福田和也のレビュー一覧
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文芸評論家として活躍する著者が、読書法と文章の書き方を読者に教授する。まず、どの本を読むにしても共通するが、本を読む目的を初めに定めなければならない。たとえ小説であったとしても、目的以外の内容は軽く読み飛ばすことを推奨する。また、本には、内容が難しくて読みづらいものもある。その場合、基本的に読まない。ただし、必要に迫られて読むときは、先に入門書で概要をつかんでから取り組むべきだという。これ以外にも、選書方法や古本屋との付き合い方などが載っているが、いずれにせよ、何のために、その本を読むのかを念頭に進めることが重要である。
次に、文章の書き方であるが、ここでは、自分が好きな作家の文章をまねることをおすすめする。ただし、単に、気になる文章を書き写すだけでなく、その文章の構造(言葉、レトリック、形式など)を分析して、血肉化させる。実際に書いて自分の型を確かめることが、文章力の向上につながる。
さらに、文章力を高めることのみならず、分野の幅を広めるためのコツも紹介する。個人的に共感したのが、旅行の効用である。国内外問わず、実際に自分の足を運んで、実物を確かめることは、好奇心をかきたててくれる。それにより、これまでには考えられなかったアイデアが浮かぶかもしれない。 -
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非常に上質な、芳醇たる日本酒を飲んだ気分。
渋江抽斎のごとく、一人の人間から、彼を取り巻く人間模様が、鮮やかに描写される。渋江抽斎と違うのは、それが昭和天皇であり、周囲の人間は、乃木希典であり、山縣有朋であり、ヒットラーであるということ。
本著は天皇の客観的分析ではなく、天皇の生きた時代と人を緻密に再現することで、我々に天皇の目を与えてくれる。彼は、こうした世界で、物事を見ていたのだ、と。
そしてすでに1巻で見えてくるのは、明るい明治、暗い昭和。
元勲たちを失い、カリスマ明治天皇が崩御し、新たな政治の代表・原敬も斃れたのちの、意思決定機関なき世界。。。
福田和也の博覧強記ぶりが存分に味わえるのも楽しみのひとつ。
昭和天皇がダーウィンとリンカーンの銅像を飾っていた、乃木希典のストイシズム、西郷に「なくな」といわれ終生守った明治帝。
文章もうまい。まだまだ次巻以降、読む楽しみがあることが嬉しい。 -
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本の紹介にあるが、戦後、日本人は勉強のできる人、平和を愛する人は育てようとしてきたが、人格を陶治し、心魂を鍛える事を怠ってきた。
なぜ日本人はかくも小粒になったのか――。
その理由と本質に迫ることこそが、日本人が忘れたものを再認識させ、人生を豊かにしてくれるのである。
ということで、内容であるが、
序章 器量を問う事
人物観の平板さは、自らを縛りかねない
人を見る事は、自分の器を図る事
器は何歳になっても大きくできる
第1章 なぜ日本人はかくも小粒になったのか
戦後、わが国は人物を育てようとしてきたか
戦死に対する覚悟がいらなくなった
貧困と病苦に対する怯えがなくなった
第2章 先達の器量に学ぶ
西郷隆盛の無私
横井小楠の豹変
伊藤博文の周到
原敬の反骨
松永安左衛門の強欲
山本周五郎の背水
田中角栄の人知
第3章 器量を大きくする五つの道
1.修行をする
2.山っ気をもつ
3.ゆっくり進む
4.何ももたない
5.身をささげる
終章 今の時代、なぜ器量が必要なのか
著者の感覚(予断と偏見?)で器量のことが書かれています。選ばれた人物描写もその延長線で。
でも、人の見方はそれでいいのであって、それでこそ愉快な人生が過ごせるのであります。
こんな引用もありました
大物だといはれる人は純粋ではない。
純粋な人は粒が小さくて、大きな舞台には立たされぬ
森 銑三 -
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【本の内容】
年長の友人を死の床に見舞った時、僕は厄介なことを頼まれた。
彼の息子N君の面倒を見てくれ、「男の生き方」を教えてやってくれ、と頼まれたのである。
こうして始まったN君への折々の手紙。
「死者の視線とともに生きることぐらい大事なことはない」
「就職をするのは簡単だ、でも仕事を見つけるのは難しい」
「君が内定を得られなかったのは君自身の『存在』『価値』とはまったく関係ない……」
就職、転職、独立、結婚など人生の岐路で悩む若者への真摯な言葉は、読む人に力と励ましを与えずにおかない。
「人生」をほんのちょっとだけ真剣に考えてみよう。
[ 目次 ]
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
Posted by ブクログ
原敬が青年期に東京で苦学生になり、金策尽きて学校を辞め、教会の仏語学校に通い、再起して東京に来るも、開成学校、海軍兵学校を落第し、司法省学校に入るという経緯は面白い。仏語が堪能なお陰で、清仏戦争後の情報収集役、パリ大使館勤務を経て明治維新の偉人たちと知り合い、堂々と持論をぶつけるまでになっていくのがすごい、この時わずか30代半ば。天津領事館勤務時代にもわずか29歳で李鴻章に対して毅然とした挨拶をしていることも立派。外務省勤務後の新聞社時代も一貫性、話の筋を大事にし、それが後の立憲政友会時代の求心力になっていくのだろう。政友会でも、総裁である西園寺公望、政敵である山県有朋にも堂々の弁を打ち、へこへこしない、媚びない姿勢には共感が湧いた。