金原ひとみのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
やっと読み終わりましたー!
手に取ってから読むまでかなり時間がかかってしまいました。
GOATという雑誌はわたしが読書楽しい!ってなり始めの頃に創刊して、まだ色んな作家さんに出会えてない、出会いの場を作って貰えた雑誌でもありましたし、読書の楽しみも改めて教えてもらえました。
そんな姉妹雑誌が出ると聞き、即買いました。
meetsと名前にもある通り、作家さんたちが出会って色んな事が生まれたり、
とても興味深かったです。
韓国文学や、歴史、そして色んな世界に行ったかのような物語たち。異世界… 満足感たっぷりでした。
わたしは、旅とはつまり未知なるアリを見ることであるがとても、面白かったです。
文字の書き方がとても面白く、その背景まで見えた気がしました。
あとは異世界をのぞくとの2作も好きでした。
読むのも時間かかったんですが充実感たっぷりの時間を過ごせました。 -
Posted by ブクログ
凄かった。エッセイというものをほぼ読んだことがなかった私にとって強烈な読書体験だった。
ほんタメというYouTubeチャンネルで紹介されており興味を持って読んでみた。これは、映像化はきっと難しい、本という媒体のみを通して伝えられる感覚だと思った。
共感できる部分も多く、一方で共感できなかったあの子の振る舞いはこんな感覚にルーツがあったのではと思い至るところもあって、強烈に胸に響いた。私の感じたもやもやを言語化してもらったようで嬉しさもあった。自身も女性性を元とした経験はポジティブ面、ネガティブ面ともにあり、同じような経験をした作家がそれをどう捉えるかを聞けたことが嬉しかった。
性に関する体験をもとに感情が描かれていて、一読するだけでは飲み込みきれなかった部分もあった。一作ずつ丁寧に読みといていきたい。 -
Posted by ブクログ
金原ひとみさんの作品は、ミーツ・ザ・ワールドが初でした。すごく好きな世界観で、私が今まで読んだ作品の中で、この世界観に出会ったことがなく、すごく感動したのを覚えています。
そこから金原さんのことが気になっていたのですが、この本を読んで自分とは生きてきた環境が全く違うことが分かり、自分と生きてきた環境が違う人がこんなに素晴らしい作品を作ってくださって、私は金原さんの小説を読むことができている、そして、作品に出会わせてくれた縁に心が震え、生きていてよかったと思えました。
この本を読んで、絶望と衝撃と光が文章に組み込まれているというか、言葉で表すのが難しいのですがそう感じました。
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Posted by ブクログ
金原ひとみさんの、20年分のエッセイ。
まだ尖っていて不安定な若者時代もいいし、育児とフランス生活にがむしゃらな30代もいいし、子育てが落ち着いて離婚して、好きな人と奔放に暮らす40代もいい。
作品を含め全てが魅力的な金原ひとみさん。
シトロエン公園について語った部分の表現が、妙に納得して好き。
「乖離なく生きているという実感」「土を触ったり雨に濡れたり、生き物を殺して捌いたり、何かを育てて収穫してりといった、生々しい体験に近い生活を送れる」
シトロエン公園は行ったことないけど、日本の特に都会で、何の役に立っているのかよくわからない仕事に追われているときに、海外ののんびりした所に行くとこういうことを感じる。
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Posted by ブクログ
積読本たちに割り込んで、本書を手に取りそのまま読み始める。コロナ禍に感じていた、でも呟けなかった言葉を的確に捉え、放つ。そうそう!と共感しっぱなし。
さて、以下はメモのはしりをコピペした。
何を考えているのかが少しずつ、流しそうめんが箸の間をすり抜けるように掴めなくなっていく
シロアリに胸を食われたような虚無
使われなかったハンドミキサーを持って吾郎宅を出る志絵の心境
第14話の「ただただ、私は理子が大好きだった〜」のあたりグッと込み上げるものがある。そして「嵐みたいな子」というように、そこに狂おしい程の愛情を読みとる。
