谷川俊太郎のレビュー一覧
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BSテレ東の「あの本、読みました?」の中で、谷川俊太郎さんの特集が取り上げられているのを見て、本作を手に取った。
本作の中で、谷川さんの語る、中島さんの楽曲「うらみ・ます」への考察はとても興味深い。この曲を聴いたことのある人ならば、谷川さんと一緒にその深みへと嵌ってしまう感覚になるだろう。
中島さんの詞と、谷川さんの詩を、交互に声に出して読んでみると実に気持ちがいい。言葉のもつ力が直接身体に伝わってくる。中島さんの方はメロディが浮かんでくるものがあるのは当然だが、谷川さんの方もなんだか歌のように聴こえてくるから不思議だ。
二人の42年前の対談では、お互いに独特な世界観を持っているからか、 -
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ネタバレ動物同士で戦争はしない、植物同士でも戦争はしない、子どもも戦争しない。
じゃあ戦争するのは何と何なんだ?戦争するのは何でなんだ?したらどうなるんだ?
と、静かに問う絵本。
明るく楽しそうに笑って走り回る子ども達の絵のように、何気ない日常がずっと続くように、戦争しない!と大人が決めなければならない。
戦争を知るきっかけ本として子どもにも良いのかもしれないが、1つ気になったのは…
「じぶんの くにを まもる ため じぶんの こども まもる ため」というところ。
確かにそれは実際に戦闘する兵士には当てはまるかもしれないし、精神的な面でいえば国民全員がどこかしらで感じるのかもしれないけれど、戦争を -
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過去の作品には好きなものがいくつかあるが、この本はいかにも追悼本ぽいまとめられかたであまり自分の好みではなかった
P9 人間として 社会に参加した せわしない「時間」は 悠久の自然の「時」に 無条件降伏する(「いのち」より)
P47 名を除いても 人間は残る 人間を除いても 思想は残る 思想を除いても 盲目のいのちは残る いのちは死ぬのをいやがって いのちはわけのわからぬことをわめき いのちは決して除かれることはない いのちの名はただひとつ 名なしのごんべえ(除名)
P80 どんな不機嫌な表情にもまして ほほえみこそが怖しい秘密をかくしている それがそんなにも優しく見えるのは 嘘をつくよ -
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作品によって一人称が変わるのだが、なぜこの詩にこの一人称を選んだのだろうという疑問が残る。例えば「ひとり」という詩。鬱々とした状況にある(おそらく若い女性)が、両親からの慰めや励ましを疎んでひとりになりたいと思い詰める作品だが、なぜ設定を若い女性にしたのだろうか。それから「捨てたい」という作品も。
男性が女性に代弁させる場合、または逆の場合も、そこには何かしらの意図や思い入れがあると思う。特に男性作者の場合、どの媒体でもそうだが、若い女性に代弁させようとする傾向がある。そこにはある種の憧れや願望、あるいは偏見が含まれているように感じる。
話は変わるが、「春に」が谷川俊太郎の作詞だったことを -
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◼️谷川俊太郎「夜のミッキーマウス」
タイトルに惹かれて。思ったより生の人間感が強い。
前に初めて読んだ詩集の書評でも書いたが、実は谷川俊太郎の詩はあまり読んだことがなかった。今回タイトルに惹かれて読んで、けっこう生の人間味が出ているなと。
「夜のミッキーマウス」「朝のドナルド・ダック」「詩に吠えかかるプルートー」「百三歳になったアトム」
がキャラクターの詩で真実のねずみに戻ったミッキーはホーチーミンへ、ドナルドは手前のアヒルに語りかけるような微笑ましいテイストで、プルートーはなんか社会に出た者にある心の闇のような感覚で、アトムは魂を探してジェット噴射する。
以降の収録作品は人間的な -
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谷川さんがブレイディさんの手紙に応えていないという指摘を第三者から受けていたのはちょっと笑った。
あと人間は体があるから飢えや貧困が発生して苦しい、体を無くしてデータ化することで争いを無くししあわせになれるという考え方が英国の若者の間で流行っているとのことで、かなり極端で宗教っぽいな…と驚きました。
音楽を聴いている時など、自分がこの世から少し離れた感覚になるのを「その世」と表現している。
「あの」「この」は英訳できないけど「その」はできない(あのと同じthatになるか、別の表現になる)。
日本語の複雑さ、寛容さ…言葉について考えさせられました。
普段詩に触れることが無いのでよい感覚を味 -