の多さ。まさによく生き延びた、ということはきっとこの時代に不慮の死を遂げてしまった素晴らしい人材もたくさんあったんだろうとも思う。
渋沢栄一の言葉で「実業界であれ、政治の世界であれ、もっとも困難なのは人材を得ることにある」という。
まさに日本を作った人がそのまま語る激動の時代と、その時代の人々がどのように生きたのか、どのような日本にしたかったのか。
あらためて近代日本の基本を見られたようだった。 -
Posted by ブクログ
2024年から新一万円札の顔に決まり、2021年大河ドラマの主人公(主演は吉沢亮)である渋沢栄一。その大河ドラマは、渋沢栄一の自伝が元になっているというので読んでみた。
こちらの本は自伝「雨夜譚(あまよがたり)」「青淵回顧録(※せいえん は渋沢栄一の号)」を元に、他の自伝や関連資料や他の人の証言集を組み合わせて幼少期から晩年までの人生を再構築させたという構成となっている。
幕末に生まれてまさに激動の時代を生き、攘夷を唱える⇒一橋家・将軍家の家臣⇒明治政府の役人⇒民間起業家・福祉家という柔軟性と、しかしダメなものはダメという強い信条も感じられる。
自伝が元なので、語り口からは本人の資質が感じられる。おそらくこの激動の時代をつねに時代最先端で登用されたのは、渋沢栄一が常に先を考えて準備をして問題があれば解決を探るという論理的思考が直接良い結果をもたらせたので評価されたこと、そしてユーモラスさ、冒険好き、柔軟性と人当たりの良さとそして案外血の気の多さなどが人としても可愛がられたり慕われたりしたのだろう。
【青年期】
生まれは武蔵国榛沢郡血洗島村(現・埼玉県深谷市血洗島。私は埼玉県出身なんだが、以前から深谷駅には「渋沢栄一生誕の地」の看板が出ていた。お札に決まったり大河ドラマ化されて観光客増えたかなあ)。豪農の長男だった。このころ岡部藩は年貢だの御用金だのを取り立てるだけ取り立て、能力のない代官が威張り、百姓というだけでバカにされて…という制度にうんざりしたという。
若い頃は攘夷倒幕の志を持ち、過激なテロを画策したことも(このあたりは大河ドラマで描かれているとおり)ある。
志のために家を出ようとした栄一へのお父上の言葉が立派だった。「どんな志をもちどこに行こうとも、道理を踏み間違えず仁人義士(じんじんぎし 広い愛を持ち、人の道を守った人間)であれば、生死や幸不幸に関わらず満足だ」
こういって跡継ぎ息子を金をもたせて送り出したのだから立派な人だ。
しかし栄一たちのテロは直前で取りやめとなった。しかし故郷にいては捕縛されるかもしれないので、親戚の渋沢喜作と一緒に京都に逃げることにした。この喜作とは「ともに死のう」と誓いあった仲ということで、このあと色々あっても生涯交流しつづけたようだ。
このあたりも大河ドラマ通りなんだが、自伝によると「幕政を覆すという自分たちの将来につなげるために、塾や道場で名高い人材と交流し、父からもらったお金もあったから、まあ至極面白く遊んでいたんですよ」みたいな生活だったらしい。捕縛されそうじゃなかったのか、剛毅な人たちだ 笑
【試みに一橋家へ士官したら、そのまま将軍直参になっちゃった】
故郷で企てたテロ行為が幕府にバレたっぽくちょっとまずいかなってところで、かねてより交流のあった一橋慶喜(大河ドラマでは草彅剛)の側近である広岡円四郎(大河ドラマでは堤真一)より、一橋家に仕えないか、と言ってもらった。
ここで栄一と喜作は「その前に自分たちの考えを聞いていただきたい」とお願いし、広岡円四郎は「前例がないけど…遠乗りの機会に顔を見てもらえ」と言ってもらった。
大河ドラマ冒頭は、この慶喜と栄一初めての出会いで始まっている見せ場でもある。
ただしこの渋沢栄一の自伝では「これには自分も大いに困り果てた。なぜかというと、自分の身体はその頃から肥満しており、とくに背も低いから、走り続けることはきわめて大変であった/それでもなんとか十町(約1キロ)を一生懸命ひた走りに走ってお供した」ということ。
そりゃー大河ドラマがイケメンすぎるんだよね。豪農の生まれで京都に逃げても大金持ってたから面白おかしくすごしてたんだから肥満にもなるよね 笑
その後一橋家の自由闊達な雰囲気の職場環境のなかで、御三卿のため固定の藩も石高も持たない一橋家の経済安定や直轄の兵士集めに尽力していった。