自分勝手と思えるけど、そこにはちゃんと愛がある。子供がいても子供を言い訳にせずに自分であろうとする姿勢は、見習うところがある。 -
Posted by ブクログ
「今自分は理想の状態にあると感じていますか?」
と聞かれた時に戸惑う人がいること、考えてみたこともなかった。
「そうざるを得なかった」から今のように生きて、書き続けてきたと仰る金原ひとみさん。「理想を持ち理想に向けて邁進してきた人」ばかりではない。逆にそんな風に生きてこられた人の方が少ないのではないか。
そういう私だってそうです。
生まれた家から始まって、その他の置かれた環境で(保育園、学校、友人、先生、家族や大切な人や自分の健康などに振り回されながら)自分の身を守りながら、身を委ねながら、「そうざるを得なかった」という中で生きてきてる人の方が本当は多いけど、特に成功者である著名人は理想に向けて邁進してるかのように思われがちですよね。
スティーブ・ジョブズはそうなのかもしれないし、宮崎駿もそうなのかもしれないけど、多分金原ひとみさんが言いたいのは、ご自身はそういう訳ではないということ。
そこに今回一番ハッとさせられました。
今回金原ひとみさんのエッセイを初めて読みましたが、エッセイなんだけど、途中小説のような感じで、でもこれはフィクションではなく1人の作家さんの辿ってきた道なんだと思いながら読むと、衝撃や尊敬を強く感じました。
こう言った形で一つの本として世に出すために、削ったところも沢山あると書かれていたけど、それでもとっても赤裸々に書いていると思います。
どうしてそうなったのか、明確に書かれていないところ(書けないだろうところ)ももちろんあり、分からないこともあるけど、とにかく金原ひとみさんは「そうざるを得なかった」からここまで生きてきた。
そしてそんな人が紡ぎ出す言葉、そこから生み出すエッセイ、小説だからこそ、金原ひとみ作品からだけ伝わってくる叫びみたいなのがあるのではないのかな。
そしてそして、最後に。
金原ひとみさんの母になった瞬間からの感情全てに同意できて、私だけじゃないという気持ちで、同志のような気持ちで読めたことがすごく嬉しかったです。
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Posted by ブクログ
すごい
この作家の小説を読むたびこのひと言が出てくる
語り手一人の一人称小説に最近感動したばかりだったので、三人語り手がいることにネガティブな感覚を持って読み始めた
そしてこれだけの物語を語ろうとしたらとても一人ではできないと妙な納得の仕方をした
読み終わったあと、妙にわかったような解説をされてもと、解説を読みたくないと思った
解説を書くのにも勇気が必要だったろうなと思いながら、まあ読んだけど
一つだけ、何故殺してしまったのだろうとの気持ちが残る
次の章で死んでしまったことが書かれていて、それが小説の多重構造的な書かれ方で面白かったが、殺さない物語もあったのではないかと今も思う
読みながら「君は赤ちゃん」ってどんな内容だったか気になり始めた
あとで読もう -
Posted by ブクログ
吉田棒一「インフルエンズ」
吉田棒一、何となく知っていたけどえぐいっすね。こんなヘンテコな小節が許されるかよ!と怒鳴りながらめちゃくちゃ推してしまう、舞城王太郎、佐川恭一に続く奇人現るーーーーー
小田雅久仁「魑魅虫」
独特な語りと雰囲気はものすごく好きなのだけど、悪が集まり結局何が起こったのか、ニュアンスしか分からず……
冒頭、女性作家陣の全てのエッセイ、小説、ラフ画、対談、全て素晴らしかった。韓国に興味なくてもあっても、国を超えるとはどういうことは、戦争をするとはどういうことか、読み応えしかない。
全体的に、詩や短歌が挟まっていたり(どれも良い)、目を見張るような絵がページいっぱいに広がっていたり、捨てページのない文芸誌、堪能させて頂きました。
後ろ書きにも書いてあったように、電子書籍での配信などにもしっかり力を入れているようで、とても頼もしい。途中で滝口悠生がデータをどこに保存するか問題をしっかりとレポートしていてくれたのも、出版業界の現状が見れ、有益でした。出版したら是非皆さん献本しましょう -
Posted by ブクログ
