あらすじ
最も幸せな瞬間を、夫とは別の男と過ごしている翻訳者の由依。恋人の夫の存在を意識しながら、彼女と会い続けているシェフの瑛人。浮気で帰らない夫に、文句ばかりの母親に、反抗的な息子に、限界まで苛立っているパティシエの英美。妻に強く惹かれながら、何をしたら彼女が幸せになるのかずっと分からない作家の桂……。望んで結婚したはずなのに、どうしてこんなに苦しいのだろう――「心の平穏」(アタラクシア)を求めながら欲望に振り回され、ままならない結婚生活に救いを求めもがく男女の姿を圧倒的熱量で描き切る。第5回渡辺淳一文学賞受賞作。
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金原ひとみさんの本は確かこれで3冊目だと記憶している。蛇にピアス、アッシュベイビー、そして本書。これらの本だけで判断すると、彼女が書いた本は一気に読んでしまった。
決して楽しい、明るい、喜ばしいと言う単語は使えない感想を持つ。けれど、人間の本性を練り上げた文章でじっくりと描写に共感できるものが確かにある。
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様々に移り変わり、見る人の断面により異なる色んな関係性を人と人の組み合わせや状況で描いてる。その状況や出来事はアタラクシア(平穏)からかけ離れた不穏さを炙り出していく。じわじわと読み手に共感を呼び、関係性の中に潜む不安をかき混ぜられ煮詰められる。没入厳禁
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金原ひとみ3冊目。この本を読んで、私は金原さんと友達になりたい、仲良くなれそうと思った。(おこがましい)
結婚とは?愛するとは?をすごく考えさせられる小説。運命の人と結婚して幸せになりました!みたいな点と点を1本で繋げたクリアな話とは真逆。いろんな感情と思考が複雑に絡み合いそれをそのまま模写するような、写実的な捉え方でこの命題を考えている気がする。
周りの人間をよく観察し、よく分析している。その解像度がめちゃくちゃ高い。私が他人や自分に対して抱いてる感想をドンピシャで的確に表現してくれる感じが読んでいて爽快だ。超気持ちいい。
自分自身や親しい友人のことであっても、どこか感情が乖離しているような、遠くから眺めて箱で捉えているような。私は友人のこの面が好きだけど、この面は好きじゃない。恋人のこの面だけを愛して欲していて、でもその満たされない部分を浮気相手で満たしたい、みたいな。行動だけを見ると感情的にも見えるが、そこに行き着くまでの過程は理性的と思える。この小説からみえる一貫したその姿勢が、私と私の周りの人間との関わり方に似ている気がして嬉しくなった。
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私は既婚して子どももいるけど、やっぱり結婚は希望ではないなと再認識した。
元から浮気性、浮気性って言葉もあまり好きではないけど、その人だけというのが難しいひとも普通にいる。私もそうだし。
第一誰かに希望を与えよう与えてもらおうだなんて驕りも過ぎてる。でも皆んな一生懸命生きてる。自分一人で生きるには退屈すぎるから結婚したりする。私は危害を与えてくる人と同じ空間にいるということが本当に理解出来ないから真奈美のことはずっと分からなかった。英美は救いがなくて可哀想だった。怒りっていちばんエネルギー消費する感情だと思うから余計辛かった。
…とここまで書いて、文系ステーションの金原ひとみのインタビュー記事を読んだら、また物語の印象が変わった。平穏になりたいようななりたくないような。
決してスッキリしないし、明日から頑張ろうという気持ちになるわけじゃないけど、これでいいんだと受け止めてくれる優しさはあると思う。
荒木はいいやつでいてほしかったから、それが残念。
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「望んで結婚したはずなのに、どうしてこんなに苦しいのだろう」
登場人物があまりにも多いので、相関図をメモしながら読むことを推奨します。
私は明誠社で働く佐倉真奈美を見て、まるで自分をネタに書かれているのかと思うほど共感してしまいました。
