土屋政雄のレビュー一覧
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ネタバレ『存在のすべてを』の登場人物が読んでいた本というのでどんな本か読んでみた。『存在の~』はいまいちだったけど、この本は最高だった!
空想上(ゴーギャンがモチーフになってるとかなってないとか?)の芸術家を追って一人の作家がまとめた物語という設定なんだけど、ただただ原田マハさんのようにきれいに積み重ねられた物語だけでなく、モームの哲学を楽しむことができた。いつものことながら文章表現も豊かで巧みであるので行間もなく延々と文字が連ねられていても全く負担にならず面白いようにページが進んでしまう。
このタイトルも意味深で、ついついwikiでその意味まで調べてしまうと、ああ、なるほど深いわぁってなる。ストリックランドの生き方を羨ましいとは思わないが好きなことのためにすべてを投げ出して突き進める人生は素晴らしい。
この光文社の古典新訳シリーズは昔からの名作を現代語訳として読みやすくしているせいもあってスムーズに頭に入ってくるから間のある時にちょいちょい挟ませてもらっている。このシリーズなら『罪と罰』も完読できそうな気がするから今度挑戦してみるかな。 -
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4冊目のカズオ・イシグロの作品である。
カメレオンのように作風を変えられる、“ひとり映画配給会社”と私は彼を呼んでいる。
そのイシグロは、実は音楽にも精通していて、シンガーソングライターを目指していたこともあったとか。そんなところから生まれているのがこの短編集で、5篇をひとつとして味わうように求められており、すべてミュージシャン(もしくは音楽愛好家)を題材としている。
今まで読んだ中で、最も読みやすい、ムード漂う作品集である。ドラマ性や落ちはなく、人生の一瞬を描く趣向となっている。長編小説とは全く異なる素顔のイシグロの感性が垣間見られた。
主人公は皆、才能はあるが認められておらず、たゆたゆと人生を彷徨っている。読み手も、物思いに耽りながら、カフェで頁をめくるのにうってつけの良書ではなかろうか。
私のお薦めは、コメディタッチの強い中盤3作品よりも、コリッとした読後感のほろ苦さ(これが著者の本領)がある「老歌手」、「チェリスト」。
ヘンな言い方だが、カズオ・イシグロって大家のように思って見てたけど、現代作家なんだよね。 -
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わー!わぁぁああーーー!
読後、リアルに叫びました。そうなるのか!そうくるのかぁ!!
世界観がゴシックホラーで、イギリスのあのじめっとしたそれでいて美しい田舎の空気感が感じ取れるので、大好物でした。
言葉の使い方も絶妙で、ねじの回転が一回転でも多く回れば、そりゃぎりっと奥に押し込まれるよね!そんなふうに表現するの、すごいね!!って、驚きばっかり。
気になる表現は山のようにあるし、平凡な自分には永遠に生まれないような言い回しにはただただ、感心するのみです。
おもしろかった。もし、ラストネタバレされてたとしても、きっと同じように驚いて叫んでた気がします。 -
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有名な『月と六ペンス』。思わせぶりなタイトルなので、どういう意味だろうと何十年か気になったままだったので読んでみた。
答えは本篇にはなく、解説にあった。
P406
題名『月と六ペンス』は、前作『人間の絆』についての書評が「タイムズ文芸付録」に掲載されたときの文句をモームが使ったもの。その書評には、「ほかの多くの青年と同様、主人公フィリップは『月』に憧れつづけ、その結果、足もとにある『六ペンス』銀貨には気づかなかった」と書かれていた。これを読んだモームが、「月」は理想を、「六ペンス」は現実をあらわす比喩として、『月と六ペンス』のストリックランドに応用できると考えたものと思われる。
病気になったストリックランド(ゴーギャンがモデルらしいが、似たところは少ないらしい)が、献身的に世話をしてくれた三流画家兼一流の目利きであるストルーブから、まずアトリエを、ついで愛妻を、結果的には家も奪ったうえ、そのストルーブの妻を自殺に追い込んでしまい、かつ、まったく悪びれない、というとんでもない人格に驚いた。
妻の死後、ストリックランドによる妻の裸婦像を見つけたストルーブが、スクレイパーでキャンバスを切り裂こうとして、思い止まり、芸術を守る、というシーンは、壮絶だった。
とんでもない人格なのに、数少ない理解者の好意で何とか絵を描き続け、最後に大作をものにするも、描いた先が自宅の壁で、死後遺言によりすぐに焼かれてしまうのは何とも勿体無い。芸術家たるもの、作品は後世に残したいだろうに。こうした理解し難い点が多いので、感情移入も難しいが、それでもほぼ一気に読めたのが不思議。。
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副題は「音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」。
全盛期を過ぎた歌手が再起を目指して愛する妻と別れようとする「老歌手」。
音楽の趣味でつながった大学時代の友人夫妻との、今となっては埋めようもない価値観の溝をコミカルに描く「降っても晴れても」。
メジャーデビューに目指し作曲にいそしむ主人公が旅回りの音楽家の夫妻とのわずかな交流の中に、人生のままならなさを感じる「モーバンヒルズ」。
「夜想曲」は、「老歌手」で出てきたリンディが再び登場する。
風采の上がらないサックス奏者が整形手術を受けさせられ、術後を過ごすホテルの隣室に彼女がいる。
二人とも顔を包帯でぐるぐる巻きにされている中で、退屈しのぎに深夜の高級ホテルの中を歩き回る。
なんとなく『ローマの休日』のような、昔の映画にあるロマンチックコメディ風のドタバタ。
が、結末はちょっとほろ苦い。
最終話は、音楽院を出たものの、その後の演奏活動で行き詰っている若手のチェリスト、ティボールの物語。
広場で出会い、彼にレッスンをする謎の女性。
彼女はいったい何者なのか。
才能と教育の問題を考えさせられる。
どの話も、主人公は天才的な音楽家というわけではない。
音楽に関わりながら、時にままならぬ人生を生きる人々だ。
割とドライな筆致でありながら、どこかにこうした人々の哀感がにじんでくる。
すばらしい短編集だった。 -
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イギリスの女流作家。初期の“Jacobʼs Room”(1922)あたりから伝統小説のプロットや性格概念に対して実験的再検討を試み、”Mrs. Dalloway”(1925)や”To the Lighthouse”(1927)などで刻々と移り変わる人物の意識の流れを叙述していく方法を確立
ウルフは外側のリアリズム、すなわち人間の外面的なものをいかに現実らしく書くかを重視した19世紀のリアリズムを否定し、独自の新たなリアリズムを作り出そうとした。
いわゆる実験小説と呼ばれる彼女の三つの作品、『ジェイコブの部屋』『灯台へ』『ダロウェイ夫人』を比較してみると、それぞれの作品における客観的時間の長短は極端に異なっている。
『ジェイコブの部屋』→ジェイコブの幼少期から戦争に出て死ぬまでの20年間
『灯台へ』→10年を挟んだ前後それぞれ1日づつ
『ダロウェイ夫人』→朝起きてからパーティーまでの10数時間人物を外側からでなく、内側から描こうとする。
『灯台へ』においてもウルフはこの方法を採用しているが、実験第一作『ジェイコブの部屋』では多数の人物を登場させ、各場面でそれらの人々の目に映るジェイコブを描いたが、それに比べると、彼女の技法の用い方はその時より効果的になっている。