岩波明のレビュー一覧
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NHKの朝ドラ『らんまん』で牧野富太郎に関心を持ち(小学校の教科書に載っていた人物とのことだが、まったく記憶にない)、朝井まかての『ボタニカ』を読んだ。「類稀なる天才だけど、人間としてどーなのよ!」と思い、本書を手にした。
本書で、天才の能力が何らかの発達障害と結びついていることを知り、牧野富太郎について理解が深まった。確かに、映画『アマデウス』で描かれたモーツァルトも奇人であったし、テレビドラマ『風よあらしよ』で描かれた伊藤野枝も非常にエキセントリックであった。
(私は、サリンジャーの作品を読んだことはないが)著者は、作品の内容を精神医学の視点から読解しているが、味気無いと思った。著者は次のように書いている:サリンジャーの研究科によれば、(中略)しかし、このような解釈は納得のいくものではない。
著者が言いたいことは、最終章「誰が才能を殺すのか?」にあり、日本社会の多様性のなさ、不寛容を問題視しており、仰る通りだと思う。ただ、『ボタニカ』の感想にも書いたように、こうした人たちとは関わり合いになりたくない、というのが正直なところ。
朝ドラをきっかけに精神医学を勉強することになるとは!
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Posted by ブクログ
天才と馬鹿は紙一重と言われる。後世に偉大なる人物として名を残す政治家、文学者、芸術家、科学者たちが、社会から異端とされながらも大きな実績・成果を残してきた事実、その背景について精神面の研究と照らし合わせていく内容。
大半の人が自分にもそう言う面があると考えるうつ病や、幼い頃を振り返ると何処か当てはまる時があったなと感じるADHDやASD。
小さい頃は突然授業中に奇声を上げたり、変顔をしながら異常なハイテンションで周囲に話かけてた自分の事を未だ鮮明に覚えてる。現在の私は天才でも優れたビジネスマンでも何でもない人間(普通だと思っている)なのだが。そんな幼い頃がダメだったかと言えば、両親の教育のせい?でテストは100点以外とったこともなく、運動会のリレーのアンカーは不動、学級委員にも毎回選ばれたりはしてた。高校までがピークで大学時代はほぼ若年時代の活力はほぼ使い切っていたには等しい。何事にも「適当、興味無し」だった。
本書を読んで感じられるのは、人間誰しも生きている間の、能力の発展や情熱を捧げられる総容量(キャパシティ)は凡そ同じくらいであり、それが山型の二次関数の曲線の様に人生の長いスパンの何処かで頂点が来るのではないかと思う。ある人はごく短期間に極めて高い位置まで届くが以降は低迷したり、またある人は緩やかに上がって徐々に加工するといった具合。タイミングや度合いによっては運悪く精神疾患の診断を受けるのだが。要は山の描き方を緩やかにできるか、歯止めが効かず何処までも上り詰めるかの違い。
私も過去に仕事で天才的なマネジメントをする方に出会った事があるが、発想も判断力も気付きも何もかもが全て超人的と感じた。一度会議が始まると朝まで怒鳴り散らす事もザラ。一方で会議中は虚ろな目でぼーっとしたり目を閉じて(恐らくは)眠ってしまう事もあった(そう言う時に限ってズバリ突っ込まれたくない部分をいきなり指摘もしてくる)。
読みながら何度も身の回りにいたその様な人達、自分の過去も照らし合わせて、もしかしたら自分もちょっとは天賦の才があったかも?使いどころを間違ったかも?と妄想しながら読める。面白い! -
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病跡学には興味があるので、最後までずっと面白く読んだ。
ここに取り上げられていた作家たちの中に、一般的な評価に少し違和感を感じていた作家もいたので、この本の解説で納得できた。
