あらすじ
すべてを分かち合う仲が良すぎ? な香緒里と友徳の姉弟。夫の浮気と家出のせいで、沈み込みがちな母・由起子。その張本人である父・和志は愛人・佐々木花とのんびり暮らしている。葛藤や矛盾を抱えながらもバランスを保っていた彼らの世界を、友徳のガールフレンド・三輪あかりが揺さぶりはじめて――。あなた自身の「物語」っていったい何? 優しくて逞しい、ネオ青春×家族小説。
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Posted by ブクログ
「すねなんか好きなだけかじればいいけど ー 心はかじられると、痛いし、辛いし、ねえ、苦しいし…かじられた分、心ってのは削られて減るんだわねえ…」
「『吸血鬼は実在する』って書いてあったんだよ、それもキリンの脇の下に。怖くない?」
「何でそんなとこに書いてあんのよ」
「逆に、そこにしか書けなかったんじゃない?そういう情報だから」
「ああ…」
「誰かに読んでほしいとかじゃなくて、とりあえず書いておかないと、みたいな」
『架空の物語っていうのは、本当のことを伝えるために嘘をつくことなのだ。』
「ああ…正論ね。正論って駄目だよね。人の怒りとかってコンロの火みたいには消えないから、うまく騙して振り回して風に当ててやって、ゆっくり鎮火させないと駄目なんだよね。」
『自分ってこうなんですよって言いたいのと言いたくないのとのせめぎ合いの中で言葉が暴走しちゃったのかもしれない。自分のキャラを演じてるっていう自分に気がついてそれを踏まえた新しいキャラを作り出してってのを重ねた挙句に混乱して意味不明のまま自分の中に引きこもるみたいにして脱出…最悪だ。
何がしたいんだろう?自分でもよく判らない。』
『正論ってのは他人を正すためにあるんじゃないんだよ。世論ってのはあくまでも自分と言う潜水艦の周囲の状況確かめるために発信するソナーなんだよ。自分が正しいと感じる、信じる意見をポーンと打って、返ってくる反響で地形を調べるのだ。ソナーで道が拓けるわけじゃない。』
『正しさで人は変わらない。正しさで人を動かすことができない。』
「あんたねえ、ぶちぶちうざったいよ!あんたの世界観と実際の世界は関係ないの!こうあって欲しい形と実際の形が違うことに失望して落ち込むくらいなら実際と違うことを望まなきゃいいのに!理想と現実のギャップなんてまんま受けとめられないなら理想語るのやめな!ちょっと人前で理想言って良いカッコしたいだけの子と変わんないよ!本当の理想主義の人は、ギャップを測ってそれ埋めるために実際の作業始めるんだから!」
『仮のものしか出せない未来のチケットの本物を求める私が間違っているのだ。』
『男って凄い。チンポ一本でこんだけいろんな人を振り回すことができるんだもんな…。』
『私は家族の何を知ってたんだろう?
私たちは、どれだけお互いのことを見過ごし、見逃し、見損なっていたんだろう?』
『いや、他人に影響を与えるなんてなかなかできないものだ。
人にはそれぞれの考え方、感じ方、価値観、行動原理があるってのは基本前提として誰にでも備わっているのだ。お互いの違いを認めてるからこそ、そうそう本質は変わったりしない。』
『人間のゼロは骨なのだ、とまた思う。
そこに肉と物語をまとっていく。歴史と記憶と想像と思い込みと願いと祈りと連想と創造。物語を物語が飲み込んで、時には思わぬ飛躍も起こる。』
Posted by ブクログ
その時その状況の登場人物達の考えやあれこれが面白い。相変わらずと言えば相変わらず。でもちょっとは温かみがある良い小説だったと思う。どこかで誰かが言ってた気がするけれどやっぱりタイトルは矮小な感じがします。タイトルだけじゃなくて、ところどころそういう偽悪的な、あえて矮小らしく振る舞おうとするような文章がたまにあるけど、あんまり好きじゃない。もうちょっと舞城が落ち着いてきたらそういうのってなくなるんだろうか? ともあれこれからも面白いものを書いて欲しいです。満足。
Posted by ブクログ
舞城作品の中で特に好き。
これまでの舞城作品では、どこかしらファンタジー的だったり、SF的な要素があったが本作はそういったものがほぼない。かなりリアリティラインが高く
設定されている。本作の主人公は、ひたすらうじうじ悩むタイプ。卑屈さこそないけれど、自分で考えを広げた先から否定してその先に進もうとしない思考回路は、ドストエフスキーの『地下室の手記』を思い出した。序盤で登場する「夜の闇の中で、線路に沿って歩いていこうとするんだけれどその先がどうなっているかわからないといって引き換えしてしまう夢」は象徴的。そういった「象徴的な闇」に向かっておそるおそる一歩を踏み出すまでの、主人公の成長を描いた小説だった。
Posted by ブクログ
芥川賞の候補作だったらしい。推した委員もいたそうだけど受賞には至らず。そういった作品だったみたい。否定的な評のいいたいことはわかる気はする。わかるけど、そういった批判を差し引いても素直に面白かったと思う。こっちとあっちをブリッジできてると思う。こっちの人には評判悪いかもしれないけどあっちの人にも伝えようという意気込みと企みをこの作品には感じた。面白い感じで人が出入りする。多少ご都合的な展開かもしれないけど気にならないくらいの文章の面白さがある。面白いから読んでみたら?と普段読まない人にも薦められる。そして、普段読まないような人が読んでもきっと面白いだろうし、純粋に小説が好きな本好きが読んでも面白い作品になっていると思う。ちょっと変わったお姉ちゃんのお話。なんか結構共感してしまい面白かった。