ネタバレこの本を読んで、世間で「普通じゃない」とされる価値観について考えさせられた。
死にたいと思うこと、生きるために薬を使うこと、自分はすでに消えているような状態が普通だから消えたいと感じること、ライの価値観は、私にとって簡単に理解できるものではなかった。
私は生きたがりの人間で、もし「死にたい」と言う人がいたら止めてしまうと思う。けれどそれは正しさではなく、私自身の価値観にすぎないのだと気づいた。私や主人公、そしてライの考え方は、育った環境によって作られたものかもしれないし、生まれ持った性質、ギフトなのかもしれない。
人はそれぞれ違う世界を生きていて、どれだけ愛していても、好きでも、相手の世界をすべて理解することはできない。だからこそ、相手の人生に簡単に干渉することはできないのだと思った。それでも、一緒に生きられなくても、相手の心の中に存在し続けることはできるのではないかと感じた。
私は自分は偏見が少ない方だと思っていた。しかし、「私の世界の普通」と「他人の世界の普通」は違う。その時点で、人は生まれながらに偏見を持ってしまう存在なのかもしれないと、この作品を通して考えさせられた。
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Posted by ブクログ
ネタバレ◾️record memo
そういう「女性性」の塊のような粘液をマグマのごとく溜め込んでいる彼女のサバサバアピールを目にすると、今や虚しささえ感じる。
「幸せとか不幸とか、そういう定義もう止めない?幸せとか不幸とか、羨ましいとか可哀想とか、そういう相対的な考え方、身を滅ぼすよ」
自分のあまりの滑稽さに、自分がくしゃっとした茶色いゴミ屑になってコロリと道路に転がる様子が頭に浮かぶ。もう誰か早く轢き殺してと願っても、ゴミ屑は小さすぎて中々車のタイヤに当たらない。
「え……さっきの子たち、長い付き合いなんでしょ?三人はお互いのこと何でも知ってるって、美玖ちゃんが言ってたじゃん」
「お互いのこと何でも知ってるなんて言い切るの、どうかしてるよね。あの子自分のことだってよく分かっていないのに」
もう誰も私が何者であるかを知らない。幽霊のように、誰も私が存在する理由を知らない。私でさえ、私が何者であるのかを知らないし、なぜ存在するのかも知らない。何故かは分からない。これまでも私は、結婚しても妻を演じただけだったし、子供ができても母親を演じただけだったし、同年代の女性の前では女友達を演じただけだった。ベッドから出て、ドアを静かに開ける。そこには当たり前のように、誰もいない世界がある。誰もいない世界で、何者も演じずにいる自分を演じる。
山本医師の喋り方は気取っているわけではなく、気質的なものだ。この人の元に初めてカウンセリングに来たのは四年前、この喋り方と口調を聞いて直感的にこの人は美容整形外科に向いていないと分かった。生き馬の目を抜くこの業界で、こいつのこの押しの弱さ、当たりの柔らかさは致命的だと思った。しかし何故かこのクリニックはなかなかにシステムが商業的で何だかんだで儲けは大きそうだった。もしかするとこの院長よりも経営の才能があるブレーンや共同経営者がいるのかもしれない。人の欲望に寄り添い搾取することに長けた商業のシステムとこのへなちょこ感のある院長とのちぐはぐ感が気に入って、私はここに通い続けている。
弟と相談していたらしき長男がリビングに戻ってきて甘えたように「パパが帰ってきたら夕飯外に食べに行かない?」と言う。虚無に陥りかけていた私は途端に強烈に腹を立て、そうだねと笑顔で答えるとスマホを手に取る。「子供たちへの説明責任はどうした?今すぐ帰ってきて自分一人で子供たちに離婚の事実とその経緯を説明しろ。さっきの薄汚い女を連れてきてあの女との同居でも提案してみろそれでもいいって言ってくれたんだろ?」とメッセージを入れた。顔が強張り今にも叫び出しそうなほどの怒りが竜巻のように身体中をかき回している。全ての臓物がミキサーにかけられているようなお祭り状態だった。もう皺もたるみもどうでも良かった。夫に一ミリでも綺麗だと思ってもらうことを諦めた私は、鬼になることを選んだ。「慰謝料払え。女にも請求するからな」。
