関川夏央のレビュー一覧

  • 人間晩年図巻 1995-99年

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    昭和をカタルシスをもって描くことで筆者を超える人はいない。著名人とその周囲を晩年の姿から遡る記録。

    シリーズもので、たまたま途中の本書から手に取る。20代今思えば人生の転機に直面していた頃。過去の人と思った人物と同じ時代、同じ空気を吸っていたことに今さら気づかされる。

    山田風太郎「人間臨終図巻」より、主題の人物の生涯を掘り下げた視点。人の一生についてしんみりと考えさせられる。

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    2026年04月11日
  • やむにやまれず

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    2001年刊。もとは「小説現代」2000年1月号~2001年6月号連載、18回分。各回の扉は、いしいひさいちの4コマ漫画、四角顔のセキカワ教授の日常。ただし本文の内容とは関係がない。
    昭和の匂いのするフィクショナルな短篇が並ぶ。長らく関川のルポとエッセイを読んできた者にとっては、小説として読むのが難しい。
    終わりのほうの回には、純粋なエッセイもある。久しぶりに山田風太郎先生のお宅を訪ねる回。先生は79歳、パーキンソン病が進行して、たばこもひとりで吸えなくなっていた。でも飄々としていた。別の回では、その2カ月後、山田先生ご自身が日本ミステリー文学大賞の授賞式に出席すると聞いて、心配で駆けつける。式のあと、なぜ無理に出席させたんだと憤るが、編集者から、先生は自分がこういう状態だということをみなに見せたかったのかもしれないと言われ、目が開かれる。この回には、その前夜、友人のライター井田真木子が倒れて救急搬送され、病院に駆けつける話も出てくる(しかし、そこで死亡が確認された)。
    山田風太郎は2001年7月28日逝去。本書単行本の「あとがき」の日付は2001年7月。

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    2025年10月01日
  • 子規、最後の八年

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    俳句を少しでも嗜む者として、読んでおきたい本。俳聖子規と巨人虚子、碧梧桐らの関係性。学ぶところ多かった。

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    2025年09月23日
  • 昭和的

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    映画、作家の生涯などから昭和を振り返る珠玉のエッセイ。昭和の世になってちょうど100年。特に映画作品から当時の空気が伝わってくる。
    どこかノスタルジックな思いに駆られる素敵な作品。

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    2025年06月15日
  • 昭和的

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    時は過ぎた。

    「昭和的センス」から逃れられない、
    時代遅れの著者のささやかな抵抗。
    辛口にして味わい深い珠玉のエッセイ集。
    南伸坊さんによる描き下ろしを含む絵34点も収録。

    イラストも含めて星五つ。
    最近ハマっている「ニセトラ」の話題が嬉しい。

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    2025年05月05日
  • 砂のように眠る 私説昭和史1

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    ネタバレ

    昭和史。番号1なので,まだ戦争があっだ昭和から始まり、田中角栄,オイルショックまで。いろいろ読んで知ってるつもりだったが、実は全然知らない時代だった。著者は、その時代に売れた本や映画、事件、世相と,それをなぞるようにしてその時代特有の雰囲気の物語を交互に書いて,その構成が面白い。冒頭のクリスマスイブの客、かつて軍隊が一緒だったという男が不在の父をたずねてきて寒い冬の夜母と子が駅までその男を送る物語がものがなしくていかにも戦争があっだ昭和。
    評論部分で取り上げられている作品は、
    山びこ学校,石坂洋次郎の青春小説、にあんちゃん、小田実なんでもみてやろう、二十歳の原点、田中角栄私の履歴書。

    テレビやラジオで同じ情報を共有していた時代。良くも悪くも,そこから生まれる空気,日本に特に強く分厚い空気,分厚いけど砂のようにチリのように軽い、どのエピソードも評論も、須賀さんの言う精神の空白をそんな空気を吸い吐き忘れ、今なら消費して、という私たちの日本の社会のありよう、今の様々な社会問題に至る、つながる様を提示している。
    新潮文庫版解説は、須賀敦子さん。
    空虚な,精神の後進国である日本,
    この国では、手早い答えを見つけることが、競争に勝つことだと、そんなくだらないことばかりに力を入れてきたのだから
    人が生きるのは、答えを見つけるためでもないし、誰かと何かと競争するためなどでは決してありえない。ひたすらそれぞれが信じる方向に向けて、自分を充実させる。そのことを私たちは根本のところで忘れて走ってきたのではないだろうか。
    平成8年とある須賀さん解説の言葉は20年以上経つ今より濃厚に受け止めるしかない。


