【感想・ネタバレ】月と六ペンスのレビュー

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Posted by ブクログ

40代に入ってからすべてを捨てて絵を書き始め、後に伝説となった画家の生き様を若き作家を語り手として描く。

天才と狂気を感じるストリックランドの絵描きとしての人生、傍若無人な彼が関わる3人の女性との関係、パリとタヒチという文化と自然の対比など、重層的な構造をもつ小説。単純に、若い作家視点で語られるストリックランドのエピソードは、ミステリアスで引き込まれるし、恋愛小説としても読みごたえがある。しかし人生について、どの世代の人にとっても非常に考えさせられる要素が散りばめられており、何度も読み返す価値のある味わい深い作品でもある。本当に幸せな人生とは……人生に何を見い出すか……。ストリックランドだけでなく、その周辺にいる人々の様々なエピソードからも人生の意味を問いかけてくる。

傲慢で変人にしか見えなかったストリックランドの印象も、終盤では違った見え方もしてくる。そして彼が走り抜けた後半生に思いを馳せつつ、読者は自らの人生について考え込まざるをえなくなるのだ。読後すぐに他訳でも読んでみたいと思わせてくれた傑作。

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2022年07月07日

Posted by ブクログ

今まで読んだ中で一番好きな本になった
女性の描き方に時代を感じるが、人間の内面に存在するさまざまな矛盾を綺麗に描き出してたし、自分が最近感じることと同じことがいっぱい出てきて、こういう風に考えるのが自分だけじゃないんだと思えた。すごくよかった。
あと、解説で語り手のストリックランドへの恋愛感情の解釈について掘り下げてて、読みながら自分もそう感じてた部分があったから綺麗に言語化されてて嬉しかった。
出会えてよかった本。

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2022年05月26日

Posted by ブクログ

四十歳にして全てをなげうち、画家になった男の物語。
面白くってあっという間に読んでしまった。
光文社古典新訳文庫は読みやすくていい。

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2022年04月17日

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めちゃくちゃ面白い。
これは本当に小説という媒体で表現されるべきもの、という感じがした。

個人的には終盤、ブリュノ船長のエピソードが好き。

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2022年03月06日

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ネタバレ

男は自己充足のために、絵を描いていた。しかし、彼の死後に、作品は多くの人に評価され、消費される対象となった。富と名声は、彼が求めていたものだったのだろうか。

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2021年11月13日

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自分以外の何かに取り憑かれ、その衝動に従って生きることを余儀なくされる。その様子を目の当たりにするとき、憧れを抱きつつも、それが自身には不可能であることも悟っているからか、衝動は自分にも感じている、しかし、その衝動を乗り越えられるのが人間なのだという、結論ありきの理論を展開して自身を守ろうとしてしまう(まさしくそれが人間であることの証明なのかもしれないが)。

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2020年08月14日

Posted by ブクログ

これまた”百年の誤読”から。お世話になりまくってます。まず、タイトルから内容があまり見えてこず、作家に対するイメージも持ち合わせていないから、全くフレッシュな状態からの読書体験。ほぼ1世紀も前の作品にも関わらず、全く古臭さを感じさせられなかったのは、作品の持つ強さもさることながら、翻訳が素晴らしいから。土屋さん、「日の名残り」もそうだったんですね。どうりで、作品の持ち味を存分に堪能させて頂ける訳です。タイトルは結局最後まで出てこないけど、解説を見て、なるほど”月とスッポン”のことかと納得。でも六ペンスってあまりにも直接的で、それに関していうと、スッポンと比較した本国の諺に軍配が上がりますね。それはさておき、内容に関しては、人物造形がまず強力無比です。作中で語られる対象たる画家の、鬼畜ぶりといったら。あまりに極端すぎて、怒りやらを通り越してもう笑わせてくれます。そこまで酷い人間が、とうとう落ち着いてしまうタヒチって、ここで描かれる風景の美しさも相俟って、彼の地に対する憧憬が自分の中に溢れてきます。当時から結構売れた作品みたいだけど、現代においても全然輝きを失わない、魅力的な作品だと思いました。

