井伏鱒二のレビュー一覧
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井伏鱒二文学忌 1898.2.15ー1993.7.10
井伏忌 鱒二忌 平成5年までご存命だったですね。今年は没後30年で、神奈川近代文学館や杉並文学館で記念展が開催されています。(広島のふくやま文学館でも)涼しくなったらお出かけします。
井伏鱒二は、太宰治をとても可愛がって(お世話をして)いました。出会いは、太宰治からのアプローチ。14歳で井伏の作品に心酔して、東大入学で上京して、会ってくれなければ自殺するからという、手紙をだす。まだ良い時代だったから、井伏も会う機会を作ってあげる。そこから続いた太宰治の事を書いた物を一冊にまとめた逸品です。
太宰治は青森の資産家の息子で、出会った時から浪費家、一時は薬物中毒と、何かと手を差し伸べ破綻した生活を助けていました。そして、将棋を指して、旅行に出かけ、親しかった様子が伺えます。
特に最初の「太宰治の死」初出は昭和23年8月原題「太宰治のこと」ですから、情死と言われた自殺から間も無くの作品です。他の作家さんの作品でも書かれていましたが、太宰治の情死について周囲の人たちは納得していないようです。「おんなごころ」に、太宰治と入水した女性との生活が書かれていますが、この女性との関係性を良く思っていない事が読めます。もしかして、太宰治も困っていたかもしれないような。
太宰治について想像していた通り、友人は少なかったけれど、何故か彼の世話をしてくれる人や長く仕送りをしてくれた地元の名士の兄が居た。少し生活を立て直せていればねえと思うけど、小説に特化した人間性だったんでしょうか。
太宰治は、その時々の心情から小説を書いていたようなので、再度、年代順に読み直してみようかなと思いました。 -
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自分が小学生の頃、
ドリトル先生シリーズが好きで、
面白く読んだ記憶があり(ハードカバーのやつ)、
再読しました。
訳が井伏鱒二とは知らずビックリ。
面白かった記憶がある割に、
ストーリーを全く覚えていなくて、
新鮮な気持ちで読んだ。
ただ、ダブダブ、チーチー、ポリネシアといった動物の名前は記憶がありました。
子供にとって面白いものは、
大人にとっても面白いものもあるけど、
今の自分なら積極的には読まないかなぁ、と思いました。
想像力が逞しい子供の頃に読んだ方が面白かったと思う。
小学生の時には、
独特の挿絵、知らない動物(オカピとか当時は知名度無かったので)、外国の食べ物、昔の風俗、そういうものへの憧れもあり、
楽しく読んだと思います。
サラ・ドリトルのゴリラみの強さは謎。
あとがきというか解説にかなりページを割いてあり、
興味深く読みました。
ロフティングが作家では無かったということは初めて知りました。
言われてみれば、専業作家っぽく無い流れ(山があまりないというか)のような気はします。
原作は100年も前の作品だと思うと、
ロングセラーの力は感じます。
子供向けの冒険譚としては、
現代でも十分読めると思います。 -
Posted by ブクログ
昔荻窪に住んでいた時に買ったけど結局読まなかった本を30年近く経ってから読んだ。井伏鱒二の文章はなんとなくおおらかさと洒落た味わいがあって「黒い雨」を読んで以来好きだ。昭和初期の荻窪あたりの今からは想像がつかないような田舎びた感じや、戦争に向かう時期の緊張、その中でしたたかに生きる街の人々や今よりは生きる余裕もあったように見える文人たちの姿が飾らない雰囲気で馴染みのある地名の中で描かれる。荻窪タウンセブンの建設前のワクワク感のようなものも書かれていて身近なところもあって嬉しい。1993年に亡くなったということは実は私が荻窪に住んでいた時と重なっていた部分があったのかもしれない。
