あらすじ
「昭和」という時代と日本人は、戦争体験を経て激変した。
経済面ではすべてを失いながらも、瞬く間に飛躍的成長を遂げ、人びとの精神や生活習慣も大きく変貌した。
そしてその激動の原動力となったのは、家族の存在だった。
吉野源三郎、幸田文、向田邦子、鎌田敏夫。
時代を描く彼らの作品に登場するさまざまな「家族」の変遷から、「昭和」の実像をとらえる。
巻末に新たに「自著解説」を付す。
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関川夏央『家族の昭和 私説昭和史 2』中公文庫。
関川夏央による『私説昭和史』の三部作の第二作。第二作では、向田邦子、吉野源三郎、幸田文、鎌田敏夫といった時代を描く作家の作品に登場する様々な『家族』の変遷から、『昭和』の実像を捕える。巻末に新たに書き下ろした『自著解説』を増補。
昭和を舞台にした短編小説と昭和のベストセラー評論とが六章ずつ交互に並ぶ十二章で構成されるという面白い造りになっていた第一作の方が面白かった。今月末に刊行予定の第三作はどんな内容になるのだろうか。
昭和、平成、令和と自分が通過した時代の中で、戦争と高度経済成長の天国と地獄を経験している昭和は質実剛健のイメージがある。平成、令和と時代が進むうちに何時の間にか社会は軽薄短小、華美柔弱、巧言令色、 奢侈文弱のイメージに変わってしまったようだ。
向田邦子の『父の詫び状』から垣間見る昭和の家族。父親が一家の主として一家の生活を支え、家族からは大切に扱われ、敬われたのが昭和の家族の当たり前の姿だった。男は男らしく、女は女らしくといった当たり前のことを当たり前に言えない今の時代にはまともな『家族』など存在し得ないのだろう。
数年前に吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』が爆発的に売れた。自分もその時に何年か振りで岩波文庫の『君たちはどう生きるか』を購入して読んだ。早くに父親を亡くした主人公のコペル君こと本田潤一君の悩みや疑問に叔父さんが答えるという少年向け哲学的人生論小説である。中学一年生のコペル君が現代の若者と比べて、大人っぽいことに驚かされる。昭和という時代には死別により片親となった子供が今より多かったように思う。それでも、そういう子供を親戚や近隣で支えたのが昭和の時代だった。昭和の時代に片親が多かったのは、医学の進歩もあるが、戦中戦後の貧しい食糧事情や過酷な労働実態が背景にあったのではないかと思う。
幸田文の『流れる』は、林芙美子の『放浪記』と河上肇の『貧乏物語』を足したような日本がまだ繁栄を見せぬ、経済的に未完成の頃を舞台にした女の物語である。四十過ぎの未亡人の梨花は没落しかかった芸者置屋に住み込みとして女中を始め、花柳界の風習や芸者たちの生態に戸惑いながらも、梨花はそこに起きる事件を極めて冷静な目で観察していくのだ。
鎌田敏夫の『金曜日の妻たちへ』は、昭和60年にテレビドラマとなり、ヒットしたようだ。当時の自分は入社し、会社の独身寮で暮らし始めたばかりでテレビなど持っていなかったので、一度も見たことが無い。バブル景気の直前、昭和の終わりの家庭の風景は向田邦子の『父の詫び状』や幸田文の『流れる』などとは変わり、華やかでありながら、欺瞞に満ちた危ういものへと変貌したようだ。
本体価格1,000円
★★★★
Posted by ブクログ
「本書は"家族の昭和"(2010年11月新潮文庫)を改題し、新たに自著解説を付したものです」という紹介が掲載されているが、本書はオリジナルではなく、既刊のものを、中公文庫が3巻シリーズの「私説昭和史」としてまとめたものの、第2巻である。
第1巻の「砂のように眠る」は私の好みに合っており、とても面白く読んだが、本書は楽しんで読めたとは言えない。それは、扱われている作家・作品・時代に、あまり興味が持てなかったから。吉野源三郎、幸田文で扱われているのは、主に戦前。吉野源三郎も幸田文も読んでいないし、時代にも興味を持てない。時代は下がり、「金曜日の妻たち」「男女七人シリーズ」は、テレビドラマ。同時代的にテレビで観たことはあるが、ほとんど興味を持てなかった。興味を持てなかったテレビドラマを扱った文章は、関川夏央のものだとはいえ、なかなか面白くは読めない。
ということで、本書は、自分にとっては「当たり」ではなかった。
1月下旬には3巻目が発売されるらしい。しかし、それは楽しみに待っている。
Posted by ブクログ
「昭和戦前から昭和戦後へ、その家族像の推移を主題に据えて、小説、テレビドラマ、映画を読みこんでみた」(p286)とある。取り上げられるのは向田邦子の作品と生き方、吉野源三郎『君たちはどう生きるか』、幸田文の『流れる』と『おとうと』、テレビドラマの『金曜日の妻たちへⅢ 恋におちて』と『男女7人夏物語』と『男女7人秋物語』、そして小津安二郎の作品。著者はテレビドラマの三作品について、自身と「我がこと」(p301)として重ね合わせ、当時の時代そのものが今から振り返ると価値がない、寒々とした、と自著解説で書いているが、それは、昭和六十年代がどうというよりは、今現在よりも遠い時代の作品の方が、「我がこと」としてではなく、客観的に読みこめるからではないか、と感じた。