あらすじ
著者は言う、「原が元老として若き昭和天皇を導き、初期の治世を支えることができていたなら、議会政治が空洞化し、軍部が政治勢力として台頭することも防げたのではないだろうか」「原の暗殺の重さは、大村益次郎、大久保利通、横井小楠の暗殺よりさらに深刻なものであった」と。賊軍・南部藩の家老の家から、苦労して立身出世を成し遂げ、伊藤博文や井上馨、西園寺公望など元勲との深いかかわりを持ちながら、「力の政治」を体現した「田中角栄型」リーダー。一方、清、朝鮮、フランス駐在の外交官を経験し、キリスト教にも通じ、英語、フランス語が堪能。世界を見る眼が確かだった現実主義者。「白髪の平民宰相」という教科書に載っているイメージの裏側にある、「人間・原敬」の魅力的な実像を明らかにする!
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Posted by ブクログ
原敬が青年期に東京で苦学生になり、金策尽きて学校を辞め、教会の仏語学校に通い、再起して東京に来るも、開成学校、海軍兵学校を落第し、司法省学校に入るという経緯は面白い。仏語が堪能なお陰で、清仏戦争後の情報収集役、パリ大使館勤務を経て明治維新の偉人たちと知り合い、堂々と持論をぶつけるまでになっていくのがすごい、この時わずか30代半ば。天津領事館勤務時代にもわずか29歳で李鴻章に対して毅然とした挨拶をしていることも立派。外務省勤務後の新聞社時代も一貫性、話の筋を大事にし、それが後の立憲政友会時代の求心力になっていくのだろう。政友会でも、総裁である西園寺公望、政敵である山県有朋にも堂々の弁を打ち、へこへこしない、媚びない姿勢には共感が湧いた。