人生で一冊だけ本のタイトル挙げるなら、まずこの本を片手に他の本を見比べて腕を組み悩むことになると思う。
『紳士のスポーツ』ロードレースという競技を舞台とした本作。
主人公の白石誓はロードレースのプロチームに所属している。
ロードレースではエースの勝利をチームの勝利として、エースの勝利のためにアシストは尽力する。
白石の所属するチームのエースである石尾に暗い噂がつきまとう中、次期エースと噂される伊庭と白石は、ある策略に陥れられようとしていた。
開始1ページ目で描かれた死。
太陽の照り付ける抜けるような青空。
溶けた灰色のアスファルト。
そのわずか前まで熱をもっていた真っ赤な血。
揺らぐ視界に映るひどく強いコントラストが、熱と乾きを視覚的に想起させる。
犠牲を意味する語を関する表題に、誰かの死が示唆される。
主人公の白石がしきりに唇を舐める描写や、わずかにしか減っていなかった飲料など、じりじりとした焦燥感が物語全体を覆う。
読んでいるこちらまで息をとめ、心臓の音を聞きながらのどの渇きに唾を呑む。
ミスリードが秀逸な本作。
ひとつはストーリーであり、石尾が次期エースたる伊庭や白石を策にはめようとしているかのように物語は進行する。
もうひとつはタイトルであり、エースのため使いつぶされて犠牲となるアシストの物語として読者は読み進めることになる。
勝利を巡る物語。
エースの勝利。
チームの勝利。
個人ではない、より大きな単位での勝利。
石尾はただ、背負ったものに応えるためにひたすらに真摯に勝利を追い求めた。
その辿り着いた場所は、石尾のポジションよりももっと大きな場所まで白石を押し上げることだった。
勝つために背負ってきた全てを白石誓に託すために石尾豪はあの決断を下した。
背負うものがあるとうまく動けなかった白石が、彼の背負ってきたものを受け継いで走り出す。
誰かのためであるからこそ自由だった白石が、期待され託された勝利を恐れなくなった。
これは、白石のための犠牲の物語となった。
誰かの視点から「こういう人だ」とどれだけ語られたとしても、人の本質は異なるものである。
暗い噂をまといながらもただ勝つための責任を果たし続けた石尾。
スカして自分勝手なようでいて傲慢になりきれずひたむきな伊庭。
主人公の白石はフラットなようでいで、屈折した思いや引きずり続ける過去がある。
女の趣味が悪い、本当に女の趣味が悪くて………。
「私のために勝ってよ」と彼女が言うから勝利を求めることができた。
彼女以外の誰かにただ期待されるだけの勝利を恐れ、自由でありたかった。
きっと白石をそういう人物だと思っていた人はチームにはいなかった。
全てを仕組んだ袴田が、勝利を求めずルール通り清廉である人なんているわけがないと思っていたように。
そういった、見えやしない他人の一面がこの物語を生んでいったように思う。
夢想して、それが叶うなら、きっと最善の道はもっと他にもあった。
白石が評価されたのは、新人ながら好成績を残した点ではなく、リーダージャージを手にしてなおエースのために尽くしたツール・ド・ジャポンの伊豆ステージだった。
仕組まれたワインを飲んだのは伊庭だけだった。
それならば、石尾はただ棄権したって白石はスペインチームに所属が決まったはずだった。
それでもそうはならなかった。
だからこそ、喉元に飲み込めない小石があるような感覚を抱えたまま読み終える。
主人公は周囲に羨まれるような道に進んだにも関わらず。
過去に一度読み、再度読み返したがやはり面白い一冊だった。
続編を読めども読めども、白石の進む道を決めた男がくちを開くことは二度とないことが寂しくて途中で止めてしまったが、また続きを読みたいと思った。
背負ってきた責任のために自分の全部を擲った、寡黙で小さな背中がもうないことがどうしても寂しい、何度読んだってこの結果が避けられない。