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ネタバレ荻窪に住んでいた井伏鱒二による大正末期から昭和前期の東京の様子や世相、近隣に住む文士(阿佐ヶ谷将棋会)との交遊の記録。
当時はまだ青梅街道を馬が野菜を乗せて通っており、阿佐ヶ谷や荻窪、高円寺に鉄道の駅を誘致の話が出ている。関東大震災の際には東京が3日間燃え、菊池寛が横光利一を探して幟を立てて東京中を歩き回ったなど、文士の絆の強さを思わせる。井伏鱒二は立川まで歩いて広島に列車で帰ったという。
2・26事件に小林多喜二の獄死など当時ではどのように受け止められていたのかリアルタイムな目線での記録となっている。
不世出の作家小山清など知ることができてよかった。 -
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動物と話ができる獣医。子どもにとってはなんと夢に溢れた世界だろう、と思う。
差別表現等の問題は、石井桃子さんが述べておられるように、作家自身、生きた時代や文化と無関係ではいられない、という、それだけの問題かと思う。
これが人種差別による白人至上主義を述べたい本であるのならともかく、作家が作りたかった世界はそんなものとは基本的に無関係な、子どものためのファンタジーでしかない。
現代の日本の価値観に照らせば、悪としか言いようがない記述や展開に、大人が嫌悪感を抱くのは仕方がないと思うが(読む自分自身が文化や時代と無関係でいられないのだから)、一方で、頭の柔らかい子どもたちの方が、その辺りを柔軟に処理しているような気がする。
善悪という観点ではなく、現実世界の良識や原則にあてはまらない全てを、ファンタジーとしてあるがままに受け入れるような、そんな柔軟な心で、作者の本当に描きたかった胸踊る作品世界を楽しんでいる。 -
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ホームズの次は怪盗ルパン!と決めていたら1~3巻が貸出中のままになっているので方向転換。実家の子供本棚に1冊ずつだけあったムーミンとドリトル先生、10代の頃に全シリーズ読もうと思ったけれどムーミンはパパが海へいった辺りで、ドリトル先生は月から帰った辺りで?頓挫して、ムーミンはその後30代と40代で全編通しで読んでいますが先生はお月さまで止まったままになっていたのでこの機会に。覚えていたこと、読み出して思い出したこと、ぼんやりは知っていたけど改めて確認できたことなどをしみじみと味わいながらの読書体験はちょっと特別で、思った以上に楽しかったです。奥付を見たら原著が公表されたのが1920年で百年前とわかり、なおさらしみじみしました。現在は絶版になっているのか検索しても出てこない、巻ごとに色違いの格子模様になっている岩波のハードカバーで読んでいます。それにしても、不思議な両頭動物 Pushme-Pullyu には「オシツオサレツ」と意味を取った訳をつけ、 Dr. DoLittleの方は意味は取らずに音を取って「ドリトル先生」と訳した井伏鱒二さんは偉大です。なんとなくの記憶では日常生活のベースがあってから、さぁアフリカへ、という展開だったと思っていましたが一巻からいきなりアフリカへ行っていて驚きました。子供の時はふんふんそうなんだなとスイスイ読んだことどもが、半世紀生きて都市部から離島に移住してコロナ禍になった今になって読むと、平易な言葉で本質的なことが綴られていて静かに感動します。書かれたのが百年前位なので、ところどころに人種や階級やジェンダーなどの属性の扱われ方や表現でムムムと思う箇所もありつつ、今度こそ全シリーズを読破したいと思っています。楽しみです。
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『ジョン万次郎漂流記』のみの感想。
幕末から明治初期にかけての実在の人物についての小説。資料にない部分は井伏氏の空想で補われている。
冒険譚として非常に面白かった。