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    2025年04月27日
  • 司馬遼太郎の「跫音」

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    ネタバレ

    司馬遼太郎の小説、評論、随筆、紀行文、対談、書簡等々全てを網羅して、司馬本人の思考、思想を論じた最高の一冊だと思う。(系統的に書かれたものではないが、すべてを合わせると結果的に優れた司馬遼太郎論になっていると思う)

    著者は、これまでも司馬の講演集や対談等の解説等を手掛けてきたので、全作品に目を通すことに驚きはないが、この本の出版社が、司馬と関係が深かった文藝春秋や中央公論でなく、岩波書店ということに、若干の驚きを感じた。

    司馬は1960年(36歳)に「梟の城」で直木賞を受賞した。当時産経新聞大阪本社文化部長になったばかりであったが、受賞後にわかに忙しくなり、1年後に退社し、専業作家となる。翌年から古巣である産経新聞に「竜馬がゆく」の連載が始まり、ほぼ同時に、この陽性な竜馬とは対蹠的な陰翳に富んだ「幕末」や「燃えよ剣」等の新選組を扱った作品を立て続けに刊行した。
    そして司馬の人気が不動になったのは、65年からテレビドラマ化された「新選組血風録」以降のことである。(当時「竜馬がゆく」は出版社からは、売れ行きに不安を持たれながら、ようやく出版された状態だった)

    この頃から司馬の作品は、従前の時代小説の枠にはとうていおさまらないという認識が、読者に浸透していった。それはまさに歴史小説の名に値した。
    司馬の描いた主人公は、従来の歴史上の英雄ではなく、歴史に埋もれた人物を掘り起こして、英雄にしてしまった。(家康や秀吉を書いた例外もあるが、私には余り力が入ってないように思える)
    司馬の小説の中心には、徹底的な事実の積み重ねがあり、主人公はおおかた平凡な人間であり、平凡な人間が非凡な時代に生きるうち、やむを得ず非凡な人間となって時代と関わってゆく姿を描いた。

    私が思いつくままに掲げても、斎藤道三(国盗り物語)、北条早雲(箱根の坂)、坂本龍馬(竜馬がゆく)、吉田松陰・高杉晋作(世に棲む日日)、土方歳三(燃えよ剣)、高田屋嘉兵衛(菜の花の沖)、大村益次郎(花神)、黒田官兵衛(播磨灘物語)、松本良順・関寛斎(胡蝶の夢)、秋山好古・真之(坂の上の雲)・・・等々・・・小説とは言い難いが、私が個人的に隠れた傑作と思っている「ひとびとの跫音」に至っては、世には殆ど知られていない正岡忠三郎(正岡子規の妹の律の養子)とその友人のぬやまひろし(本名は共産党幹部を除名された西沢隆二)との交流を描いている。

    司馬は、思想、宗教、イデオロギーを嫌悪しつつ、そういうものとは裏腹に「人惚れしてしまう傾向」が強いように思える。その典型が「ぬやまひろし」だと思う。彼は戦前に非合法共産党員として12年間投獄され、戦後は共産党幹部にもなったが、余りにも過激な思想のため共産党を除名されたような人物である。彼は司馬が持つ常識を大きく食み出していたはずだが、司馬は敬意を持って対話を続けた。司馬は「(思想嫌いの)思想の人」であり、「保守」ではなく「リベラル」の人であると思える。
    別の本で、司馬は「人間にとってその人生は作品である。この立場で私は小説を書いている」と、述べている事に通じるものがある。

    一方、思想・イデオロギー嫌いの顕著な例が、70年の三島由紀夫自死事件であった。この事件の翌日、毎日新聞は朝刊の一面全てを使い「異常な三島事件に接してー文学論的な死」という見出しで、新聞としては異例に長い司馬の原稿を掲げた。大阪版での見出しは「薄汚れた模倣を恐れるーあくまで『文学死』」と、もっと直接的な表現であった。その内容は、「思想(この場合は陽明学)」とそれに触発された「行動」への警戒心と嫌悪であった。
    別の本からの引用だが当時の中央公論の名編集者と言われた粕谷一希は「私はこの文章(三島への献辞)が、司馬さんのその後を決めたと思う。司馬さんは文士から国士になった」