暗黙のルールのもとに成り立つ関係。
そしてその距離感を無視して極端に重い言葉、軽い言葉を吐けば一瞬で崩壊してしまう空気感。
夫も彼も両方いて初めて成り立つ関係であること。
どちらも等しく必要な存在であること。
金原ひとみさんの作品はどれも自伝かと思うほど、体験していなければ書けないはずのことが書かれているので読んでいて驚きます。
そして、
夢心地のような幸せと、絶望感しかない現実のあまりにもアンビバレントなバランスを描くのがとても上手い作家さんだなと。読むたびに痺れます。
しばらくこの世界観を引きずるだろうな…
以下ネタバレ
章ごとに視点が変わる形で、それぞれの目線から描かれるのですが、
周りから見た姿と本人があまりにも違う印象だったりするから、ちゃんとメモしてないと登場人物を覚えるのが難しい。
印象最悪なツイッタラー・コウボクノマックと、
真奈美の優しいセカンドパートナー・荒木が同一人物だったことに驚いた。
枝里20歳、被害者22歳だそうだから、ここは繋がってないだろうけど、それにしても続きが知りたい。荒木のことを何度も回想してしまう。
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文庫化したので再読。ほぼ四年ぶりで忘れている箇所も多かったけど、当時とまったく変わらず振り切れるほどの共感度。ラスト5ページで物語の様相がガラッと変わる展開もたまらない。
共感、という個人的な一点に関してなら本作を超える小説が今後でてくることはないんじゃなかろうか?と思うほどに、私が常日頃から抱えている思考のブラックボックスをすべて開示して明るみの下に並べられたかのような心地がする。
タイトル『アタラクシア』とは古代ギリシア哲学の専門用語であり、「心の平静不動なる状態、乱されない心の状態。激しい情熱や欲望から自由な、平静な心のさま。」という意味だが、本作の読書中は台風に只中にのみ込まれたかのように心に暴風雨が吹き荒れる。もちろん猛烈に楽しい。
旧知の間柄である知人に、とくに詳細は述べずに本作を薦めたところ読んでくれたようで、その感想が「これつづきさんのまんまじゃん」なのがおもしろ&嬉しかった。
読者として俯瞰して眺めていると、彼らはままならない結婚生活の中で助けを求めて、波乱に満ちた日々をもがいて生きているように見える。
でも、本当に心からその一人一人になりきってみた時、もしかしたら彼らの中には何者にも触れられない静謐で禁断の聖域が沈んでいるのではないか、と直感する。
私には、それこそが、どれほど激しかろうがその生き方に従うことこそが、本物の安寧のように思えてしかたがない。
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結婚・離婚・不倫....男女の複雑に入り混じった群像劇とでもいうのだろうか。きっと共感できるような部分やそういう人いた気がする的な感覚。とにかく想像が追いつかない部分や謎を感じるところも含めてまるで生きている人間と接しているような文章が響いた。人物が全て描かれるのではなく過程で少しずつみえてくる感じは本当に人と触れ合っている感覚さえ感じる。読み手によっては期待すると何も見出せないのかもしれない作品。
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様々な状況に置かれた男女視点の話。
登場人物が皆、自己分析と言語化が上手く、聡明で、そのため感情論の部分が少なく、とても「文学を読んでいる」という感覚を強く感じた一冊だった。
金原ひとみさんの本を読むといつも思うが、あと数年を経、男性経験を重ねたらたどり着く思想の境地なのだろうなと。それがこの作品には特に色濃く出ていたように感じた。
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金原ひとみの圧倒的筆力を感じさせる、渡辺淳一文学賞受賞の小説。
最初の章「由依」で描かれる、いま・この一瞬を味わう由依の甘美な多幸感、続く「英美」でのどうしようもない閉塞感と世界への呪詛に、金原ひとみの初読者として、たいへんに惹かれた。その後は、ゆっくり一章ずつ読み進め、楽しんだ。
