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Posted by ブクログ
『《手負いの熊》って俺ら全員そうだよ。皆何かに傷付いて怒って危険な状態なんだよ』
『部屋も人生もゆっくり悪くなるからどこまで酷くなってるんだか判断がつきにくい。』
『お前はお前で、《学校襲撃イメクラ》楽しんでたんだろ?コスプレだったんだろ?猫殺しも小説もあの包丁も、単なる衣装だよな』
『レスカが太陽でりえが地球なら、月は僕なのだ。永遠にりえと一緒に運動を続けるのは僕なのだ。』
『別にいいんだよ。自分のこと好きな男の人なんて、私他にいらないもん。慎平だけでいいよ』
『証明なんてどうでもいいよ。ホントに俺はりえのこと好きだし、好きなふりでも何でも、りえが俺に優しいなら何でもいいよ』
『ゆっくりでいいんだよ。これ以上勉強したら、人生じゃなくなっちゃうもん。』
『戦争のない世界。汚職のない政治。薄れない愛情。いつか必ず叶う恋。馬鹿馬鹿しいけど、そういうものってやっぱりホントは皆欲しいのだ。』
『でも、今ちゃんと生きることを考えて、そのまま明日、明後日のことを考えていたら、いつか死んじゃうなんてこと自然と考えないだろ?…ね?それでいいんだよ。大事なのは今をちゃんと生きることと、その次のことをしっかりと考えること、そうしていれば、いつか誰かが死んじゃうなんてこと、考えなくても問題ないからね。』
『愛している人間の言う、自分にとって「正しい」ことを目指して生きていけば、そして、そういうふうに今、今、今を生きて、明日、明後日、来年のことを考えていけば、それで僕は人生満足だ。』
『いいやろ最後に本当のことくらい!あんたには私の身体あげるんや!心もちょっとくらいはそん中に入ってるわ!言葉くらいいいやろ他の人にあげても!』
『杣里亜。ありがとうはいいよ…友達なんだから、できることをしたかっただけや。それができんくて、本当にごめん。それだけや、俺は』
Posted by ブクログ
元々は『みんな元気。』という単行本で出版されたのが、文庫化にあたって『みんな元気。』と『スクールアタック・シンドローム』に分冊されている。『みんな元気。』の収録作は「みんな元気。」「Dead for Good」「矢を止める五羽の梔鳥」。『スクールアタック・シンドローム』は「我が家のトトロ」「スクールアタック・シンドローム」に書き下ろしの「ソマリア、サッチ・ア・スウィートハート」だ。
電子書籍で全部読もうとすると『みんな元気。』は単行本版で電子書籍化してしまっているので『スクールアタック・シンドローム』(文庫)は「ソマリア、サッチ・ア・スウィートハート」を読むためだけに買うことになる。もう少しどうにかならなかったのかと思うが、この「ソマリア、サッチ・ア・スウィートハート」がかなりの良作で、この一編を読むためだけに買っても後悔はないと思う。人によっては「ソマリア、サッチ・ア・スウィートハート」をベスト舞城に挙げる人もいるとか。
以下「ソマリア、サッチ・ア・スウィートハート」についての感想(ネタバレあり)。
「ソマリア、サッチ・ア・スウィートハート」が舞城作品の中でも際立った作品であることは間違いない。どこが際立っているかというと、この短編では主人公に純粋さ(自分の感情に正直で屈託のないこと)があるにも関わらず、ことが解決せず終わる。私は舞城作品をようやく半分くらい読んだところだが、少なくとも「ソマリア、サッチ・ア・スウィートハート」までの作品で、このような結論をとった作品はなかった。舞城作品では共通して、自分の感情に正直であることが重要視される。自分の偽りなき感情や、ときに偽らざるを得ないという心情を、受容することで主人公は問題を乗り越えていく。ときには殺人事件などの不可逆的破壊によって、一般的に平和と呼ばれるような理想的な状況に回復しないまま終わることもある。それでも、舞城作品の主人公たちは、どうしようもないことを受容することで、ニュートラルに、自分の人生を生きるすべを見つけていく。「ソマリア、サッチ・ア・スウィートハート」は今までのそういった純粋性至上主義に対するアンチテーゼのような作品だ。そもそもが死の悲しみやままならないことへの足掻きに対するアンチテーゼとして舞城王太郎作品はあったけれど、今作はそのさらに揺り返しをやろうとしている。「ソマリア、サッチ・ア・スウィートハート」では主人公はステレオタイプ的な恋愛や友情を脱して、ただ相手を大切にする想いを「友情」として再定義して、杣里亜を壊そうとする家族から彼女を救い出そうとする。しかし力及ばず、諦めざるをえない。そこで諦めるしかできないことにも真剣に向き合おうとする。ここまでは舞城作品的主人公のあり方なのだが、そこからこの作品では、主人公と杣里亜の関係が自然消滅してしまう。そして、主人公は、どこかそのように関係が遠ざかってしまったことを受け止めきれていないように読める。「杣里亜が俺の真の友達だったことって一度でもあっただろうか?」とまで言ってしまう。その後に、真の友達なんてなくて友達は友達で、自分から遠いところにいても幸せになって欲しいと『好き好き大好き超愛してる。』の冒頭の独白に通じる"祈り"の文章へと繋がっていくのだが、「ソマリア、サッチ・ア・スウィートハート」の"祈り"は儚い感じがする。冒頭のソマリアについての解説を回収する形で紡がれるラストの言葉は、短編小説の構造としてはとても美しいけれど、同時に諦観を帯びているように感じた。
Posted by ブクログ
この本収録の、「ソマリア、サッチ・ア・スウィートハート」を読んで、おおいに頭を抱えた。この後味の悪さ。優しさ。無力感。
自分の生きている世界こそが現実なのに、その現実はなんとグロテスクで即物的なのだろう。私達はこの現実に対して、どうやって立ち向かえばよいのだろう?
