あらすじ
なぜ日本は急速に近代化し、奇蹟のような発展を成し遂げたのか。私は思う。江戸時代の人びとは、自分なりの思索を深め、やがて訪れる新しい時代に備えていた。でもそれは、誰が主役かという話ではない。日本全体がチームとして頑張っていた。日本にしかできないやり方で、世界に通用する、大事な課題と格闘していた。これをひとまとめにして、「江戸思想」と呼ぼう。(中略)江戸時代、志があっても不遇な、健気な若者たちがいた。彼らのおかげで、いまの時代の土台が築かれた。そのことをどうしても伝えたくて、若い世代の人びと(特に中高生のみなさん)に向けて、江戸思想の「入門書」を書かねばと思った。(本書「おわりに」より)徳川光圀、藤原惺窩、林羅山、中江藤樹、熊沢蕃山、契沖、伊藤仁斎、荻生徂徠、富永仲基、賀茂真淵、本居宣長、上田秋成の12人が織り成す、江戸思想のワンダーランドへ。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
明治維新の基盤は江戸時代にできていたよねと、そのバックボーンになった思想家たち12人を軽妙な語り口でわかりやすく解説する。江戸時代は今まで関心があまりなかったので、これはありがたい。
朱子学の導入ということも思想家たちに影響を与えていると思うので、家康もいう存在のデカさも書かれてないけど感じた。
徳川光圀、藤原惺窩、林羅山、中江藤樹、熊沢蕃山、契沖、伊藤仁斎、荻生徂徠、富永仲基、賀茂真淵、本居宣長、上田秋成の12人。
光圀は家督と兄との関係がきっかけで儒学にのめり込んだ。朱子学を林羅山や朱舜水について学び、和歌なども学び、大日本史の編纂を始めた。尊王思想の原点となり明治維新を準備した。
藤原惺窩は別所長治に実家を攻められ、以後は京で儒学をおさめ林羅山の師となり京学派のリーダーとなる。
林羅山は秘伝のようにされてきた儒学を広く公開した。藤原惺窩に代わって家康と謁見してから家康の命で僧となり、訓点を付けたり孔子廟をつくって儒学の枠組みを作った。
中江藤樹は武士をやめ琵琶湖の辺りで自分の生き方を通して儒学を人々に伝えた。朱子学だけでなく王陽明の研究もした。
熊沢蕃山は中江藤樹に入門し岡山藩に召し抱えられる。しかしトラブルに巻き込まれ各地を転々、改革プランが幕府に警戒され最後は古河に幽閉された。
契沖は真言宗の僧だったが、光圀に頼まれて合理的で科学的なテキスト読解で万葉集の註解に当たり、国学の原点となった。
伊藤仁斎は京の商家に生まれたが、勉強が好きすぎて家を出た。訓点なしで漢籍を読んだ。大学が孔子の作でないことを証明し、朱子学の根底を揺るがした。
荻生徂徠は唐話で漢文を読み、朱子学の矛盾をついた。中国びいきとして尊王の志士からは評判が悪かった。
富永仲基は元祖オタク青年、短い生涯で大乗非仏説を論証した。
賀茂真淵は古学を学び、国学のビッグネームとして万葉集の研究などで名を馳せた。
本居宣長は松坂の商家に生まれたが商売に向いておらず医師をやりながら学問に励んだ。源氏物語に夢中で、賀茂真淵と出会ってからは古事記の研究に取り組んだ。
上田秋成は宣長と論争したり、型にはまった江戸時代に自由な生き方を追求した。
Posted by ブクログ
水戸光圀が歴史上果たしたオーガナイザーとしての役割には眼を瞠らされる。
市井の学者である下河辺長流に万葉集の註解を依頼したことが、結果として契沖の「万葉代匠記」を生み、その仕事が本居宣長に決定的な影響を与える。
朱舜水を江戸に招聘するのを聞いた伊藤仁斎が、朱舜水に手紙を書き、教えを乞う。
江戸時代を代表する12人の思想家たち一人ひとりの人生と思想の核心の記述も面白かったが、当時の交通事情の中でも彼らが繰り広げる交流のあり方がとても興味深かった。
ただ、この企画の範囲ではないものねだりを承知で言うのだが、思想の記述に深みが足りない。せめて次の読書への道しるべを示してくれていたらと思う。
Posted by ブクログ
江戸時代の思想史をうすーく述べたもの。仏教から別れるようにして儒学が育まれ、儒学のアプローチを転用して国学が醸成される知のリレーは読んでいて面白かった。一方、古事記や万葉集の読み解きがなぜ困難なのか、みたいな前提の説明が薄く、ちょっとなあという感じ。
Posted by ブクログ
朱子学、国学の思想家の生い立ちの紹介。儒学を金にならないながらも藤原惺窩、中江藤樹、熊沢蕃山らは武士だったり、在野だったりと追及してきた林羅山のように幕府お抱えになったのはごく一部であり、まさに有志。
水戸光圀が、大日本史の編纂をおこない国学の元をつくり、契沖、賀茂真淵が、万葉集、古事記、特に、本居宣長が尊王論につながる国学の形をつくった。
Posted by ブクログ
本書は仏教、儒教、朱子学、古文学など一般以上の知識が無いと「面白い」とは言えないが、徳川光圀がツッパリでヤンキーだったこと、歴史を古代の歴史書(六国史等)を鵜呑みにせず正しく理解し「大日本史」を完成、子孫に残した偉業は素晴らしい。何故歴史に興味を持ち「大日本史」を作成し始めたのか、それは出会いである。明朝の遺臣王朝の血筋を保つ朱舜水とある。明の皇帝復興を目指した中で本物の儒学の理想を体現したことだ。本書に出る他の11人もノイローゼになったり、貧乏で苦労、悪いレッテルを貼られた人々だが、宗教、文学に目覚め著名な出版物を世間に多く出している。著作作品を遺すことへの思想家たちの志は素晴らしく、それが明治以降の文化継承にもつながったことだ。