関川夏央のレビュー一覧
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前回レビューの村上春樹は大学時代以来でしたが、今回の関川夏央先生はなんとまあ、高校1年生の読書感想文(「ソウルへの練習問題」)以来です。えっと、何年ぶりだ…と引き算を始めて意識が遠のきかけました。
さて、関川夏央が鉄道ファンであることを私はこの本を手に取って知った、というより鉄道ファンだったからこそ関川夏央に再会できたわけですが、なかなか重度の乗り鉄さんです。初っぱなが鶴見線という時点で宮脇俊三の愛読者であることは丸わかりですし、端々に同族嫌悪が混じるのも実に鉄道マニアらしい。タイトル通りの昭和への哀愁も漂った、なかなか通好みの紀行文です。
もっとも、ノスタルジーより筆がのっていたのは文学評論だったように思います。宮脇俊三を、内田百閒を、松本清張を語るときの生き生きとした描写と愛に満ちた分析。鉄道文学紀行も悪くないものです。
夏目漱石のマンガ原作を手がけていると、本書を読むタイミングで新聞記事により知りました。不勉強ですみません。 -
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本書は、雑誌あるいはWEB上での連載、「昭和残照」「昭和的センス」を書籍化したものであるらしい。ほぼ1年ほど前、「私説昭和史」と題した「昭和時代回想」「家族の昭和」「砂のように眠る」の3冊のシリーズを読んで以来の関川夏央だったが、今回も「昭和時代」をテーマにしたエッセイ集を読むことになった。
私は1959年というから、昭和34年の生まれ。今の令和の天皇陛下の1歳年上であり、昭和の真っただ中で生まれ育った。関川夏央は1949年の生まれというから、私より10歳年長になる。関川夏央が書く「昭和もの」は、個人的な体験であれば、彼の少年時代から青年時代にかけてのもの、そうでなければ、戦前を含む、私が(関川もだけれども)生まれる前の話も多く、「昭和もの」と言っても、自分が生きた昭和時代より以前の話が多く含まれ、「同時代」的な読み物として、なかなか読めない。本書の中では、「まんだら屋の良太」「大瀧詠一」「いとしのエリー」「村田兆治と門田博光」くらいが、リアリティを持ったものとして読めたもので、その他の話は、関川夏央にとっての「昭和」であるのかもしれないけれども、私にとっては、「昔話」の類であった。
「だから面白くなかった」と言っているわけではなく、「それでも面白く読んだ」と言いたい。
関川夏央も70代半ばを過ぎた年齢になってきて、あと、そんなに多くの作品が読めるわけでもないだろうが、これからも新刊が発行されるたびに読んでいくことになるのだろう。 -
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2002年刊。月刊誌「本の旅人」、1997年10月号~99年4月号連載のエッセイ、8篇。
「なぜ私は本を読むのがやめられないのか」「紙とインクのにおい」は、少年期の読書とそれにまつわる思い出。ほかに青年期に見た映画についてのエッセイなど。
「須賀敦子の風景」は追悼エッセイ。須賀敦子とは親しく付き合った。亡くなる2年前には、小樽への旅に誘った。彼女は最初逡巡したが、行きましょうよと押しまくった。そして何人かの仲間と小樽へ旅行。彼女の死後、関川はなぜ彼女が小樽行きを決めたかを知る。ヒントは、没後に出た『遠い朝の本たち』に書かれていた。
須賀敦子は関川を「セキカワ!」と呼び捨てにしていた。書くものだけからは知りえない須賀敦子の素顔。このエッセイだけでも読む価値はある。 -
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最近、関川夏央の本が新たに発行されることが多い。岩波からは、2025年になって、2月に本書、そして3月に「文庫からはじまる」が出版されている。昨年から今年にかけては、中公文庫から「私説昭和史」と副題のつけられた3冊がシリーズで発行されている。
関川夏央は、まだ書いているが、1949年の生まれ、今年は76歳になる年であり、若い頃ほど、多くを書いていないはずである。ことしから昨年にかけて新たに発行されたものは、本書を含めて、これまでに発表されているものを編集し直したものである。
本書は司馬遼太郎についてのものである。本書を読めば、司馬遼太郎がとんでもない知識人であったことが理解できるし、同時に、関川夏央もたいした人であることが分かる。関川夏央の本を多く読んでいる人であれば分かると思うが、関川夏央はどちらかと言えば、「偽悪化」であり、自分が努力してきたこと、勉強を尋常ではなくしてきたことを、ことさらに隠したがる。しかし、岩波からもう1冊、ほぼ同時期に発行されている「文庫からはじまる」や、本書を読めば、それが照れ隠しであることがよく分かると思う。 -
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関川夏央は文庫本の「解説」を数多く書いており、その数200に及ばんとする、と本書に書かれている。本書は、その中から21編が選ばれ掲載され、一冊の本として編集されている。