上記の通り、タイトルの登場人物の視点で各章は描かれるので主役はいないのだけれど、ほぼ主役であろう由依というキャラクターは、恐ろしくも魅力的で。サイコパス的だと言えばわかりやすいのだけれど、そうではないのだろうと留保したくなる、そういう感触をもった。
彼女ほか、登場人物たちの織りなす人間関係の均衡が、ドミノのように繊細に崩壊することを予感させて終わるラストも絶妙。
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アタラクシアとは、心の平静・不動の状態をいい、ヘレニズム時代のギリシア人の倫理観、特にエピクロスの処世哲学では幸福の必須条件とされたとのこと。
心の平静・不動のために、ある種の痛みが必要な人たちを描いた連作短編集、と言ったところか…
金原さんの小説は、なんというか中毒性があるんだよな…非常に危険な麻薬みたいな…味を知ってしまうとどんなに痛くても抜け出せません泣
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アタラクシアとは、「心の平穏」という意味だという。(解説P360)
わたしは特にこの言葉の意味を調べることもなく読み始め、「なんかフランス語なのかなぁ」くらいの感じで読み進めていった。
この言葉の意味を知っていて読むのと知らないで読むのとで、大きな違いがあったようには思わない。
いずれにせよ、この、心というより胸全体に広がる、痣のような痛みには、変わりないのだろう。
誰にも共感できないようで、誰にも共感できるような、不思議な連作短編集。
金原さん特有の、他人との独特の距離感でもって描かれていて、つまり全員人との適切な距離感を保ててない。
というか、適切な距離感の人なんて金原さんの作品においてはモブキャラでしか出てこないのだけれど(褒め言葉)。
最も掴めないキャラクターは由依。
彼女が主人公になる章ですら掴みにくい。
掴みどころがないキャラクターだからか、描写が深すぎない。
しかし、いやだからこそ、そこには「掴めない」「何を考えているか分からない」というキャラクターの幅があって、この幅が作品に深みを与えているのかもしれない。読み進めていくと、由依からは断続的な痛みが、どくどくと、しかし冷淡に伝わってくる。だらだらと血を流し続けていて、由依本人もそれを分かっているのに見ないふりをしているような、そんな痛みだ。
桂の章で、由依の壮絶な体験が語られるのだけれど、桂というフィルターを通しているため、やはり由依の本音は分かりにくい。しかし、そこにあるのは確かな痛みなのだ。
この作品の中で由依は「軽薄」と言う言葉で表現されているのだけれど、金原さんはこういう「軽薄な人」を描くのが上手で、以前読んだ『軽薄』を思い出した。
そんな由依と比べると、英美や真奈美の方が共感はしやすい。
うまくいかなさを嘆き、人に当たり散らす英美は人間らしくて危うくて、今必死に生きているシングルマザーは似たような苦しみを抱えているのではないだろうか。
個人的には真奈美の、彼女の、安心材料としての不倫というのがすごい共感できてしまって。
その癖他人の不倫に正論でぶつかっていくところとか、その癖自分は夫の暴力を放置していて、その客観的に見たらぶっ壊れている精神状態、だけど本人からしたらギリギリでバランスを取っているその状況こそが安定している状態だと思い込まされている感じがなんともわたしにぐさぐさと刺さりまくる。
そのアンバランスさが自分の中ではベストなバランスで、「普通の」バランスでいこうとすると、逆にバランスを崩してしまうような。この危うさがとても上手に描かれている。
枝里は由依の妹に当たるわけだけど、枝里もなんだか瞬間を暴走するかのように必死に生きている。金原さんの作品を読んでいると、「なんでこの姉妹こんなに病んでるの」と、よく思う。
親子関係の描写が少ないからそこは推察するしかないのだけれど、金原さんの作品は、その「病み」をあんまり親のせいにして描いてないんだと思う。全部自分の選択、とは言わないけれど、基本的に親は介在してなくて、自分と、自分が築いてきた人間関係がそこにあるのみ。
それがより一層、登場人物の孤独や寂しさを引き立てている感じがする。
そして、最後に。
あんまりうまく言えないんだけど、やばい男って、結局やばい。
と、ここまでは読み終えた直後に思っていたこと。
だけど今はもう一つだけ言いたいことがあって。
暴力はよくない。
