【感想・ネタバレ】人間の器量のレビュー

あらすじ

優れた人はいる。感じのいい人もいる。しかし、善悪、良否の敷居を超える、全人的な魅力、迫力、実力を備えた人がいない。戦後、日本人は勉強のできる人、平和を愛する人は育てようとしてきたが、人格を陶冶し、心魂を鍛える事を怠ってきた。なぜ日本人はかくも小粒になったのか――。その理由と本質に迫ることこそが、日本人が忘れたものを再認識させ、人生を豊かにしてくれるのである。

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Posted by ブクログ

要約

▽筆者の主張
–人を測る物差しが乏しくなっている世間
–複眼で見なければ分からないのが人間なのに
–でも器は大きくできるモノだから学ぼう
▽器量とは何か?
–人の微妙さを測る為に古の人が生み出した言葉
–全てを包み込む風呂敷のような言葉
–厳しい体験から己の良し悪しを探し続けるモノ
▽どのように器量を問うか?
–人を見る事は自分の器を測る事。即ち人を見る事
–仕事の経験。小さい仕事は小さい人間を作る
–仕事の捉え方。世間の専門化が進めば小粒になる

本編では、
▽why?戦後なぜ日本人は小粒になったのか
▽what?戦前先達の器量に学ぶ
▽how?器量を大きくする五つの道

という事が様々な歴史上の人物を例に書かれています。自分ならどうするか?と考えながら読み進められる。

器量を大きくする五つの道を私なりの再解釈をするのであれば以下の通り。

–修行をする→逆境を見据え備える
–山っ気を持つ→楽観的にとりあえずやってみる
–ゆっくり進む→孤独に耐える
–何ももたない→自分の頭で考える
–身を捧げる→志高く

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2020年05月20日

Posted by ブクログ

器量とは何かを知りたくて読書。

読みやすくて勉強になる。人間の器量を考えるために幕末から戦後までの人物のエピソードを紹介している。著者の視点が面白く新たな歴史の側面を知ることができる。

横井小楠、西郷隆盛、伊藤博文、原敬、高橋是清あたりが目からウロコ。

著者の知識量のすごさを感じさせてくれる一冊。

読書時間:約1時間

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2011年09月23日

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人間の器が大きい、とはどうゆうことか。近現代の先人たちの立ち振舞いを交えて、ポンポンと軽妙な語り口の面白い一冊。

「貧しくなることも富むことも煩わしい」現在の日本人の中からは、なるほど「人物」と呼べる人物は出てこないわけだ。

考えさせられます。オススメ。

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2011年08月07日

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戦前と戦後で人材教育の何が違うのか。筆者は江戸時代をも評価し、明治維新、列強入りは人物がいたからだと、大隈重信、西郷隆盛らを例に挙げながら説明を試みる。薩摩藩士が島津公と狩に出かけた話。ある藩士が号令前に銃声を上げてしまい、獲物が一斉に逃げた。切腹ものだと島津公。それを聞いた薩摩藩士は一斉に銃声を上げる。切腹を怖がると思われるのは屈辱と。

命を賭す覚悟、そうした幼少教育の有無。いつからか、戦後の我々の在り方は、人との横並びに安心し、踏み固められたレールや、その逆張りのパターンを見ながら、自らの大成や利益を上げることが成功であるかのような価値観にシフトしてしまったようだ。そうではなく、どうせ死ぬもの。人生は死をいかにプロデュースするか、大事を成す事に情熱を傾けねば、戦前のような人物は得られまい。どちらが良いとは単純には言い難いが。

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2019年11月06日

Posted by ブクログ

器量の大きい人間について書いた一冊。

主に明治以降の人物についてだが、あまりよく知らない人物もいて非常に興味深かった。

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2017年10月02日

Posted by ブクログ

本の紹介にあるが、戦後、日本人は勉強のできる人、平和を愛する人は育てようとしてきたが、人格を陶治し、心魂を鍛える事を怠ってきた。
なぜ日本人はかくも小粒になったのか――。
その理由と本質に迫ることこそが、日本人が忘れたものを再認識させ、人生を豊かにしてくれるのである。
ということで、内容であるが、
序章 器量を問う事
 人物観の平板さは、自らを縛りかねない
 人を見る事は、自分の器を図る事
 器は何歳になっても大きくできる
第1章 なぜ日本人はかくも小粒になったのか
 戦後、わが国は人物を育てようとしてきたか
 戦死に対する覚悟がいらなくなった
 貧困と病苦に対する怯えがなくなった
第2章 先達の器量に学ぶ
 西郷隆盛の無私
 横井小楠の豹変
 伊藤博文の周到
 原敬の反骨
 松永安左衛門の強欲
 山本周五郎の背水
 田中角栄の人知
第3章 器量を大きくする五つの道
 1.修行をする
 2.山っ気をもつ
 3.ゆっくり進む
 4.何ももたない
 5.身をささげる
終章 今の時代、なぜ器量が必要なのか