私は条件が揃うと、爆発する。コントロール不能、完全なる無力、客観と主観の八百長ゲーム。こんな面倒臭い人間に誰がした。そうやって責任主体を外に見出すところ何とかならないのか。そういうとこだぞ。私の半分と半分がせめぎ合う。こうとしか生きられない自分と、そうとしか生きられない自分に批判的な自分、でもそれは単純に半々なのではなく、それぞれがそれぞれの性質を半分ずつ持ち合わせているから分断できるものでないということが問題なのだ。
鰹のタタキがやけに血なまぐさく、追加で薬味を口に放り込む。二人がちらっと視線を交わしたのが分かったけど、気づかない振りをして向こうの方で何故か昔のジャニーズの歌を合唱している中年グループの方に視線をやる。無駄に楽しそうでいいなと思うけれど、彼らの楽しさを私は一生共有できないだろうという確信もある。この疎外感を、幼い頃から感じていた。
必死に検索しながら、はたと気づく。奥さんは、恋愛にうつつを抜かし舞い上がり続けていた私をこの地に引き摺り下ろすために慰謝料請求をしたんだ。私と彼が天空みたいなところでセックスを楽しんでいるのを、とにかく下界に引き摺り下ろして、お前らの恋愛は夢物語でしかないと知らしめるためにこの書類を送ってきたんだ。お前のしていることは慰謝料、和解金、示談、弁護士、起訴、そういう禍々しいワードに満ちた泥臭い現実なんだぞという主張なのだ。
いつも彼の陰には奥さんがいて、目を光らせ、彼めがけて飛んでくる害虫をエアガンで撃ち落とし続けているのだ。私は彼と付き合っていたというよりも、彼プラスαと付き合っていたのだ。結婚している男というのは、どうやってもそれ単体で存在しようがないのだ。
「通知書拝受しました。有責側のくせにそっちから離婚要求してくるなんて信じられない。何度も言うけど離婚は絶対にしない。不倫して子供置いて勝手に出て行って、不倫相手と暮らしながら離婚要求してくるなんて狂ってる。そんな道理は通らない。この世の厳しさを思い知らせてやる。あんたが上司とか仕事相手に対して漏らしてた悪口も全て暴露してやる。あんたが何月何日に女とどこのホテルに行ってたかも全部暴露してやる。お前も女も会社にいられなくしてやる。こんな辱めを受けるなんて絶対に許さない。今日を機に我慢してきた全てをぶちまけてあんたの人生をめちゃくちゃにすることだけを考えて生きていく。お前も女も社会的に抹殺してやる。お前らの所業を全て白日のもとに晒してやる。死んで詫びろクソ野郎!」
女が夫をせっついてるのかもしれない、早く離婚してくれなきゃ別れるなどと抜かされて焦っているのかもしれない、でもだとしても許されることではない。彼は新しいオモチャを手にいれるために、古いオモチャを捨てようとしているだけだ。人をオモチャ扱いする人は結局もっと面白いオモチャが手に入るとなればいくらでも今あるオモチャを捨てる。
当社比ではあるが、人生に於いて恋愛の比重が高い人は一人の人と添い遂げることができない。恋愛をし続け、離婚と結婚を繰り返す。この人だと思った人と大恋愛をして結ばれたとしても、またしばらくすると別の大恋愛を始めて離婚して結婚する。そしてまた大恋愛をする。これは彼らが恋愛をするのが難しい歳になるまで続く。色々なパターンがあるけれど、恋愛の占める割合の高い人々の末路は大概こんなもんだ。恋愛に狂う奴は、どれだけ誰かに狂ったとしても、喉元過ぎればまた別の誰かに狂い始め、抑えが利かなくなるのだ。これも当社比だがそういう奴らは永遠に狂っているか微睡んでいるか焦がれていて、永遠に幸せにはなれない。
「メンタルは?」
「ないよ」
「何が?」
「何もない。変わってない。救いもない癒しもない。恒常的に辛くて、もう皮膚がボロボロになってあちこちパカパカ割れてるのに毎日塩酸に手浸してるみたい。両手が腫れ上がってグローブになってるみたい」
昔、付き合いのあった文芸編集者が、そういう小説のことをポルノと表現していた。泣かせるために作られたフィクションは、勃起させるために作られたポルノと同じだ。一時的な快楽を得ることはできても、そこから本質的な問いや力を得ることはできない。
「生前評価されずに死んでいった人と、売れまくって豪遊して死んでいった人とどっちが幸せか、いや、そもそも誰の幸不幸も一元的に判断するべきじゃない。お金があれば幸せ、売れたら幸せ、っていうのは、お金も名声も地位も持たない人々の幻想でしかないよ。」