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2017年11月11日

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三流の画家がいます。恋女房と二人暮らし。病気になった貧しい友人を、自宅に引き取って世話をします。
妻もはじめは反対しましたが、夫と共に、甲斐甲斐しく看護します。
男二人、女一人の共同生活。

引き取られた友人も画家。全く売れていません。
でもこの人は天才。天才画家です。

三流画家は、何とか上手く画を売って暮らしています。自分が三流であることも自覚しています。優しく、知性的で、画を見る鑑賞眼、批評眼を持っています。画が、芸術が好きです。
そして、友人のことを、天才画家だ、と見抜いています。

その天才画家は、画を売ることに全く関心がない。認められることに興味がない。最低限の生きていくお金を、怪しい仕事で稼いでいる。極貧。独身。寡黙。粗暴。野性的。傲慢。超絶な変人。世間のモラルの外で生きています。
そして、黙々と個性的な画を描く。

天才画家は、やがて快癒します。去る日がやってくる。ところが。
三流画家の妻が「あたしも出ていきます」。
天才画家は、三流画家の妻と、欲望のままに関係していました。

天才画家は、無言です。彼は、どうでも良いんです。どっちでも良いんです。
そのことを、三流画家も、妻も、よくわかっています。
でも妻は「私はもう彼を愛しています」。

三流画家は、妻に懇願します。哀願します。すがります。
とうとう三流画家は、「愛しい君を、極貧の極寒の不潔な世界に追い落とすことはできない。僕が出ていく」。

自分の快適なアパートメントを、妻と、天才画家のカップルに明け渡して、身一つで、パリの街に去っていきます…。

#

ゴーギャンのお話です。

と、言うと正確ではなくて。画家として有名なゴーギャンさんをモデルと言うか、参考に?して、サマセット・モームさんが書いたフィクションです。

悪魔的に面白い。

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ゴーギャンさんは1848−1903。パリ生まれのフランス人。
晩年は、理想郷を求めて?南太平洋のタヒチに移住しています。

1848年生まれですから、ちょうど、ナポレオン三世の時代に生まれたことになります。

ナポレオン1世が有名ですね。1815年に失脚して、フランスはなんとなくまた「王政」に戻りました。でも、ぼちぼち「王政」は時代遅れで。いろいろあって1848年に二月革命っていうのがあって、共和制に。その中からナポレオン三世(ナポレオン1世の甥)が選挙で選ばれて、やがて「共和制っぽい中で一応皇帝」という地位に着きます。
この時期はヨーロッパの強国はみんな、アジアやアフリカに侵略して直民地にして、国家としてボロ儲けをする、という時代ですね。フランスもそうしていました。
そして1870年、ゴーギャンさんが22歳くらいの頃にナポレオン三世は普仏戦争に負けて失脚、再びフランスは完全な共和制になります。それ以降、フランスは2016年現在までずーっと共和制です。

パリの芸術家、ということで言いますと。
ゴーギャンさんは、ルノワール、セザンヌ、スーラ、ゴッホ、といったあたりと同時代。交流もありました。ゴッホとの奇妙な友情は有名ですね。
(この小説ではそこは触れていません。伝記ぢゃないんです)
(ちなみにルノワールさんは普仏戦争に従軍しています)

ルノワールさんが筆頭有名ですが、印象派というグループが台頭するのが1874年。第1回印象派展。

その頃に同年代のゴーギャンさんは何をしていたか。なんと株式仲買人でした。それなりに成功も収めて、市民的に結婚して子供も授かっていました。余暇に画を描いていました。

30歳過ぎ、40歳くらいから、なんでかはともかく、職業画家になろうとするんですね。世間は印象派華やかなりし頃。その中で、認められません。不遇。貧乏。事実上離婚。家庭と市民生活を捨てます。

そのまま、徐々に一部から認められながらも、我が道を進み、南太平洋で暮らして死にます。

(ちなみに、1868年、ゴーギャン20歳、この年が日本で言うと明治維新です。だからまあ、日本人で言うと伊藤博文とか、やや年上ですが坂本龍馬さんとか新撰組なんかと、同世代になります。
幕末明治と日本の浮世絵が流入して、全てのヨーロッパの画家に驚きと賞賛で受け入れられ、強い影響を与えたそうです)