だけど、ただ暴力を断罪するのではなく、なぜ暴力に至ったのか。その経過に、わたしは耳を傾けたい。それが理解できるかできないかではなく。とにかく丁寧に。
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2019年に単行本として刊行。
本作は良い。様々な若い女性や男性に視点を置き、男女関係や夫婦関係、家族関係等における多様な軋轢・すれ違いを描いていてリアリスティックである。金原さんは言語感覚も若く、今時の若者をうまく描いていると思う。
もっとも、本作では下の名前で章ごとに視点が動いてゆくのだが記憶力が弱く人の名前を覚えられない私にはその点がちょっと苦手だった。
女性たちはそれぞれの個性が際立つというほどでもないが、唯一、「由依」だけは異常な人物で、コミュニケーションに根本的な欠落があり、彼女が何を考えているか誰にも分からず、まるでサイコパスのような人間だ。自分なら絶対に近づかない人間だと思う。
しかし、全体的には様々なコミュニケーションの危機を描いて、面白い小説であった。
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昔に「蛇とピアス」を読んだ時に全く合わず、ずっと敬遠してた作家。
テレビ番組で「デクリネゾン」を紹介していて本屋に買いに行ったが無くてこの本に興味が沸いて衝動買い。
年を重ねたせいか人生経験を積んだせいかとても心に響いた。
全ての人物に共感するとこは無いが、全否定は出来ない。
色んな人の心の葛藤を苦しいまでに赤裸々に描いている。
又、やはり文章と言うか筆力が凄くて評価に値する作家だなと思い改めた。
綿矢りさより金原ひとみの方が個人的には評価が高い。それ程面白かった。
他の作品も読んでみよう。
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アタラクシア。心の平穏。
誰ひとり平穏じゃなくて、みんな情緒不安定すぎる。
”望んで結婚したはずなのに、どうしてこんなに苦しいのだろう”
「誰も愛してなくても、誰からも愛されなくても、普通に生きていける人間になった方がいい。」
私は、普通に生きていける人間になって、そのうえで、ちゃんと、心から、真剣に、人を愛したい。
祈りのような愛。
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アタラクシアとは、哲学で「心の平静・不動の状態」を指し、古代ギリシャの哲学者エピクロスは、この境地の実現が哲学の目標と説いたという。
そんな言葉とは真逆な内容。
最も幸せな瞬間を、夫とは別の男と過ごす翻訳者の由依。浮気する夫や文句ばかりの母親、反抗的な息子に、限界まで苛立つパティシエの英美。妻に強く惹かれながらも、何をしたら彼女が幸せになるのか分からない作家の桂……。
望んで結婚したはずなのに、どうしてこんなに苦しいのだろう──
結婚=心の平静というような思いでその道を選んだはずなのに、その選択ゆえに心の平静からかえって遠ざかってしまう登場人物たち。
そのドロドロとした感情に飲み込まれて、読んでいるこちらも「アタラクシア」からは遠いところへ投げ出されたような読後感でした。
そしてラストが本当に衝撃的。
そこが繋がるの!?とつい読み直すはめに。
金原ひとみさんの本は初めて読んだけど、重たく苦しく、でもどこか刺さるので手元に置いておきたい一冊になりました。
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蛇にピアス以来の金原ひとみ。デビュー作は宇多田ヒカルが出てきた時と同じような衝撃があった。色々な経験を経た今の彼女が書く物語に興味があって読んでみた。他の作品も読みたい。
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6人の男女による、章ごとに語り手が変わる物語。男が2人に女が4人。年齢の幅はそこまでないものの、立場も性格も何もかも違う登場人物たちだけど、誰かに共感したり肩入れしたりするタイプの物語では個人的にはなかった。
社会の中に紛れて普通に生きる人たちの極端な部分だとかある種の異常性のようなものを、これでもかというくらい抉って抉って描いている。美しいとは言えない登場人物の心の内とともに。
