あらすじ
最も幸せな瞬間を、夫とは別の男と過ごしている翻訳者の由依。恋人の夫の存在を意識しながら、彼女と会い続けているシェフの瑛人。浮気で帰らない夫に、文句ばかりの母親に、反抗的な息子に、限界まで苛立っているパティシエの英美。妻に強く惹かれながら、何をしたら彼女が幸せになるのかずっと分からない作家の桂……。望んで結婚したはずなのに、どうしてこんなに苦しいのだろう――「心の平穏」(アタラクシア)を求めながら欲望に振り回され、ままならない結婚生活に救いを求めもがく男女の姿を圧倒的熱量で描き切る。第5回渡辺淳一文学賞受賞作。
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Posted by ブクログ
◾️record memo
先週彼らが寄り添って歩く姿を見て以来、「裏切られた」という思いが黒い炎となって肺の辺りを焼いて燻っているような気分のままだ。私は別に裏切られてなどいない。店のオーナーシェフが不倫をしていようが、それは私に対する裏切りではないし、もしかしたら彼女は離婚して今はフリーなのかもしれない。勝手にすればいいのだ。分かっている。
二度目の浮気が発覚した時、もう二度と、誰も信じられないと思った。誰も、家族も友達だと思っている人も、我が子でさえも、私は永遠に信じないだろう。何よりも、本当に愛しているのはお前だけだという彼の言葉を信じ込み、その言葉に縋って関係修復を図ってきた自分自身が許せなかった。どうしてこんな情けない人間になってしまったのだろう。
誰からも愛されなくても、何とも思わずに生きていける鋼のような人間になりたかった。誰からも愛されなくても、皆にボロ雑巾のように扱われても、自分の価値を認められる人間になりたかった。世に言うさばさばした女でありたかった。人の意見なんて気にしない私は私で完結してる。自分はそういう女だと思い込んでいた。
でも拓馬に浮気を繰り返されている内、自分はさばさばなどしていないのだと気がついた。取り乱したくないヒステリーを起こしたくないみっともない姿を見せたくない、誰も見上げたくない唯一無二の特別な存在でありたい。私の望みはただ自分にやせ我慢を強いて、ただひたすらこの身をすり減らすばかりだった。私は全くもってさばさばもしていなければ自分にとっても誰かにとっても唯一無二でもなく、怒りと羨みと妬みと僻みで構成されていたのだ。
幸せでないのは私だけだった。店に来る客たちも、従業員も、皆幸せだった。今の私には、自由だという点に於いて、捨て猫だって自分より幸せに見える。
旦那の不倫相手も、時々死にたいと思っているのだろうか。そうなら死ねばいい。そうでなくても死ねばいい。そんな奴ら死ねばいい。
救いのない世界の中で、自分が時間と共に確実に老化し死に近づいているという事実だけが救いだった。
私たちは別の星に生まれた。だから、一緒に住んでいたことなんて一度もなかった。お互いをエイリアンだと思っていたから、お互い妹がいたことも姉がいたことも一度もなかった。
でも今必要なのだ。私には今、大丈夫だ君はそこにいるだけで生きているだけで十分すぎるほどの価値がある、と認めてくれる男が必要なのだ。それなしでは生きていけない。
「私は空っぽの人間だよ。でもそれを取り立てて卑下するつもりもない。最近皆自己主張だとか個性だとか、意識的であることに囚われすぎてると思う。一番になりたいとか誰かの特別な存在でありたいなんて、強迫神経症的な欲望でしかないよ。誰も愛してなくても、誰からも愛されてなくても、普通に生きていける人間になった方がいい」
底辺で生きる私が陥る状況は、金太郎飴みたいにどこをどう切っても底辺の地獄でしかないという現実に薄ら寒い思いがして、ノンちゃんの元彼早漏ネタに応えた愛想笑いが顔に凍りつき中々溶けない。
でも結局私はこういうタイプが好きなのだ。ツイッターを見ていた時からそうだった。私はこの手の軽薄で女を軽く弄ぶ男が好きなのだ。好きだ愛してると言われて高揚して、ちょっとしたら洟をかんだティッシュみたいに捨てられて、それでまた通りかかって「あ、まだあるあの鼻紙」くらいの気持ちで拾われて「くしゃくしゃだけど乾いてるからまだ洟かめるじゃん」とまた洟をかまれてまた捨てられる。そういうことを繰り返して、これからも生きていくのだろうか。それは絶望的だと思うと同時に、私はきっとそんな人生以外歩めないだろうという気もしてくる。誰かに猛烈に愛されたい。殺されるくらい愛されたい。熱烈に愛されて愛の言葉を囁かれその瞬間に殺されたい。それが私の思う至上の幸福だから、結局私は幸せになんてなれなくて、一時的な擬似愛の麻薬を男に与えてもらう他ない。