「自分の中の大切なもの、守るべきものは誰も守ってくれないし、自分でそれを守り抜くには理論武装が必要だよ。センスがあれば大切なものとくだらないものの判断くらいはできるけど、そこを自分自身に対しても世間に対しても論理的に説明できないと、人は簡単に誑かされて落ちてくからね。言葉は剣であり盾だよ」
この壮太という男は、ユリが結婚していることを知っても、訴えたりなどしないだろう。偽名を使って欺いていたと知っても、責めたりしないだろう。皆上手くやっている。金持ちを最大限に利用したモモも、広く浅く手を出しては男を乗り換えるユリも、隣でアフターの誘いにどうしよっかなーともじもじしながら悩んでいる風だけどアフターは同伴と違って時給換算の加点に繋がらないから最終的には絶対に断るヒナちゃんも、この世の中を各々サーフィンしながら生きている。私だけが、貧相なビート板で波に乗ろうと、ハードモードで挑んでいる。
迷いが加速していく。今日ここで三人で家に帰って破綻してしまった家庭を再演したところで、夫はまたすぐに消え失せるのだ。一瞬の夢を見て、夢から醒めた時、幸人は自分がどれだけ傷つくか分かっていない。父親が出て行き、パパはしばらく帰ってこないと伝えてから、幸人は何日も夜ベッドに入った後一人で泣いていた。
夫が彰人の肩に手を載せてそう言うと、彰人は突然大声で泣き始めた。泣いているというよりも、吠えているに近いかもしれない。幸人は豹変した兄に慄いている。大きな怪我をしてようやく家に帰ってきたのに家庭がこんなにガチャついていて可哀想に、とこんな時まで幸人の精神を心配してしまうのは何故なのだろう。そんな思考回路でいるから、彰人はこうして限界まで全てを自分の中に詰め込み爆発させたのかもしれない。そう思いながら、彰人に歩み寄り、抱きしめる。吠える彰人の体の震えが、私にも共鳴する。これが家族の壊れる音なのか。ギャー!という彰人の叫び声を全身で受け止めながら、どこかで冷静にそう思う。
彰人が大声で泣きたい気持ちを、きっとずっと抑えつけていたことに、私は自分を見るような思いになった。もっと早く言えばいいのに、言葉にすればいいのに、寂しいと、辛いと、もう限界なのだと、言えばいいのにと人には思う自分が狡いような気がしたけれど、自分にはできないと分かっているからこそ、私と彰人はこんなことになっているのだとも思う。
ざまあみろという気持ちもなくはない。数日前だったらそのざまあみろ感はより強かっただろう。不倫する奴は総じて死ね。私の基本スタンスはそれで、それは一生覆ることはないし、実際に総じて死んで世界の人口が三分の一くらいになったらどれだけ清々しい世界になるだろうと本気で思う。
「自分の怒りを原動力にして人を痛めつけられる、場合によっては殺せる人でありたい」
閉口してユリを見やる。すっぴんのユリは、別人みたいだ。彼女はこんなことを言う人だっただろうか。いや、これは彼女の一面に過ぎない。何かのきっかけで裂け目ができて、その中が覗いている瞬間に違いない、と反射的に思う。今ユリには、裂け目が生じているのだ。いつもは見えないところが、見えているだけなのだ。
世界の俗悪さを、自分の愚かさを、世の中の残酷さを、自分の中の軽薄さを、人々の卑しさを、自分自身の狡猾さを、私は憎んでいる。だからそういう社会や自分の中にあるあらゆる卑俗なものを感じずにいられる家庭が、私にとって唯一の安全な場所なのだ。
私たちは悲しくも今に囚われている。今の私は今の私でしかあり得ない。これ程の不自由があるだろうか。目の前にいる人が何者なのか、自分が何者なのかという命題から逃れられないのも、私たちはそれぞれ確固とした個人であるという幻想に囚われているからに違いない。確固とした私というものが存在すると思い込んでいる人に向けて、何を語るべきなのか見当がつかない。
何となく、何かがリセットされたような気分でもあった。諸行無常、弓子とユリと話す中で感じていたものを言葉にするとそんな感じで、人と人との違い、感情のかけ違い、求めているものの違い、気持ちや感情を言葉に変換する時のそれぞれの癖、不完全なもの同士がぶつかり合うピンボールのような偶然性によって、私たちは人や人を取り巻く事象に満足したり幻滅したりするのだという、諦念に近いものを感じる会だった。