読んでいるうちに病んでくるような感覚さえある。金原ひとみさんの小説は全般的にそういうところがあるような気がする(褒め言葉です)。
元モデルで現在はファッション系のライターをしている由依。由依の夫で小説家であるものの過去の盗作騒動により現在はあまり執筆をしていない桂。由依の不倫相手でフランス料理店のシェフをしている瑛人。瑛人の店のパティシエで家族に問題をたくさん抱えている英美。由依の友人でミュージシャンである夫のDVに悩みつつ社内の同僚と不倫をしている真奈美。由依の妹でホストに入れ上げつつパパ活をして小遣い稼ぎをしている枝里。の、6人。
中心にいる由依は醒めていて妹曰く「サイコパスみたいで分かり合える気がしない」。本作の中ではいちばん自分の欲求に対して忠実で自分軸全開で生きている。おそらく「何を考えているか分からない」と言われがちなタイプ。
そんな由依を変質的に愛する夫の桂。良好な関係を築くものの由依からすると「本質に触れている気がしない」ように感じる瑛人。
いちばんしんどそうなのは英美だと感じる。真奈美も状況としては厳しいけれど、話を聞いてくれる不倫相手がいる。
主に男女の関係の中の、あまり知りたくない本質が描かれている。パートナーと過ごすことにおいて自分がどんな立場でいるのが理想なのかというのが叶うことはあまりないことだとか、いくら近しくても他人であることを痛切に感じてしまう瞬間だとか。
癖のある人物たちをこれだけ書き分ける小説家ってすごい、と当たり前のことを改めて思わされる。
そしてラストにぞっとした。想定外すぎて、え、そういう展開?と。伏線がばっちり張られているのにまったく気づかなかった。
人って本当に解らない。たくさんの面があるのでどれが本物というわけでもなく、すべての面があって1人の人間なのだ。
アタラクシアとは「乱されない心の状態」という意味だそう。目指す理想は常にそこだ…と考えた。それがとても難しいのだけど。
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カップルやそれに関係する男女の、それぞれの視点から心境を描くお話。
登場人物のどれも好きになれなかったが、読み進めていくうちに、どの登場人物とも共感できる気がした。
自分とは違う性格の人物でも、自分と何かしらの共通点があったり、登場人物のイヤな面にも共感できてしまうのは、自分にも同じようなイヤな面があるのかな、と気づかされた。もっとそれぞれの人物のその後を追ってみたくなった。おすすめ。
Posted by ブクログ
登場人物一人一人の心理描写が丁寧で、文章は長いんだけど、それなりに引き込まれて一気に読んだ。
もしかしたら、こういう描写は苦手と感じる人もいるかもしれない。でも、人間の本音なんて、分かりやすく理路整然となったものではないし、感情を一気にバーッと書き連ねてるからこその、生々しい本音が表現されているのだと思うので、良かった。
一番つかみどころのない性格と思われる由依だけれども、自分の気持ちに正直に生きてる姿を見て、これはこれでアリだなと思った。
「不倫と正義」(新潮新書)とセットで読むと、面白い。
Posted by ブクログ
なんというか…おもしろかった。怖かったけど。怖すぎて気持ち悪すぎたけど、頑張って読み切ってよかった。
ラスト、えってなった。なんでなんで?殺された22歳って知らない人?
真奈美と別れる時の荒木の優しい感じがすごくこの小説のなかの唯一の正気な感じで救われたと思ったのに…
金原ひとみってすごいの書くんだな。
他のも読も。
Posted by ブクログ
いつの間にか右手にある紙の重みよりも左手にある重みの方が軽くなっていて驚いた。
そのくらい、この本に没頭していたという自覚はなかったから
隙間風がずっとどこかから吹いているような、だけど探すまでもないから微妙にがまんするくらいの心地悪さ
人には人の地獄、酸っぱい葡萄
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真奈実の気持ちわかるなあ
生々しい感情をむき出しにして、その感情を主題にした演技くささの残る劇に登場しなきゃいけないのは嫌だ、自分が役者であることすら完全に忘れて生身で空気に触れているのならむしろ楽しいけど
だいたい自分を外側から見る視点が消えない