Posted by ブクログ
弟を持つ一人の女の子の物語。両親が離婚する話なのに、何故か暗さが無いのが良い。むしろ爽やか。
タイトル?って感じだけど、途中で分かる。本文中で解説あります。
後半は文字を太字にしてまで人生で大事な教訓を問いてくれる。全く同じ文章が二回出てきて、これが筆者の伝えたいことなんだろうなと思った。
でも一箇所文字でか過ぎ笑
Posted by ブクログ
舞城王太郎の作品の読後ってなぜこんなにも生きる力が湧きあがってくるのだろうか。しかも、ジワジワと…ではなく、ぐわぁぁあー!っと。エナジードリンクを飲んでも感じたことのない、この走り出したくなる気持ち。
アンビバレントな気持ち。
決定的に自分の価値を無駄にした人が、自分を振った人だ。そんな人にまだ気持ちを持っていかれること。
人間としての価値や評価に友達の数は関係ない。
正論は正すためにあるのではなく、あくまでも自分という潜水艦の周囲の状況を確かめるために発信するソーナー。
人にはそれぞれの考え方、感じ方、価値観、行動原理があるってのは基本前提として誰にでも話も備わっているのだ。お互いの違いを認めてるからこそ、そうそう本質は変わったりはしない。皆自分の思うままに生きている。
両親のこと、恋愛のこと、彼氏とのこと、そして何より弟のことを
Posted by ブクログ
よかった!
何かを吹っ切るための小説。
ふわふわ頭の中を漂っているようなもやもやしてくろいくろいやつが、何か一つだけ、消えたような気がするのです。
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単行本でも読んでいたんですけれども、今回もう一度読みたくなって文庫版買っちゃいました…。
まあ、内容は知ってはいたんですけれども、うーん…そこまで、つまりは再読したくなるくらいの内容ではなかったかも…しれませんけれども、舞城氏の作品で女性主人公というのはなかなかに珍しいものがあると思われ、そこは興味深く読めたような…気が致します。
ヽ(・ω・)/ズコー
でもまあ、氏の純文学系の作品はやっぱしどことなく説教臭い感じがするんですよねぇ…でもまあ、笑えたからいいか、という気がします。
確信犯かどうか分かりませんけれども、会話の応酬もなんか笑えるように書いてあるような気がするんですけれどもね…ラノベ的? とも言えるような…けれども、軽い口調の会話の中にもなんか人生の核心を突いたやうな! 一言とかがあって痺れましたねぇ…。
という感じで実は割りと楽しめたかもしれないです…さようなら。
ヽ(・ω・)/ズコー
Posted by ブクログ
2015/6/20
舞城節は好き。
見開き2ページ改行なしで真っ黒とかゾクゾクする。
内容も危うさがいい感じに効いてる。
でも共感はできない。
理屈っぽくうだうだ考えること自体は共感できる。
Posted by ブクログ
全体の1/4辺りまでは、ウウン……と思いながら読んでいたけど後半はけっこう面白かった。が、ラストにでかい文字で「キモッ!」が来た瞬間はやはり頭を抱えそうになった。
舞城さんの作品を読むのはこれが初めてなので分からないのだが、こういう文体、手法を取っている書き手なのだろうか。それともこういう性格をした主人公だから?
ストーリーにいろいろ盛り込みすぎな気もしたが、ラストに向かうにつれ、母や弟、そして主人公自身が変化、成長していく様を読むのはとても楽しかったし、上手いと思った。たまにハッとさせられるブロックがあって、なんだか憎めない作品だ。
Posted by ブクログ
ある意味、これは箱庭小説とも言えるのではないだろうか。
「家族」という箱庭を出て、少女が「個人」へと成長していく物語。
または「物語」という箱庭を出て、人生とか将来とか、そういう「現実」のようなものに踏み出していく物語。
というふうに考えると「臨床心理士」とか「セラピー」とかいうフレーズも思惟的に思えるのだけれど、それは筋違いだろうか。
たとえば63ページの、「ってそんなの興味とも言えない単なる思いつきだけで(…)受験して合格する。認知行動療法に興味を持つ。私は臨床心理士になりたい。」の辺りみたいな、短い平叙文をいくつも並べる書き方が気になったのだけれど、これは意図的なのだろうか。
なんだかまるで、小説のプロットの走り書きそのままみたいに思えて、もしかしてこれはメタフィク小説なのかな、とも思ったりした。
語り手である香緒里はこの物語の時系列にはいなくて、これは別の地平線上にいる彼女が書いた小説なのだ、という。
家族という箱庭を出た彼女が『骨』の次に書き上げた小説がこれであり、そこには彼女の半身のような弟のことが中心に描かれている。
だからその弟を象徴づける「ビッチマグネット」という言葉を、この小説のタイトルに彼女はしたのである。
…というのはちょっと飛躍にすぎる解釈だとは思うのだけれど、
「物語が物語を飲み込んで、時に想わぬ飛躍も起こる」のだから、あながち間違いだとは言い切れまい。
というのはちょっと、強弁にすぎるかもしれない。