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一九五三年、斎藤茂吉と釈迢空という日本短歌界の二大巨星が墜ちた。翌年、一人の短歌雑誌編集者が発想した企画によって新しい才能が発見される。編集者の名は中井英夫。見いだされた新人は中城ふみ子と寺山修司。その時から現代短歌のこころみの歴史がはじまった――。戦後の日本語表現中で異彩を放つ短歌という文芸ジャンル、その半世紀にわたる挑戦と歌人群像を斬新な視点から描く。
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Posted by ブクログ
短歌に興味がない私でもぐいぐい引き込まれた、一つの時代史。歌人たちの個性・人生と、それに寄り添い抉り出す著者
天神橋筋商店街の天牛書店で100円!安いなあ。 関川夏央はいつの間にか短歌の世界まで踏み込んでいたのですね… この本は素晴らしい。 掲載されている歌人の短歌が読みたくなった。 特に斉藤史と2・26事件の関わり、そして彼女が生き続け昭和末期に天皇と園遊会で交わした会話など思わず涙がこぼれた。 久し...続きを読むぶりに関川夏央を読んだ。この人が大昔にいしかわじゅんのマンガに(登場人物として)出てきた頃から知っているので、とても長い付き合いになる。不思議な感じ…
関川氏の現代短歌史。 短歌史、なのに感動で涙ぐめてしまうという。(笑) それにしても塚本邦雄の名前が少ない気がするのだが、何でなんでしょう?
短歌というものは、字数が不自由であるがゆえに、自由である。 切り取られた一瞬が、宇宙を突き破るくらいの激しさを持っているのだろう。句集に整然と並び、余白にすこし寂しさを感じていたが、勘違いだったようだ。
20080213 祝・文庫化。待ってたよ、この日を!!(待つっつうか買えって話だけど。。) 中城ふみ子と寺山修司、あと斎藤史のところが特にすばらしい。どきどきする。短歌史で興奮するなんて! ストイックで、でも"抒情"たっぷりで、ハードボイルドだなあと思った。ぜんぜん検討違いだっ...続きを読むたらすいません。関川夏央ハードボイルド説。 短歌初心者として、勉強になりました。おもしろい。
一九五三年、斎藤茂吉と釈迢空という日本短歌界の歌人の死。翌年、中井英夫によって新たな才能が発見される。その時から現代短歌のこころみの歴史がはじまった──。 この本では、1954年に「現代短歌」の始まりを求め、その発祥と経緯を描いている。 それぞれの時代を生き、またその時代を彩った歌人達の歌の数々が...続きを読む、その来歴や時代的背景から論じられている。 ただ「作品」として短歌を読むのとはまた違った、時代の「声」としての短歌の側面を探り、またその時代から歌人達の歌を検証する本書では、個性的な歌人達が多く取り上げられている。 中城ふみ子、寺山修司、村木道彦、穂村弘、齋藤史・・・。 しかし私がもっとも衝撃を受けたのはやはり、戦争を詠った歌の数々だった。 私は、戦争のことについて考えるのが嫌である。 そのことについては、『現代百人一首』の感想でも書いた。 戦争について、語りたくない、関わりたくない、できることなら避けたい。そういう思いを持っている。 しかし同時に、自分がそう思っていることに対する後ろめたさも、とても強く持っていた。戦争についてそんなことを言ってはいけない、という意識があった。 そして、その「戦争について関わりたくない」という気持ちは、戦争を詠んだ短歌を読む時、私はとても意識するのである。 私が戦争の話題に関して抱く「気味の悪さ」を、『現代百人一首』の感想では、ついに上手く言葉にすることが出来ずに終わっている。 しかし、今回この本の穂村弘さんを扱った章を読んで、おぼろげながら、その輪郭が垣間見えた気がする。 短歌は「パーソナル」な文芸である。特に意識してそう書かれない限り、「詠まれていること=歌人のこと」と読み手側に受け取られる(そのことを意識して読んでいる読み手なんて、数が限られているだろうけど)。 そう書かれているところを読んで、はたと私は思ったのだ。もしかして、私が戦争を詠んだ歌を読むと打ちひしがれたような、もう関わりたくない、という気分になるのは、このせいなのではないだろうか、と。 私が考えたのは、「本来主観的に読まれるはずの短歌を、主観的に読むことの出来ない」気味悪さだった。 つまり、戦争を詠った歌を、私は自分の経験から想像して読むことが出来ないのだ。 その経験は、自分が経験してきたものから推して測れない。自分の想像の範囲が及ばないのかもしれないし、自分の想像の範囲を超えているのかもしれない。 だから混乱する。どうにかして分かりたいと思う。しかし、「それ」を分かろうとするには、たくさんの時間と努力が要ることも、私には漠然と分かっている。しかも、そのたくさんの時間と努力をかけても、自分には「それ」が分からないかもしれない、いやおそらく分からないだろう、とも思っている。 私はこの人のことが、この人の経験してきたことが、分からない。 そう思って、私は戦争を詠った歌を読むと、絶望にも似た気持ちに打ちひしがれるのだと思う。で、分からないと思うから、どうしていいか分からなくなって、遠ざけたい、関わりたくない、と思うのだろう。 分からないことは、気味が悪い。気味が悪いとは言いすぎだろうか。では、受容できない、と言えばいいのだろうか。 私は「戦争」という誰かの体験を受け入れられない。 どうすればいいのだろう、と思う。分からないのである。本当に分からないのである。だから、ますます遠ざけたくなるのである。 戦争というものを、どうやって理解していいのかわからない。いっそもう、考えたくない。 「歴史」として見ればいいのかなぁ。もう終わった出来事として。 しかし、それでいいのか、という自分の声がする。それではいけない、という私自身の声が。 答えは出ない。全然、出ない。これからもはっきりすることはないかもしれない。 けれど、考え続ることはやめてはいけない。 それだけは、強く思う。
「現代短歌」と言われて思い浮かぶのは、俵万智のサラダ記念日(これもかなり古いけれども)くらいのものであり、短歌に興味があったわけではなく、関川夏央が好きだから読んだ本。残念ながら、短歌に目が開かれた、とか、そういうことにはならなかった。
1954年の衝撃 中条ふみ子と石川不二子 寺山修司 現代短歌のこころみとしては強烈。 「短歌はプロに訊け」「短歌パラダイス」 「短歌には「業界外」からの批評が不足しているのではないかという疑いは私の動機のひとつであった」著者 ソフトウェア業界も同じだなと思った。
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現代短歌 そのこころみ
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関川夏央
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