著者の感覚(予断と偏見?)で器量のことが書かれています。選ばれた人物描写もその延長線で。
でも、人の見方はそれでいいのであって、それでこそ愉快な人生が過ごせるのであります。
こんな引用もありました
大物だといはれる人は純粋ではない。
 純粋な人は粒が小さくて、大きな舞台には立たされぬ
  森 銑三

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2017年08月27日

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改めて自分の人間力向上の必要性を決意させられる書。以前の日本人の持っていた器の大きさ、規模と時間軸、スケールの大きさを問われる。

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2012年07月07日

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著者の得意分野、実は徹頭徹尾エシカルと言っていいような価値の切削。特に近代史に至って筆は冴えている。最後に今村均大将が来て、ケリがつけてある。

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2012年02月22日

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器量とは辞書(といってもgoo辞書ですが)によると
1ある事をするのにふさわしい能力や人徳。「指導者としての―に乏しい」
2その人の才徳に対して世間が与える評価。面目。多く、男性についていう。「―を上げる」
3顔だち。容貌(ようぼう)。多く、女性についていう。「―のよい娘」
4もののじょうず。名人。
とのこと。私なんかは、どうしても項番3のことが最初に思い浮かぶのですが(笑)、本書は項番1ないし2についてですね。男です。
著者が本書で述べていた「結局、気にかける人、心を配る人の量が、その人の器量なのだと思います。自分のことしか考えられない人は、いくら権力があり、富があっても器にはないに等しい。」にすべてが集約されるかと。
今の日本、震災や原発事故でバタバタしていますが、器量のある政治家や企業トップはいないと感じざるを得ませんね。

本書は福田さんから見て、器量のある人とその器量について語ったもの。
とても足元に及ばない人ばかりですが、将来の日本を、世界をつなげていくために私たちは何をできるか?どういう人でありたいか?を考えるヒントになった一冊。

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2011年04月09日

Posted by ブクログ

過去の偉人たちや時代背景を例にして、現代人の「人間力」の無さを訴えている。

やたらと宗教的だったり、時代錯誤じゃないかと思う記述も多々あるんだけども、膨大な言葉の山の中から、今の自分のフィーリングに合ったエピソードなりセンテンスなりを拾い上げることができるなら、なかなかの良書だと思う。

少くとも、僕はちょっと元気になった。

ゆっくり進もう。

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2010年08月08日

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女性があまりでていないのが、残念だったが、おもしろかった。
昔の人は言葉を変えれば、やりたい放題やっていたんだな、と思った。
「何ももたない」「身を捧げる」
頑張ります。

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2010年02月09日

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器量が育つ時代から自ら育つ必要があるということか。
お金にとらわれない、人の評価にとらわれない生き方。
毎日を充実して過ごす。誰もが長短あれど、死んで終わり。思い残すことが無いようにするために、器量を育てる。今の現在があるのは先人のおかげ、歴史を知り当たり前の尊さを知る。今を戦うことで、未来の人に当たり前を届ける。人を育てながら、自分も育つ。細分化で専門を極めると小粒になる、でも現代は専門化が進んでいる。ならばいくつもの専門性を身に付け、仕事や立場を離れたことも大事ということ。

最初はしんどいが、読み返すと味が出てくる。

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2019年10月19日

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日本の近現代の中から、器の大きな人物を30人取り上げ、その人間像を紹介しています。

「器量が大きい」というのは、いわゆる「人格が高潔である」ということとは違います。たとえば伊藤博文という人物について、若い頃に塙保己一の跡取りの忠宝を暗殺したことがあり、多くの女性と関係を持っていたなどのエピソードが紹介されています。それでも、そうした側面をすべて含めて、伊東博文という人物には人間的な「器量の大きさ」があったと、著者は言います。

岸信介や田中角栄といった戦後の人物に関しては、とりわけその問題点も見えやすいのですが、それにもかかわらず、彼らの器量の大きさをまずは認めようというのが著者のスタンスです。そうした立場から著者は、現代の日本人の器量が小さくなってしまったことを歎じています。