(ちなみに、ピカソさんが1881年生、マティスさんは1869年生。ゴーギャンさんやルノワールさんよりも、30〜40歳くらい下になります)

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小説「月と六ペンス」は、1919年に出版されています。ゴーギャンさんが、晩年にそれなりに有名画家になって、南太平洋で死んでから16年後。
なんていうか、岡本太郎さん(1996年没)をモデルにした小説、みたいな距離感ですかね。
描いたサマセット・モームさんは1874年生まれですから、「月と六ペンス」の出版時、45歳くらいでした。

モームさんはイギリス人です。若くから成功した小説家で、パリでも暮らしていたから、フランスもよく知っているわけですね。
でも、小説「月と六ペンス」の天才画家、チャールズ・ストリックランドはイギリス人の設定になっています。
ゴーギャンと同じく株式仲買人として普通に暮らしていましたが、蒸発するように妻子をロンドンに残して、パリに行ってしまう。全てを捨てて、もう若くもないのに画家になってしまいます。

そして、この狂気の天才、ストリックランドさんが、パリで無茶苦茶な人生を送った後、タヒチで過ごして死ぬまでを、知人のとある小説家「わたし」の目線で描きます。

つまり、モームさん自身のような小説家が、「月と六ペンス」の語り部です。

なので、狂気の天才の異常な人生を、「面倒で厄介な男だなあ…天才なんだけど」という距離感で眺めている人の語りで楽しむ趣向です。

あくまで、狂気の天才の頭の中、心の中に、分かったようなふりをして入り込んだりしない。
ここの仕掛けが、この小説の謙虚さであり、上品さであり、面白さであると思います。

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ストリックランドさんは、極貧と不潔といかがわしさと孤独の中でひたすら画を描きます。彼はなぜ描くのか。
それは本人ぢゃないから、わかんないんです。
でもどうやら、彼は、自分の内側の何者かに突き動かされるようにして、自分の内側の求める至高の芸術の奴隷となって、描いているようです。
そのストイックさ、世間との乖離具合は、怖いくらいです。

ハッキリ言って、これで描いたものが評価されなかったら、生前だって死後だって、ただの異常者です。

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ロマンチックな小説ではないなあ、と思いました。
凄まじいイキモノの記録を、叙事的に突き放して楽しませてくれる感じです。
むしろ、冒頭のお話の、「妻を寝取られた三流画家」みたいな、ストリックランドに振り回される常識人の悲哀のほうが、皮膚感覚としてはわかります。面白い。このあたり、小説として上手い。

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それでも、貧しさと狂気のローリング・ストーンのような、ストリックランドの異常な人生は面白い。転がるように南太平洋の孤島について、現地の人々との暮らしに、一種の安住を見出してしまう。

そして、そこで、老いて。病魔に侵されて。
死の間際まで憑かれたように描き続けた姿には、もはや、分かるとか分からないを超えて、突き上げてくるヒトの情熱みたいなものに、鉄槌で打たれるような味わいでした。

序盤はちょこっと入りづらいですが、ストリックランドがパリに蒸発してしまうあたりから、俄然面白くなって、そのまま読み終わりました。光文社古典新訳文庫、400ページちょっと。

モーム、西洋絵画、ゴーギャン、パリの絵描き、芸術家の物語、そんなものに興味あれば、実に楽しめると思います。
丁度、フランス映画「モンパルナスの灯」を観たりもしたので、読みやすかった気もします。アレはモディリアーニさん(1920生)のお話ですが。

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ただ、ちょっと思うのは。
きっとこの小説は、「かなり創作しているけど、ゴーギャンさんがモデルですよ」という入り口で読者を誘っているんですよね。恐らく出版当時から。
そして、「かなり創作しているんだろうけど、ゴーギャンもこんな感じだったんだろうなあ」と読み進める訳です。

(どのあたりのエピソードまでが実際にゴーギャンさんの話なのか、そのあたりは分かりませんし、まあ、その辺は敢えて追求もしませんが…)