慶喜が将軍になったら自分たちも将軍直参に。普通は喜ぶだろうが自分と喜作は、どうせ徳川幕府はもう持たない。それなら若い人(田安亀之助とか?)に将軍になってもらって慶喜は実務に専念したほうが良いだろう、慶喜が将軍になってしまったら今までのように直接会って自分たちの意見をお話して取り入れてもらうこともできないと嘆く。
なお後年渋沢栄一が慶喜に伺ったところによると「慶喜公が将軍職を継がれるにあたっては、すでに一新一族を犠牲にして大政奉還を行う決意をされていた、というご真意を伺って、私自身の浅慮を恥じ入った」ということ。
徳川慶喜の評価はまさに毀誉褒貶であり本人は隠遁後は沈黙を保っている。そんななかで「わたし直接慶喜公から聞きました!」という証言があるのは貴重ですね。
【フランス留学時代】
さて、そんな栄一に突然下った命令が「パリで行われる万国博覧会に、慶喜の弟の徳川昭武が将軍名代として参加するので、その共としてフランスに行け」というもの。
このフランス行きは密命として、幕府の軍事力増強のためにフランス政府との間に600万ドルの借款契約をしてくるようにという司令があった。
なお徳川昭武は水戸藩なので水戸からも随行員もいるんだが攘夷だ!とか言って新しいものを取り入れる気がないということで、慶喜自らの命令らしい。
水戸藩って、桜田門外の変、坂下門外の変、天狗党に関する略奪だの一族皆殺しだのその報復だの、過激すぎる行動しかないというか慶喜も実家でありながら極力避けていたような気がするんだが、フランス随行に対しても頼りにできなかったんですね。この四面楚歌の時代に実家が頼りにできない慶喜も大変だ。
渋沢栄一が実に柔軟な思考だなあと思うのが、青年期は攘夷だといっていたのが、いざフランスに行くと食事やミルクコーヒー(豆を炒って砂糖と牛乳を入れた飲み物)を胸がすっとすると楽しみ、空き時間はフランス語の家庭教師を雇い、バレエ鑑賞や病院制度や国債制度に関心し、身分に関わらず実力があれば平等という、良いものを素直に良いと見てそれを自分たちにどのように活かせるかと考えて実現させる力がある。
それにしても「1ヶ月位家庭教師に習ったらフランスでも買い物くらいは片言でできるようになった」っていかなりすごいのでは?!英語を習っても全く習得できていない私にはその語学習得力が素晴らしいわ。
さらに仕事は期待以上にやってのけた様子。なにしろ限られた財政をできるかぎり節約して余剰金は現地の世話役に相談した上で公債を買って利益を出しました、というのだから素晴らしい。
しかし栄一がフランスに行っている間に、大政奉還があり、明治政府が樹立し、徳川慶喜は駿河で隠遁し…。凄い激烈の時代。
この激動にも対応は冷静だった。いま昭武公が日本に帰ってもなにもできない、それならこのままフランスで研鑽を積んでから帰ったほうが日本の役に立てるだろう、として、情報収集のための帰国者、このまま残るための金銭の算段とそれぞれの役割分担を行っていったという。
結局は水戸藩主徳川慶篤(慶喜の兄)の死去により昭武が水戸藩を継ぐことになりやっぱり帰国することになってしまった。
この帰国に関しても、公債を買って出た利益で、自分たちフランス留学組の運賃と、イギリスに留学して帰りの旅代がなくて困ってた人たちの運賃も出したという。
渋沢栄一と喜作が故郷を出てから10年足らず。ええー、まさに激動、よく生き延びた…。
帰国してみたら日本は変わり、親戚や知人で亡くなった人はいるし、まだ戦っている人はいるしという状況。自分は恩義ある慶喜に会いに行ってそのまま静岡で農業または商売をやって静かに暮らそうとする。
しかしこのときに「フランス留学のうち、水戸の分はこちらです。余り金はこちらです」とちゃんと決済を出したものだから、水戸昭武からは「兄上(慶喜)の様子を聞いたらすぐに水戸に来てほしい」、静岡藩からは「このまま静岡藩に勤めろ」とスカウト。
このスカウトに栄一は「おれは奉職金が欲しくて静岡に来たわけじゃねーーーー」と怒るんだが、慶喜の意向があったらしい。「渋沢栄一は水戸に行ったら昭武が側に置きたがるだろうが、あの水戸の藩士たちはきっと渋沢の邪魔をするだろう。だからこのまま静岡にいなさい」
うーん、慶喜はわざわざ会いに来た昔の部下を追い返して「貴人に情なし」とか言われていたが、情は深い人ですね。
【明治政府 大蔵省時代】
そんな渋沢栄一に明治政府からもスカウトが来た。