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2014年02月05日

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歴史上の人物の持つ「器量」を紹介しながら、現代日本人に欠ける器量を説く。
命が”軽く”なった現代。命を預けられる、と思わせるほどの器を持った人物が必要だった時代の先達から、学べることは多い。という部分で勉強になった。が、あまりにも著者の個人的”器量感”が出過ぎている感…。まぁ新書なんてそういうものか。ありがとう。

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2013年12月16日

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西郷隆盛
大久保利通
明治天皇ー痛いと言わなかった
横井小楠(しょうなん)
原敬
松永安左衛門
山本周五郎◎
酒井雄哉
高橋是清
宮本常一「忘れさられた日本人」
今村均
徳永蘇峰

面白そうな人たち

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2013年05月14日

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自分の器を育てなければならない。
もうちょっと具体的に話してくれれば、と。
例の中から感じれ戦法が見て取れる。

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2015年07月14日

Posted by ブクログ

気にかける人、心を配る人の数の多寡がその人の器量なのだ。と、目から鱗でした。僕なんかなんて器量が小さいことか!結局自分のことしか考えていないんですよね。恥ずかしいかぎりです。ただ、器量を大きくする五つのたいさくは如何なものか。
①修行する。剣道と座禅。若しくはスポーツ。頑張りましょう。鍛錬しないとね。②山っ気。先天的なものは如何なものか。お前はダメだって言われてるようなものでしょ。③ゆっくり進む。仰る通り。④何も持たない。う…持ち過ぎかも。⑤身を捧げる。う…これも難しいなぁ。やっぱり器量の大きな人って今の時代にはいないよね。明治以後、年代とともに人の器量が小さくなっているのは、年代とともに豊かになっているからなのではないんでしょうか⁈

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2012年10月07日

Posted by ブクログ

現代の日本人を”小粒”と表現し、近代日本の礎を築いた”器の大きい”偉人のエピソードを紹介し対比することで、「人間の器量とは何か」が綴られている。確かに、いまもてはやされている起業家や政治家に対し(おこがましくも)評価してみた場合、本書で挙げられている偉人との、そのスケールの違いは私のような人間でもぼんやり理解できた。バカはバカなりにイメージできたのは、現代には「英雄」とか「偉人」、「豪傑」のようなニックネームがつけられそうな人はいない、ということであった。「知的」「スマート」「商売上手」「どじょう(関係ないか)」なんていうイメージの人はたくさんいるが。
おそらく著者は、若い人に読んでもらうことを意識して、易しい言葉選びをしているのではないか、と思えるほど、読みやすい。現代日本人の器が小さくなった理由として著者が「死が身近でなくなったこと」を仮説として挙げているが、易しい言葉が選んで使われているせいか、「確かにそうなのかもしれない」と納得させられた。
また著者の本を読んでみたいと思う。

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2011年09月28日

Posted by ブクログ

人間の器量

器量とはつまりどういうことなのでしょうか?

様々な歴史上の人物を引き合いに、その解答例を紹介しているのがこの本です。


人の器量、それは水平なモノであるとこの筆者は述べています。偏差値や点数みたいな垂直的なモノではなく、広いかちっちゃいか。


器量とは実力だけではありません。白と黒の世界ではなく、1か0のデジタルな世界でもなく。清濁併せ呑むことが器量であり、器量を評価できる唯一の方法だといいます。


例えば高橋是清の例。彼は政治家としての能力は皆無でした。総理大臣になってもすぐ追い出されますし、女にもだらしない。

だけど、庶民からはダルマ、ダルマと慕われていました。彼が大蔵大臣をしている限り、景気は悪くならないし物は売れると市井の人は知っていたからです。

また、教師の話も素晴らしい。筆者が学生の頃、教授におごってもらった時のお話です。

六人の学生達は教授があまりお給料がないことを知っていたので、安いカレーライスを頼んだのですが、教授が「本気」で怒った。安いモノを頼むなと「本気」で怒った。

本気で怒るのがどんなに大変か。しかもその理由が「奢るのに安いモノを頼むな」ということ。器の大きさが分かりますね。



筆者は、今風の教育では器量人は生まれないといいます。餓死や戦争、病気への覚悟が器量を形作ると主張している。

だけど、僕はそうは思いません。筆者のいう器量の意味であれば、器量という言葉は死語になってしまいます。常に死と隣り合わせだった時代に戻れることなどできないのだから。


だけど、自身の実力はあまりなくても仲間が全力で助けてくれる斎藤佑樹は器量があるといわないのでしょうか?

東日本大震災において、自身の今季賞金金額を全額寄付すると決めた石川遼は器が小さいといえるのでしょうか?