言葉を信用できない人を好きになるのは地獄だ。信用できないのに好きでい続けられる才能を持った私は、きっと永遠に地獄の住人だ。
「私も言われたことある。生物として何を求めているのか分からないって。結婚とか繁殖とかプレゼントとか愛情表現とか、そういうものを求めてないから、何をしていいのか分からないって」
「いつも自分じゃない何かを演じて生きてないとここにいられないような気がしてるけど、今は自分以外の何者でもないって思う」
俺も由依さんが好きだよという瑛人の言葉、私の手に伸ばされた大きな手、右半身に感じる瑛人の温もり。この瞬間の完成に体は歓喜する。それでも頭はどこかでその先を見ている。歓喜の先にある無常を見ている。
でも次の瞬間にはこの願いは潰えるかもしれない。自分が最も軽蔑するタイプの男に体を売ったように、それまで何とも思っていなかった男にある日突然救いを求めたように、永遠に諦めないと思っていたモデルの道を諦めたように、帰国を決めたように、桂に求められるがまま結婚したように、震災が起こって何がというわけではないのに何かが確実に変わったように、瑛人のところに行こうと強く固めていた気持ちが連絡がこない日々の中で少しずつ薄れいつしか消え失せたように、私は私の人生に対してあまりに無力すぎる。確かなものに触れたかった。いつも同じ時間に明かりが灯る灯台のような、必ず沈んでは昇る太陽のような、確実な周期でなくとも必ず寒さの後には暑さが暑さの後には寒さがやってくる四季のような、雲がなければ必ず見える北斗七星のような、投棄された後ずっと変わらず存在し続ける腐食しないプラスチックゴミのような、そういう確実なものに触れたかった。人はどうしてこんな不確実性の塊なんだろう。確かなものが欲しくて言葉や温もりや思考を積み重ねても一瞬で爆発して放射線状に散り散りになってしまう。だから私は信じられない。自分も人も人生も記憶も明日も今日これから起こることも。何一つ信じられないそして今に縋る。
もう無理だと思った。このまま、仮面夫婦のまま熟年になるまで一緒にいるのかと思っていたけど、もう無理だった。この人は不倫相手の喪失の寂しさを、新しい不倫相手で癒し、その不倫相手と別れたら、その寂しさをまた新しい不倫相手で満たす。私に満たすことができないのだから、そのスパイラルは永遠に続くに違いない。涙は出なかった。涸れていた。そうだもうとっくに、涸れていたんだった。そう今思い出したふりをしながら、私はどんどん画面をスクロールしていく。どんどん時間を遡り流れていく拓馬の言葉。不倫相手との幸福な密会、妻への罵倒と愚痴、家庭というものに対する嫌悪、夫や父親という役割に適合できない自分の性癖、なんでデキ婚なんてしたんだろうという私と寸分違わぬ後悔。それは一糸纏わぬ姿で針山を転がり落ちていくような痛みだった。
乾いた心は、不倫なのかよく分からない彼らの姿に動揺しない。もう乾ききったのだ。でも昨日また新たに流血した傷口には新しいかさぶたができている気がした。私にはまだ血がかよっているのだろうか。
誰かに愛おしいと思われたかった。強烈に、誰かに大切に思われたかった。ずっと押しとどめてきた、求めて手に入らなかったら悔しいから、心の奥に押しとどめてきた願いが強烈に溢れ出した。誰かに、気が狂うほど求めてもらいたかった。お前がいれば他に何もいらない、そんな歌謡曲のような台詞を今誰かに言ってもらえたら、きっと私は死んでもいいと思うだろう。
呆然としたまま、私はゆっくりと店に向かう。すれ違う人々が全て皆、私よりも幸福そうに見えた。
でも今日だけは、とにかく出勤したことを褒めてもらいたい。結局不倫相手との別れの痛手は新しい不倫相手を見つけることでしか癒せない。拓馬の書き込んだ言葉が、私を恒常的な低酸素状態に追い込んでいた。
やっぱりそうだった。どこかでそう思いたくなくて避けてきた疑いが確信に変わった。私はこの家族を作るべきではなかった。拓馬との結婚も信吾の出産も、確実な間違いだった。最初から最後まで貧乏くじを引き続けた結果が今だ。
威嚇する動物のようだ。彼は全くもって、私とは別の生き物だ。もっと言葉の通じる人間と一緒に生きる人生を送りたかった。一生かかっても清算できない不良債権を抱えてしまった気分だった。
頭で分かっていないわけじゃない。信吾はきっと愛に飢えている。私は信吾を愛していない。ずっと赤ん坊の頃から違和感があった。子供に対する愛が湧かないのだ。不思議なほど、泣き喚く信吾を見ても何にも感じなかった。うるさいなあとか、邪魔だなあとか、どうして産んだんだろうとか、そういうことしか思わなかった。産後すぐはホルモンが追いついてないんだろうか、そのうち可愛く、愛しく思えるのだろうかと思っていたが、産院で看護師さんたちがこまめにマッサージをしてくれてよく出ていた母乳も、退院すると同時に乳を吸われるのが苦痛で止めてしまったし、一ヶ月経っても二ヶ月経っても、私が信吾を愛し始めることはなかった。