    司馬は、日本の戦前の思想や、戦後のマルキシズムは、人を酔わせるアルコール中毒と同じだと言い、中世のキリスト教や儒教は「飼い馴らし」の原理という。
    70年代の日本人のほとんどが心情的に加担した南ベトナム民族解放戦線に対しても、「歴史や政治的正義はそこまで崇高ではない」(人間の集団についてーベトナムから考える)と、言い切っている。当時の時代の空気を知っている私の世代から考えると「果敢な発言」だと言える・・・但し、この本は世間からは余り注目されなかったが・・・

    司馬は徹底的にリアリズムを重んじた。小説にも徹底した事実の積み重ねを実践した。顕著な例としては「坂の上の雲」を書く時の資料の使い方である。
    陸軍の正式な戦史である「日露戦史」は、作戦の失敗を糊塗したい将軍、逆に作戦の成功を際立たせたい将軍が戦史部に圧力を掛け、記述が錯綜したり矛盾したものになった。司馬はこれでは役に立たないと考え、それにつけられていた数百枚の付図、部隊配置図は信を置けると考え、それに基づいて戦闘場面を記述した。「坂の上の雲」のリアリティの原点はそこにあった。著者はそれを「地図の文学化」という。
    脱線するが、この小説はそれ以外にも当時の歴史観を変化させた。
    それまでの日露戦争は学会の主流であったマルキシズムの学者たちからは「侵略戦争」と呼ばれていた。それを「天皇の戦い」ではなく、防衛的なナショナリズムを動力とする「国民の戦争」として描いた。
    そして「地図の文学化」は、後半生のライフワークになった「街道をゆく」に繋がってゆく。ここでは、明治以前の日本の多様性を地方の歴史から説き起こしてゆく。

    著者の言葉を借りれば、一連の小説や晩年の「この国のかたち」や「街道をゆく」を通じて、司馬が言いたかったのは「日本人は原理や思想を持たぬことを恥じるな。ひたすら現実を見据えてリアリズムで生きよ、ということに尽きた。司馬遼太郎の後半生は、大陸とヨーロッパとに日本人が抱いていた気おくれをとり去り、島国文化の闊達さを再発見させることに費やされたといえる」

    この本の感想を書き始めて、当初は本の感想文を書くつもりであったが、段々と私自身の気持ちを、著者の言葉を借りながら書いたような結果になってしまいました。
    私は、このような偉大な作家が膨大は作品を残してくれたことに感謝し、改めてまだ読んでいない作品を読み尽くしたいと思うようになった次第です。

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    2025年04月21日
  • 砂のように眠る 私説昭和史1

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    本書「砂のように眠る」のオリジナルは、1997年に新潮文庫から発行されている。最後に筆者・関川夏央の「自著解説」が付け加わってはいるが、基本的には1997年のものと内容は全く同じである。内容が同じものを、今回は中公文庫として発行した、中央公論社の意図は分からないけれども、私自身、以前の新潮文庫版も読んでいて、それでも、今回、再度購入し読んでいるので、私のような読者、要するに関川夏央ファンをあて込んで発行したのかもしれない。
    再読してみての印象は、やっぱり関川夏央は文章がうまいということ。格好つけているような、一種拗ねているような、そのような独特のタッチの文章であるが、関川夏央の他の作品を読んだ時にも、そして、本書を何十年か前に最初に読んだ時にも、私はこのような文章が好きなのだということを、読みながら感じた。

    新潮文庫版は1997年の発行であるが、本書のあとがき的なものの日付は、1993年6月となっている。文庫になる前に単行本でも発行されたのだと思う。今回の中公文庫版の副題は、「私説昭和史1」であるが、1993年は、平成5年であり、昭和が終わってから、ある程度時間が経ってはいるが、昭和時代のことが、まだ肌感覚として残っている間に書かれたものだ。しかし、1993年に、これが書かれてから、既に30年以上が経過している。本書の中で筆者が描写していた日本の社会の姿も、変わっている部分がある。
    筆者は、あとがき的な部分で、本書が対象としていた時代を総括して下記のように書いている。少し長くなるが、引用してみる。