ただ、逆にもう少し深掘りしてほしかった作家もいるし、岩波先生の見解ではなくこれまでの説の方が妥当ではと思われる作家もあった。作家本人に直接会ったり行動を観察しているわけではなく、残された作品や資料から判断するしかないから、何をどう評価するかに幅が出るのは仕方ないと思うので、どの先生の説なら納得できるかは、読むこちらが何に重きを置いているのかにもよるのだろう。
今回収録されていなかった作家についても読んでみたいと思った。続編が出たら読みます。 -
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人の気持ちがわからない、同じ失敗を繰り返す、自分は発達障害では?と思うことがたまにある。というか、そういう部分はあるが、経験や仕組みで解決できている部分が多い。ただ、認知の面でどうしても生きづらさはある。相手の気持ちがわからずに信頼関係を築けない。
コレだという解決策があれば良いのだが…
★疾患は生まれつき
成人になって発症するものではない。
★カサンドラ症候群
ASDのパートナーと信頼関係が、築けないことによって生じる精神的、身体的な症状。
元の位置に戻せない、反省がない、自覚がないなど、ゆとりがある時には許せるが、子育てなど多忙な生活ではイライラしてしまう。
★「認識」することの大切さ
「症状」…寛容に接する
「気持ちの問題」…不必要な叱責 -
Posted by ブクログ
ネタバレ悪とは何か。実際に起こった事件から殺人を犯すときに犯人がどのような精神状況だったのか、社会状況から、何が悪なのか、を考えていく。
タイトルからキルケゴールを意識しているのがわかるけれど、最近見た映画の予告「死刑に至る病」を思い出して、本書を思わず手に取った。
「はじめに」から、もう興味をそそられる。アーサー・ウィリアムズ「この手で人を殺してから」の話が魅力的。読んでみたくなる。
それから北九州連続殺人事件、座間9人殺人など色々な事件の話が出てくる。
第1章「不寛容という悪」、第2章「精神病質」、第3章「狂気か悪か」、第4章「通り魔」、第5章「カルト宗教と犯罪」という構成。
不寛容さの話として、「あなたのことはそれほど」で主人公を演じた女優にまでバッシングがあったこと、不倫バッシングの話など現代日本では不寛容な人が増殖している、とのこと。これは確かにそうかも。自分は正しい、自分の正しさを認めてもらいたい、人がそれを叶えるツールを手に入れたというか。
2章あたりから、具体的事件を取り上げて、犯人の生育歴などから精神構造を見ていく感じになる。2章から取り上げられる事件について、私はオウム真理教の一連の事件くらいしか知らなかった。
3章で取り上げられている「中野区テレビ騒音殺人事件」には衝撃を受けた。5人殺して不起訴かぁ。と感情的になるが、被害妄想があり、幻聴が聞こえていた、となれば、精神病からくるものだろうな、と思える。被害者遺族はたまったもんじゃない、と思うだろうが、日本の法律は責任があるところに罪があるのだから、病気からくるものから殺人を犯したのなら、責任は問えまい。しかし、この殺された人々が本当に騒音を出していたのか、わからないよなあ、と思う。近年も確かマンション上階に住む女子大生を殺して(逃げられないようドアにストッパーかけて)自分も自室に火を放って死んだ人がいたけれど、これも騒音出していた、という理由だったような。著者は医師という立場から法の量刑が社会的影響から増減することを批判していたが、一般私人からすると、もう人を殺しているなら、刑に服さないとおかしい、と思うのではないだろうか。
著者は狂気から犯罪を犯す人が一定数いる、という立場をとっているが、それを否定する人もいるとのこと。
犯罪など誰も巻き込まれたいと思っていないし、自己防衛もこの場合難しいのに、医師の立場から「早期治療」くらいしか解決策が示されていなくて、その辺りは残念だった。
精神の病は誰でもなりうるものだと、現在は理解している人が多いけれど、誰もが犯罪を犯す訳でもない。多分、状況や生育歴など様々な要因が絡み合って犯罪を犯してしまう人が出てくるのだろう。解ってはいるけれど、単純な「こうしたら犯罪者にならない」「これをしたら犯罪者になる」というラインを欲しがってしまう気持ちもある。