最初は断ろうとした栄一に、大蔵省の大隈重信が「幕府を倒して王政復古したが、これからは新しい日本を作らなければいけない、だから新政府参与は八百万の神々の国造りのようなものだ。君は賢才の一人として登用された、八百万の一柱である。ぜひともこの大きな仕事のために骨を折ってもらいたい」と説得したのだという。これは凄いことを言いますね。そしてこれじゃ断れませんね。
このあと日本における造幣、戸籍、出納など制度の元を作り、大蔵省と各省との駆け引きはなかなか興味深い。
そして渋沢栄一が語る明治維新の元勲たちの姿も興味深いです。
西郷隆盛とは一橋家家臣時代からの豚鍋を突きあう仲だったんだが、その彼が廃藩置県前に「まだ戦争が足りないようにごわすね」と言ったらその場が凍りついた。
大久保利通とは馬が合わなかったが、実に底知れず”道具”にはならない人だった。
木戸孝允は細やかな心遣いをする人。
大隈重信は、他人の言葉よ聞くより自分の言葉を聞かせようとする人で、なにかを申し上げに言ったつもりでも聞かされて帰ってきてしまう。渋沢栄一と大隈重信はこの後も付き合いが続くためかその後フォローもしています 笑
伊藤博文は、全然違っても「常に自分が一番偉い!」というふうに持って行きたがる人なんだそうだ。たしかに若い頃は徴収の使いっぱしり的な扱いで、自分の上の人たちが次々暗殺されたり病死して残った人で、どことなく可愛らしさというか未熟さも感じられますもんね。しかしのちに民間に下って事業で苦労した渋沢栄一が伊藤博文に陳情に行ったところ「君の言うことは、自分を褒めるために人を貶していて、それはおかしい。君はいまや実業界の重鎮なんだからそんなんじゃ困る」と忠告され、栄一は大いに反省したという。やっぱり只者ではなかったということ。
井上馨とは大蔵省でともに仕事をしたがとにかく悲観主義者。このあと渋沢栄一と井上馨はともに大蔵省を辞職することになる。
江藤新平は有能さでは傑出していたのに、強引で自分の意見を押し通すためには他人と争い人の欠点をさがすという残忍さがあったためあのような結果になってしまった(佐賀の乱で、この明治の時代に斬首晒し首…)。
三条実美はあっちへふらふらこっちへふらふら、身分は高いが知識がなく性格も弱いのでいろいろな省の間にはさまって苦労しまくった人だという。うーん、地位は高いが無能だって自分でも自覚しているって辛いだろうなあ。。。。
なお、渋沢栄一は島津久光のことは「島津三郎」と語っている。久光とは気が合わなかった西郷隆盛が「地五郎(田舎もん)の三郎」呼ばわりして久光を激怒させているし、慶喜も久光を散々バカにして(薩摩にやり返されるところがイマイチ甘いところだが)いるけど、やっぱり藩主ではなく先代藩主の弟で今の藩主の国父でしかない久光は、田舎もんがゴリ押ししてくる扱いだったんだろうか。
そして徳川慶喜のことは、将軍を受けたことや、大政奉還後の薩長との戦い方には不満もあったようだが全体的には「人格が高く敬慕に耐えない」などとべた褒め。徳川慶喜の葬儀では委員長を務め、75歳で経済界からも完全引退して手掛けたのは「徳川慶喜公伝」であり、今日に伝わる徳川慶喜の良い面というのは渋沢栄一の証言が大きいのではないだろうか。
【民間での実業家、福祉家】
そして民間人になってからは、銀行を作り、株式取引所を作り、保険制度を作り…、まあとにかく近代日本を作った人ですね。ちょっと面白かったのは、この保険にかんして「危険なことをするなと言いつつ、危険を保証する保険制度なんて変だろう」と反対されたということ。この考えって他にもあるような気がする。たしかフォード社?も「車にシートベルトを付けたら、車は危険だといっているようなもんだからそんなものをつけるな」と言われたんだとか、現在でも「未成年に性教育をするのは性行為を推奨するから教えるな」だとか、リスクに対する防備をすることを極度に嫌がる風潮てなんだかありますよね。
またイギリス人事業家と面談した時に言われた苦情「日本人は他人に対しての約束を甚だ守らない。売れそうな注文品はすぐに引き取るけど、売れなさそうになった注文品はなかなか引き取らない、これでは信用できない。いやそもそも日本人は信用というものを重んじていない。さらに税金逃れのために送り状を二枚出せとか言ってくる。このままではこれ以上日本人とは取引できない」といわれたということ。
うわあ、なんか…日本ってメンツや信頼をすごく重視するように思っていたんだが…、これは面目ない…。
そして福祉。