    【引用】
    昭和二十年代後半から昭和三十年代全般にかけて、きのうよりはきょう、きょうよりはあしたがよくなると信じる空気が、その内容についてはつぶさに検討されることなく醸成された。そして、異常な技術の進歩をともなった生活水準の良化という側面では、それはたしかに実証されたのだった。
    しかし、技術の進歩が人間の進歩につながるという楽観こそ、実は戦後最大の誤算だったといえる。貧困は大きく後退し消費生活は著しく豊かになったが、人間の内実はかわらず、社会そのものにも本質的な変化は見られなかった。日本社会は、むかしあったような性格とかたちを温存しつつ全体の生活水準のみずりあがり、たとえば、ひとの嫉妬すべき対象がきょうあすの食糧や月ごとの収支から、世襲財産、美貌、血筋など自助努力によっては得がたいものに移っただけということができる。
    誰もが食うに困らず、誰もが意見めいたものを持ちながら自らの存在と仕事の社会的意味を問わずに済み、なにごとに対しても自分の快不快と幸不幸の基準に照らして判断すればこと足りる社会、それが経済成長と消費拡大を絶対善とした「戦後」時代の到達した高度大衆社会である。
    【引用終わり】

    私は筆者よりも10ばかり年下になるので、筆者が経験したことと、自分が経験したことは違うのかもしれないが、それでも、「社会そのものにも本質的な変化は見られなかった」という部分は、「そうかなぁ~?」と思ってしまう。貧困が著しく減少したり、消費生活が豊かになることは、本質的な変化ではないのだろうか?逆に、筆者の言う「本質的な変化」のあった時代ってどういう時のことを言うのだろうか?とは思ってしまう。「技術の進歩が人間の進歩につながるという楽観」が誤算と言っているので、文脈からすれば、「本質的な変化」とは「人間の進歩」のことを言うのだろうが、果たして、「人間の進歩」とは何だろう?どのような時代にそれは起こったことがあるのだろう?と思ってしまう。
    また、生活水準があがり、誰もが食うに困らず、他人の月ごとの収支を妬まずに済むようになった、という筆者の言う社会は、実は幸せな社会だったのだろうと、今の、昭和の後の平成も終わり、令和に入った今になって思う人も沢山いるのだろうと思う。昭和が終わって少し経って、バブルが崩壊し、平成の間に日本はほとんど経済発展せず、従って、生活水準は豊かにはならず、最近では、貧困問題・格差問題が露わになりつつある時代になってしまっている。だから、関川夏央は、少したかを括り過ぎていたのだろうとも思う。

    ということで、詳しく読むと、内容につっかかってしまいたくなる部分も多いのであるが、それでも、本書の再読は楽しい経験であった。

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    2025年01月07日
  • 砂のように眠る 私説昭和史1

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    関川夏央『砂のように眠る 私説昭和史 1』中公文庫。

    関川夏央による『私説昭和史』の三部作の第一作。昭和を舞台にした短編小説と昭和のベストセラー評論とが六章ずつ交互に並ぶ十二章で構成されるという面白い造りになっている。

    著者の関川夏央の名前を初めて認識したのは谷口ジローと共著の『事件屋稼業』である。関川夏央は、自分よりも一回りほど上の年代で所謂、団塊の世代であり、昭和という極めて特異な時代を良く知る作家の1人であろうと思う。

    昭和という時代は戦争と敗戦、貧困、焦土からの復興、高度経済成長期、1億総中流時代、バブル期、バブル崩壊、学歴社会と格差社会の到来という浮き沈みの激しい時代だったという点では、極めて特異な時代だったと言えるのではなかろうか。


    『クリスマスイブの客』。昭和生まれの自分には非常に懐かしい描写が多数描いている。あの時代を懐かしむようになったということは、それだけ歳を重ねたということなのだろう。読んでいて、この作品を谷口ジローが漫画化したらきっと面白かったに違いないと思った。この小説の主人公は8歳の小学生である。父親が会社の宴会で不在のクリスマスイブの夜、家で母親と2人で過ごしていると、長谷川と名乗る軍隊時代の父親の知り合いが訪ねて来る。傷痍軍人、バタークリームケーキ、ラジオ、尋ね人と懐かしい昭和の風物が登場する。

