関川夏央のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
根津に、新しいブックストアがオープンしたという記事を読んで、独自のカテゴリ棚でおもしろい紹介をしてるらしいというその本屋さんに、Kくんとでかけてきました。
落語とか、森まゆみさんとか、町の紹介とか、割引の本のコーナーもおもしろいのが選んであって、狭いけどおもしろい本屋さん。
私的にヒットだったのは、林芙美子の放浪記とか、色川武大の狂人日記とかと一緒にこの本があった小さなコーナー。この時代の本、好きなのです。こんなふうにこの本と出会えて、ラッキーでした。
本、おもしろかった、一気に読んでしまいました。ふたりの生きた様子が細かく紹介されてる。読みたかった本。「本人たちはそんなことになってたのか」と、息を呑みながら読みました。林芙美子の「書かばや、進まばや!」というのが、かっこよくて、自分の今のテーマとして掲げることにした。
女流って、そういう括りについて有吉佐和子もいやがったというけど、女流と言われてむっとくる感じもわかる、だけど女流という括りでこのふたりのことが1冊の本に入って読めたのがすごく得心のいくまとまりで、女流ということばの表す流れが、成す規模がぜんぜんちがうとはいっても、自分の中に流れてるのを感じてしまう。食べていく方法を見つけて、それが自分だけのものであってほしくて、道を切って拓いていくためにがんばっちゃう感じ。本人としてそれは当たり前のこととしてやってるんだけど、まわりからすると「女流」っていうなにか特別な覚悟みたいなものを感じてしまうという、腹立たしさ。だけど確実にある自意識。
それが自分の中にも流れてると感じることは、うれしいことじゃないし、同時に誇らしいことでもあるような、振り払いたいけど振り払えないような、消せない、強いもの。どうしてこれを男子は持たないのか?それこそが謎、という感じ。
ふたりの、死の姿までがちゃんと描かれていたのが、この本の秀逸なところだと思います。仕事をして、どうやって生きて、というのが、そこに表れざるを得ないのは、当たり前だと思った。めちゃめちゃで、あきれたり、目を背けたいような面も多いけど、放浪記も、複合汚染も、こんなふうに生きて、そんな書物をこの世に成したということが、かっこいい、やったね、という感じ。
解説が、いまひとつ・・・この本を読む女子の興奮がわからんか、という感じでちょっとざんねん。それから、筆者がどうしてこのレポを書いたのか、書かなきゃいけなかった理由を、読者としては読みたかったな、そこにも呼応できるともっと嬉しかったかなと思ってしまいました。ので星4つにしたよ。 -
Posted by ブクログ
関川夏央の、80年代末から03年までの、
おもに東アジアに関する原稿を一冊にしたもの。
冒頭の、「世界とはいやなものである」と題されたものは、
シドニーオリンピックについて。
柔道の篠原選手、たしか決勝で敗れて銀メダルだったと思います。
“誤審”と言われてずいぶん騒がれましたが、
記者会見では「弱いから負けたんです」と言ったとか。
それを聞いたフランス(金メダルを取った選手の国)の新聞は
この篠原のコメントをそのまま引用し、そしてそのままの意味にとった。篠原自身が「弱いから負けた」といっているじゃないかと書いた。「世界」とは身もふたもないところなのである。身もふたもない「世界」に謙譲は通用しない。
さらに引用。
その柔道で、いちばん情けなかったのは山下監督だった。試合終了後抗議にとびだしたはいいが、何をいっているのかわからない。何もいっていないようでもある。こういう場合は、たわごとだろうが何だろうが、とにかく英語でまくしたてつづけて、かつ審判を畳の上から逃してはならないのである。「世界」とは身もふたもないのみならず、いやなところなのである。筋のとおった議論でなくともよい。屁理屈でかまわない。多くしゃべる方、声を大きな方が得をするのは、クジラ談義を見ればわかる。