「でね、あんたが言うの。どんなに綺麗な夕日よりも私の人生は美しいんだから、そんなちっちゃい夕焼け空なんて拝んでないで生きようぜって」
でも、どうして守りたいものを守れないの? どうして助けたい人のことを誰もが助けたいと思わないの? 私のこの気持ちも嘘で、ただの偽善=ポーズなの?
なぜ物語が必要なのか、どうして私達は物語るのか、それは想像ということそのものが一種の救いであるからかもしれない。このお話の恐ろしい事実はただ事実として繰り返される。何度も繰り返されて、主人公はそれを止めることができない。
けれどなぜこんなにグロテスクでめちゃくちゃな物語が切ないのか、それはイメージの美しさがあるからだ。この短編の「ソマリア、サッチ・ア・スウィートハート」という素敵なタイトル、ソマリアという紛争の絶えない地域の国旗になぞらえて終わるラスト、杣里亜が語る死後のソマリア(?)で見る夕日の情景……それらは現実には存在しない。みんなイメージで、実際に「起こった」とされていることではない。作中人物が想像上で思ったり見たり体験したこと、あるいは読者である私達が受け取ったイメージである。
けれどもそれがこの陰惨な物語を美しくする。事実とは無関係であっても、無関係であるからこそ。そしてそれが想像力の力であり、救いなのではないかと思う。
Posted by ブクログ
【本の内容】
崇史は、俺が十五ん時の子供だ。
今は別々に暮らしている。
奴がノートに殺害計画を記していると聞いた俺は、崇史に会いに中学校を訪れた。
恐るべき学校襲撃事件から始まった暴力の伝染―。
ついにその波は、ここまでおし寄せてきたのだ(表題作)。
混沌が支配する世界に捧げられた、書下ろし問題作「ソマリア、サッチ・ア・スウィートハート」を併録したダーク&ポップな作品集。
[ 目次 ]
[ POP ]
わけわかんねえ、でもなんか、心の芯に突き刺さってくるんだよなぁ、という感じがとっても気に入っている舞城王太郎さんの文庫最新刊。
「スクールアタック・シンドローム」「我が家のトトロ」「ソマリア、サッチ・ア・スウィートハート」からなる短編集。
全部大好きだけれど、私は表題作が一番好きだな。
というわけで表題作について触れると、とにかく自宅ソファが気に入ってしまってそこから動けない主人公の話なのである。
そこになぜか知らない人が乗り込んできて、なんだかわからないうちにそいつの耳を食いちぎって、そして飲み込んでしまう。
もうこれだけでも私は爆笑してしまってでもちょっと物哀しくて泣けてしまった。
そして耳をくいちぎられたやつはとっとと出て行って、川原まで行ったところで、そのへんにいた人間に対して暴力をふるう。
暴力は伝染するのだ。
そんな主人公が15のときにその子どもとして生まれてきた崇史。
こいつはこいつで、学校を襲撃する計画をノートにびっしり書いている。
これも暴力の伝染のうちのひとつ。
破天荒な主人公とそのまわりの人々、そのありえない世界の中で、私たちが抱えているつらさとか切なさとかよくわからない気分みたいなものがめいっぱい書き込まれている作品。
ほんとうにもう、私はこの作品を読めただけで、今後まともに生きていけなくてもいいか、ととても励まされました。
絶対に読んでおくべき舞城作品です。
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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