    『山の民主主義 ―『山びこ学校』が輝いた時代』。無着成恭の『山びこ学校』とは懐かしい。戦後から経済成長期に入っても農作物の不作などで、食いたくとも食えない時期があったようだ。田畑のある地方の農家はそれなりに食べることには困らなかったようだが、農家の子供が山で薬草や山菜を採って家計の足しにしていたと言う。しかし、本評論に描いているように昭和の時代には近所や学校での助け合いがあった。現代では自分の家の困窮はひた隠し、非合法な手段で金を手にしようという若者たちが増えているように思う。

    『みぞれ』。旧友との束の間の再会。時代の移ろいと共に生活は様々と変化していく。タイトルの『みぞれ』は農村の風景を描いた画家の佐藤哲三の作品から。自分は旧友との再会が楽しみだったのは、せいぜい社会人になって10年くらいまでだった。10年という年月は人間の性質を全く変えてしまうだけの長い時間だと思う。社会に出て、様々な裏切りに遭えば、今さらながら友を持つ気になれない。

    『日本の青春 ー石坂洋次郎に見る「民主」日本』。何故か関川夏央は、石坂洋次郎の『若い人』『青い山脈』『陽のあたる坂道』『あいつと私』から、当時の世界から見た日本の姿、日本の家族の様をかなり批判的に論じている。昭和という時代は軍国主義や封建制の影響がまだ残り、堅苦しいところもあった。現在の令和の世が自由で良いのかと言えばそうでも無いと思う。自由の背後には自助が付き纏い、それが足枷となり、結局は自由に振る舞えないことになるのだ。自由に振る舞えないから権利という名の暴力を振りかざした挙げ句、金銭に困った若者たちは善と悪の境目が解らず、トクリュウ詐欺や強盗殺人に手を出すのだ。

    『思い出のサンフランシスコ』。中学校の柔道部の仲間たちは高校、大学、社会人とそれぞれの道に進み、少しずつ疎遠になっていく。中学校時代の『思い出のサンフランシスコ』にまつわる甘酸っぱい思い出も遥か過去のものになる。本作に少し描かれているダラスで起きたケネディ暗殺事件は丁度、自分が生まれた年に起きた事件なので、リアルタイムでは記憶に無い。社会人になり、ダラスに出張した際に暗殺事件の起きた場所に行ったことがある。ケネディ暗殺現場は観光地と化していた。その出張の際、行きの飛行機がサンフランシスコでのトランジットだったことを思い出した。

    『『にあんちゃん』が描いた風景 ―日本の貧困、日本の理想』。『にあんちゃん』は安本末子という少女が小学3年生から5年生までつけていた日記の集成である。『にあんちゃん』とは2番目の兄ちゃんという安本家だけの言い方のようだ。両親を失った兄妹が貧困にも負けず、身を寄せ合って生きる姿が描かれる。安本家は在日韓国人であっただけに普通の日本人以上の困難を味わっているようだ。今の日本でも所得格差が問題になっているが、当時は食えるか食えないかという生きるか死ぬかのレベルの格差があった。

    『春の日の花と輝く』。昭和40年代の高校生たちの青春譜。昭和の高校生は大人びていた。他人と同じことをするのを善しとせず、皆がそれぞれの主義主張を持っていた。そのせいか主義主張が合致すれば学生運動みたいな巨大なエネルギーになったのだろう。

    『ある青年作家の帰国 ―『何でも見てやろう』という精神』。小田実の『何でも見てやろう』は学生時代に読んでいる。英語も満足に話せないのにフルブライト留学生に選ばれ、アメリカに渡り、その後、世界各国を旅した貧乏旅行記である。日本が戦後、復興から経済成長と内向きの指向だった時代に世界を見てやろうと飛び出した学生作家の勇気は同書をベストセラーにした。確かに若いうちは自分の力と経済力で日本国内、世界各国を見た方が良いだろう。現代の若者でそういう行動力を見せる若者がどれだけ居るだろうか。

