関川夏央のレビュー一覧
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一躍「孤独のグルメ」で有名作画家となられた谷口ジロー氏の著作でございます。そうです谷口ジローは食マンガだけではないのです。原作者によっていかようにもその姿を変幻自在千変万化の名作画家なのでございます。あるフリーペーパーによりますと谷口ジロー氏は海外では知る人ぞ知る方でございまして、というのもさるアートの賞を頂いているようなのです。さすがトリコロールな国の方は分かってらっしゃいますなあ。ワタクシ嬉しい限りでございます。
さてそんな万能作画家・谷口ジロー氏がマンガ原作者の関川夏央氏と組んで夏目漱石先生を中心に文学人から明治を批評しようとした試みが本書とそれに続く4作でございます。
明治の空気感を感じろ!
絵の素晴らしさ。ディテールの美しさ匂い立つ哀愁たるや垂涎ものでございますが、話の筋も興味深く特に漱石先生が文学で身を立てると決心するクダリなどは一見の価値ありでございます。
さらには正岡子規や石川啄木、小泉八雲などなどなど周辺の文化人政治人が登場しそれぞれが時代の渦の中で何を思いどう動いたかという大河ドラマ的様相をあの谷口ジロー氏が(しつこいw )描いておるのであります。
明治文学明治文化近代史にご興味のある方は所詮マンガだと侮らずに読まれることをお勧め致します。まず間違いなくそのボリュームに圧倒されることをここに請け合う所存でございますので。 -
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1960年代から70年代を青春として生きた著者の
記憶の断片がテーマとなっている18の短編からできています。
さらに、文学的知識の深さを随所のちりばめられていて、
そうとうな文学青年だったんだなとわかる。
構文の特徴としては、一文一文が短く、言い切る表現が多い。
情景が繋がるときは、リズムがあったいのだが、
上手く頭の中で繋がらない時は、ブツ、ブツを流れが切れてしまい、読みにくくなってしまいました。
海外で友人に出会う、深夜の喫茶店で女友達と再会するという設定は、
著者の実体験かのかな~あ、ちょっと出来過ぎていると感じます。
14話まで読んで、投了してしまいました。
18の短編からできています -
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ネタバレ現代の出発点としての1905年--表現を「生業」とする文人たちの足跡と交流から、現代の祖型をスケッチ
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日露戦争に勝利した一九〇五年(明治三十八)、日本は国民国家としてのピークを迎えていた。そんな時代を生きた著名文学者十二人の「当時」とその「晩年」には、近代的自我の萌芽や拝金主義の発現、海外文化の流入と受容、「表現という生業」の誕生といった現代日本と日本人の「発端」が存在した――。いまを生きる私たちと同じ悩みを持ち、同じ欲望を抱えていた「彼ら」に現代人の祖型を探る、意欲的な試み。
--本書、帯。
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帯に書かれたずいぶんながいコピーだが、本書の概要を端的に示しているから冒頭に掲げた。そう、本書は1905年に注目し、そこに現代の基礎を見出す一冊である。
1905年とは何か。
「大衆が政治的実力を持つ時代、成長する中間層を核に大衆文化が花咲く時代、しかし衆愚政治の危険と背中合わせの時代」のはじまりである。そして同時にそれは、「大正・昭和の発端した年」、「現代のはじまった年」。
維新後の近代化がひとまずの完成をむかえたとき、創業期の黄昏が訪れる。そしてそれが現代の出発点になっていく。その敬意を文人たちの足跡や交流から明らかにする。
本書で取り上げる文人とは、森鴎外、津田梅子、幸田露伴、夏目漱石、島崎藤村、国木田独歩、髙村光太郎、与謝野晶子、永井荷風、野上弥生子、平塚らいてう、石川啄木の十二人。十二編でそれぞれの消息を積み重ねている。
個人的には、関川ファンを自認する一人であるが、文人の足跡を描かせると氏の右に出るものはいない。実際に対面で話をうかがうような筆致にこぼれる笑みを隠せない。 -
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一九五三年、斎藤茂吉と釈迢空という日本短歌界の歌人の死。翌年、中井英夫によって新たな才能が発見される。その時から現代短歌のこころみの歴史がはじまった──。
この本では、1954年に「現代短歌」の始まりを求め、その発祥と経緯を描いている。
それぞれの時代を生き、またその時代を彩った歌人達の歌の数々が、その来歴や時代的背景から論じられている。
ただ「作品」として短歌を読むのとはまた違った、時代の「声」としての短歌の側面を探り、またその時代から歌人達の歌を検証する本書では、個性的な歌人達が多く取り上げられている。
中城ふみ子、寺山修司、村木道彦、穂村弘、齋藤史・・・。
