岩波明のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
KADOKAWAを脅して一度は焚書に!
次に産経新聞出版や全国の書店にテロ予告までして葬り去ろうとされた話題の本
この本が出版されてそんなに都合が悪い人は誰なの?って考えてしまう
全く差別本ではありません
当事者への非難はありません
社会を揺るがす悲劇を克明に綴り、社会の歪みに警鐘を鳴らすルポルタージュです
米欧の少女達の中での"流行"がトンデモナイ事態に
アメリカではジェンダーイデオロギーの浸透に「いじめ防止」というレトリックが使われたらしい
しかもそれは(活動家にとって)上手く行き、学校が治外法権の洗脳場となったらしい(怖い)
日本も対岸の火事ではない
この本はトランスジェンダー当事者を1ミリも差別してないどころか、そのことについてよく理解できる内容です
あわせて"'活動家"の手口とレトリックを一つ一つ明瞭に説明されています
このことから"焚書"事件が起こったのだと納得しました
活動家にとってはチューチューモデルの手口がバレてやりにくくなるから死活問題です
そのためテロ予告をしてまで出版を止めたかったのでしょう
そして一番忘れてはならないことは、こうした活動家が騒ぐことで一番迷惑しているのが本当の当事者達であるということです -
Posted by ブクログ
本書の刊行に関する政治的なゴタゴタはともかく、帯にあるとおりヘイト本ではなかった。むしろ、都市化による個人の孤独化やSNSによる子供への精神的な影響、実体を無視して暴走する観念、ネット上でカルト化する人権運動、資本主義経済が倫理を踏み潰して暴れている様などが読み取れるアメリカ現代社会の病理を描いたルポとして非常に興味深い内容だった。トランスジェンダリズムの流行とは現代社会の問題点が集約された社会現象だったのだなと改めて思わされた。
現在アメリカで「トランスジェンダー」を自認する人の多くが、かつて性同一性障害と診断されてきた人々とは違って、思春期に突然性別違和を感じはじめた少女たちだと言う。本書は彼女たちがそこに至った経緯を多数の専門家や証言、データにより分析している。読んでいるとこれは一部の子供だけの問題でないのがよく分かる。
現代の子供達は思う以上に孤独だ。だからこそSNSやインターネットで見聞きしただけの「望めば異性になれる」などというファンタジーにも容易にかぶれてしまう。
大人の自分なども、デバイスのモニターを見つめていると体も周囲の世界も消えてなくなるような感じがある。存在するのは観念ばかりだ。だから誰でもその気になれば犬にも猫にもなれるし、バーチャル・アイドルや老婆にだってなれる。そんな環境にどっぷり浸かれば、自我の危うい子供たちが現実と仮想現実を混同するのも仕方ない気はする。
しかもモニターの向こうにあるSNSとは終わりなきバーチャル戦争の最前線でもある。少しのスキも見せられない。どこかのグループに属して安心を得たくなるのも分かる。共通の「敵」を攻撃することで絆(オキシトシン)は強まるし、快感(ドーパミン)も得られる。
これが現代の子供たちが置かれている生存環境だと考えるとかなり過酷だ。観念ばかりの世界は現実から遊離しているから、確固たる自分は永遠に掴めない。自分が何ものなのかも分からない神経症的不安を生き続けねばならない。
大人にしても状況は似たようなものである。子供時代に泥まみれになって走り回ったり、青年期に他者と肉体を通じて交流した経験がある分だけましとはいえ、カルト的なものにハマる孤独な中高年も多い。インフルエンサーや活動家が唱える教義に熱狂し、大金を吸い取られ、手術の傷跡を誇る「トランスジェンダーになりたい少女」は過酷な社会状況を生きる大人たちの縮図でもある。
本書にある、娘が突然「トランスジェンダー」になってしまった親たちの苦悩は、どう見てもカルト教団に娘を取られた人と全く同じだった。敵と味方しかいないカルト的世界観に洗脳されると人は家族や友達を毛嫌いするようになり、グループにとじこもる。子供たちに家族と縁を切らせるなども完全にカルトのやり方だ。人権運動とは異質な力学を感じる。
だいたい、思春期の少女たちが自分の体を否定したくなるのは特別な証拠でもなんでもない、ごく普通の成長過程だった。ただでさえ肉体の変化が激しい年代であり、性暴力の被害者になりやすい年代でもある。「女でなくなれば安全かもしれない」「女になりたくない」と多くの少女たちが願っても不思議ではない。