    『ここでなければどこでも』。かわいそうな男の元で暮らす不思議な女性の話。昭和という時代の特異性や風景が色濃く描かれる。何にしても、あの時代はおおらかだったと思う。東京で一人暮らしを始め、働いていた青年が仕事を辞め、アパートに引き籠もっていた。ある日、ふと思い付いて小さな飲み屋に入ると、客のエリコと知り合い、不思議な縁から同棲を始める。

    『一九六九年に二十歳であること ―『二十歳の原点』の疼痛』。『二十歳の原点』はベストセラーとなった20歳という若さで自殺した高野悦子の日記である。人間関係に苦悩し、失恋、学生運動を経験しながら、自身の存在に疑問を感じ、煙草と酒に溺れ、壊れていく若い女性の吐露。若いが故に悩みは尽きず、多くの人間はそれを乗り越えているのだ。

    『時をへてもみんな嘘つき』。大人な男女の会話。昭和の若者たちは本当に大人で、それぞれが自分の得意分野の知識を持っていた。今とは違い、ネットやSNSなど無い時代にそうした知識を得るために多くの本を読んだものだ。商社に入り、海外赴任していた大学時代の友人が亡くなり、その葬儀に出席した主人公はやはり大学時代の同級生の女性と再会する。ひとしきり思い出話に花を咲かせ、昔を懐かしむ。大人な男女の綺麗な別れ……

    『田中角栄のいる遠景 ―『私の履歴書』と乾いた砂』。今の総理大臣や政治家と比べて、田中角栄の豪放磊落ぶりと政治手腕は群を抜いている。調子に乗り、アメリカを脅かすまでに日本経済を発展させ、アメリカの罠にハマったのだろう。そんな田中角栄が14歳で土方になり、政治家への階段を上り、頂点に立つまでの道程を描いたのが『私の履歴書』である。

    本体価格1,100円
    ★★★★★

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    2025年01月14日
  • 現代短歌 そのこころみ

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    短歌に興味がない私でもぐいぐい引き込まれた、一つの時代史。歌人たちの個性・人生と、それに寄り添い抉り出す著者

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    2022年07月20日
  • 人間晩年図巻 2008―11年3月11日

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    「人間晩年図巻」の5冊目である。2011年3月11日までとなっているが、その日は東北大震災の日だ。本書に関川夏央は「あとがき」を書いているが、「人間晩年図巻」は、この5冊目で終わりであり、これ以上、書きつなぐつもりはないようである。
    本書の意図を、関川夏央は下記のように説明している。

    【引用】
    現代史を、直接にではなく表現する手立てはないかと思案し、時代の刻印を受け、また時代そのものをつくった有名人・無名人、その全盛期と晩年の記述で実践してみた。
    【引用終わり】

    「人間晩年図巻」は、その年に亡くなった方たちの晩年、あるいは、人生全体を関川夏央が語るという形式をとっている。私は、5冊のシリーズをどれも面白く読んだが、なぜ、亡くなった人を年ごとにまとめた本が面白いのかを説明するのが難しく感じていた。しかし、上記の関川夏央の説明を読んで、そうか、このシリーズは、亡くなった人たちを通じて、現代史を書くという関川夏央の試みが面白かったのだ、と気がついた。亡くなった人たちを描写しているのであるが、それが、その人が生きた時代の描写にもなっているのである。

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    2022年06月05日
  • 人間晩年図巻 2008―11年3月11日

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    関川さんの文章は端正が過ぎて読むのに時間がかかることが多い。しかしこの本にはそれでもひと息に読ませる何かがあった。

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    2022年04月19日
  • 人間晩年図巻 2004―07年

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     この「2004−07年」だけ貸出中で返却を待つ。読む順序が狂ってしまった。
     何と岡田史子が扱われている。真っ先に読む。「週刊誌にヌードを撮らせたのは」とある。ホント? 検索で画像を拝む。恐ろしい目ヂカラだ。
     他に杉浦日向子など、山田風太郎『人間臨終図巻』なら選に漏れたかもしれない。山田版は物故小説家の比重が大きいように思う。
     「26人を収録」と謳いつつ、本田靖春なら金嬉老、青島幸男なら大橋巨泉といった具合に関連人物に触れてくれるので、実際の読み心地は50人以上だ。
     『人間晩年図巻』の名に恥じず、晩節を汚した著名人にも容赦ない。この巻では小田実への舌鋒が鋭い。

