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Posted by ブクログ
「愛は祈りだ。僕は祈る。」という屈指の痺れる1文から始まり、ページの隅から隅まで祈りと愛がこれでもかと詰まっている。1つの文章にこれ以上愛を詰め込むのは無理だろうと思う。
さらにこの小説は構成さえも祈りになっている。一見バラバラの短編が詰め込まれているようにみえるが、そうではない。恋人をなくした小説家の物語が一応は主軸になっており、ほかのエピソードは作中作と"しても"読めるようになっている。全ての物語は、死に行く想い人の前でなにもできない男の物語として緩くリンクしており、いずれの物語も恋人をなくした小説家の想いの発露としての読解可能であるからだ。一方で、作中の小説家の自己言及する作風とは少し違うようにもみえ、確実に彼の作品だと断言することも出来ない。この物語間の接続に「遊びの部分」が設けられているというのが肝であり、遊びの部分があるおかげで各エピソードは小説家の物語に従属するわけではなく並列した存在となりえる。この主軸から発生し緩くつながりながらも並列であるという構造は、本作が冒頭で提示した祈りの構造そのものであると言える。祈りは、"私"から産み落とされるが、私に従属せず、誰かのために世界を漂う。また、作中のエピソードに夢の壁を突破する話が出てくる。このことによってこの小説の各エピソードの間にはゆらぎが生じる。あるいは小説家の物語が、ほかのエピソードの誰かの夢かもしれないことになる。夢と現の境が曖昧になり、主体が客体となり、客体が主体となる。そして、ある種の集合的自我に発生する祈りを材料とした作中世界として境界線が合間になるとき、その小説を書いている舞城王太郎や、小説を読む私たちの今いる世界と物語の世界も並列であることになり、境界線が消滅する。人への愛と祈りを込めた小説家の作品群は、"彼"に拘束されず、『好き好き大好き超愛してる。』という物語全体に浸透し、さらにはこの現実世界のすべてを包み込まんとする。
テーマや文体、構成、小説として利用しうるすべてのものを使って、言葉を使って言葉を超えた愛と祈りを体現してみせんとし、見事に成し遂げた小説。今後並び立つ小説は書かれうるのだろうか。
Posted by ブクログ
遠藤さくらさんのブログがきっかけで読みました!
完全にフィクションを感じる本作。
「つきゃーん」や「ニヒニョウム」など、現実では聞かない擬音が何度も出てくる度、この世界は本当に存在しないものなんだと強く実感させられます。
また話中に出てくる病の「ASMA」や、石原哲朗の日本画の「彩京」について、似た病があるのかとか、どんな画なんだろうかとかネットで調べましたが、やはり存在しなくて、まんまと嵌ってしまった!と思いました笑
好きな感性にもめぐり逢いました。
「一人の人が一つの夜に見る夢は大きな一つの物語の破片で、全世界の全員の全部の夢を繋ぎあわせると長くて面白くてびっくりする物語が出来上がるらしい」
というものです。
舞城先生の他の作品もぜひ読んでみたいと思います。
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