その上、自我が成長する時期というのは、人と違った自分というものに価値を見出しがちな物でもあるから、自分という人間は他の平凡な女の子たちとは違う進歩的な「トランスジェンダー」「LGBTQ」なのだ、と言いたくなるのも、正直ありふれた発想としか言いようがない。
昔から、「私」ではなく「僕」と自称しはじめる思春期の少女は一定数いたものだ。だからといって差別されるわけでもなく、それぞれ社会となんとか折り合いをつける過程でいつのまにか消えている一過性のものだった。いい年こいたおばさんになってまで「僕」で押し通している人なんて見た事も聞いた事もない。
そうしたありふれた揺らぎの中で悩む子供たちを、周囲の大人や、ちょっと年上の子たちが軌道修正してやれないというのはコミュニティの弱体化の現れではないかと思った。
共同体が個人にもたらす情報は言葉だけではない。他人の背中からも人は学べる。そうした言語化不可能な学習によって子供たちは自分を知り、他人を知り、社会に居場所を見出してゆく。その機会を現代の子供たちは失っているのではないか。
子供だけでなく、大人もそうだ。今や孤独な都市生活者が見つめるのはデジタル情報だけ。だから赤の他人にすぎないインフルエンサーを本物の友達や家族のように感じてしまう。これではカルトがはびこらない訳がない。
しかも現代は一過性の「僕っ子」や「黒歴史」ではすまされないから事は深刻だ。
本書が書かれた当時のアメリカでは、少女が「僕は男だ」と言って男服に身を包んだら、「トランスジェンダー」とか「ノンバイナリー」などという輝かしい名札を速攻でつけられ、医師やセラピストや教師といった現実の権威からお墨付きをもらえるという。
そのまま「ジェンダー肯定治療」という名の、一生終わらない医療ルートに乗せられてしまえば身体の永続的な損傷と高額な支払いという代償が待っている。後悔しても泣き叫んでも、誰も責任は取ってくれない。切り取られた乳房も子宮も永遠に戻らない。健康な体も女性らしい声も戻ってこない。
そうした囲い込みとルートがすでに教育、医療、経済、政治システム上に出来上がっているというのだから恐ろしい。現代アメリカで思春期を過ごすのは大変なことだなと思った。とんでもないなと。
もちろん当事者にとっては一種のコーピングとして一定期間は機能するのだろうが、払う代償があまりにも高すぎる。ボディーピアスやタトゥーどころの話ではない。たかが思春期のゆらぎで不妊手術をするなどあってはならないことだ。
本書では何度も「ヒポクラテスの誓い」という言葉がでてくるけれど、これは医療倫理の問題でもあるだろう。
幼少期から続く強い性別違和に苛まれ、ホルモン剤や整形手術によってしか緩和できない苦痛を感じている人たちと、思春期に突如「性別違和に目覚める」少女たちは別の苦境にいる。同じ治療法で良いわけがない。人権問題についてもまた然りである。
そこをしっかり判断するのが専門家の仕事なのに、本来責任を取るべき専門家が集団でほっかむりしている。得をするのは誰なのか。少女たちの体を金儲けのベルトコンベアーに乗せたいのは誰なのか。これは一般に言われるような人権問題ではなくて、都市化がもたらす孤独と行きすぎた資本主義が生み出した悲劇ではなかろうか。
「トランスジェンダリズム思想」の活動家たちが本書を激しく攻撃したのもむべなるかなという内容だった。 -
Posted by ブクログ
Twitterは知らなかったのですが、タイトルの「(※理解ある彼君はいません)」にひかれて思わず購入。自分は中年未婚男性で軽い精神疾患も経験したので、精神疾患系のコミックエッセイは電子版含めて比較的多く読みましたが、自分が読んだものの中で女性が主人公の場合は、親の理解が得られなくても理解のある彼氏さんがいて救われたというのが多く、「そりゃ理解あるパートナーいればわりとなんとかなるよな・・・」と思っていたのでした(苦笑)。
とはいえ。ズミクニさんは理解ある彼君さんはいらっしゃらなかったようですが、人とのご縁を大切にされていてそれが社会復帰につながったようで、これはかなり重要なことだと思いました。加えて大事なのが、的確にSOSを出すこと。この本を読んでいて、ズミクニさんのお人柄がにじみ出ていたので、きっといい人なんだろうなと思いました。
何より、ズミクニさんが自ら社会とつながろうと試みているところが素晴らしいと思いました。
コミックエッセイの書き手は女性が多い印象があって、そのせいか、この手の本では男性が主人公のものがあまり見られないので、男性の場合どうなのだろうと気になりました。SOSが的確に出せなかったり、親に理解されなかったりで表面に出てこないで問題を抱えている当事者がたくさんいるのではないかと心配です。なんとか、みんなの生きづらさが少しでも軽減される世の中になってほしいものです。 -
