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太宰治から「会ってくれなければ自殺する」という手紙を受けとってから、師として友として、親しくつきあってきた井伏鱒二。井伏による、二十年ちかくにわたる交遊の思い出や、太宰の作品解説を精選集成。「あとがき」を小沼丹が寄せる。中公文庫版では井伏の没後に節代夫人が語った「太宰さんのこと」を増補。
目 次
I
太宰治の死
亡 友――鎌滝のころ
十年前頃――太宰治に関する雑用事
点 滴
おんなごころ
太宰治のこと
太宰と料亭「おもだか屋」
琴の記
太宰治と文治さん
II
あの頃の太宰君
「ダス・ゲマイネ」の頃
御坂峠にいた頃のこと
「懶惰の歌留多」について
余 談
戦争初期の頃
甲府にいた頃
報告的雑記
太宰君の仕事部屋
御坂峠の碑
蟹田の碑
III
あとがき〔『富嶽百景・走れメロス』〕
解 説〔『太宰治集上』
あとがき(小沼丹)
太宰さんのこと(井伏節代)
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Posted by ブクログ
太宰治について書いたエッセイ20篇と作品解説2篇。独特のユーモアが漂う。
ふたりの関係は、交遊とか友愛とか師弟愛といった生易しいものではなかった。才能と魅力はあるが、放蕩する息子と、その後始末をせざるをえない弱気の父親のような関係。しかしその関係がなにかしら不思議な感動を呼び起こす。
とくに印象に残るのは、太宰の最初の妻・小山初代のことを書いた「琴の記」、太宰の長兄のことを書いた「太宰治と文治さん」、石井桃子が最後に登場する「おんなごころ」。
放屁問答は2つのエッセイに出てくる。太宰は、「富岳百景」のなかで井伏が富士を見ながら放屁したと書いた。それを読んだ井伏は、していないと抗議したが、太宰は敬語で応じた。「いや、一つだけでなく、二つなさいました。微かになさいました。あのとき、山小屋の髯のじいさんも、くすッと笑いました」。耳が遠いそのじいさんには微かな音など聴こえないはずなのだが。
Posted by ブクログ
井伏鱒二の太宰に関わる文書をまとめた本。なので内容に重複も見られるけど、生きてる太宰を感じられて、よい。
照れくさく髪をかきあげる太宰や、太宰の葬式に泣く井伏鱒二、その時代に確かに生きていた人たちの記憶や記録がぼんやりと生きてた頃の太宰を感じさせてくれる。
ほんと、生きて、話して、動いて笑う太宰治を見てみたかったな。
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太宰治から「会ってくれなければ自殺する」という手紙を受けとってから、師として友として、親しくつきあってきた井伏鱒二。井伏による、二十年ちかくにわたる交遊の思い出や、太宰の作品解説を精選集成。「あとがき」を小沼丹が寄せる。中公文庫版では井伏の没後に節代夫人が語った「太宰さんのこと」を増補。
Posted by ブクログ
井伏鱒二文学忌 1898.2.15ー1993.7.10
井伏忌 鱒二忌 平成5年までご存命だったですね。今年は没後30年で、神奈川近代文学館や杉並文学館で記念展が開催されています。(広島のふくやま文学館でも)涼しくなったらお出かけします。
井伏鱒二は、太宰治をとても可愛がって(お世話をして)いました。出会いは、太宰治からのアプローチ。14歳で井伏の作品に心酔して、東大入学で上京して、会ってくれなければ自殺するからという、手紙をだす。まだ良い時代だったから、井伏も会う機会を作ってあげる。そこから続いた太宰治の事を書いた物を一冊にまとめた逸品です。
太宰治は青森の資産家の息子で、出会った時から浪費家、一時は薬物中毒と、何かと手を差し伸べ破綻した生活を助けていました。そして、将棋を指して、旅行に出かけ、親しかった様子が伺えます。
特に最初の「太宰治の死」初出は昭和23年8月原題「太宰治のこと」ですから、情死と言われた自殺から間も無くの作品です。他の作家さんの作品でも書かれていましたが、太宰治の情死について周囲の人たちは納得していないようです。「おんなごころ」に、太宰治と入水した女性との生活が書かれていますが、この女性との関係性を良く思っていない事が読めます。もしかして、太宰治も困っていたかもしれないような。
太宰治について想像していた通り、友人は少なかったけれど、何故か彼の世話をしてくれる人や長く仕送りをしてくれた地元の名士の兄が居た。少し生活を立て直せていればねえと思うけど、小説に特化した人間性だったんでしょうか。
太宰治は、その時々の心情から小説を書いていたようなので、再度、年代順に読み直してみようかなと思いました。
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