Posted by ブクログ
2011年08月28日
一九五三年、斎藤茂吉と釈迢空という日本短歌界の歌人の死。翌年、中井英夫によって新たな才能が発見される。その時から現代短歌のこころみの歴史がはじまった──。
この本では、1954年に「現代短歌」の始まりを求め、その発祥と経緯を描いている。
それぞれの時代を生き、またその時代を彩った歌人達の歌の数々が...続きを読む、その来歴や時代的背景から論じられている。
ただ「作品」として短歌を読むのとはまた違った、時代の「声」としての短歌の側面を探り、またその時代から歌人達の歌を検証する本書では、個性的な歌人達が多く取り上げられている。
中城ふみ子、寺山修司、村木道彦、穂村弘、齋藤史・・・。
しかし私がもっとも衝撃を受けたのはやはり、戦争を詠った歌の数々だった。
私は、戦争のことについて考えるのが嫌である。
そのことについては、『現代百人一首』の感想でも書いた。
戦争について、語りたくない、関わりたくない、できることなら避けたい。そういう思いを持っている。
しかし同時に、自分がそう思っていることに対する後ろめたさも、とても強く持っていた。戦争についてそんなことを言ってはいけない、という意識があった。
そして、その「戦争について関わりたくない」という気持ちは、戦争を詠んだ短歌を読む時、私はとても意識するのである。
私が戦争の話題に関して抱く「気味の悪さ」を、『現代百人一首』の感想では、ついに上手く言葉にすることが出来ずに終わっている。
しかし、今回この本の穂村弘さんを扱った章を読んで、おぼろげながら、その輪郭が垣間見えた気がする。
短歌は「パーソナル」な文芸である。特に意識してそう書かれない限り、「詠まれていること=歌人のこと」と読み手側に受け取られる(そのことを意識して読んでいる読み手なんて、数が限られているだろうけど)。
そう書かれているところを読んで、はたと私は思ったのだ。もしかして、私が戦争を詠んだ歌を読むと打ちひしがれたような、もう関わりたくない、という気分になるのは、このせいなのではないだろうか、と。
私が考えたのは、「本来主観的に読まれるはずの短歌を、主観的に読むことの出来ない」気味悪さだった。
つまり、戦争を詠った歌を、私は自分の経験から想像して読むことが出来ないのだ。
その経験は、自分が経験してきたものから推して測れない。自分の想像の範囲が及ばないのかもしれないし、自分の想像の範囲を超えているのかもしれない。
だから混乱する。どうにかして分かりたいと思う。しかし、「それ」を分かろうとするには、たくさんの時間と努力が要ることも、私には漠然と分かっている。しかも、そのたくさんの時間と努力をかけても、自分には「それ」が分からないかもしれない、いやおそらく分からないだろう、とも思っている。
私はこの人のことが、この人の経験してきたことが、分からない。
そう思って、私は戦争を詠った歌を読むと、絶望にも似た気持ちに打ちひしがれるのだと思う。で、分からないと思うから、どうしていいか分からなくなって、遠ざけたい、関わりたくない、と思うのだろう。
分からないことは、気味が悪い。気味が悪いとは言いすぎだろうか。では、受容できない、と言えばいいのだろうか。
私は「戦争」という誰かの体験を受け入れられない。
どうすればいいのだろう、と思う。分からないのである。本当に分からないのである。だから、ますます遠ざけたくなるのである。
戦争というものを、どうやって理解していいのかわからない。いっそもう、考えたくない。
「歴史」として見ればいいのかなぁ。もう終わった出来事として。
しかし、それでいいのか、という自分の声がする。それではいけない、という私自身の声が。
答えは出ない。全然、出ない。これからもはっきりすることはないかもしれない。
けれど、考え続ることはやめてはいけない。
それだけは、強く思う。