確かに日本は平和になり、生死に関わる要素は少なくなりました。けれど、人が決死の覚悟を決める場面は戦争だけではありません。スポーツや仕事、恋愛。寧ろ多様にあるはずです。


人には人の器の形があります。果たして、自分自身の器量はどんな形をしているのでしょうか。

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2011年06月18日

Posted by ブクログ

[ 内容 ]
優れた人はいる。
感じのいい人もいる。
しかし、善悪、良否の敷居を超える、全人的な魅力、迫力、実力を備えた人がいない。
戦後、日本人は勉強のできる人、平和を愛する人は育てようとしてきたが、人格を陶冶し、心魂を鍛える事を怠ってきた。
なぜ日本人はかくも小粒になったのか-。
その理由と本質に迫ることこそが、日本人が忘れたものを再認識させ、人生を豊かにしてくれるのである。

[ 目次 ]
序章 器量を問う事(人物観の平板さは、自らを縛りかねない 人を見る事は、自分の器を測る事 器は何歳になっても大きくできる)
第1章 なぜ日本人はかくも小粒になったのか(戦後、わが国は人物を育てようとしてきたか 戦死にたいする覚悟がいらなくなった 貧困と病苦にたいする怯えがなくなった)
第2章 先達の器量に学ぶ(西郷隆盛の無私 横井小楠の豹変 伊藤博文の周到 原敬の反骨 松永安左衛門の強欲 山本周五郎の背水 田中角栄の人知)
第3章 器量を大きくする五つの道(修行をする 山っ気をもつ 何ももたない 身を捧げる)
終章 今の時代、なぜ器量が必要なのか 器量人十傑(明治、大正・昭和戦前、戦後から今日まで)

[ POP ]


[ おすすめ度 ]

☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

[ 関連図書 ]


[ 参考となる書評 ]

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2011年05月22日

Posted by ブクログ

@yonda4
器量とはどれだけ他人のことに気を配ることができるか、
ということはわかったけど、心を動かす内容ではなかった。

歴史上の人物、特に武士の器量を現代人に習わせようとするには無理がある気がしてならない。

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2011年04月07日

Posted by ブクログ

数々の先達の器量について紹介したで、自分の器量を大きくする道を著者は五つ挙げています。修行をする。山っ気をもつ。ゆっくり進む。何も持たない。身を捧げる。とてもではないが、真似できそうにない・・・。

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2011年08月03日

Posted by ブクログ

「日本人は幸せな分だけ小さいこともまた否めません。」
この一文に激しくうなずいてしまった。

この本で取り上げられている偉人達。明治期に活躍された方が多いが「志」が色濃くあった時代だからこその器量だったのか?

日本人の志はどこへいった?

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2010年09月06日

Posted by ブクログ

日本人が小粒になった。
昔は、死が身近だったからもっと一生懸命生きた。
とのたまう本。

松永安左衛門が、資本主義を信奉したとか、他を搾取して自分を富ました
とか、それは他人の命名する標題に過ぎません。て言ってたとか、
(松永安左衛門「勇気ある自由」)
山本周五郎は、原稿料は読者が自分に本を書いてほしいからくれるもので
あって、私財ではない。と言ってたとか、
偉い人(福田さんのいう大粒な人)の生き方が色々書いてある。

死ぬことが天秤の片側にあって、自分の信念を貫いて生きぬかなくちゃいけ
ないのがつらいから、今の世の中になった訳で、今、誰もが頑張る理由を探
しているところに、死を感じろってのは、ちょっと難しいんじゃないかと思った。

一個面白いと思ったのは、山本周五郎が文章を書くときに酒を飲んだのは、
「神経や意識を少し、矯めないと、書くことができない」からだというところ。
鋭敏過ぎる人は、少し意識をぼーっとさせないと集中できない。ということ。
確かに、ちょっと疲れてきた午後の方が仕事ができたりする。
なるほど。と思った。

先をいそぐことはない、あとからゆっくりついていけ、それでも人の見のこした
ことは多く、やらねばならぬ仕事が一番多い。と宮本常一の父の言葉。
死を恐れる、自分の存在がなくなるのを怖がる、というのは、結局、自分の事
しか考えていないからこそ湧いてくる観念なのですね。
結局、気にかける人、心を配る人の量が、その人の器量なのだと思います。
一喜一憂できる範囲がその人の器量である。

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2010年05月30日

Posted by ブクログ

【感想】

いささか偏った表現もあるが、器を大ききすることは何のためなのかについて、考えさせられた。

* 人を評価する物差しが乏しい。
* 人というのは、複雑で多面的な存在で、そうそう簡単に切り捨てられるものではない、という当たり前のことが、いまの世間から、完全に抜け落ちている


