舞城王太郎のレビュー一覧
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「すねなんか好きなだけかじればいいけど ー 心はかじられると、痛いし、辛いし、ねえ、苦しいし…かじられた分、心ってのは削られて減るんだわねえ…」
「『吸血鬼は実在する』って書いてあったんだよ、それもキリンの脇の下に。怖くない?」
「何でそんなとこに書いてあんのよ」
「逆に、そこにしか書けなかったんじゃない?そういう情報だから」
「ああ…」
「誰かに読んでほしいとかじゃなくて、とりあえず書いておかないと、みたいな」
『架空の物語っていうのは、本当のことを伝えるために嘘をつくことなのだ。』
「ああ…正論ね。正論って駄目だよね。人の怒りとかってコンロの火みたいには消えないから、うまく騙して振り -
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出来事→あいつらなんかこうなればいい→でもホントは違うんだ…そうだとしたらあぁなっちゃうし。だからあれなんだ。
むちゃくちゃなようで妙に説得力があるし、実際間違ったことはいってない。
表現そのものより、表現しようとしているものに含まれるメッセージが胸を打つのかもしれない。あと突拍子のないストーリーと設定とテンポ。グルーヴよりのり。
物語としては素人くさい、パンク。オチむりやり。でも読んじゃう。
わかった、作者が一番楽しんでるから、読者も楽しいんだ。
パッきゃらまどうあたりからあきはじめる。話に関係ない話を楽しめなくなってきた。しかし気づくとはまってる、くそぅ。てかほんと、何でこんな風に書け -
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「死ぬのと、死ぬって思うのと、死んでることと、どれが一番好きか」「そんなん一番好きとかでねーやろ。どれが一番マシかって感じやろ」「バーカ。生きてんのに死んでるのと変わんねーのが一番最悪だっつーの」
『やばい。いろんなところ触ってもんで、もみくちゃにしてからいろんなふうに折り曲げてのばしてぐるぐるにして、そんでべろべろべろべろ舐めてからちんちんこすりつけたい。やっぱり写真とかテレビで見る女の子とかと違って体温があって呼吸していて匂いがあってワオー!』
『世界は穢れている。何故なら俺たち皆が穢れているからだ。』
『セックスすること、愛すること、生きること、人間が好きな全ては、結局のところ鼻ク -
Posted by ブクログ
どうして舞城節の虜になっちゃうかっていうと、例えが抜群に気持ちいいからだと思う。って書いたけどぱっと思いつかないからパラっとめくってみたけどそれでも見つからなかった。前どっかで見たのが「大人だってトトロにガバっと抱きついてがおーってしたい時もある」ってのがあって、単に「ストレスを発散させたい時もある」って書くのと比べたら感覚に訴える土着力がトトロのほうが高いのは歴然でそれが持続して読書中飛びっぱなしだから読んでいる間は一種のアッパーになってる。リーディングハイ。あと発見したのが限りなく映画的な動きが見えたりする。椿の抱いている赤ちゃんに近づくシーンでは”ゆっくり近づいたが、しかしそれはもう走る
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「事実や真実は常に隠されている。隠れている。それらを知るには探さなくては駄目で、探し始めるには疑いが必要だ。それがどこにあるのか?それはどんな姿をしてあるのか?それはどうしてそんな形でそこにあるのか?そうやって疑うことを生業としてきて人の欲や暗部についてはより深く広く知っていると思うが、その知識の応用で別の事実や真実を知ることはまずない。別のものは別の形で隠されているので別の探し方と別の疑いを必要とするものなのだ。さらに、疑うことそのものにも際限なんてない。思いがけない発見をしたという経験が、人をより強く、新しい疑いへと駆り立てる…。隠された、隠れていた事実や真実を知ることは善きことだろうか?
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Posted by ブクログ
完璧な漫画ほど、読んでいてつまらないモノはない
けど、完璧にギリギリまで近づく事が出来た漫画は理屈抜きで面白い
この『バイオーグ・トリニティ』は正に、それに当たる
とことん、画からもストーリーからも無駄を、作中に登場するコンバットナイフで1mm単位で削ぎ落としているような印象を受けた
ストイック、とも違うのだが、飢餓感が際立っているのか? 読み手からの賞賛、なんてチンケなもので腹を満たしたいのじゃなく、自己満足感を強く欲しているように思える。面白い漫画を描ける→嬉しくなる→物足りなくなる→もっと、面白い漫画を描きたくなる、これが舞城先生と大暮先生、両名の中で半永久的にループしている故に、これほ -
Posted by ブクログ
最高に面白い。
1巻では伏せられていた世界の設定が明らかになり、物語に輪郭が与えられ始めたので、ぐっと「わかりやすくなった」。一方でどこまでも、全く新しい漫画を読んでいるという感覚が失われない。
他の追従を許さないリッチでアグレッシヴな作画については最早言葉もないわけでコメントは差し控える。さらに、この作品を最高に新しくてチャレンジングなものにしているのは、やはり藤井と穂坂が合体してしまったことに由来する一個人内の複数人格の混在(又は、混在からの脱出)が物語のキーに据えられた点である。
同誌掲載作品「ジョジョリオン」も奇しくも一個人の内なる二人格(の融合)が物語の謎の根幹となってい