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    2022年04月08日
  • 人間晩年図巻 2008―11年3月11日

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    ネタバレ

     2004−07年が貸出中につき、やむなくこちらを借りる。11年3月11日と日付がある。あの日だ。
     取り扱われた28人中、知っているのは20人。盧武鉉など政治家は事績が多いので読みにくい。
     峰岸徹の記事の終り、言葉を濁しているが、関川夏央は知っているのだろう。「別の大物俳優の存在」は当時 噂に昇ったものだ。
     池部良の三島由紀夫への助言は興味深い。
     佐野洋子が大韓航空機爆破の工作員ハチヤシンイチと交友があったというのは、まさに現代史の裏面だろう。
     続けて読んでいると、人間は癌になるために長生きしているのか、と思えてくる。

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    2022年04月01日
  • 人間晩年図巻 1990-94年

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    1990年から94年に亡くなった有名無名の人々へのレクイエム。その晩年を、時に追慕の念を込めて、時に辛辣に描く。取り上げられているのは、栃錦、成田三樹夫、幸田文、相田みつを、中村曜子、小池重明、大山康晴、長谷川町子、中上健次と永山則夫、寺田ヒロオ、オードリー・ヘップバーン、金日成、吉行淳之介、音羽信子など。また、その人の死にかこつけて、別の人物の数奇な運命を語るパターンもある。グレタ・ガルボと長谷川泰子、江青と毛沢東、安井かずみと加藤和彦、神永昭夫とヘーシンクそして猪熊功、ハナ肇とクレージーキャッツなど。これだけ調べるのは大変だったろうが、著者が楽しんで書いたのが分かる。同時代を生きた人が多く、共感した。

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    2022年03月15日
  • 人間晩年図巻 2000―03年

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    「人間晩年図巻」の3冊目。
    本書は2021年10月の発行で、2000年-2003年の間に亡くなられた方々が紹介されている。紹介されている主な方々で、興味深く読んだのは、青江美奈、大貫久男、山田風太郎、ナンシー関、ネルソン吉村大志郎、といった方々。

    2000年はバブルがはじけて10年、「失われた10年」という言葉を実際に使っていたかどうか。シドニーオリンピックが開催された年。
    2001年はアメリカでの同時多発テロが発生した年。貿易センタービルに飛行機が突っ込む映像を今でも覚えている。その実行犯の1人が本書で取り上げられている。
    2002年は日韓ワールドカップの年。日本でのチケットが入手出来ず、韓国まで観戦に行った。
    2003年はスペースシャトル、コロンビア号の事故の年。

    ミレニアムから21世紀に入る時期。
    私的には、2003年からイギリスに留学した時期。その後の職業人生を考えると、とても大事な決断であり、経験であった。

    そういったことを考えながら読んだ。

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    2021年12月22日
  • 人間晩年図巻 1995-99年

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    関川夏央、「人間晩年図巻」の2冊目。本巻は2016年6月の発行で、1995年から1999年に亡くなられた方についての紹介。
    1995年は阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件が起きた年だ。1990年代初頭にバブルが弾けて、日本では低成長が続いていた。当時はそれでも、それは景気循環の下降局面であり、いつかは景気は回復するであろうと見られていたが、そこから約30年間近く、日本の経済は低迷を続けている。
    個人的には、私の30代。1995年には、子供2人は小学生。任される仕事の範囲も広がりつつあり、生活は充実していたと言える。

    本書で紹介されているのは、35人。
    例えば、テレサテン、横山やすし、司馬遼太郎、渥美清、鄧小平、ダイアナ妃、村山実など。
    司馬遼太郎の「坂の上の雲」に心を動かされたり、テキ屋の寅さんの自由気ままな人生を羨んだりしたことが思い出される。
    そういう意味では、本書は亡くなられた方々を紹介する本であると同時に、読者が自分の人生を振り返る本でもあるのだと思った。

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    2021年12月17日
  • 人間晩年図巻 1990-94年