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Posted by ブクログ
電子書籍の割引期間の最終日が来て、何か選ばなくちゃいけないような脅迫観念に駆られて、ついコレを選んでしまった。私は「期間限定お買い得」に極めて弱い。いっときは財布がパンパンになるほどにクーポンを入れていたのだけど、最近はアプリの中にクーポンが無数に入っている。このクーポンを使うために1日の予定をやりくりすることも多い。私はクーポンを買い物に利用しているのか、クーポンのために買い物をしているのか。依存症の典型的な症状。コレ病気かも。まぁ、生活を脅かすほどじゃないからまだ医師にかかるつもりはない(←「私は依存症ではない」と言うのは依存症初期の典型)。
まぁどちらにせよ、自殺や心中に至るような「うつ病」と比べたら、かわいいもんである。〆切間際にならないとスマホのメモアプリに向かい合うことがどうしても出来ない困ったちゃん(←私か)も、かわいいもんである。いかん、なかなか本題に入らない。
本書は、文学者ではなく立派な精神科医の岩波明さんが、文豪たちの精神病の診察を、巷に言われている診察に意義を唱えながら分析したものである。
夏目漱石のうつ病は有名だ。しかし巷では幻覚を伴うことから統合失調症(精神分裂症)と言われてきたが、岩波明さんは幻覚や妄想を伴う「精神性うつ病」と診断する。漱石の凄いのは、病気がひどくなっても名作を次々と書いていたところだろう。
愛人と心中した有島武郎も、恋愛は心中の原因ではなく自殺のキッカケだったろうと診断する。有島武郎は、自らを否定する典型的なうつ病だった。「生まれずる悩み」の高潔な人格からどうして心中に至るのか不思議だったけど、納得した気分になった。
芥川龍之介の自殺は、長いこと私の謎だった。時代に殺されたのか?しかし、昭和の閉塞感が始まるずっと以前から彼は長いこと病気だった。岩波明さんは適切な薬を処方していれば、この稀代の文学者は生き残ったのではないかと言う。一般的に言われている芥川統合失調症説は説得力ある根拠で否定する。一部に言われている青酸カリ自殺も否定する。彼はうつ病だった。身近なトラブルが彼を追い込んだにせよ、時代が殺したわけではない。後に彼の文学を読むときの参考になりそうだ。
宮沢賢治を躁うつ病で分析しているのは、大きな間違いではないとは思うが、あまり参考にならなかった。確かに若い頃の短歌や詩に幻想或いはホラーの描写はあるが、それは病気が描かせたとは誰も思わないだろう。死因も明らかに病死である。
太宰治が心中を繰り返したのは、明らかに時代のせいだった。この頃毎年数百人規模の情死(心中事件)が起きていた。その中で、太宰治も死ぬ理由をそこに見つける。ある批評家は太宰治を境界例(境界性人格障害)と決めつけているようだが、太宰は社会的適応能力は十分にあった。文豪だからこそ、遺した文章は多岐に渡り、関係者の証言も多い。それを精神科医の権威(東大教授)が診断するだから、間違いないだろうと思える。当時不治の病だった結核にかかり、実生活でもストレスが溜まった上での疲はい性うつ病で心中自殺をしたというのが、太宰治の場合の真実だったのだろう。
文豪の自殺や心中は、多くはうつ病が引き起こすものだった。適切な治療を施せば防げたものなのかも知れない。文豪は、しかしうつ病をも作品制作のエネルギーにしていた。痛し痒しではある。昨今のSNSに追い詰められた芸能人の自殺も、時代に追い詰められたのではなく病気だったし、適切な治療を施せば防げたのかもしれない。でもだからこそ素晴らしい演技が遺せたのだとも言えるかも知れない。本人は不本意だろうけど、それでも精神科にかかる勇気を持ってもらいたい。アメリカではとっくにそうなっている。
まぁ軽度アスペルガーの症状である「追い詰められると固まってしまう(〆切を守れない)」私が偉そーに言えることではない。因みに、先週発病した〆切守れない病は、この場で「お休み宣言」することで追い込んで最悪の場面は回避することができた。皆様のご協力有難うございました。しかし、「この手」はもう次回使えないだろう。果たしてどうするか?