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Posted by ブクログ
井伏鱒二の最初の短篇創作集(昭和5年・新潮社刊)を文庫化した本(ただし「鯉」は含まれず、「山椒魚」ほか5作品は著者が加筆・訂正した全集版を底本としている)。
まず、物議をかもした自選全集版「山椒魚」(昭和60年、新潮社刊)について。作者はこの版で、あろうことか作品の結末部分16行をバッサリと削除してしまった。この部分は作品にとってキモとなる箇所であり、心にしみわたる文学的な感動を多くの人に惹き起こしたクライマックスでもあったから、当然賛否両論が沸き起こった。
私としても、あの「今でもべつにお前のことをおこってはいないんだ」という蛙のセリフに続く余韻が何とも言えず最高!と思っていたから、改訂版でその印象が殺がれるのを恐れて読まないようにしてきたくらいである。著者自らによるとはいえ、この改訂は文学作品に対する破壊行為ではないのか?
この問題については、「解説」で評論家の秋山駿が詳しく論じている。キーになるのは、「山椒魚」の原型となる「幽閉」という作品だ。前者は昭和4年、後者は大正14年に発表されている。本文庫には、その「幽閉」が併録されている。この二つの作品は冒頭の「山椒魚は悲しんだ」という一文以外は全く違っているが、たしかに「幽閉」のテーマは改訂後の「山椒魚」に通じているようである。
しかし自分としては、山椒魚と蛙が和解するヴァージョンに親しんきたのであり、これこそが「山椒魚」であると信じている。
他の作品に少しだけふれる。この本の最初に置かれている「朽助のいる谷間」は、最後の「一ぴきの蜜蜂」とともに、朽助というかつて実家で「私」の面倒を見てくれた山の番人が登場する話。朽助は「私」にとって心のふるさとともいうべき恩人だ。この人のお国訛り(井伏の生まれた福山地方の方言なのだろうか)が出たしゃべり言葉や手紙文が何ともいえず人懐っこくていい味を出している。
井伏の特に初期作品には意外にもプロレタリア文学の影響がある気がする。「炭鉱地帯病院―その訪問記―」や「生きたいという」は労働災害を扱っているし、また「朽助のいる谷間」ではダム建設で沈む村が描かれている。「生きたいという」の瀕死の怪我人の描写は凄絶だ(ちょっと葉山嘉樹の文章を思い起こさせる)。こうした社会問題に対する意識が、のちの「黒い雨」という傑作にもつながっていると思う。
そのほか「休憩時間」「シグレ島叙景」「寒山拾得」「夜ふけと梅の花」「屋根の上のサワン」など名作が目白押し。繰り返し何度も味わうべき作品群だ。
Posted by ブクログ
定本 夜ふけと梅の花 (単行本)のほうを読みました。
表紙は井伏氏が描いた、地図。
どの話も最初から最後まで貫き通される主人公のだめだめさが、
なんだか気持ちいいというか、文体との不思議な調和があって、
「よし、この主人公を反面教師にして頑張ろう」なんて気には塵ほどもならない不思議な心地よさがありました。
「一匹の蜜蜂」で、
肥え太って働かなくなったぐうたら蜜蜂を見て自分に重ね、
蜜蜂と自分を重ねることを周りにちょっと怒られてる場面があって、
でも「山椒魚」しかり、暗喩するということにすごく敏感な人なんやなぁと。
あとがきを読むと、同じ話でも何度か書き直して少しずつ違うみたいなので、他のバージョンも読んでみたいな。
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