そこンところ抜きにして、フィクションの物語として読んだ場合、どうなんだろうっていう気はちょっとします。

だからと言って伝記小説でもないんで。

ちょこっとズルいような気もしますね…。

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2016年12月01日

Posted by ブクログ

『ブルターニュの光と影』展に行って、ゴーギャンの初期の鉛筆画を見た。
あまりにも落書きで、これがあの有名な!みんなを苦笑させた絵か!と、納得した。

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2023年05月24日

Posted by ブクログ

ゴーギャンの生涯をベースにしたフィクション。
普通の人からは理解不能な芸術家の具体的なハチャメチャ具合を生々しく描写しており、人の情とはかけ離れたストリックランドは嫌悪対象を通り越して人外となる。描かねばならんと全てを捨てて突き進めるか?凡人には無理です。
ゴーギャンの絵を観たくなりました。

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2023年02月14日

Posted by ブクログ

有名な『月と六ペンス』。思わせぶりなタイトルなので、どういう意味だろうと何十年か気になったままだったので読んでみた。

答えは本篇にはなく、解説にあった。

P406
題名『月と六ペンス』は、前作『人間の絆』についての書評が「タイムズ文芸付録」に掲載されたときの文句をモームが使ったもの。その書評には、「ほかの多くの青年と同様、主人公フィリップは『月』に憧れつづけ、その結果、足もとにある『六ペンス』銀貨には気づかなかった」と書かれていた。これを読んだモームが、「月」は理想を、「六ペンス」は現実をあらわす比喩として、『月と六ペンス』のストリックランドに応用できると考えたものと思われる。


病気になったストリックランド(ゴーギャンがモデルらしいが、似たところは少ないらしい)が、献身的に世話をしてくれた三流画家兼一流の目利きであるストルーブから、まずアトリエを、ついで愛妻を、結果的には家も奪ったうえ、そのストルーブの妻を自殺に追い込んでしまい、かつ、まったく悪びれない、というとんでもない人格に驚いた。

妻の死後、ストリックランドによる妻の裸婦像を見つけたストルーブが、スクレイパーでキャンバスを切り裂こうとして、思い止まり、芸術を守る、というシーンは、壮絶だった。

とんでもない人格なのに、数少ない理解者の好意で何とか絵を描き続け、最後に大作をものにするも、描いた先が自宅の壁で、死後遺言によりすぐに焼かれてしまうのは何とも勿体無い。芸術家たるもの、作品は後世に残したいだろうに。こうした理解し難い点が多いので、感情移入も難しいが、それでもほぼ一気に読めたのが不思議。。

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2022年12月19日

Posted by ブクログ

堅苦しい内容だとおもってたら、真反対で訳も自然でとても読みやすかった
単純に第三者視点からキーパーソンのことを語るのはいい構成だと思って読んでいたけど、役者解説でわざわざこの構成にしたのもそれぞれのキャラに特性をはめ込んだのも納得だった
私には自分のために生きて自分のために描き続けた画家・ストリックランドがとても魅力的に見えたきっとこの男のまやかしに誘惑されると思う

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2022年10月17日

Posted by ブクログ

ゴーギャンがモデルとばかり思っていたが、性格とかかなり異なるとの事。名作として読み継がれてきたが、発表当時は世俗作家との評価だったらしい。書名の解題も解説で触れられ、合点がいく。知人の裏切り方が人非人で、憑かれたような行動は体格もさながら怪人。求めるものが多数の人のそれと違っても幸せな人生を全うした。2021.7.13

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2021年07月13日

Posted by ブクログ

富や名声、安定した生活。
そういったものを投げ売ってでもやらねばならないことに取り憑かれた男の物語。

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2021年07月01日

Posted by ブクログ

明かすのも恥ずかしいが、途中まで実話だと思って読んでた。実在した画家と記者の話かと。もちろん、そうではないんだけど。
まあ、それぐらいリアリティのある、描写豊かで人間臭さのある文章だということで、自分を慰めておこう。
モームの本は初めて。
主人公の記者は傍から見ればかなりのひねくれ者。実際、人はこれぐらい当たり前にひねくれ者だけど。対象の画家は、これまたビックリするほどの変わり者。いや、本当は羨ましい。こんなに自分に正直な人がいるのか?と疑ってしまう程に。
日本では特に他人様に迷惑をかけないように言い聞かされて育つことが多いように感じるが、実際のところ何が迷惑なのかは分からない。自分だったら不快に感じること、その程度の基準でしかないだろう。でもそれって、不快なだけで物理的に迷惑かどうかは別問題なんだよね。
妻を奪い取ることは迷惑なのか?迷惑とはちょっと違う気もする。そう思うと、案外ことの画家は誰にも迷惑かけてないような気もしてくる。さて、どうなんだろう。