目に見える世界が全て砂に見える。見渡すかぎりの砂漠を延々歩いているようだった。
アプリでここから家までタクシーでいくらかかるか検索すると七千円と出た。歩けるところまで歩いてみよう、そしてもしも途中で歩道橋や非常階段とか良さそうな場所を見つけたら、飛び降りてみよう。もしも途中で足が痛くなったらタクシーに乗って家に帰ろう。家に帰ったら、真剣に練炭自殺について調べてみよう。もしも一家無理心中が無理だと思ったら、拓馬と離婚しよう。そう思ったらようやく、私はどこに向かうとも分からないまま足を踏み出すことができた。
おいでおいで、絢ちゃんおいで、こっちにおいで。また満面の笑みで彼は私の腕の中に倒れこんでくる。受け止めてもらえると信じきっている絢斗が嬉しかった。愛おしかった。ママ、ママ。抱っこされた絢斗はまた私を呼ぶ。ママと呼べばなあにと覗き込んでもらえると信じきっている絢斗が、嬉しかった。この子にあらゆるものを信じてもらいたかった。そのためなら私は何でも差し出せるだろうと思った。
「ママ」
「うん」
「パパと離婚していいよ。俺はそれでいい。ご飯と味噌汁は自分で作れるし、作り方が書いてあればおかずも自分で作れる。コンビニ弁当も自分で買ってこれるしレンジも使える。一人でも宿題できる。もう十一歳だから、ママと二人でやっていけると思うんだ」
罪の意識はある時突然降ってきて、周囲で疫病が流行り始めたような絶望感をもたらすが、なぜかふと気づくとまた消えているのだ。
荒木は誰にでも話しかけるけれど、軽々しく誰にでも開く人間じゃない。軽々しく誰かに開いているように見せている時、それは表面の着ぐるみを一枚脱いだだけで、その中には何枚もの着ぐるみを着ているにちがいない。脱いでも脱いでも出てくるのは着ぐるみで、最後の一枚をようやく脱がせた中からはやはり中身のないクタッとした着ぐるみが出てくるのかもしれない。それでも荒木といる時間は楽しくて、その表面、表面から二番目くらいの着ぐるみで、それだけ人を楽しませられる荒木を素直にすごいと思う。
でも結局、俊輔だってそうなのだと思いつく。俊輔の本質的な問題、音楽の問題に私は一ミリも関わっていない。荒木とも俊輔とも、表層的な関わりしか持っていないのだとしたら、恋愛や結婚や不倫とは、一体何なのだろう。幻想ではなく、本当にお互いの深部に触れる関係など、存在するのだろうか。結局恋愛というのは、どこかが痛い時に治療が必要だと医者や薬に頼る対症療法と同じで、寂しい時愛されたい時に同じ思いを抱えた誰かに手を伸ばし満たし合う行為で、その満たされた感覚が愛されている、相手を満たす行為が愛しているという幻想にすり替わっているだけなのではないだろうか。
女たちはどこか似た不幸を背負っている。だけど同じではない。自ら望んでそうなったはずが、気づけば袋小路に迷い込んだ猫のように、そこに立ちすくんでいる。
傍から見て恵まれている人の方が、底知れぬ鬱屈を抱えているのかもしれない。本書の登場人物がそうであるように。
Posted by ブクログ
「望んで結婚したはずなのに、どうしてこんなに苦しいのだろう」
登場人物があまりにも多いので、相関図をメモしながら読むことを推奨します。
私は明誠社で働く佐倉真奈美を見て、まるで自分をネタに書かれているのかと思うほど共感してしまいました。
暗黙のルールのもとに成り立つ関係。
そしてその距離感を無視して極端に重い言葉、軽い言葉を吐けば一瞬で崩壊してしまう空気感。
夫も彼も両方いて初めて成り立つ関係であること。
どちらも等しく必要な存在であること。
金原ひとみさんの作品はどれも自伝かと思うほど、体験していなければ書けないはずのことが書かれているので読んでいて驚きます。
そして、
夢心地のような幸せと、絶望感しかない現実のあまりにもアンビバレントなバランスを描くのがとても上手い作家さんだなと。読むたびに痺れます。
しばらくこの世界観を引きずるだろうな…
以下ネタバレ
章ごとに視点が変わる形で、それぞれの目線から描かれるのですが、
周りから見た姿と本人があまりにも違う印象だったりするから、ちゃんとメモしてないと登場人物を覚えるのが難しい。
印象最悪なツイッタラー・コウボクノマックと、
真奈美の優しいセカンドパートナー・荒木が同一人物だったことに驚いた。
枝里20歳、被害者22歳だそうだから、ここは繋がってないだろうけど、それにしても続きが知りたい。荒木のことを何度も回想してしまう。