Posted by ブクログ
発達障害に関して誤解されやすいポイントを解説すると共に、発達障害当事者にとっては自分自身を理解し生活上の困難や苦痛をやわらげる糸口にも成り得る一冊。
特に頷いたのは、「重要なのは、診断よりも、困りごとや生きづらさに対して、どのような対策をとっていくか」という一文。そう、まさにこれ。まさにこれなんですよ……。
発達障害は病気みたいに治るものではないけれど、日常の困難をやわらげ、生活しやすい状態にしていくことはできる。
そのためには当事者が自分自身の特性を知ること。知ることによって対応策を考えることも出来るようになる。
当事者にとっては耳が痛くなるようなことも容赦なく述べられているけれど、その一方で自己の受容の必要性にも触れられているので、口当たり良く誤魔化されるより余程良い。
発達障害そのものがまだまだ研究途中の段階にあるので何もかもすべてを詳らかにしてくれる本ではないけれど、いま現在わかっていることはわかりやすくまとめられている。これから新しくわかってくることもあるのだろうけれど、今現在の誤解は解かれて欲しいし、誤解に基づく偏見(周囲からの、ときには自分自身に対しての)から苦しむ当事者の苦痛をやわらげるきっかけの一冊となって欲しい。 -
Posted by ブクログ
■マインド・ワンダリングとは現在行っている課題や活動から注意がそれて無関係な事柄についての思考が生起する現象のこと。人間は目が覚めている時間のうち約30~50%を「心ここにあらず」の状態で過ごしているという指摘もある。
■マインド・ワンダリングは意識的なものと無意識的なものに大別される。その内容や広がりも、時間(未来、現在、過去)自己との関連性、モダリティ(言語、映像)などで分類され多様なものが含まれる。
■過去の多くの研究ではマインド・ワンダリングについてはネガティブな影響が強調され否定的にとらえられていたが最近になってポジティブな側面が注目を集めている。その代表的なものがマインド・ワンダリングと創造性との関連である。
・拡散的思考(発散的思考)が創造性における重要な要素
・拡散的思考とは新しいアイデアを多く生み出していく思考方法
・拡散的思考には思考の流暢性(発想の数の多さ)、柔軟性(発想の多様さや柔軟さ)、独自性(発想の非凡さや稀さ)など、創造性につながる要因が関連していることが明らかになっている
・拡散的思考の対極にあるのが、既知の情報から論理的に思考や推論を進めていき正解に到達しようとする「収束的思考」
・拡散的思考は既知の情報を元にしながら様々な方向に考えを巡らせてまったく新しいアイデアを生み出そうとする。一つの正解を求める収束的思考と異なり、自由な発想によって無限にアイデアを膨らませていく想像力が必要となる
■ランゲ=アイヒバウムによる「天才」の本質
①たいていの天才は精神病者ではなくて精神病質者である。
⓶こうした精神病質者の天才は内面的に分裂した心を持ち、緊張した神経質かそれとも神経症的である。
③精神病質であると同時に何かの麻薬中毒であることが多く、たやすく一過性の精神病になった経験を持っている。
④精神病質の基盤の上に極端な精神的例外状態を示すものが多い。心内沈潜、放心、幸福感、創作陶酔、法悦感、霊感の横溢、回心の危機など、このような状態はしばしば誤って「狂気」と周りから思われる。
⑤本当に精神病が出現した場合でも精神病的障害と生産的創作との間にいつも原因的な関連が成り立っているとは限らない。時間的に一致したということさえないことがよくある。 -
Posted by ブクログ
大人の発達障害も近年脚光を浴びているが、2017年3月発行であり最新の知見に基づいて書いてあることがよいと思った。
ASD(自閉症スペクトラム≒広汎性発達障害)に、アスペルガー症候群や自閉症等も含むようになり、ADHD(注意欠陥多動性障害)の2本柱として症例を中心に紹介している。
ASDとADHDの共通点・相違点、映像記憶・共感覚・学習障害、天才、アスペルガー症候群への誤解、発達障害と犯罪、発達障害を社会に受け入れるには(機関等)について、各章で紹介している。
最新知見はあるのだが、新書である限り図解は少ないので、理解が難しいながら図解などが多い本で全体像を掴んでから読むこともよいと思う。全体的には理論+症例の紹介という流れだった。