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2021年04月18日

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ネタバレ

語り手に一番共感した。若い人の感性はわからないしきっと素晴らしい物があるんだろうけど、きっと自分はそれが評価されなくなっても古い物にこだわり続けてる。それに絵のセンスも自分と全く一緒……。その辺通して、勝手にモームとお話出来たら絶対楽しいんだろうなあって想像してた!!
ストルーブとその妻の話が一番面白かった。どうして妻がストリックランドを好いたのか最初全然わかんなかったし、むしろストルーブみたいな人と私も結婚出来たらなあって思ってたけれど、妊娠していた話を聞いて印象が一変。でもストルーブみたいな可哀想なくらい滑稽な人、確かにこういう人どこかに居るよね……ってなる、本当に描くの上手い。ストリックランド夫人とかも。モームはふっと浮かぶ印象とか感覚を本当に上手に言葉に表すなあって思う。あと言葉も皮肉も入っているけれど、とっても美しい表現や的確でハッとさせられる言葉を使う。

私の勝手だし時代背景とかも絶対に解説者ほど詳しくないけれど、この本の巻末の解説には全然共感できなかった。未開の地にアメリカ製のストーブがあるのは悪意のある社会風刺的な皮肉じゃなくて、もっと純粋な悪意のないただの情景描写してたら案外面白い物があったからって雰囲気の皮肉?って印象を持った。私は言葉すっごく下手だし、モームに親近感湧きすぎてるのか神聖視しすぎかもしれないけれど……。

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2021年03月07日

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お~久しぶりに一冊の本を読みきった気がする…。
「モームブーム」って何だか口に出したくなる言葉。解説読んで面白いな~とも思ったけど、もうちょっと深入りした論文的なの読んでみたくなった(っていっつもこういうこと言いながら調べていない)。言葉遣い、知らないことわざがいっぱいあって調べるの楽しかった。やっぱり外国語の本読んでると、原文が気になりますね!(と言って、これも調べない)

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2020年06月23日

Posted by ブクログ

題名に惹かれて読み始めた。エキセントリックな画家を、近くで見ている主人公の視点から描く。ゴーギャンをモデルとした画家のキャラクターが印象的。偏屈でぶっ飛んでいて、「こんな人現実には存在しない」と思わせる反面、生き生きとしたリアリティを持って描かれているため「作家とゴーギャンは知り合いだったのか?」と想像させられる。解説でモームが同性愛者であったことについて触れられていたが、画家を近くで見守り観察する主人公の視点にその片鱗が感じられるような気がした。

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2020年05月05日

Posted by ブクログ

イギリスからはじまり、パリ、タヒチへと旅し、最後にイギリスへ戻る。スタートとゴールは同じ場所だが、価値観が180度回転している。いや、もしくは回転していないのかもしれない。つまり、ストリックランド夫人は最初も最後もスノッブだったということだ。夫どう評価しようと、彼女の根幹は揺るがなかったとも言える。
それはともかく、おもしろい小説だ。おとなしく、特徴もなかったストリックランドがパリで鬼のような生活をして、タヒチで魂の自由を手に入れる。土地が人に影響を与えるのだろうか。それとも、人は自分にあった土地をそのつど見つけるのだろうか。

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2020年02月11日

Posted by ブクログ

ゴーギャンの絵が好きになった頃、講師に教えていただいて知った本。人間的にあまり好きではないけれど、自分の意思を貫く頑固さは、私も少しは見習いたい。ストリックランドはちょっとやりすぎですがね…。

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2020年01月28日

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人間は本来矛盾を包含した複雑な存在であることが、ストリックランドやストルーブなどの人物像の描写から感じ取られた。知らない時代、知らない土地、知らない文化が頭の中に浮かぶような鮮やかな情景描写に惹き込まれた。小説自体とても素敵ではあったけれど、最後に解説を読んでいる時が一番楽しかった、という意味でもとても新鮮な感覚があった。
訳本が素敵であるが故に、やはり英語で読めたらどんなにいいかと思わされた。いつか挑戦したい。