東京に溢れる貧民に対して政府は無策、どころか邪魔・無駄扱い。
そこで渋沢栄一が音頭を取って、生活困窮者救済事業である養育院を民間で設立した。
これは別の歴史検証番組で「渋沢栄一自らがでっかい鞄を持って実業家たちを訪ねて回った。『あれではそれなりの金額を渡さざるを得ない』とぼやいていた」とやっていた 笑
この他、教育、医療、海外との交流や取引など、まさに関わった事業が幅広すぎる。
この本は自伝が元になっているので、それを語る渋沢栄一の目線の広さやユーモラスさ、そして時々見せる血の気の多さ。まさによく生き延びた、ということはきっとこの時代に不慮の死を遂げてしまった素晴らしい人材もたくさんあったんだろうとも思う。
渋沢栄一の言葉で「実業界であれ、政治の世界であれ、もっとも困難なのは人材を得ることにある」という。
まさに日本を作った人がそのまま語る激動の時代と、その時代の人々がどのように生きたのか、どのような日本にしたかったのか。
あらためて近代日本の基本を見られたようだった。 -
Posted by ブクログ
■感想
青天を衝けのネタバレでもあるかもしれないので注意。
渋沢栄一がかなりすごい偉人なのに、小中学校の社会の教科書に一度も出てなかったのが疑問。今はもう出てるのかな?
この本には渋沢栄一自身がどういう人物であったかを自分なりに解釈して説明している。ここが「青天を衝け」の吉沢亮さんの演技が間違ってないことがわかる。吉沢亮さんもこの本を読んだのではと思います。
今の若者は〜という文章が度々出てきますが、明治の頃から若者に対して、「今の若者は〜」って言われるんですね。
■名言・実践
論語は決して難しい学問や理論ではない。論語の教えは広く世間に効能があるので、元来わかりやすいものである。
才能の向き不向きを観察して、適材を適所に置かなくてはならない。
正義を断行する勇気を育むには、武術の稽古や下腹部の鍛錬といった肉体の鍛錬とともに、心の修養をしなければならない。精神をしっかりと鍛え、心身が一致した行動に導いてくれる。そこから自信が生まれ、勇猛心が向上する。
ただの肉魂
■不明
唯々諾々、虚飾、利殖、轍、崇高 -
Posted by ブクログ
書かれたのはちょうど100年頃前でしょうか。
渋沢栄一が生きた晩年はこうも今の日本と似ているのかと衝撃でした。
本書の中に、明治維新前後の頃は日本全体が活気があって渋沢栄一自身も3日寝ずに働いたが、今の青年は元気がない。との表現がありました。
まさにこれは高度経済成長期と今を比較してるの同じじゃないかとビックリしました。歴史は繰り返されるものであるとするなら、僕たちがこれから生きる指針はまさに渋沢栄一に学ぶべきかもしれません。
温故知新。
その答えがこの本には書かれています。
------
220113 再読
誠意と思いやり。精神修養、克己心、元気。 -
Posted by ブクログ
・著者は渋沢栄一の玄孫(5代目)
・富の追求には道徳が必要。モラルなき経営は続かない
・情熱もビジネスセンスも、論語で養える。道徳抜きのビジネスは成功しないから
・士魂商才:人が世間で活躍するには、まずは武士的精神が必要であるが、それのみに偏って商才というものがなければ、経済の上から自滅する。ゆえに士魂とともにビジネスセンスがなければならぬ。
・できるかできないかよりも、やりたいことを貫く
・己の分をわきまえて決断のタイミングを図る
・精神の向上を、富の蓄積と共に進めることが必要である。
・小事を粗末にするような人物に重大事を成功させることはできない
・とにかく社会の複雑であることを前もって十分に知っておき、いかに用意していても実際には意外なことが多く起きる。
・智情意。強い意志を持ち、その上で聡明な知恵を加え、これを調整する情愛をもってする。この三者を適度に発達させていって、初めて完全な常識が得られる。
・利益を求めることと、仁義道徳の道理を重んずることの2つをうまく並び立てることによって初めて、国家は健全に発展し、個々の人もみな相応しい立場を得て、真実の富が蓄積されていく。片方だけではどちらダメ。
・よく稼ぎ、よく使って、富の循環を促す
・趣味をもって事業に取り組む
・尊敬できる師であっても道理を譲ることはない
・競争が進歩の母というのは事実だが、この競争には善意と悪意があるようだ。よい工夫をして、知恵と勉強をもって他人に勝とうとするのは善の競争だ。他人の評価がいいから、まねてかすめとってやろうとするなら、それは悪の競争である。