しかし私がもっとも衝撃を受けたのはやはり、戦争を詠った歌の数々だった。
私は、戦争のことについて考えるのが嫌である。
そのことについては、『現代百人一首』の感想でも書いた。
戦争について、語りたくない、関わりたくない、できることなら避けたい。そういう思いを持っている。
しかし同時に、自分がそう思っていることに対する後ろめたさも、とても強く持っていた。戦争についてそんなことを言ってはいけない、という意識があった。
そして、その「戦争について関わりたくない」という気持ちは、戦争を詠んだ短歌を読む時、私はとても意識するのである。
私が戦争の話題に関して抱く「気味の悪さ」を、『現代百人一首』の感想では、ついに上手く言葉にすることが出来ずに終わっている。
しかし、今回この本の穂村弘さんを扱った章を読んで、おぼろげながら、その輪郭が垣間見えた気がする。
短歌は「パーソナル」な文芸である。特に意識してそう書かれない限り、「詠まれていること=歌人のこと」と読み手側に受け取られる(そのことを意識して読んでいる読み手なんて、数が限られているだろうけど)。
そう書かれているところを読んで、はたと私は思ったのだ。もしかして、私が戦争を詠んだ歌を読むと打ちひしがれたような、もう関わりたくない、という気分になるのは、このせいなのではないだろうか、と。
私が考えたのは、「本来主観的に読まれるはずの短歌を、主観的に読むことの出来ない」気味悪さだった。
つまり、戦争を詠った歌を、私は自分の経験から想像して読むことが出来ないのだ。
その経験は、自分が経験してきたものから推して測れない。自分の想像の範囲が及ばないのかもしれないし、自分の想像の範囲を超えているのかもしれない。
だから混乱する。どうにかして分かりたいと思う。しかし、「それ」を分かろうとするには、たくさんの時間と努力が要ることも、私には漠然と分かっている。しかも、そのたくさんの時間と努力をかけても、自分には「それ」が分からないかもしれない、いやおそらく分からないだろう、とも思っている。
私はこの人のことが、この人の経験してきたことが、分からない。
そう思って、私は戦争を詠った歌を読むと、絶望にも似た気持ちに打ちひしがれるのだと思う。で、分からないと思うから、どうしていいか分からなくなって、遠ざけたい、関わりたくない、と思うのだろう。
分からないことは、気味が悪い。気味が悪いとは言いすぎだろうか。では、受容できない、と言えばいいのだろうか。
私は「戦争」という誰かの体験を受け入れられない。
どうすればいいのだろう、と思う。分からないのである。本当に分からないのである。だから、ますます遠ざけたくなるのである。
戦争というものを、どうやって理解していいのかわからない。いっそもう、考えたくない。
「歴史」として見ればいいのかなぁ。もう終わった出来事として。
しかし、それでいいのか、という自分の声がする。それではいけない、という私自身の声が。
答えは出ない。全然、出ない。これからもはっきりすることはないかもしれない。
けれど、考え続ることはやめてはいけない。
それだけは、強く思う。 -
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[ 内容 ]
文学作品は、時代から独立して存在しているわけではない。
その作品が書かれ、受け入れられ、生き残ってきたことには理由がある。
与謝野晶子、夏目漱石、森鴎外などの古典から、谷崎潤一郎、三島由紀夫などの昭和の文豪、現代の村上春樹、宮部みゆきまで、1年1冊、合計100冊の「20世紀の名著」を厳選。
希代の本読み、関川夏央による最強のブックガイド。
[ 目次 ]
みだれ髪―与謝野晶子
クオーレ―E・デ・アミーチス・和田忠彦訳
トニオ・クレーゲル・ヴェニスに死す―トーマス・マン・高橋義孝訳
桜の園・三人姉妹―チェーホフ・神西清訳
吾輩は猫である―夏目漱石
車輪の下―ヘルマン・ヘッセ・高橋健二訳
婦系図―泉鏡花
あめりか物語―永井荷風
ヰタ・セクスアリス―森鴎外
刺青・秘密―谷崎潤一郎〔ほか〕
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
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本屋で関川さんの著書を見ると、鉄道関連ばかりが目につくので、アレ、ホントにテツだったのか、と認識を改めたところ。テツでも文学、歴史系かな。
酒井さんは漫画「鉄子の旅」にもゲストで登場してたので、鉄道好きは知っていた。
けど、旅を先導した明治学院の原教授については、よく知らない。その筋では有名な人なのかと読み進める。
大人3人。ちょっと、目のつけどころが違う旅。3人の会話中心に収録されていて、読後、写真や地図で補い、旅程を愉しむ。
最後に、1人づつの旅が収録されている。関川さんのルポには内田百閒への言及がある。「山田(風太郎)先生は、威張りん坊の百閒が好きであった。」読んで得をしたような気になった一文。
一人旅の段で、原先生は「大正天皇」の著者だと気付く。そういえば、あの本は天皇の行啓に詳しかった。
さて、どこか鉄道乗りに行こうかな。