橋爪大三郎のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
「なぜアメリカはアメリカ的なのか」
という疑問にひとつの回答を導いた本。
なぜアメリカ人は簡単に転職するのか?なぜアメリカ人は離婚が多いのか?そんな命題に対しても分かり易く説明されています。
また、そんなアメリカの長所と短所、今後の付き合い方も述べられている。
何かを知ろうと思った時にひとつのソースを絶対的な正とするのは危険ですが、アメリカを知るための手頃な一冊にはなるでしょう。
元々、雑誌BRUTUSの特集で同様の触れ込みで掲載されていた本書。
アメリカ入門書という触れ込み通りです。
たまには毛色の違った本を手にとってみるのも頭の栄養になりますね。 -
Posted by ブクログ
言語ゲームは、ルール(規則)に従う人々の「ふるまい」を観察するゲームです。
「ふるまい」という目に見えるものを観察することが言語ゲームの特徴であり、そのゲームに参加している人たちの「ふるまい」の一致や相違から意味や価値を探るということです。
あらゆるルールが言語ゲームということになりますが、言語ゲームを記述する言語ゲームも存在することになります。
つまり、いまだ言語化されていない状態の責務のルールを1次ルールと呼び、そのルールに言及するものが2次ルール(承認、裁定、変更)ということになります。
言語ゲームは、その法則性(ルール)、階層性(構造)、そして観察(フィールドワーク)という点からすると、構造主義の説明方法と相似がみられるのではないでしょうか。
構造主義とは、科学的説明方法の一種で、観察によって事柄に内在する法則と関係性という構造を言い当てるものとされています。
構造主義は、一元主義(普遍主義)ではなく、価値多元主義の立場をとることから、価値相対主義のようにみられることもありますが、多元的価値の構造(関係性)を説明するという立場であり、ポストモダンのように立ち位置をはっきりとさせず、思考を拡散させていくような価値相対主義ではないということです。
言語ゲームも、構造主義と同様に価値多元主義の立場ですが、価値相対主義ではないということがいえそうです。
つまり、誰しも自分の立ち位置というものがあって、なんらかの言語ゲームのルールに従い意味と価値を体現しているという立場です。
言語ゲームに参加している内部からの視点では、ルールに従った「ふるまい」の持つ意味と価値がその限界ということになります。
外部からの視点では、価値多元的に言語ゲーム(ルール)が数多く存在していることを知っておくことが、「ふるまい」の意味と価値の多様性に気付くということから重要となってきます。
確かに社会のあらゆる事象は、価値多元的であるとともに、価値相対的であるということになるのかもしれません。
言語ゲームは、そのゲームのルールがやがて変更されることになれば、そのルールに従った「ふるまい」の意味や価値もまた変わることになります。
あらゆる事象の持つ意味と価値は相対的(絶対的ではない)なものでしかないということになりますが、それでも今自分が参加している言語ゲームから逃避するのではなく、コミットしておくということが現実的な対処ということになり、希望につながる可能性を残すことになります。
従って、私たちがなんらかの言語ゲームにコミットしている以上は、その責任や義務から逃避した立場をとるということはできないということになります。
つまり、ルールに従った「ふるまい」の意味と価値に対応した役割と責任が求められることになるということです。
また、今の言語ゲーム以外の言語ゲームにコミットするという選択の自由については可能性としては開かれているということにもなります。
構造主義は対象の関係性を観察するという科学的(客観的)な手法に基づいた価値多元主義といえるものです。
言語ゲームとは現象学的(主観的)な手法に基づいた価値多元主義の立場に近いものではないでしょうか。
私は現象学の門外漢であるため、識者からこの類似点についてご教授をいただければ幸いと思います。
意味と価値という自然科学では扱えない「質」を実証的に研究する方法として、言語ゲームと構造主義は、広がりを持った「ものの見方」であると私は考えていますが、さて皆さんのご意見はいかがでしょうか。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ構造主義をレヴィ=ストロースを中心に易しく解説する本。易しく、といっても、ぼーっと読んでると全然ついていけなくなって苦戦した。レヴィ=ストロースはソシュールの言語学や幾何学に影響を受けながら、人類学者として神話を研究し、神話とその異本から共通の構造を見つけるように、目に見えるもの形が違っても共通して持っている構造に注目した。たしかに数学であって、私は数学の苦手意識がありすぎるからな…ポスト構造主義がもてはやされているといっても、必ずしも構造主義に欠陥があってそれをポスト構造主義が乗り越えているというわけではなく、構造主義が完全に構造主義でないことを批判していたりもするので、ポスト構造主義も一面すごく構造主義だったりするらしい。いずれにせよ、ちゃんとデリダの批判などを理解せずに流行りに乗っかってポスト構造主義をもてはやすのは危険、ということだが、この本が出版されてから38年、今も日本は思想なきまま政権運用がなされている気がする。市民にもたしかに思想はない人が多いと思うし、私みたいに思想理解度が低い人が多いと思うから、なんか危険な気がする。頭悪い感想だけど。
-
Posted by ブクログ
①宗教社会学について
②ユダヤ教
③キリスト教
④宗教改革(カトリック、プロテスタント)
⑤イスラム教
⑥初期仏教
⑦大乗仏教
⑧中国と日本の仏教
⑨儒教
⑩尊皇攘夷
という10の講義で編成されている。結構難しい、特に後半。
間にコラムも挟まっていて特に面白かったのが⑧の後にある「戒名なんていらない」というもの。どの仏教の経典にも在家の信徒が死んだら戒名をつけてもらいなさい、なんてものはなく「〇〇院××居士」などとつけるが居士とは「在家の男性」という意味で、こんな名前はつけるだけ無駄。戒名の値段は戦後値上がりした、檀家制度が壊れて経済的に成り立たなくなった寺院が葬式のチャンスに過去何十年分の費用をまとめ取りする機能でしかなく、仏教の誤解と堕落の産物としか言えないという。
現代の坊さんなんてそんなもんだよね、高額な費用払ってる人達アホらしい。詐欺と変わらん。