確かにねぇ。
そうなんですよねぇ。
結局、こういうことがうまくできないと生き残れないなんでしょうねぇ。
少なくとも世の中はこういう原理で動いていると認識しておかないと
やばいでしょうねぇ。
ああ、あいまいで、甘くて、目立たなくて、
失敗しても笑って許されて、コツコツやってるだけが美徳の日本。
そんな日本で地味に生きてゆきたいです、私は。
私が前にいた会社では、年俸交渉のために「プレゼンテーション」なるものが
必要で、私がいかに会社に貢献し、私独自の努力と知恵がいかに業績に結び付いたか、
あるいは業績が上がらなかった場合は、いかに外部要因が不運であったか
(要はいいことは自分のおかげ、悪いことはひとのせい)みたいなことを、
グラフやらなんやら使ってアピールせねばならない機会があって、
いやでしたねー。
そういえば、「世界とはいやなものである」って、
山本夏彦の言葉だと思ったんだけど、いいのかな、タイトルになってるけど。 -
Posted by ブクログ
私は関川夏央のエッセイしか読んだことがない。「『ただの人』の人生」と、「中年シングル生活」の二冊である。そのため、本書もエッセイであるという先入観で手に取った。最初の数編を斜め読みしても、やはりエッセイと思って疑わなかった。しかし、裏表紙の解説によれば、これは短編小説集である。
いかにも、読み進むうちにそれぞれの主人公が異なる状況にあるのが見えてくる。だが、それでもやはりこれをエッセイ、でなければ私小説と読んでしまうのは、これが限りなく実体験に近いフィクションだからなのだろう。実際、「ミラボー橋」の中には「彼」と「私」の記述に混同が見られる。誰のミスなのか、または作為によるものなのかは分からないが。
いずれの主人公も、年の頃は50。ほとんどが未婚若しくは離婚経験がある独り者。旅先だったり、その途中だったりする状況も多い。中年と老年の狭間にいる。昔はコンビニを馬鹿にしていたのに、今では何故か安らぎを覚える。若者に対する不潔感を拭えず、若くもなく年老いてもいない女性に惹かれるが、いざ一対一になると文学談義でお茶を濁すことしか出来ない。結婚している設定である「『統一』と『結婚』」も、フィクションに感じられぬ「何か」がある。
それは、男女の描写にある説得力なのか、厭わしくも懐かしい過去への思いに覚える共感のなせるわざなのか……エッセイではない、ということで却って現実味を感じると言ったら穿ち過ぎだろうか。最初から作り事だとしてしまえば、本当にあった事を書いても、前提でそれは嘘だとされる。
興味深く、面白く、巻措くにあたわずというべき秀作なのだが、読んでいるとサミシクなる。彼の文章を読むと、自分が失ってきたもの、諦めて置いてきたものを振り返って見つめたくなるのだ。色々なことを忘れて前に進もうと思う人間には、時に辛く、喪失感をいや増す一冊である。 -
Posted by ブクログ
「本書は"家族の昭和"(2010年11月新潮文庫)を改題し、新たに自著解説を付したものです」という紹介が掲載されているが、本書はオリジナルではなく、既刊のものを、中公文庫が3巻シリーズの「私説昭和史」としてまとめたものの、第2巻である。
第1巻の「砂のように眠る」は私の好みに合っており、とても面白く読んだが、本書は楽しんで読めたとは言えない。それは、扱われている作家・作品・時代に、あまり興味が持てなかったから。吉野源三郎、幸田文で扱われているのは、主に戦前。吉野源三郎も幸田文も読んでいないし、時代にも興味を持てない。時代は下がり、「金曜日の妻たち」「男女七人シリーズ」は、テレビドラマ。同時代的にテレビで観たことはあるが、ほとんど興味を持てなかった。興味を持てなかったテレビドラマを扱った文章は、関川夏央のものだとはいえ、なかなか面白くは読めない。
ということで、本書は、自分にとっては「当たり」ではなかった。
1月下旬には3巻目が発売されるらしい。しかし、それは楽しみに待っている。