紹介されているいくつかの作品は、関川夏央が解説を書いたかどうかとは関係なく読み、そして、読後に関川夏央の解説を読んでいる。そして、その解説は、本文を更に面白く輝かせていたように感じる。
須賀敦子の「ヴェネツィアの宿」の解説を、関川夏央は「彼女の、意志的なあの靴音」という題名で書いている。関川夏央は、実は朝日新聞の書評委員会で須賀敦子と同席していたこともあり、旧知の間柄であったのだ。須賀敦子が亡くなったのが、1998年の3月、そして、「ヴェネツィアの宿」の解説を関川夏央が書いたのが、1998年8月であり、その解説は、同時に関川夏央から須賀敦子への「弔文」のような内容ともなっている。作品についての解説ばかりではなく、彼女の人生、彼女の業績、そして、「意志的なあの靴音」を持った彼女の個性を表す、見事な文章だと感じる。 -
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中公文庫で昨年十一月から毎月刊行されてきた<私説昭和史 三部作>の最終巻。I章からⅢ章までは、自身の青春時代を、執筆当時四十代後半だった著者が振り返るようなエッセイが並ぶ。筆致は、先の二冊に比べると、だいぶ軽い。Ⅳ章は、第一巻、第二巻で展開されてきた、過去や同時代の作家が描いた昭和について言及するエッセイがまとめられており、最後は、著者がかつて通った上智大学の近くにある陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地に赴き、二十世紀の終わりに開館した市ヶ谷記念館を訪れ、三島由紀夫と森田必勝の切腹に思いを馳せるところで終わる。田畑あきら子の絵と文章、私も読んでみたい。
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関川夏央『昭和時代回想 私説昭和史 3』中公文庫。
関川夏央による『私説昭和史』の三部作の第三作。第三作は、関川夏央自身の昭和の思い出と昭和を代表する作家への思い、昭和時代の日本の姿を描いたエッセイ集である。巻末には書き下ろしエッセイを増補。
関川夏央は自分のひと回り上の年代である。関川夏央ほどではないだろうが、自分自身も十分に昭和時代を経験した年代であり、取り分け昭和という時代に対する思い入れも強い。
本作で関川夏央が描いているように、昭和の時代には家族で海水浴に行くのは一大イベントであり、電車などとは言わず、汽車と呼んでいた。また、昭和時代の父親というのは尊敬の対象であった。昭和の父親は高度経済成長時代に家族のためにがむしゃらに働き、給与1ヶ月分以上の金額でテレビを購入し、さらにはマイホームを手に入れたのだ。そんな父親を体力で追い抜いた時には寂しさを覚えたものだ。
昭和の頃には、明治、大正、昭和と激動の時代を懐かしんだのだが、現在では、昭和、平成、令和という言い方で過去の時代を懐かしむようになった。
今の時代はワーク・ライフ・バランスとか言って、残業が極度に制限されているが、昭和の頃は働けば働いただけ残業手当が払われ、月収が倍という月もあった。自分も残業と休日出勤で月200時間超えなど当たり前だった。父親は忙しいと決まっていて、授業参観など夫婦揃って参加するなど無かった。父親参観ということで日曜日に授業参観を設定するなど、学校側の配慮もあったが。
昭和の時代は様々なことが緩かった。それでも、個人が自制し、余り行き過ぎることは無かったように思う。バスや電車での喫煙は普通だったし、食堂や居酒屋、喫茶店だけでなく、職場の自分の席でタバコが吸えた。学校での体罰なんて当たり前で、ハラスメントなんて今みたいに五月蝿くなかった。LGBTQなんておかしな考え方などは無く、男は男らしく、女は女らしく生きろと教えられたものだ。
時代は変わった。真面目に一心不乱に働いても評価されない時代になった。年に5日有給休暇を取得することが義務となった。30年ほど殆ど有給休暇など使ったことのなかった自分にはどうにも馴染めない。働くことは悪なのかと考えたりもするが、世の中の流れなら仕方が無い。最近は、本来なら年金を満額貰えるはずだった還暦を過ぎたし、仕事は少し手を抜き、有給休暇も適当に使ってやろうと思うようになった。
本体価格940円
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「私説昭和史」と題され、中公文庫から昨年末以降発行されていた3部作の3作目。
1作目は、「戦後」を、小説および当時のベストセラーへの書評を交互に繰り返すという手法で描いたもので、文句なしに面白かった。
2作目は、吉野源三郎と幸田文を中心とした「戦前」の作家・文芸作品、および、戦後の「金曜日の妻たち」「男女七人シリーズ」というテレビドラマへの評論を綴ったもので、扱われている題材そのものに興味を持てず、自分的には今一つ、楽しめるものではなかった。
3作目の本書は、筆者が色々な雑誌や新聞に書いたエッセイを、テーマに沿って編み直してみたものであり、面白いと感じるエッセイもあれば、やはり興味を持てないものもあった。