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2017年10月27日

Posted by ブクログ

ストリックランドは絵を描くため突然家族を捨てたり、ストルーブの妻を奪った末自殺に追い込んだりと、“人間の屑”だと思います。けれど、ストリックランドの生き方には憧れてしまいました。「何が何でも描かねばならん(p88)」という情熱があり、「他人の意見などほんとうに気にならず(p99)」、「いまは幸せですか」という問いに「ああ(p147)」と答えられる、そんなストラスブールが羨ましいです。

やりたいことがあって、他人を気にせずそれをやっている人たちが輝いて見えて、“幸せ”について考えさせられました。

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2017年02月20日

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ストリックランドのとてもストイックで芸術家的な性格に面白さを感じた。目に見える六ペンスよりも、精神面に訴えかけてくる月の美を追求する生き方は素晴らしいと思った。

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2016年02月09日

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ゴーギャンをモデルにしてるとは言え、ゴーギャンはこんなに傲慢であったのかしら?どこまでをモデルにしたのかわからなかった。最後の癩病も調べたけどゴーギャンの死因が癩だと書かれてあるものは見つけられなかった。
読みやすさは◎。光文社の古典リメイクはだいたい読みやすくていいと思う。新潮や角川ののバキバキに硬い翻訳もアレあれで味があるけど、なかなか取っ付きづらさもあったりして。

因みに、最後の解説にあった「本書は同性愛小説である」には、納得出来ない。


2018.11.10再読
初読時に比べて内容は分かっていたので読むのが楽だった。今回初めて解説を読んだら、「ゴーギャンがモデル」というのは適切ではないと言うのがあってビックリ。
読書会の課題本で再読したのだけど、多くの人たちの意見を通して掘り下げることが出来たので、もう読むことはないと思う。
その代わりモームの他の作品も読みたいと思った。

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2018年11月11日

Posted by ブクログ

話が激しく展開していくのとは裏腹に、読みながらゆったりまどろむような気持ちになって、まるで童話のようだった。

男女の機微が随分ミステリアスに描かれていてかわいいなあ、と思っていたのですが最後の解説を見て腑に落ちました。まあそんなの抜きにしてもオトコとオンナのことは第三者が見てわけわかんないくらいの方が素敵だと思います。恋や愛を言葉で説明したってしょうがないや。

しかしこの登場人物と読み手の間の絶妙な距離感はなんだろう。冗談でも「あーわかるわかる」なんて言えない彼らのシンプルな神々しさは。

どの登場人物をとっても「このひとはきっとどこで何しててもこういう風にしか生きられなかったろうな」と思わせる凄みがあって、人はそれを生命力と言うのかもしれないし、使命とも宿命とも、あるいは呪いの様にも見えるんだけど不思議と恐怖も嫌悪も感じなくて、ただ愛おしい。或いはもしかしたら、羨ましい。

その性格の頑固は、多くの人にはきっと滑稽だったろうけれども本人たちはなかなか満足そうだし私みたいな他人はなにも言えませんのである…。

でもせつないなあ。寂しいなあ。
こっそり言うけど。

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2012年05月23日

Posted by ブクログ

物語の展開が、ものすごくドラマチックな小説だと思った。
この小説のストーリーテリングの巧みさは、最初から最後まで見事だった。そもそも、「月と六ペンス」というタイトルの付け方からしてスゴい。
モームは、現代であれば名うての構成作家になるような人だったのだと思う。

自伝的小説でありながら、本人の手による記録ではなく、それを観察する「私」の視点からの描写になっていることで、とても客観的にストリックランドという人物の特異性が浮かび上がるようになっている。
「私」の考え方は、常識的で、大衆的で、大きく偏ったところがほとんどない。いわば、当時のヨーロッパの社会通念そのものを代表する立場として、ホームズを見る時のワトソンのように、純粋な観察者として存在している。

それは、「凡人」と「天才」を対比するための媒体でもある。この物語の中には様々な人が登場するけれど、ストリックランドの天才性の前では皆、強力な磁石の傍に置かれた方位磁針のように、自分自身のアイデンティティーを完全に失ってしまう。
ストリックランドは、破天荒なキャラクターではあるけれど、単純なヒールとしての役割ではなく、「荒ぶる神」のように、人格というものを超越した存在なんじゃないかと思う。