p77「暴力というのはその真骨頂で、こちらにとっては痛みよりもその暑苦しさのほうが地獄なのだ」
暑苦しさから逃れたくて涼しい観客席に避難するような生活を送っている
感情を持つというのは偶然なのか必然なのか
必然と感じて理由をこじつけて納得しようとしたり今までの経験を振り返って根拠を模索したりするが、そう感じるような反射づけが環境によって偶然生じたと考えると偶然の要素の方が大きいか
自分がたまたま持ってるモラルっぽいもので人を裁こうとしてしまったり、人を評価した後から自分の意見の不確かさ、全てが思い込みであるという事実に打ちのめされてしまったりするくらいなら、自分固有の確実で普遍的な価値観なんて存在しないということを常に自覚できるように自分にも他人にも無関心でありたい
「カラシあるよここに」の一言で問題があっさり解決してしまうことがあるように、自分の中で言語化もままならない想いがどんどん気化して体積を増して内側から圧排されていく感覚は、自ら大事にしているだけで簡単な切り口で軽く流せるものかもしれない
なぜ愛されていることに感謝しなきゃいけないのかわからない、愛するって、ただそれがお気に入りだったっていうその人の嗜好なだけで、大切にするというのもその人なりの基準でその人のしたいことをしているだけ、欲の発散と大差ないと思う
しかも愛しているということを大義名分にこちらに期待の圧をかけてくることも多々あるわけで。
こんなことを言うと、たくさん何かしてもらってるじゃん気にかけてもらってるじゃんって叱責を食らいそうだけど、誰かの嗜好、趣味のような愛する作業において、こちらに利益があったらありがたく受け入れる、ただそれだけなのに
相手が同じ生物種であることに過剰な一体感、シンパシーを感じすぎだと思う。他人は違う生物種。
こんな考えだから利害損得で裏付けされた関係じゃないと安心できなのか
由依は感情とモラルをキッパリ線引きしていたが、それはそれでそんなに単純な構造かと疑問がある。
外部化されたモラルによる影響で規範化された感情が知らず知らずの間に生成され、それを未加工の原始的な情動と勘違いしている場合もあるのでは。結局、偶然性に身を任せた不安定な人生を漂うように生きるよりは、今後どうなるか最低限予想できて、理想的ではないとしても最低限セーフティネットとして生を継続できる程度の心理的安全が情や馴れ合いで保証されるような、最大多数のための適度な幸福を目指した中途半端な功利主義で外部化したモラルをもとに生きていくのが楽
そうじゃないといちいち、これは自分の本物の感情か?と問いかけながら、自分の意思で必然の一石を偶然の大波に投じてみる途方もない、そして報われづらい作業に延々と苦しめられてニヒリズムに陥りそう
ここまで色々メモしてたけど、なんか人生どうでも良くなってきて惰性で読み進めて、そんなに共感も感動もせずに終わった気がするこの本
気分の波と相関するのか読書量にも大波!
軽躁状態に切り替わるタイミングのラスト読書だったのであまり記憶に残っていない
読むのに時間がかかった
Posted by ブクログ
金原ひとみの本を読み続けている。
この本は、複数の登場人物が順にそれぞれの視点で語っていくから、途中で、誰が誰だっけ?となり、しばらく読まない期間も。
1番近いはずの夫、妻と、どうしてこんなにも離れてしまうのだろう。。ただ、不倫をして自分を保てるというのは、幸せなのではないだろうか...
Posted by ブクログ
ラストにびっくり。
登場人物たちの言語化能力の高さよ。金原さんって感じの文章でヒリヒリした。
誰に対しても感情移入はできなかったけど、人間誰しも不安定だなと思った。日常と非日常が必要なのかもね。
Posted by ブクログ
望んで結婚したはずなのに、ままならない結婚生活に救いを求めもがく男女を描いた小説。登場人物たちは30代中心で、私はもう通過したせいか(^^)、世代が違うせいか、境遇が違うせいか、あまり響かなかった。
それでも共感出来たのは、英美と由依。