* 自分をきちんと知ることは、とても大事なこと。昔の人が、剣術の修行をしたり、座禅をしたりしたのも、己を知るため。厳しい体験を経ることで、己の弱さと強さを認識していく
* でも今日では、体験から自分を発見する、自分がどんな人間なのかを見極める努力をしないで、基準を外に求めていく。偏差値とか、学歴とか、資格とか、業績とか。もちろんん、そうして要素が生きていく上で大切なことは慥かでしょう。けれども、それがすべてではない、すべてではないし、それだけに縋るのは危ういことです。
* 自らの心と資質は、測りがたいものだから。
* その難しさ、微妙さを痛感した古の人が、ひとの器、器量、ということを言い出した


* 上から貰ったものは、上には返せない。だから、下に返す 中田美喜


* 日本人が小粒になった理由
1. 戦死に対する覚悟がいらなくなった
1. 貧困と病苦に対する怯えがなくなった
o その人のためになら死ねるような指揮官への人格的感動なしに、戦争名でせきないことを、まったく忘れている

*
o 貧困や病苦のどうしようもなさ、いくら不平を言ってもしようがない、議論をしてもどうしようもない、自分で自分の運命を処決しなければならない場面に立った人間と、立たなかった人間とはおのずと覚悟は違ってくる
o 高貴であるものは、普段は労働に従事せず、学問やスポーツに精を出しているけれど、国家の危機になれば、一番先に前線出でて命を捨てる。それこそが、ノブレス・オブリージュ


* 器量を大きくするための、五つの道

1. 修行をする
2. 山っ気を持つ
3. ゆっくり進む
4. 何も持たない
5. 身を捧げる

* 死んで動かなくなればそれで終わり。その終わりに向かって長短はあれど誰もが歩いている。であるとすれば、その道のりをできるだけ充実させるように励み、試み、考えるしかない。動けなるその時を、死を、見苦しくなく、なるべく思い残すことなく、迎えるために。そのために器量を育てる、大きくすることが必要なのです
* 気にかける人、心を配る人の量が、その人の器量なのだと思います。自分のことしか考えられない人は、いくら権力があり、富があっても器はないに等しい。死を目前にして最後の最後まで未練にすがりつかなければならない。

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2010年04月22日

Posted by ブクログ

人間の器量とはなにかな。
器量とは、
1 ある事をするのにふさわしい能力や人徳。「指導者としての―に乏しい」
2 その人の才徳に対して世間が与える評価。面目。多く、男性についていう。「―を上げる」
3 顔だち。容貌(ようぼう)。多く、女性についていう。「―のよい娘」
4 もののじょうず。名人。
Yahoo辞書より

仕事が出来る人より、人間として、器量がある人を目指したね。

心が広い、度量がある人
能力ある、役に立つというだけでなく、個人の枠、背丈を越えて、人のため働ける人
何の得にもならないことに命をかけられる、尋常の算盤では、動かない人間

かっこいいじゃないですか。

最近、日本人の器が小さくなった。
明治維新、2次大戦後の高度成長期には、大人物が現れて、日本を救った。
平成の大恐慌では、救世主は現れない。
戦争がない太平ボケをしてしまったからか??

日本人が小粒になったのは、60年戦争がないから
老衰、病死、事故死しかしらない日本人は、死に対する人生観が違う
慰安と平等と健康を求めて、抜きに出るこ事や英雄的な行為、犠牲を好まない。
怖いのは、病気と経済的な破綻だけ。強い信仰もなく、哲学も必要ない。
めでたいといえば、めでたいですが、これで、国が、社会が持つかのか、次世代に何を残せるのか、大いに不安です。

自分の器は、まだまだ、大きくできる。
いまからでも、遅くないから、小さなことうじうじ言うのはやめようかな。

気にかける人、心を配る人の量が、その人の器量なのだと思います。自分の事しか考えられない人は、いくら権力があり、富があっても器はないに等しい。死を前にして最後まで未練にすがりつかねれればならない。

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2010年03月21日

Posted by ブクログ

世の男性は読んでいると少し胃が痛くなるかもしれませんが、男にとって器量とは気になるキーワード。。面白い本です

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2010年02月04日

Posted by ブクログ

戦争など死の臨場感が足りていない

覚悟がない

歴史上の器の広い人物の紹介

伊藤博文や田中角栄

妾の話など多数。そういう問題あっても能力は高い。

現代においては状況は変わっているのでそのまま適用はできない。

その時代背景を考えながら読む。

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2009年12月17日

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