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    1990年から1994年の間に亡くなられた36人の方についての紹介である。新聞に死亡記事、あるいは、おくやみ欄があるが、それを更に詳しく長くしたものと理解していただければ良い。人間「晩年」図巻という書名であるが、亡くなられた方の「晩年」ばかりではなく、その人がどういう人であったのか、何をなした人なのかという人物紹介となっている。
    また、対象は1990年から1994年の間に亡くなられた方であるが、本書の発行は2016年。直近に亡くなられた方の紹介ではない。例えば「1994年に死んだ人々」として紹介されているのは、安井かずみ、アイルトン・セナ、金日成、吉行淳之介、乙羽信子である。人選には関川夏央の意思・意図が色濃く反映されているはずだと思って、実際に1994年に亡くなられた方のデータベースをネットで調べてみたが、亡くなられた方にこういう言い方はないが、ある意味で順当な(興味深い人物という意味で)人選であった。
    紹介されている36人、私自身が興味を惹かれた人物も多かった。もともと興味を持っていた人もいれば、本書を読んで興味を覚えた人もいる。池波正太郎、江青、尾崎豊、大山康晴、中上健次、太地喜和子、ハナ肇、田中角栄、金正日、オードリー・ヘップバーン等。こうやって並べてみると、人選に共通点があるとすれば、良くも悪しくも波乱万丈の人生を歩んだ人たち、ということは言えるのかもしれない。
    関川夏央は、本書の続編を書き継いでいる。本書の後に、3冊が既に発行されており、間もなく更に1冊が発行される予定だ。関川夏央は非常に好きな作家であり、かなり読んでいるが、このシリーズは、あまり興味が湧かず、これまで読んでいなかった。読まず嫌いだったということが分かり、続きを読むのが楽しみになった。

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    2021年12月06日
  • 谷口ジローコレクション : 6  「坊っちゃん」の時代

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    毎月2冊ずつ刊行される谷口ジローコレクションは、小学館と双葉社から1冊ずつ刊行される仕組みになっている(異なる出版社同士が手を取って刊行する、というのも非常に珍しい)が、双葉社サイドからは谷口ジローの代表作の1つ、「『坊ちゃん』の時代」シリーズが選ばれており、本書はその第1巻にあたる。

    最も谷口ジローの有名な作品である『孤独のグルメ』が、原作の久住昌之との共作であるように、彼は多くの原作者と仕事をしている。その中で最も長く関係性が深かったのが、本作の原作者であり小説家・ノンフィクション作家である関川夏央である。

    この2人のタッグにより生まれた傑作の1つがこの「『坊ちゃん』の時代」シリーズであるわけだが、初めて読んであまりの素晴らしさと面白さに興奮がとまらなかった。

    タイトルから察せられるように、名作『坊ちゃん』を執筆する夏目漱石を主人公に、明治時代の文豪・社会活動家などとのコミュニケーションの様子などから、明治時代の時代精神を浮き彫りにしようとする。当然、史実をベースにはしているものの、実際にはなかったであろう人物間を意図的に交差させる手法を取っている。例えば、一瞬の邂逅ではあるが、師走のごった返す東京駅で漱石とぶつかるのは、のちに伊藤博文を暗殺する安重根であり、ぶつかった拍子に落ちた漱石の書物を拾い上げる手助けをするのが、駅内を巡回していた若き東条英機であったりする。

    そして、漱石との対話シーンも多い森鴎外など、『破戒』をちょうど執筆していた時期の島崎藤村など、文学者たちのそれぞれの人物造形もクリアに描きかき分けられている。シリーズということで、この傑作が毎月楽しめるというのは非常に楽しみな一方で、豪華装丁版のため価格も高いのは悩みどころ、ではある・・・。

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    2021年12月05日
  • 人間晩年図巻 1995-99年

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     山田風太郎「人間臨終図巻」の衣鉢を継ぎ、現代史へシフトした「人間晩年図巻」。三島由紀夫賞の授賞式で「私(関川)は、たまたま江藤淳の真後ろに座っていて」という「江藤淳」の回は臨場感がある。「人間臨終〜」でいうと「江戸川乱歩」の回にあたるだろう。
     初読が2018年晩秋。僅々2年半の間に自分も老いた。再読した今、物故者の晩年がロールモデルとして身に迫ってくる。

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    2021年06月08日