私も筆者と同じく、大学に入学するために、地方から上京してきた者である。本書に収められているエッセイには、筆者の大学時代、および、それに続く若い時代の自分自身のことを扱ったものが多くある。そのいくつかには、共感を感じるが、いくつかには共感を感じなかった。それは、もちろん、筆者と私の個性の違いもあるが、また、年齢差も関わっていると思う。たかだか10歳の違いであるが、筆者の経験したことで、私には実感を持って受け止められなかったことがいくつかある。また、筆者は自分自身を「団塊世代」と規定し、世代の特徴に沿った(と筆者が考える)テーマでいくつかのエッセイを書いているが、私自身は「団塊世代」ではないし、そもそも世代の感覚に乏しい。
総じて、本書は楽しんで読めたが、世代差により、なかなか楽しめない、というよりも、理解しずらい部分もあった。
いずれにせよ、これで3部作も終わりである。
全てが再発行のものであり、私自身にとっては、再読の3部作であったが、なかなか楽しく読ませてもらった。関川夏央の他の作品も、同じような形で(テーマを何か設定して)再発行してもらえると楽しいのに、と思う。 -
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関川夏央『家族の昭和 私説昭和史 2』中公文庫。
関川夏央による『私説昭和史』の三部作の第二作。第二作では、向田邦子、吉野源三郎、幸田文、鎌田敏夫といった時代を描く作家の作品に登場する様々な『家族』の変遷から、『昭和』の実像を捕える。巻末に新たに書き下ろした『自著解説』を増補。
昭和を舞台にした短編小説と昭和のベストセラー評論とが六章ずつ交互に並ぶ十二章で構成されるという面白い造りになっていた第一作の方が面白かった。今月末に刊行予定の第三作はどんな内容になるのだろうか。
昭和、平成、令和と自分が通過した時代の中で、戦争と高度経済成長の天国と地獄を経験している昭和は質実剛健のイメージがある。平成、令和と時代が進むうちに何時の間にか社会は軽薄短小、華美柔弱、巧言令色、 奢侈文弱のイメージに変わってしまったようだ。
向田邦子の『父の詫び状』から垣間見る昭和の家族。父親が一家の主として一家の生活を支え、家族からは大切に扱われ、敬われたのが昭和の家族の当たり前の姿だった。男は男らしく、女は女らしくといった当たり前のことを当たり前に言えない今の時代にはまともな『家族』など存在し得ないのだろう。
数年前に吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』が爆発的に売れた。自分もその時に何年か振りで岩波文庫の『君たちはどう生きるか』を購入して読んだ。早くに父親を亡くした主人公のコペル君こと本田潤一君の悩みや疑問に叔父さんが答えるという少年向け哲学的人生論小説である。中学一年生のコペル君が現代の若者と比べて、大人っぽいことに驚かされる。昭和という時代には死別により片親となった子供が今より多かったように思う。それでも、そういう子供を親戚や近隣で支えたのが昭和の時代だった。昭和の時代に片親が多かったのは、医学の進歩もあるが、戦中戦後の貧しい食糧事情や過酷な労働実態が背景にあったのではないかと思う。
幸田文の『流れる』は、林芙美子の『放浪記』と河上肇の『貧乏物語』を足したような日本がまだ繁栄を見せぬ、経済的に未完成の頃を舞台にした女の物語である。四十過ぎの未亡人の梨花は没落しかかった芸者置屋に住み込みとして女中を始め、花柳界の風習や芸者たちの生態に戸惑いながらも、梨花はそこに起きる事件を極めて冷静な目で観察していくのだ。
鎌田敏夫の『金曜日の妻たちへ』は、昭和60年にテレビドラマとなり、ヒットしたようだ。当時の自分は入社し、会社の独身寮で暮らし始めたばかりでテレビなど持っていなかったので、一度も見たことが無い。バブル景気の直前、昭和の終わりの家庭の風景は向田邦子の『父の詫び状』や幸田文の『流れる』などとは変わり、華やかでありながら、欺瞞に満ちた危ういものへと変貌したようだ。
本体価格1,000円
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団塊の世代の著者が一九九三年夏、四十三歳のときに出した、「昭和戦後」を振り返る本。自身をモデルとした「平凡なコドモが、変化のはげしい時代相のなかで、どんな知見態度を身につけながら長じたのか」(p340)を短編小説として書きつつ、その合間に昭和をいろどったベストセラーについてのエッセイを挟み込んだ構成になっている。取り上げられた本は無着成恭『山びこ学校』、石坂洋次郎の『青い山脈』その他の著作、安本末子『にあんちゃん』、小田実『何でも見てやろう』、高野悦子『二十歳の原点』、田中角栄『私の履歴書』。上智中退の関川のこの本が新潮文庫に収められた一九九七年時点での文庫解説もこの中公文庫版に収められているのだが、書き手が須賀敦子であるのを確認して、ああソフィア、と思った。一九九〇年代の上智周辺の空気感(須賀敦子も渡部昇一もごちゃ混ぜにしたスノッブな感じ)を真空パックしたまま二〇二四年にいきなり缶切りで蓋開けられたような読後感といったらいいだろうか。鼻持ちならない本なんだけど、でも最後まで読んだ。父親の日記うっかり見つけてしまって、うげえ、と思いつつ読んでしまったような感覚。〈私説昭和史 三部作〉として中公文庫から続いて刊行されるようで、恐ろしくも楽しみでもある。