40歳を過ぎた男が、いきなり夢を追いかけて、それまでに築いたすべての生活を投げ捨てるというところは、どことなく神がかり的な感じもする。
作品の中で、タヒチに住む船長も言っていたことだけれど、これはもう、自分の意思でどうなるものでもない、天啓ともいうべき衝動なのだろうと思う。
道徳にしばられるキリスト教的価値観や、仁義礼にしばられる儒教的価値観からしたら、あり得ないストリックランドの言動も、タヒチという別天地に来てみれば、それがいかにも自然な姿として現地に馴染んでしまうところが面白い。

物語の中に現れる、人と人との結びつきも、当人の思惑や理性を完全に超えたつながりが思わぬところで発生していて、そこがこの小説で表現されている、人生の味わいなんだと思う。モームという人は、本当に、この妙味をよく理解している人なんだろうという気がする。

「来訪の光栄に浴する理由は?」
「奥様のことでお訪ねしました」
「ふむ。君ももう少し年をとれば、他人のことに首を突っ込まないだけの分別ができると思うぞ。さて、面倒かもしれんが、頭を少し左に向けてみてくれないか。ドアが見えるか?じゃ、ご苦労さん」(p.62)
「何が何でも描かねばならん」ストリックランドは繰り返した。
「結果的にせいぜい三流にしかなれなかったら?それでもすべてを投げ出す価値がありますか。ほかの職業なら、一流かどうかは大した問題になりません。並みの能力があれば、けっこうやっていけるでしょう。でも、絵の世界ではそうはいきません」
「君はあきれた馬鹿だな」
「なぜ?当然のことを言うのが馬鹿げていますか」
「描かねばならんと言ったろうが。自分でもどうしようもないんだ。水に落ちたら、泳ぎがうまかろうがまずかろうが関係ない。とにかく這い上がらねば溺れる」(p.89)
「みながあなたみたいに振舞ったら、この世は成り立ちませんよ」「馬鹿を言うな。みんながみんな、おれみたいにするわけがなかろうが。ほとんどの人間は、普通のことをやって満足してるんだ」
また、嫌味も言ってみた。
「己の行動のすべてが普遍的規範となるよう行動せよ−−こういう言葉がありますが、どうです、賛成できそうですか」
「聞いたこともないが、くだらんな」
「でも、カントの言葉ですよ」
「誰の言葉だって、くだらんものはくだらんさ」(p.100)
「ぼくが間違ったことがあるかい?」とストルーブが言った。「天才だよ。確信がある。百年後、仮に君やぼくの名前が世に残るとしたら、それはチャールズ・ストリックランドの知り合いとして残る」(p.132)
「美は、この世で最も貴重なものだ。浜辺に転がっている石ころとは違う。通りがかりの人が何気なく拾い上げるようなものじゃない。美というのはね、不思議ですばらしいもの、芸術家が心で苦しみ抜いて、この世の混沌の中から生み出すものなんだよ。でもね、生み出されたからと言って、誰もが見て、すぐに美だとわかるわけじゃない。それが美だとわかるためには、芸術家の苦しみを自分の心でも繰り返さなくちゃ・・。」(p.134)
「君は正気じゃない。いったいどうしてしまったんだ」
ブランチは肩をすくめた。「行っていいかしら」
「いや、あと一秒だけ」
ストルーブは疲れた目でアトリエを見渡した。愛する場所だ。だが、それはブランチがいて、明るい家庭にしてくれていたからだ。一瞬目を閉じ、それから妻の姿を脳裏に焼き付けるように、長い間ブランチを見つめていた。やがて、立ち上がり、帽子をとった。(p.196)
「ぼくはね、子供のころ、隣家の馬具職人の娘と結婚すると宣言していたんだ。青い目の小さな女の子で、亜麻色の髪をお下げにしていた。あの子なら、母に劣らず家をぴかぴかに磨いてくれただろうし、ぼくの仕事を継ぐ息子も生んでくれただろう」
ストルーブは小さく溜息をつき、黙り込んだ。いま、ありえたはずの人生を思い、その細部をさまざまに描き込んでいる。かつて拒否したのは安心の生活・・その思いが郷愁を呼んでいる。
「この世は厳しくて、残酷だ。なぜここにいて、どこへ行くのか、誰も知らない。人間は謙虚でなくてはね。静けさの中に美を見つけなくてはならない。悲運に目をつけられないよう、人生をひっそりと生き抜かねばならない。単純素朴、無知な人々に愛されるのがいい。その人々の無知は、ぼくらの知識のすべてよりまさっているから。その人々にならって、ぼくらも口を閉じるべきなんだ。謙虚で、穏やかで、与えられた片隅で満足する。それこそが人生の知恵だと思う」
ストルーブの失意がしゃべらせている、と私は思った。こんな諦念には大いに反論したいところだが、ここは口をつぐむことにした。
エイブラハムははたして一生を台無しにしたのだろうか。一番したいことをする。居心地の良い場所で心安らかに暮らす。それが一生を台無しにしたことになるのだろうか。外科医として名を上げ、年収一万ポンドを稼ぎ、美人の妻を持つことが成功だろうか。結局は、人生をどう意味づけるかによる。社会から個人への要求と、個人から社会への要求をどう認識するかによる。だが、ここでも私は黙っていた。ナイト爵位を授かった男に、私とごときが反論してどうなるだろう。(p.337)
ヨーロッパでは大の鼻つまみだったストリックランドが、この遠隔の地ではそうではない。思いやりの心で迎えられ、奇行や気まぐれを寛容に受け止めてもらっている。この地でもやはり変わり者とみられているのは同じだが、それはあくまでも変わり者の一人という意味だ。世界は変人でいっぱいで、変人は変なことをする。それが当然だと受け止められている。人はなりたいものになるのではなく、ならざるをえないものになる−−ここの人はたぶんそう思っている。(p.357)