「胡桃がユリでも胡桃でも構わんよ。どんな過去があってもいいし、既婚者でも子供がいても、何でもいい。どんな胡桃でも、ユリでも俺は全部受け止めたいし、受け止めさせて欲しいし、受け止める度量がないって胡桃が言うならちゃんとその度量作る努力するよ。あなたが求めるものには全部応える。応えられんかったら応える努力を全力でする。収入とかそういうのは限界あるかもしらんけど、できることは何でもするから。だから捨てんで。絶対に幸せにするから」
「これからは何て呼んだらいい?」
「ユリかな」
「分かった。何でもええんよ、そんなんお惣菜パンに貼られた『ツナコーンパン』みたいなことやろ?砂糖多めで甘めに味付けされて卵で艶出しされたふわふわのパンに、ツナとコーンとマヨネーズとパセリが載って焼き付けられてるってこと俺は知ってんねん。それでそれがどれだけ美味しいのか知ってんねんから」
「あれはもう死ぬ気で頑張ってあれだから。普段は私以外の人とは必要最低限の会話しかしないもん」
ユリの言葉を私は、きっと弓子も、どこか話半分に聞いている。彼女が本当にまだ壮太くんと付き合っているのか、胡桃ちゃんと壮太くんを本当に会わせたのか、胡桃ちゃんは本当に存在するのか、私たちには分からない。それでももう、私たちは彼女の核心に迫ることはしない。今居酒屋で目の前にいるユリだけが、私たちにとってのユリなのだ。
私たちは為す術もなく、おしなべてこの何が起こるか分からない人生の奴隷なのだと思う。 -
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「私の身体」を「生きる」とは何だろう。いや、「私の身体」とは何だろう。そもそも、「私」とは何だろう。
各作家たちの切り口は様々だが、みな共通しているのが、己という存在を不可欠に構築するこの肉体というものの生物的な役割にも社会からの眼差しにもかなり戸惑い、苦しみ、受け入れたり受け入れられなかったりしながらどうにか生きている点で、強く連帯感を持ちながら読んだ。
痛ましさを感じたのが、執筆陣の女性たちはほぼほぼみな性被害の経験がある点。私にもあるし、私の友人たちもほとんどあると思う(学生の頃、痴漢が話題になったとき、その場にいた10人ぐらいのなかで痴漢に遭ったことがない子は1人しかいなかったことを覚えている)。この社会で、そうやって女性は、否応がなしに「私の身体」は本当に私のものなのかと、「私」がモノとして扱われ得るということに向き合わされてしまう。時には、まだ第二次性徴も迎えていないうちに。だからこそ、このようなアンソロジーが興味深い。
とはいえ男性視点の「身体」やその社会的表象については私にはわからない部分なのだが(この辺りのアンコンシャスバイアスについて、鳥飼茜さんとパートナーの方との会話が面白かった)。男性作家たちに、同じテーマでアンソロジーを書いてもらったらどのようなものが生まれるのだろう?と好奇心を抱く。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ電車で読んでて物理的にくらくらして、あ、立ちくらみするってなって本閉じた。それくらいの凄み。
p152「セックスって全肯定だからね。全肯定って暴力だからね」
p174「そうそう、手が綺麗って言われてさ」
「うん?」
「そのコンビニの店員の女の子にさ、金払う時、手綺麗ですね、って」
「ほんとに?どんな風に言われたの?」
「うわー、って感じでほれぼれしてたよ。見る?って手出したらいやいや、って笑われたけど」
笑いながら、ほら、女の子ってみんな男の手が好きなんだよ、と言った。私は待澤と出会った十五の頃から、待澤の手が好きだと言い続けていた。
p210 毎週ジャンプを読んでいる男とか、アウトドアが好きな男とか鏡の前で筋肉を強調するポーズを取る男とか女子高生もののAVが好きな人とか、そういう男と付き合うべきだったのだと。
p400 絶望して初めて、人は起爆できる。
p526 きっと皆私の自殺を心配しているだろうと思った瞬間、私は自分の不倫が何を意味するのか、分かった気がした。皆が私の自殺を心配して連絡を取ろうとしている時、夫でない男と抱き合っている事なんだと、そういう事なんだと、そんな風に思った。
p537 例えば高熱を出している人が小説を読まないように、裸族には小説が必要ないように、少なくとも友人の子供の死を知ったあの瞬間、私には小説が必要なくなったのだ。