英美の場合は、英美自身に共感出来たというよりも英美と母親との関係と英美と息子との関係。仕事でやむを得ず帰りが遅くなる娘にテレビのほうを向いたまま「子供がいるんだから、もっと早く帰れるようになんとかならないの?」という母親。同居して大切にしてもらえるのかと思っていたら晩御飯を作らされたりして、「家政婦のように扱われている」と文句を垂れる母親。夫が浮気症でいつ別れるか分からないから、一人でも子供を育てていけるように無理してパティシエの仕事を続けているのに、一人で何も出来ない母まで養っているのに、そんな娘の気持ちをまるで理解しない母に、英美はいらつき「うっせえ!ババア!」と言う。「あんただって浮気ばかりされてたくせに。あんな夫に頼るしか脳がなかったくせに」と。
“母と娘”はいつから“女と女”になるのだろう?仕事と子育てで無我夢中、夫婦関係が上手くいかず苦しんでいる中、上から娘を批判してくる母親に、「あんたは女としてなんぼのもんじゃい!」という気持ちになるはず。母と子はいつまでも聖母子像のようでいるはずがない。
そして、もう一つは息子との関係。小さい頃からよその子に暴力的だったり、口の悪い子の影響を受けやすかったりする小学生の息子。朝ご飯に出されたサンドイッチの中のキュウリを「こんなものいらねえよ」と床に投げ捨てた。その瞬間、英美は息子の首を右手で掴んで椅子ごと押し倒して、息子に馬乗りに「もう一回言ってみろ!」と怒鳴りつけた。
いや、やり過ぎ。やり過ぎだけれど、共感はできる。
一億総活躍だとか言って“働く女性”を歓迎する一方、子供を一人で留守番させるだけでも「虐待」という自治体も出てくるようなわけの分からない社会。働けば、ストレスが貯まるのは当たり前、夫婦関係だって多かれ少なかれギクシャクもする。母親だって、母である前に人間なのだ。人間として最低なことをした我が子に対して、人間としての怒りをぶつける母に「その怒り方は虐待だ」と批判する社会は、女性に対する「イジメ」だと思う。いやもちろん、女性(母)に対してだけではなく、男性(父)に対しても社会は厳しい。
世の働く世代の親達に対して、“活躍”と“理想の親像”を勝手に求める社会は、ポテトサラダを買おうとしている母親に「ポテトサラダぐらい自分で作ってあげれば?」と後ろから批判してくるオッサンと何ら変わらない。
つい、日頃の疑問をぶつけて、脱線してしまった。
もう、一人共感できると書いた由依は、「昆虫のような目をして何考えてるか分からない」と言われるが、19歳(?)でモデルを目指して単身フランスに渡るなど、一番自分の夢に向って正直に生きている。
感情が無いようだけど、子供を死産してしまった時にちゃんと我が子に会って抱き、その後は決して妊娠しないようにした行動から、悲しみを表に出さず、人に安々と同情されたり勝手に共感されたりするのを拒む、芯の強い人のように見える。私も表情に乏しいと言われるので、由依のことが少しは分かる気がする。それこそ、勝手な共感だけれど。だけど、理解出来ないのは、桂と結婚したこと。どうして「犯された気がした」人と結婚したのか。その時には由依には投げやりになる理由があったのだが、「投げやり」で結婚するなんて相手に対して失礼だ。
そして、一番分からないのは、由依の妹、枝里。枝里は自分でも自覚出来るほど「可愛い」のに、その「可愛い」を無駄遣いして(活用して?)パパ活している。パパ活しながら、出会い系アプリでせっせと出会いを求め、しかしながら本音はホストのヒロムとずっと一緒にいたい。「俺はやっぱり枝里やないとダメなんや」と言いながら本当は何人もいる彼女(客)の一人に過ぎないと分かっていながら、どうしてもヒロムのことを忘れたくて婚活アプリを始めた。ヒロムに「枝里が一番や」と言われたことの中毒になり、嘘だと分かっていても「俺の一番や」と言われたい。ヒロムでなければどうでも良くて、下ネタだらけのツイッターで知り合った仲間とのオフ会に参加して本当は軽蔑しているのに盛り上がって散々な目に合ったり、デブで気持ち悪い“パパ”とお茶するだけで二万円のパパ活したり。枝里は“メンヘラ”で承認要求が人一倍強いと自覚している。それも家庭環境が原因なのかな?
世の中には理解出来ない人も沢山いる。私は「可愛さ」にも恵まれなかったかわりに地道に、割と平穏に生きてきたからかな?それとも平穏でなかったことは都合よく忘れたオバサンになったのかもしれない。
でも、世の中の人も全てを理解するなんてムリ。
多分多くのブク友さんと逆で私は金原ひとみさんより先にお父さんの金原瑞人さんのほうを先に知った。「月と六ペンス」の翻訳で。多分、金原ひとみさんもすごい才能なんだろうけど、私とはあんまり交わらないかな?