土佐で貧しい漁師だった万次郎は15歳の時の正月に他の四人とともに漁船に乗っていて、嵐に会い、一週間ほど漂流した。
ようやく周囲が一里ばかりの無人島に到着し、そこを当座の棲家とした。彼らは島でただ一箇所岩の窪みに水が溜まっている所だけを“井戸”として大切に使い、あほう鳥を取って食べるなどして命を繋いでいたが、それも限界に達した頃、そばを通りかかったアメリカの漁船に助けられた。
身振り手振りでかなり言葉が通じ、そのアメリカ人たちは万次郎たちに大変親切にしてくれた。
ハワイのオアフ島で5人は上陸し、4人はそのままオアフ島に残り、生活の保護まで受けて不自由なく、暮らしたが、万次郎だけはホイットフィールド船長に大変気に入られたので、そのままジョン・ホーランド号に乗り続け、太平洋を横断しながら捕鯨し、やがて、アメリカのマサチューセッツに上陸し、船長の家族と共に暮らすことになった。
アメリカで万次郎は学校にいかせてもらったり、農耕牧畜の余暇に読書したり、測量を教わったりして、教養を身に着けた。また、捕鯨船に乗り組んで、アフリカやインドのほうまで捕鯨に行ったり、一人カリフォルニアまで銀の採掘に行ったりもした。
立身出世する人というのは、いつの時代でも、どんな場合でもやることが違うのだなと感心した。面白かったのは、万次郎が捕鯨船で世界を回っているとき、2回くらい、日本の船と出会っているのに、その時は言葉が全然通じていないのだ。アメリカの船に助けられた時にはあんなに言葉が通じたのに、いくら万次郎の土佐弁とその時出会った船に乗っていた日本人の方言が違うといっても、心の問題なのだな。
何年かたち、ある時、万次郎はハワイに行って、昔一緒に漂流した仲間を訪ねる。一人は病死してしまっていたが、あとの3人は元気に働いて暮らしていた。日本へ帰る相談をし、一人はハワイに残ると言ったが、万次郎を含むあとの三人は中国へ行く商船に乗せてもらい、日本の近くで下ろして貰ってそこから小舟で自分たちで上陸する計画を立てた。大変危険な計画だったが果たしてそれは成功し、万次郎達は沖縄の島の一つに上陸出来た。
一通りの取り調べを受けたが、アメリカのことや英語を知っているということで、薩摩藩主らに気に入られ、やがて日本に黒船がやって来たころ、通訳として江戸に呼ばれた。その後、捕鯨、造船、測量の分野などで活躍し、福沢諭吉や勝麟太郎らとともに咸臨丸に乗ってサンフランシスコにも渡った。晩年には開成学校で英語教授をした。そして、アメリカに行って、恩人ホイットフィールド船長にも会うことが出来た。
初めに漁船が漂流した時には生きていたことだけでも奇跡であったのに、その後はなんと運が良かったのだろう。勿論、運を引き付けるものを万次郎たちは持っていたのだろうが、鎖国時代で、しかも日本がアメリカに武力を見せつけられて脅される少し前に、万次郎たちが出会ったアメリカ人たちはなんといい人たちだったのだろう。ファンタジーかと思うくらい素晴らしかった。
この小説が発表されたのは、昭和12年、日米間が険悪になり始めたころだそうだ。
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Posted by ブクログ
いつまでも感想を空白にしておくのもしゃくなので、他の方の感想も見ながら少しだけ記録。
読み終えたら、その本をぱらぱらとめくって内容を思い出しながら感想を書く性質なのですが、どういうわけか、引っ越しのあわただしさに巻き込まれ、本書が見つからないのです。
引っ越し前に読んだのが悪かったか…
語り口は、とても軽妙だったことを覚えています。
井伏鱒二というと、『黒い雨』が有名ですし、みんな大好き太宰治が「師匠、描写力が半端ない」とはしゃぐくらい写実的な方だと思うのですが、だからと言って決して重くはなく、廃墟同然の姿しか見たことのない駅前旅館の風景に、知らないはずなのにノスタルジーを感じてしまうくらいでした。
それにしても、本当に、どこに紛れてしまったのか…