舞城王太郎のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ「愛は祈りだ。」
こんなに痺れる小説の書き出しが他にあるかな。このフレーズも、一見敬遠されそうなバカみたいにまっすぐなタイトルも、文体も、あたしはぜんぶ大好き。舞城王太郎が大好き。
ASMAの話、智依子が内側から光るASMAに照らされた自分の身体を眺めるシーンが美しくて切なくてずっと頭に残ってる。それと、柿緒の弟の賞太が火葬場で棺に飛び乗って燃やすなと泣いたこと、それを見て泣いた治の涙は悔し涙で、本当は僕がそれをやりたかったと思っていること! なんだか衝撃で、でもあたしも、そんなふうに思えるような恋がしたい。その人が死んだときにその人の肋骨を胸に突き刺すような、突き刺せなくても、突き刺したか -
Posted by ブクログ
読みながら感動した。
短編集だけど、同じテーマが散りばめられている。
正しさを押し付けること。
1作目柘榴の登場人物は、全員自分にも他人にも正しさを押し付けるだけ。
2作目で、他人に対して正しさを押し付けることの問題提起をする。優しさより正しさを先行する必要があるのか。
「結婚て、奥さんと二人で話し合ったりしながらやってくもんやろ?そのとき奥さんに対してじゃなくても、誰かに対する優しさより在り方としての正しさを求められたら辛くなってくんでないかな」
だから、「俺は優しさを発揮しなくてはならない」
勇気を出して歩き続けるところが好き。舞城だー!って感じ。
3作目で、正しさを自分に押し付ける -
Posted by ブクログ
「愛は祈りだ。僕は祈る。」という屈指の痺れる1文から始まり、ページの隅から隅まで祈りと愛がこれでもかと詰まっている。1つの文章にこれ以上愛を詰め込むのは無理だろうと思う。
さらにこの小説は構成さえも祈りになっている。一見バラバラの短編が詰め込まれているようにみえるが、そうではない。恋人をなくした小説家の物語が一応は主軸になっており、ほかのエピソードは作中作と"しても"読めるようになっている。全ての物語は、死に行く想い人の前でなにもできない男の物語として緩くリンクしており、いずれの物語も恋人をなくした小説家の想いの発露としての読解可能であるからだ。一方で、作中の小説家の自己言 -
Posted by ブクログ
ネタバレ「愛」「哀しい・悲しい」という言葉の解釈を解釈にしては長い物語に載せて著している
舞城さんがこれらの言葉の意味をどのように噛み砕いて再構築しているのかがよくわかる作品。興味深かった。
『トロフィーワイフ』
愛情の捉え方の違い
あたかも善いように振る舞っている人の言動が受け手にとっては苦しいことなのかもしれない。しかし、拒絶する理由が明確にないことからその人の善意ありきの行動に染まった生活に沈んでいってしまう。
『ドナドナ不要論』
「悲しい」「哀しい」という言葉は一体どのような状況のことを表すのか。「ドナドナ」というかなしいと感じる曲をあえて聴く(自らかなしい思いをする)のはなぜかということ -
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怪作。
確かにジョジョではあるものの、確実にジョジョとは別の〝何か〟。ここにジョジョファンが求めるものは存在しない(と思う)ものの、そーゆーのを特に気にもしないジョジョファンである私は非常に楽しめた。
まずとにかく笑える。カーズ先輩は何かスゲーいい奴になってるし、荒木飛呂彦のキャラクターでも舞城王太郎のキャラクターでもない清涼院流水の九十九十九(あくまで同名の別人だけど)は登場しちゃうし、「ぼくのかんがえたさいきょうのすたんど」みたいなのが登場するし、各部のボス同士が戦うし、杜王町とネーロネーロ島は足が生えて動き始めるで、とにかく笑える。2022年で一番笑った小説は本作だろう。
洪水の -
Posted by ブクログ
どうしてなのか自分でもよく分からないけど、読み終わった後しばらく心に居座り続ける本がある。これもそうだった。
話は3つに分かれていて、それぞれの主人公を見守る『何か(もしくは誰か)』が物語を語る珍しい二人称の小説。
色々な解釈の仕方があるだろう。こういう不思議な掴みどころのない話は。
『これはこうだからこうなのだ』というほとんどの人が辿り着くような明確な結論はなく、悪意の近くに吸い寄せられるように現れるブラックホールのようなものの正体も、そしてその空間をいったりきたりする裸の男が誰なのかも分からない。
文章なのにそれらはわたしの頭の中でビジョンとして居座り続けるから、ついついそのことについ