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2020年07月15日

Posted by ブクログ

ゴーギャンをモデルにしつつ、かなり相違点多いそうです。いろいろぶっとんだイカれ男だったので、史実とは異なると知ってなぜか少し安心した。

株式仲買人→画家、西洋文明→未開のタヒチ、まるで対極にあるようなものを切望しながら前半生を苦しみ生き続けてある日ようやく解放されたのか、あるいは漠然とした憧れを秘めたまま平穏に生きていたところ、ある日突然天啓にうたれて考えが変わってしまったのか、ぜひゴーギャン本人に聞いてみたい。

ストリックランドのねじくれた天邪鬼な嫌らしい性格、個人的には読んでて全然嫌ではない。一応は筋が通っているし、なんなら魅力的ですらある。
彼の人生そのものへのスタンスとして、知人・世間のことは気にもかけず、とにかく自己を追求する姿勢はかっこいいが、とても真似できるものではない。
でも本人は生きにくいとも思ってなかったんだろうな。

絵画をみて、そこから何かを感じ取れる人でありたい。

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2023年10月26日

Posted by ブクログ

解説を読むとよりおもしろい

どこまでも心が求める「なにか」を追い求め苦悩する

己の中の芸術を突き詰め続ける

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2022年02月07日

Posted by ブクログ

ネタバレ

夫が出奔したのが絵を描きたいという理由に納得できず、あくまでも女に一目ぼれしてその女を追ってパリへ行ったという流言を自発的に流すストリックランド夫人の心情がよく理解できなかった。自分より魅力のある女性に負けたという方が恥じゃないか…?男の庇護にあることこそ価値があるという今では考えられない思考が当たり前だった時代なんだなと思うとこういったところに通俗小説としての価値があるのかなと感じた。
ストリックランドがゴーギャンをモデルにしているというけれど、晩年のクレイジーさと、亡くなってから名声を浴びるというところから私がイメージしたのはゴッホだった。

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2019年09月19日

Posted by ブクログ

これ自体も悪くはないのだが、個人的には新潮文庫版の訳のほうがよりすっぱりとまとまっていたように感じる。チャールズ・ストリックランドという画家のモデルとなったポール・ゴーギャンの絵を見ながら読むとより質感がリアルに感じられる…かもしれない。

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2015年08月02日

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