・自他相利、相愛忠恕
・あるものとないものを融通し合うのが経済の原則
・仕事に忠実で仁愛をもて。それが幸運のもとになる。
・天命は人間が意識しようがしまいが、四季が順当に巡っていくように、すべての物事の間に降り注いでいくものだということを理解し、これに対する恭、敬、信を持って望むべきものなのだ。そう信じていれば、「人事を尽くして天命を待つ」という語のうちに含まれている真の意義が、初めて完全に理解できる。
・順境も逆境もない。境遇は自分から招く
・失敗を恐れていては、新しい事業などできない
・一時の成功や失敗は、長い人生における泡沫のようなものである。一時の成功にこだわらず、運命を自ら開拓する
・「メイド・イン・ジャパン」→「メイド・バイ・ジャパン」→「メイド・ウィズ・ジャパン」 -
Posted by ブクログ
ネタバレ日本の近代資本主義の父と称される渋沢栄一の代表作である、青淵百話を現代語訳・抜粋したもの。日頃の心構えから仕事術、読書方法まで、渋沢の金言が詰まっている。
印象に残ったエピソードを2つ。
①道理を通す
冨貴卑賤を問わず、生活・仕事において道理を通すのが重要。渋沢の愛読する論語においても金持ちが悪いのではなく、金持ちにありがちな奢りが良くないと説いている。立場によらず常に世の中のためになるような行動をする必要がある。
②順境・逆境について
順境・逆境は「人為的」「自然的」の2つに分けることができる。人為的については、自分の努力量に応じた状況となっているだけであり、必然である。一方自然的は不可抗力であり、覚悟を決める必要がある。逆境で苦しいときも、人為的か自然的かを見分け、人為的であれば努力不足のため勉強し直す。自然的であれば、悩んでもしょうがない。道理を尽くすのみ。 -
Posted by ブクログ
一概に生き方と言っても、人は千差万別であるから、生き方を指南する事は難しい。
この本は、生き方に対してのアドバイス的な意見を述べているように感じられる。
私は同氏の、「論語と算盤」も読んでいるから、同じような文面が重複しているところもあった。しかし、それは全く気にするほどでもなくて、却って復習できたようで、逆によかったと思う。
さて、この書についてだが、渋沢栄一という人物の器がとんでもなく大きいと認識できる。
渋沢氏は、自分でも公表している通り、孔子の論語をとても勉強し、大事にされている。だから、渋沢氏の生き方は論語によって形成され、導かれている。
つまり、渋沢氏の生き方についての教えは、論語に基づいて語られるのは必然的である。
私は、論語というものに対しては無知であった為、以前読んだ「論語と算盤」を読むにあたり、簡易的な論語の本を脇目に見ながら読んだ。
だから、論語に書かれている教えが、人として、とても大切で、人間はやはり、道徳を得る事によって器が大きくなるという事を、ほんの少しだけ理解する事が出来た。
しかし、論語の専門的な本を読もうとは今は思わない。何故なら、この渋沢栄一の「生き方を磨く」を読めば、十分、人として何が大切で、どの様な考え方をすればいいのかを教えてくれているからだ。
とても、渋沢氏の思想・行動を真似することなど、まだまだ足元にも及ばないが、今後の自分の生き方を考える上で、小さい事からでも、ひとつひとつ実践していこうと思う。
渋沢氏の教えの一つに、忠恕という言葉がよく出てくる。これも、論語に書かれている教えではあるが、渋沢氏はこの忠恕の教えをとても大事にしていたのかが、わかる。
私も、遠く及ばないまでも、この渋沢栄一のような器の大きな、心の広い人間でありたい。
-
Posted by ブクログ
ネタバレ起業家の方、会社を経営してる方向け
豊かになる源は仁義や道徳
道理=人のふみ行うべき正しい道、
すじが通っていること。正論であること。
[デジタル大辞典より]
道理と共に行動する人は栄える。
競争心、警戒心が身を引き締め、成長に繋がる。
誠心誠意、誠を持って自分を律する
人生がうまくいってると、侮りがち。節操ある行動を心がける。
①道理に叶うか
②世の中のためになるか
③自分のためになるか
つねに学問を探究し、精神を衰えさせない
経世済民=世の中を治めて人々を救うこと
千里の道も一歩から
どんなに小さな事でも誠意を持って勤勉に、忠実に行う事。
自信過剰になりすぎない。
揺るがない信念、軸が大事